第17話

「団、遅かったな」


「零。……お前、どうやって俺より早く帰って来たんだ?」


「実は連絡来た時にはもう現場から離れようとしていたんだ。フュリムに拾ってもらった」


「まったくお前らは……。組織自体は世界から認可されているが、俺たちの技術、能力、経歴は大体全部真っ黒なんだから気を付けてくれよ」


 さっき見た大人たち。広い部屋、高い天井。床は鉄で足を動かせばその都度コツコツと音が鳴った。技術、能力、経歴が真っ黒――自分もその一人なのかと涙は頭を抱えた。


 黒川と田白は涙を放置して調査結果の分析に入った。部屋の奥で暇そうに棒付きの飴を舐めながらラジオ体操の動きをしている上は制服のスーツ、下はもはやパジャマの男が涙に近寄ってきた。


「よっ。あんたが三日月涙かぁ。元気?」


「は、は……――はい」


「飴食う? 落ち着くよ」


 涙は断ることもできず男から飴を貰う。包み紙式のソフトキャンディ。お菓子売り場で何度も見てはスルーしてきた駄菓子だ。


「俺は山城丈。オペレーション担当。年は三十、大学出てちょっとやらかして刑務所に行って、ここに拾われたの。すごいだろ?」


 山城は涙の肩に手を回す。異常に近い距離感。涙にとっては不愉快極まりない煙草のヤニ臭さが鼻を貫いた。


「おい丈、お前の犯罪自慢は何の得も生まないからやめろ。あと飴配るな。商店街の知らねぇおばさんかよ。……離してやれ。体臭が気になって嫌がってる」


「あぁゴメンよ。ってか団さん酷いっすよ! しかも俺拾ったの団さんでしょ⁉ 飴はタバコ吸えないときの必需品で、あんたも時々くすねに来てるじゃないですか!」


「食堂の売店にある飴、お前が全部買わなきゃこんなことになってねぇよ!」


 入ってきて早々に身内の茶番に付き合わされる涙。それをリベリア兄弟は横目に見ていた。黒川と山城が額を合わせて口論する前に田白は手を叩いて騒ぎを治める。


「さて、SWORD第一部隊。ひとまずこんな感じで揃ってる?」


「そうだな。メルナはまだアメリカ本部だし。涙。改めて挨拶してくれ」


 三日月涙 四月四日生まれ AB型 好きなこと……――


「僕は僕も何ができるのかまだ分からない。この世界がどうしてこんなことになっているのか。何故今までそれを知らずに生きてきたのか。まずはそれを知りたい。どんなことがあっても僕はみんなを助けたい」


 緊張感漂う中、涙は少数だが全員から拍手をもらった。それは仲間としての歓迎の他に地獄への旅路に一人増えたことを意味しているようだ。


「そういうわけだ。SWORDに正式加入するのは多少後の話だが、今後は涙と一緒に居るサリエルを保護対象としつつ調査や現場に同行してもらおうと思う。仕事仲間として。もしお爺さんにダメだと言われたら同行は諦めるがな」


「よろしくお願いします」


「さて、零、丈集めた情報をもとにリベリア兄弟と調べ物を頼む。新しい発見があり次第教えてくれ。とりあえず涙を家に送る。……なにも無ければ真っすぐ一時間ぐらいだろ?」


 涙は黒川の顔を見て頷いた。彼の頭の奥ではずっとサリエルが小言を言っている。彼らのいうことも正しければサリエルの言い分もたしかに捨てがたいところがある。


 ここに来てもまだ、誰かの声を頼りに進もうとしている。


 黒川の四メートル後ろを歩いて出口に向かう中で涙はそう思った。


『私はこうなることを読み取っていた上に向こうもお前のことを仲間にしようと目論んでいたみたいだな』


「僕じゃなくて君の力なのでは? 何でもいいけど……。僕はどうしたらいいんだ」


「大丈夫だ。なるようになる! 人生は遊覧船だ。あっちに行ったりこっちに行ったり。そうやって前に進んで知らないところに辿り着く。俺たちもそうやってここまで来た。……要約するとなす術もなかったんだ。お前とサリエルがやってきて状況が一変する。これから。俺たちも予測できない世界が待っている。イギリスで少し前に終戦した魔力大戦争並みに恐ろしいことが待っているだろう」


 オートスロープを歩きながら涙は黒川とサリエルと話をしていた。双方の言っていることがあまりにも難しくて理解が追い付かないが、きっとそのうち未来を揺るがす最悪の事象と、その反対が起きるのだろうと解釈した。


