第3話

 「なになに~二人でたのしそぅ~秋も入れてぇ?」


「秋姉さん。最近はどうなの?」


「東京は楽しいよ~。みんなひょいひょいついてきてくれんの。涙もおいでよ」


「遠慮するよ。余程のことがない限り東京に行くこと自体ね」


「余程のこと?」


 秋と咲が口を合わせて聞く。真逆の性格の二人が突然同時に聞くものだから涙は目を丸くした。


「どうしたの?」


 秋が食い気味に涙を覗く。バッチリメイクが施されている。高校を卒業してすぐに家を出て一年。家族で唯一父の血を強く貰い姉弟で最も顔に対するコンプレックスが絶えなかった次女の秋は一重だった目が二重になっていたし、心なしか顔のパーツの形が変わっているようだった。この日の為に東京から新幹線に乗って帰ってきたのに、秋の変わり果てた姿に涙は人見知りを発揮した。


「え、あ、いや。二人同時に聞き返されたりしたのが久しぶりだったからびっくりして……。というより二人と喋ること自体久しぶりなんだけど……」


「涙は昔から部屋に居ること多かったもんねぇ。ご飯の時もずっと静かで。今日もそう。ねぇあんた主役よね? もっと騒いでみたらどうなの? あ、お酒飲む?」


「飲まないし、秋姉さんは未成年じゃなかった? 半年くらい待てなかった? 東京じゃ許されちゃうんだ。あ、煙草も家の中ではやめてくれないかな。煙たいのはお婆様がダメだから」


「うへぇ、出たよ正当煽りの涙君……」


 秋は涙や咲とは違って不真面目で不良な娘に育ってしまった。その背景としては彼女が中学校の時に受けた陰湿極まりない容姿いじめが挙げられるのだが、上の姉と下の弟が出来過ぎてしまっていたというのも要因に挙げられる。


 今でこそそんなことを気にしなくなって三人仲良くという感じだが、外に出ると秋は一転する。常に周りの目を気にしている。ホステスという見られて貢がれてお返しする仕事に就いたばかりに、コンプレックスを見抜かれる恐怖に怯えているのだ。



 中学時代、毎日丁寧で綺麗に整えた髪は帰ってくる時にはボロボロに乱れていた。


「ただいま」


 三日月秋、中学一年。涙、小学三年。


夏休みを目前としていた時期に、秋は不貞腐れた声で居間に入ってきた。夕方の時間、居間がとても涼しいのでそこで涙が理科の勉強に勤しんでいた。


帰ってきた秋。制服が異常なまでに濡れていて、雨にでも降られたのかと思いつつ外を見たら快晴で。涙は何が起きているのか分からないまま、とりあえず彼女の為にバスタオルを持ってきた。


 涙は何も聞かなかった。否、聞けなかったのだ。秋は咲とは違って涙に強く当たる癖があったから。


 秋にとって姉の咲は憧れでもあり潰したい相手でもあった。自由な方向に才能がどんどん進んでいく。失敗を知らない、いつだって完璧な芸術家だと思っていた。


 弟の涙は咲よりも優れた存在になるだろうと彼女は自負していた。もう少し小さい頃、涙が四歳、秋が小学二年、咲が小学校五年。母親の指導の下で稽古をしていた生け花で涙の才能が垣間見えた。二人の姉とはまったく違う感性の持ち主とも言えよう、年相応とは言えない艶やかな花を見て母はかつてないほどに感激し、彼の才能を褒めた。


 優しくて、健気、おまけに才能豊かな弟が妬ましかった。


「どういうつもり?」


「秋お姉ちゃん風邪ひいちゃう。川で遊んできたの?」


「違うわよ」


 秋は涙からバスタオルを荒っぽく奪い取る。涙は自分が何か悪いことをしたのではないかと咄嗟に考え込み始め、それを横目に見る秋。彼女の行き場のなかった感情のスイッチが入ってしまう。


