第8話

 『お前、私を晒すつもりだったのか』


 自室のドアを閉めるとまたサリエルは涙に話しかけた。


「ダメだったのは聞かされてなかったからね」


『二度とするな。地球人に身が割れて、俺たち天使を悪用する組織に囚われたら、たとえそこから逃げ出しても大天使に処刑されるんだ。そうなったらお前も死ぬ』


 涙は堕天使の唐突な理不尽に対し、目を閉じて眉間にしわを寄せた後、左の眉毛だけググっと引き上げて思うことを頭の中で羅列した。口には出さない。この堕天使を怒らせたら食いつぶされるかも知れないから。


「そうなのか……。僕は飛んでもないものを拾ったんだね」


 手に持つ月の石を感慨深げに見つめる。赤、青、黄、紫、緑、白――様々な色に光り輝くソレは時々パチパチと音を立てて線香花火のようにもなってくれる。しかし、涙はそれが美しいとは思わなかった。見るだけで心のエネルギーを消化してる。憂鬱さを忘れるにはもっと他に彼を満足させるものが必要のよう。


『ったく、仕方のない小僧だ。もっと面白いもの見せてやる。目を閉じるんじゃないぞ』


「何さ……。アナタはよくわからな――」


 涙が言い切る前にサリエルは不思議という言葉では片付かない行動に出た。様々な色に光っていた石は一度光を失くし、部屋が更にシン……と静かになった。同時に涙にだけ聞こえていたカレの声は消え去り、涙は少し不安になる。カレに食われてしまうのではないだろうかとさえ思い、焦る。


 サリエルはそんな涙にほくそ笑むと、また月の石に光をもたらした。天体写真でよく見る太陽のような橙色。冷たかった石はその色になると熱を持ち始めた。ぬるま湯から熱湯、鉄を熱したような温度まで熱は上がった。涙はあまりにも熱いものだからつい手から月の石を手放す。しかし床に落ちた月の石は何も物を溶かしたり、焼いたりしなかった。オレンジ色に光るソレは涙の触覚を弄ったみたいだ。


 床に投げられた月の石は不思議な煙を放ち、涙よりも十センチ程高くにまで上った。その煙の影からキラキラと不思議なオーラが見え始め、それはやがて人の形を作った。煙は静かに月の石の中に戻って行き、涙の前には知らない男が立っていた。


「お前はビビりなのか?」


「え、あ、分からない。……その声はサリエル?」


「いかにも。お前に取り憑いたモノの正体じゃ」


 サリエルは優しい笑顔を持つ青年と何ら変わらない風貌をしていた。髪の毛はアルビノとまではいかない美しい白銀色で艶があり、クリスマスによく見るモミの木のように長く下に向かって広がっていた。瞳の色は碧眼、髪の色も相まって肌の色はとても白かった。その瞳が涙を写す。涙は自分を見ている彼をまじまじと見つめた。


「実際見ていると美しい少年だな」


「アナタも綺麗ですね。見惚れてしまう」


 意識の中で会話をしていた時よりも何倍、うんと綺麗な声で語り掛けるサリエルのことを涙は未だ信じられなかった。意識中の声は映画でよく出てくるタイプのヤクザのような人を脅すときに出る声をしていたが、対面で話している時の声は寧ろ好青年で爽やか、文化系のイケメンを創造してもらえたら易いだろう。


「お前のような人間を私は好む。お前、実は怖いもの知らずだろう?」


「どうなんだろう。でもアナタを見て興奮しているからきっとそうなんだろうね」


「面白い少年だな。こんなことにならなければ出会えてなかった。こればかりは感謝せねばならん。よろしく頼む」


「僕にとってアナタとの出会いが良いことなのか悪いことなのかは分からない。でもきっと君は楽しませてくれるよね。こちらこそよろしく」


 二人は握手を交わした。サリエルの手はとても熱く、涙の手はとても冷たかった。手を離すと突然涙は身体の力が抜けて膝から崩れるように、しかし静かに倒れていった。咄嗟にサリエルが彼を支えたおかげで怪我はなかったが、急に意識を飛ばした涙を大いに心配した。


 サリエルは涙の脈と意識を確認すると自分の持つ力を彼に行使した。


「青年の疲労を癒し給え、熱を与え給え」


 先ほどまで見せていなかった神の黒き翼を出し、その羽を一つ取って仰向けにした涙の胸元に置いた。黒い羽はほんのりと光だし、フワッと宙を舞いだし、涙に煌めきをもたらし役目を終えると羽は白くなった。そうすると、意識を飛ばしていた涙はスースーと寝息を立て始めた。サリエルはそんな彼を持ち上げてベッドに寝かせた。


「どうか、アナタの未来に幸せが訪れますように」


 サリエルは床に落ちている月の石を拾い、涙の手に握らせた後で自分も月の石の中に戻っていった。

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