第8話

 天気予報は狂いなく的中して、外は大雨が降っていた。

 台風が来たときが百パーセントだとしたら八十パーセントくらいの強さだと思った。遠足は僕がまだ寝ている間に中止の連絡がきたそうだ。お母さんは最初から中止と決めつけていたから、昨日の夜からお弁当なんかの準備は全くしてくれていなかった。


「思った通りだったわね」となんの感慨もなく言ったことに僕はムッとした。返事をせずに朝ご飯を黙々と食べていると


「あー……今日は早く帰るから、ご飯は外で食べようか。純平は何がいい?」


 さすがに僕の気持ちを察したのか、お母さんがそう聞いてきた。


「……ステーキ」


「オッケー、じゃあそうしよう」


 今日のことがバレたら、僕はこっぴどく怒られるので外食の予定はきっとなくなる。僕の機嫌をとるために言ってくれたのにと思うと、飲んでいる甘いココアの味が口の中で薄くなっていく気がした。

 

 けれど、もう引き返せない。

 

 冷蔵庫にはキャンプに使えそうな食べ物がたくさんあることは確認済みだ。お母さんは買いに行くのが面倒だからと一気に買って冷蔵庫に詰め込むのである。戸棚の引き出しにチョコとポテトチップスがあるからそれも持っていくつもりだ。

 

 僕はチラチラと時計に目を配る。

 待ち合わせは八時。お母さんはいつも七時半過ぎに家を出るから、それから準備をしても十分に間に合う計算だった。なんだか時間が過ぎるのがいつもよりも長く感じる。


「どうしたの? 時計気にして」


 向かいに座って、いつもの苦そうなコーヒーを飲んでたお母さんが僕を見つめていた。しまった、不自然過ぎたか。


「別になにも」


「あー、わかった。清子ちゃんと喧嘩でもしたんでしょ?」


 思わずむせてしまう。違うんだけど違わなくもなかった。お母さんはいつも清子ちゃんと違って、頬をかすめるくらいの見当外れなことを指摘してくることが多いのに。


「……喧嘩なんてしてないよ」


「隠さなくてもいいじゃない。仲が良ければ喧嘩くらいするわよ。まっ、どうせあんたは清子ちゃんに正論言われて言い返せずに逃げてきたってオチでしょ」


 ぐぬぬ。みぞおちにパンチをもろに受けた気分だった。お母さんにしてはめずらしく大当たりである。僕はまた時計を見る。時刻は七時半になろうとしていた。いつもと同じならこのくらいに。


 そう思考しながら、秒針が十二時のところへと回っていく。何か大事なことを失念している気がした。なんだろう、何か見落しをしているような。

 僕がその違和感を持った瞬間、インターホンが鳴った。


「ほらきた。なんでもいいけど、ちゃんと仲直りしなさいよ。どうせあんたの方が悪いんだから」


 それも正論である。僕の反応を待たずにお母さんは「いってきまーす」と言って玄関の方へ行ってしまった。


 いつもありがとね、清子ちゃん。


 いえ、習慣なので。


 いつも通りの二人の会話が聞こえた。

 そのとき、電撃が頭に走った衝撃を受ける。

 そうだ、僕は毎日清子ちゃんと学校に行っているんじゃないか。彼女は僕の準備が出来るまでそこのソファーで本を読む。きっと昨日読んでいた本とは別の本だろうな、いやそんなことはどうでもいい。

 

 僕は立ち上がって、意味も無くキョロキョロとしてしまう。

 清子ちゃんが僕を行かせることはない。昨日追いかけてこなかったのは、明日また絶対に会う機会があったからだったんだ。

 

 どうしよう、どうしよう。

 

 まだ準備もしてないから逃げ出すことができなかった。それ以前に今度こそ清子ちゃんは僕を行かせることはしないだろう。

 混乱の最中にいたとき、ふと僕は慌てていた身体の動きを止めた。

 清子ちゃんがいつまでたっても中へ入ってこなかったからだ。


「……清子ちゃん?」


 確かに声はしていたはずだ。

 お母さんといつもの会話はちゃんと聞こえていた。

 僕はおそるおそる玄関の方へ行くと、扉は閉まっていて妙な静けさが漂っている。扉を開けると、そこにはやはり誰もいなかった。代わりに外の取っ手に傘がかけられていることに気付く。きれいに畳まれたその傘は昨日清子ちゃんの前で放った僕の傘だった。


「清子ちゃん」


 僕は傘を握り絞めて、すぐに家の中へと戻った。

 僕は清子ちゃんに、ごめんとありがとうを心の中で伝えながら遠足の準備を開始した。

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