第10話

家を出て学校まで二人で歩く。陽が横で昨日の宴の前にメッセージで言っていたクラス組織の話をして気を紛らわせていたが、一方の涙にはそれが全く届いておらず、むしろ彼の耳に届いていた言葉は遠くでゴミを捨てるおばさんのショックを受けているらしい声や、昨晩に両親を失って身寄りのない幼児の鳴き声や、逆に子供を失った両親の悲しみに暮れる声ばかり。声だけならまだしも、意思や思考を見透かすサリエルの能力の反映が故に余計なものまで見えてしまう。誰が消えてしまったのか、どうなっているのか、涙にはそれらすべてが視えていた。


「……? 涙? 聞いてたか?」


「! ごめん陽、今なんて言った?」


「はぁ。そりゃ無理も無いな。昨日お前の横にいた女の子、あの子も組織トップ狙ってるってよ」


「じゃあその子がやればいいんじゃないの? 僕が押し付けられてやるよりはイイ」


「でもその子、めっちゃ面食い。相手はイケメンじゃないとダメそう」


「結局僕に回ってくるんじゃないか。もう知らん……」


 陽が呆れている涙を見て大笑いしていた。涙が面白いのではなく、良いとこ育ちの涙が関西弁を出すところが面白いそうだ。


「まぁ、頑張ろうぜ。高校生活も」


「そうだね。助け合って行こう」


 友人との会話はいつも自分を励ましてくれる。涙は今日も変わらない太陽の暖かさに緊張感を緩ませた。


 歩いて十五分とかからない距離にある、日本トップクラスの学校『天ノ橋高校』。

 涙はその入学試験において最も優秀な成績を収め入学、陽も上位三十位以内の成績で入学を果たした。


 学校の正門では新入生をいろんな意味で待ちわびる生徒や教師たちでいっぱいだった。年度初めにありげな部活勧誘、生徒会勧誘、先生と委員による風紀の取り締まり、挨拶登板等それは相当の人数が集まっていた。


 生徒数は一学年三六〇人、一クラス四〇人構成、九クラスに分けられ一年生はバランスに関係なくランダムに分けられ、二年生は文武のバランスと見つつ編成、三年になると文系、理系、体育会系、オールラウンダーという編成にされ、進路に合わせてタイプ分けがされる。三年生だけクラスが十個になるのだが、今年の三年生も九つにしか分けられていない。


オールラウンダーというのは決して全てできる人間が集まるクラスということではなく、大学院のようなある事柄に対して研究に勤しむクラスのことであり、成績がいいものが無条件で入れるクラスというわけではない。入れる条件という物も設定されておらず、その正体を知る生徒が歴代を辿っても七人しかいないため、数えるに値しないクラスである。だから九つのままなのである。


 しかし涙はその未知なるクラスのことが気になっていた。そこに入れる条件資格、入った後にやること、入って卒業までした七人はどんな人間だったのか。涙は知りたくて仕方なかった。


 話を戻して正門でのこと。涙と陽が門に辿り着くと辺りは、一番いい場面が見られそうなところでチャンネルを変えられた時のように静かになった。


「あれが問題児学校から来た優等生の三日月と日比谷か?」


「間違いないわ」


「神天東中の?」


「あんな荒れてる学校から?」


「間違いない」


 涙は遠くから自分たちのことを語る人間の声を聴いた。陽は何故静まり返っているのか理解出来ないまま涙を横目で見た。その涙の表情は非常に険しいものだった。明らかな怒りの表明。一体何があったのかを陽は理解できなかった。


 神天東中学校というのは大阪で一番有名なヤンキー中学――とされていた。今は教師と生徒の環境も多少は良くなり、大阪の中学校の中でも中の中くらいの態勢の良さになっているが、一昔前は一切よく思われなかった。


 学校の内外問わず暴力沙汰が絶えない学校で、先生もお手上げレベルのギラギラした目の生徒が多かったそうだ。しかもこの中学は共学校。ということは女子生徒の中にも問題児は多々いたのだ。陽は暴力的に絡まれても安全にかつとことんやり返す質だから温厚とされていてよかったのだが、涙はやられたら後から二千倍にしてやり返して怯えさせるサイコ気質だった。