「やめなさいよ! そういう顔すんの。お前のことじゃない」


 口ではそういっているが、あまりの威圧的な態度に涙は萎縮せざるを得なかった。


「うじうじするな! 男だろ!」


「……。父さんに叱られる」


「は?」


 腑抜けた声と共に持っていたバスタオルを落とした秋。水分を吸ったソレには明らかに質量が乗っていた。一方の涙は明らか神妙な顔で見たくない未来を想像していた。


「今日は部屋の掃除をしなきゃいけないのに、まだやってない。理科の勉強が楽しくて忘れてた。どうしよう。姉さんもやらないと叱られるよ」


「別にやらなくても怒らないわ。お小遣いが貰えないってだけよ。貰えなくてもあんたからくすねてやる」


「くすねるってなに?」


 秋の瞳に純粋な少年の表情が写される。だが、それは操り人形の様で自分の意思もそこにはない。


「盗むのよ。あんたのお小遣い。覚えておきなさい」


「人の物取っちゃダメって父さんが言ってたよ」


「あんなじじいのことなんて知るか」


「汚い言葉もダメだよ。母さんが言ってた」


 その瞬間、秋の中で何かの糸が切れた。バスタオルを涙の方に強く投げつける。それが彼の顔面に当たり彼は後ろに下がる。その隙に秋は涙に近づいて押し倒し、馬乗りになった。


 「お前が生まれてきたから愛されなくなった」


 秋は涙の首に手を回し、力を入れたらいつでも痛めつけられる状態となった。

 

 しかし、手が震えている。弟の純粋無垢な表情が上手く目に映らない。そして弟は何も抵抗しない。秋は小さな声で「殺してやる」と連呼する。


 多分学校で何かあったのだろう、というのは涙にも理解が出来た。そしてそのストレスが爆発し、矛先がたまたま自分に向いているのだと察していた。姉は口で恐ろしいことを言っているが、自分のことを殺したりはしないだろうと自負していた。

 

 「ぼくも愛されてないよ。ぼくがやっていることは父さんたちを困らせることばかりだよ」


「え……」


「今日ね、教室にある先生の机にビックリ箱置いたの。生きてる虫をいっぱい入れて驚かせたよ。ちょうちょさん可愛かったなぁ。でもぼくがやったって誰も言わなかった。だってみんなぼくがそういうことするって知らないもん。そのかわりコウガくんが怒られてた。コウガくんはモンダイジって思われてるから」


「なんでそんなこと……」


「家で出来ないことをするのが学校だから。家に居たら父さんにメイレイされて、母さんにダメって言われてさ。楽しくないんだもん。――この間はいじめっこのミユちゃんの使ってる筆箱の中に知らない子の名前で書いた恋文入れてからかった。それもバレてない」


 あんたって最低ね。呆れた声を漏らす秋。涙は満面の笑みで応えた。秋がどうしてそんなことしているのと聞くと、涙はだって家じゃなにも出来ないからと返した。


 「愛されているから、なんでもやらせてくれるんでしょ」


 涙が放った言葉に秋は涙の首から手を外した。


「ぼくはこの庭園の中では水槽の金魚と同じ。与えられるものだけを考えたらいい。お人形の様に。母さんの礼儀作法講座も、父さんのメイレイも全部。姉さんたちにはそんなもの無いのに」


「私の顔……」


「顔が何さ。そんなことで姉さんを悲しませる奴ら、姉さん得意の締め技で懲らしめてしまおうよ。それで怒られたらぼくも一緒に怒られるから」


「いや……無理やって。あんたを犠牲にはしたくない」


「ありがとう。……無理して学校行かなくていいからね。何かあったら隠れて買ったゲーム一緒にやろう」


「え、おま……。ゲーム何もってんの?」


「え、脳チャレとピタ文字DX。あと……」


「分かった。勉強系のゲームだな。一緒にやろうな」


 姉さんが嫌いな奴でごめんねとはにかんだ笑みを浮かべる涙。やはりこの弟には敵わないのだろうと思った秋。その後も、父親に課せられた部屋の掃除もしないで居間で二人、横並びで母親が稽古用に置いていた和菓子をお互い一つと半分ずつ帰って来ないうちに食べたのだった。


 結局その時のいじめは落ち着くことも無く、秋は翌年度に学校を変えることになった。その学校は前に通っていたお金持ちの共学校のようなところではなく、それなりの勉強をしたら通えるそれなりに頭のいい中高一貫の女子高に編入した。中学二年だった秋は自分の顔を面白がって個性としてくれる仲間に恵まれ、姉弟で唯一煌めく笑いのセンスがより花開き二ヶ月もしないうちにクラスの中心に立っていた。


 だが、高校に上がると夜遊びを覚え始め、何かと家を困らせることがあった。

 結果それが暴走して学問に打ち込むことを止め、大学に行かず、貯めていた資産を使っ上京、男遊びに夢中になり今に至る。




 運命の歩み方を違えるのは当然だ。

自由に生き、まっとうな人間を目指した咲。

周りに振り回され、自分とは何かを迷走する秋。

箱庭に閉じ込められ、世界の本当の広さをまだ知らない涙。


 そんな三人が横に並んで座った回数は指折り数える程度。


そしてこれはそのうちの一回。

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