中間 ―不可解な事
さて、いかがだったでしょうか。
確かにあの時私は、あれは三途の川で、生か死を、起床と就寝に擬えて何者かに課されたような、そんな気がしていました。
えぇえぇ、わかりますとも。
そんなことあるはずない。それは単なる脳が見せた幻覚、夢のようなものに過ぎず、もっと言うなら、脱水症状や熱中症によって意識を失った私の脳が、その苦痛から逃れるために自身に快楽や幸福を与えるなにかしらのホルモンを分泌し、それが自室のベッドになぜか変換され、私を安心させた、ということまで考えた方もいらっしゃるかもしれません。それが非日常?笑わせるな、といった感じでしょうか。
かく言う私も、歳を取ってからこのことを思い返し、そのように考え自己完結しましたから、そう思うのは自然なことです。
突然ですが、ここで今一度、非日常とはなにかを考えることといたしましょう。
私は冒頭にこう言いました。非日常は、日常に溶け込むのだと。しかし、死神や三途の川といった想像上の産物が、日常に溶け込むことなどあり得るのでしょうか。
それもまたあり得ると面白いのですが、ただ想像してみてください。
今あなたの見ているこの画面から、突然死神が出てきたら、あなたはそれを受け入れることができますか。そう、大きな鎌を持って、漆黒に染まるマントを羽織った大男が、画面から飛び出し今あなたの首を…!
…。
すみません、驚かせるつもりは無かったんです。自分で言っておいてなんですが、そんなこと当然起きませんよね。起きるはずがないですよね。
あまりにも日常からかけ離れすぎた存在を、脳は認めようとしません。つまり、それが日常に溶け込むものである限り、非日常とは、あり得るがあり得ないこと、起こそうと思えば起こせるが実際に起きることはないこと、そんなものだと定義づけることができるでしょう。そう考えると、非日常とは、誰の手にも起こせますし、誰の身にも起こりうる、身近なもののように感じてきませんか。
さて、話を戻すことといたしましょう。
…このお話、なにか不可解なところはありませんでしたか?
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