そう、神天東中学の一番の問題児は、そういった『暴力でやり切ろうとするあからさまなヤンキー』よりも、涙や陽の様な取り立てが得意そうなヤクザ気質の人間なのだ。


恐らく高校入学して一日経たないうちに噂にされているのは。誰かのアホな井戸端会議が噂に変わり、それが伝達に伝達を重ねられて結果なのだろう。


「はい、そこで止まって。風紀チェック。……よし、二人とも大丈夫だ。おはようさん」


 涙と陽は担当した生活指導の先生に会釈してそのまま前に歩いて行った。自分たち二人が校舎まで歩いている時、その時だけは在校生はほとんど近寄って来なかった。唯一近寄ってきたのは生徒会の空気ぶち壊し系の庶務が数名だけだったが、駆け寄ろうとしてきた瞬間に厳重な袋に入れてカバンに入れていた月の石、もといサリエルが面白半分でその人たちの足をすくってコケさせたから難を逃れた。


『どうだい? 面白かったろ?』


「(学校内ではそういうことするの控えてよ……僕もびっくりするから)」


『お前ってやつは……わかった。何か危険なことが起きたら呼んでくれ』


「そうするよ……」


「……るい? なんか言ったか?」


「え、いや別に。空耳だよ、大丈夫」


 陽は神妙な面持ちを保つ涙を見て無性に心配の念を送っていた。一方の涙は気に掛けるものが多すぎて頭がパンクしそうになっていた。どこか嫌な予感がすると言ってもいい謎の気配を感じ取っていた。「不穏な気配を感じる」と言ってもきっと陽は信じてくれないだろう。涙は唯一にして最高の友人に対しても言えないものがある罪悪感に苛まれていた。


 教室に着くと、あれだけの生徒が待ち構えて居たり、横を歩いていたにも関わらずそこは開いていなかった。自分たちのクラスだけまだ誰も来ていないということだ。学校生活の初日、ホームルームの十分前なのに。


 やむを得ず一つ下のフロアにある職員室に二人で行き、涙が室のドアを三回叩いて名乗った。


「一年六組、三日月涙です。ホームルーム教室のカギをいただけますか」


 誰かを指名して言うことではない。誰かが自分の声を聴いているだろうのシステムで要件を伝えた。そうすると一人のスポーツマンで若めの男性教員が立ち上がり鍵を保管している場所に向かい鍵を取って涙の前に立った。


「三日月くんおはよう。元気かい?」


「先生おはようございます。えぇそれなりに」


「昨日の夜はすごいことが起きてしまったね……。君のところは大丈夫だった?」


「あ、え、……いいえ。僕と祖父以外が――」


 涙がその先生に昨日の出来事の後のことを話すと、職員室中の教員がざわついた。消えたことに驚く者、あの三日月家がと唖然する者、ざわつき方は人それぞれだった。数人の教員がやってきて、寮生活の提案や奨学金の提案など自分たちやこの施設で出来る助けを提案したが、涙は頭からそれを断って、自分の家族のことは誰にも言わないでくれとお願いしたうえ、逃げるように職員室から出ていった。室の外で待っている陽のことも忘れて教室までの階段を駆け上っていく。


「ちょっ、涙!? 待ってくれよ~!」


 涙の背中を追いかける陽は生粋の体力お化け、一段一段を早く上る涙に対して、荷物なんてお構いなしに二段飛ばしで階段を上る陽はあっという間に涙に追いつくのだった。


「涙、おま、置いてくなし……」


「ごめん……。あぁ、うるさい」


「うるさい? お前な――」


「陽じゃない。カレでもない。別の雑音がするんだ」


 涙は左耳を手で押さえながら右手でカギを穴に入れて回す。乱雑に引き戸を開けて昨日座った自分の席に座る二人。偶然にも前後の席。涙はサリエルでもない謎の音に、陽は涙が言った「カレ」のことが気になって一向に喋る気配がなかった。

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