 外に出て涙はスマホを確認すると通知が一件も来ていなかった。祖父に「今から家に帰ります」と送って黒川の運転する車にまた乗りこむ。


 涙は車内に流れるジャズに耳を傾けながらしばし景色を眺めていた。SWORD基地の周辺にはたくさんの見たこともない機械や乗り物が置かれていた。車の地図を見れば都会はさほど遠くないのに、高い建物が何一つ見えない。まるで結解を張られて基地が隠されているみたいだった。ETCを二つ通過するまで車も疎ら、高速に乗ってすぐから一つ目のETCを通るまでなんて車一つなかった。二つ目を通過する直前にようやく七台ほどの自動車を見かけた。涙はただただそれが不思議に思って、だけどそれを黒川に問うことはしない。


「ジャズが好きなのか? お前の親父からはクラシックが好きと聞いていたんだが」


「僕はクラシックがむしろ嫌いですよ。眠くなっちゃうし。その点ジャズは楽しいから好きです。黒川さんはどうですか?」


「俺はあまり音楽に興味がなかった。だけど嫁と息子が音楽好きでな。これも嫁の選曲だ」


 流れているのは『マイフェイバリットシングス』。涙も大好きなジャズの定番曲だ。


「これを聴くとつい嫁を思い出す」


「奥様と出会ったのはいつなんですか?」


「息子が十三歳だからもう十六年ほど前かな。俺がよく行っていた居酒屋に彼女が勤めていたんだ。あまりにも美人だったものだから俺は一目ぼれした。誘ったら彼女は大喜びしてくれたよ。俺はSWORDに居ることを隠して彼女と一緒に居た。そしたらある日すんなりバレたんだ『団、アナタ血の気がすごいところに勤務しているのね。でも誇らしいわ』って。付き合って二年で結婚してすぐ子供が出来た」


「幸せな家族ですね」


「実はそうじゃなくなった。……アイツは四年前に死んでしまったんだ」


 涙はそれを聞いて驚きを隠せなかった。団の年齢は四十代前半。ということも踏まえると彼の嫁は非常に早く亡くなってしまったということだ。


「骨の癌と言えば分かってくれるかな。見つけた頃には深刻な状況だった。生かすか死なすか。今でもあの選択が合っていたのかって思うことがある」


「……」


 涙はつい自分の今の状況や話の内容の重さに深刻な表情を浮かべた。いたたまらないけど逃げようがない。否、向き合うべき問題なのだと思考を右往左往させた。


「すまん暗くなったな。……嫁が死んで息子をどうしようかと思った。この職はあまり家に帰れない。まだ小さいアイツを家で一人にはできなかった。でもあいつの人生を俺の身勝手で決めたくはなかった。だからアイツに選ばせた。俺と来るか、施設か、親戚か」


「どれを選んだのです?」


「最初は俺を選んで一度SWORDに来たのだが、当時のアイツ的に俺が怖い人に見えてしまったみたいで。我慢して施設に行くと言った。『いつかオレもトトと一緒に世界を守る』って約束した。今でも覚えていてくれるだろうか。あの子から時々手紙が送られてくる。今は里親が現れて神戸で幸せそうに過ごしているみたいだ。習い事も沢山やらせてもらって、充実しているようだ」


 黒川の声はとても寂しそうだった。もし敵の脅威やおぞましい災害がなければ彼らも幸せで平凡な家族だったのかもしれない。サングラスで若干隠れている目の辺りの切り傷も無かったのかもしれない。


「すみません。嫌な話をさせてしまって……」


「おいおい何を言うよ。ジャズを好きで流していたのは俺の方だ。……言ったろ。経歴真っ暗な奴が多いって。俺と田白の名前、高校の偉い人に言ってみろ。怖がられるから」


「どうしてなんですか?」


「聞きたいか? 教えてやろう。あのな――」


 『団、邪魔して悪い。緊急だ。高槻市で建物を多数倒壊させる暴風が発生。家屋をはじめとして商店が多く潰されている。だけど無差別。監視カメラの解析で人物判明。「風澤昂」。

府内の男性会社員。三日月君の家ってたしかその方面だろ? 済まないが犯人をとっ捕まえることを優先しよう。リベリア兄弟がそっちに合流する』


 無線は田白からだった。かなり急ぎで口を動かしていたが、情報は性格で尚且つ声色は冷静だった。黒川が無線で「了解した」とだけ返して、車のスピードを一気に上げた。


 涙は一瞬だけスマホを見た。通知が一件。祖父からのもので『高槻に買い物に行って来る』と記されていた。それを見た涙は祖父に通話を繋ごうと試みたが何度コールをしても出てくれない。


 涙も、黒川も、サリエルも同じ空間で同じ時間に嫌な予感が過った。

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