中篇

 私がはじめて、歌、というものに興味を持ったのは、とても幼い頃だった。


 年齢はたぶん五歳か六歳くらいのことだったと思うが、はっきりと覚えていない。どれだけ貼り付いて剥がれなくなったように思える鮮明な記憶でも、時間が経てばところどころにゆるやかに失われて曖昧になっていくものだ。あるいはまったく記憶は消えていない、と自信を持っていたとしても、そんな記憶だって都合よく書き換えているだけで信用できるものとは限らない。


 記憶は不正確であって、はじめて正確と言える、と私はそんなふうに思っている。


 だから私の回想する過去はところどころ間違っているだろうし、美化されているかもしれない。でも誰も過去に戻って事実を確かめることができない以上、記憶によって浮かべる映像がどれだけ不明瞭になろうと、想い出、という名の真実としてあり続けていくことになる。


 それは苦さの混じる想い出でもあった。


 沙希ちゃんのお母さん、って歌がすごくうまいんだよ。そう言っていたのは、明日香だった。崎田沙希さきたさき大野明日香おおのあすかは、私の幼馴染で高校の終わりまで付き合いがあった。良縁、というほど素敵な関係ではなかったかもしれないけれど、腐れ縁、という言葉を使うほど悪い関係ではなかった。さすがに大学進学を機に疎遠になってしまったが、それでもときおり特別な出来事があれば連絡を取り合うくらいの関係性は残っていた。


 自慢げな明日香の言葉に、ちりりと胸が痛んだ。


 その痛みの正体をいまなら言葉にすることができる。羨望や嫉妬からくる痛みだ、と。でも言いようのない不快感に戸惑うだけだったのを覚えている。


 私たちが幼い頃から青春時代までを過ごしたのは地方のニュータウンで、そこには一軒だけ音楽教室があり、先生をしていたのが沙希のお母さんだった。私は教室の生徒ではなかったけれど、興味本位に窓越しに授業の風景を見たことが何度かある。そんな時、白く長い指が滑らかに動いて、奏でられるピアノと一体化するような姿が印象的だった。美しく見えて、私は憧れたのだ。


 あんなひとがお母さんだったらなぁ、と。


 私は家族のことが嫌いではなかったし、もちろんこれは自分の母に対して、あまりにも失礼な感情だといまは知っている。それでもこれがその頃の私の、偽ることのできない本音だったのだ。


 私が歌に興味を持ったのも、沙希のお母さんの影響だった。


 一度、母が迎えにくるのがすごく遅れた時があり、沙希の送り迎えにきた沙希のお母さんが心配して、車に私を乗せてくれたことがあった。その時、鼻歌混じりに聞かせてくれた歌声はよどみなく澄んでいて、あんなふうに歌えたらなぁ、と思ったのが、きっと私にとっての歌への興味の入り口だったのだろう。


 そしてやっぱり、こんなお母さんがいる沙希のことが羨ましくて仕方なくなった。


 私は憧れに近づきたくなり、歌いはじめたのだ。


 特別習うわけではなく、テレビから聞こえてくる曲を耳に馴染ませては、真似するように、お風呂やひとりの時に歌ったりしていた。うまくなりたい、とはっきり意識していたわけではなく、沙希のお母さんみたいになりたい、という一心だった覚えがある。


 その頃の私にとって、実の母親よりも特別な存在になっていた。


 だから、だ。


『沙希ちゃんのお母さんが、私のお母さんだったらなぁ』


 子どもの何気ない一言ほど残酷なものはない。悪気はなかった。いやもしかしたらどこかに相手の母親と自分の母親を比べて抱いてしまう劣等感で溜まってしまった不満をぶつけたい、という悪意はあったのかもしれない。無邪気な悪意ほどたちの悪いものはない。


『そうね』


 いつも口数のすくない母が、静かに言ったその声音に、怒りや悲しみの色は感じられなかった。感じられなかったが、何も感じていなかったわけではないだろう。だけどあの頃の私は、その反応にも不満を覚えていた。


 父が私の部屋に来たのは、その夜だ。話す時はいつもリビングで、父が自分から私の部屋に入ってくるのはめずらしいことで、直感的に母から私の言葉を聞いたのだ、と悟った。


 父は怒りも、そして叱りもしなかった。


 ただ私の頭のうえに自分の手のひらを、ぽん、と置いて、


『お父さんは、夕映ゆえ……、母さんの歌も、好きだけどな』


 夕映、というのは母の名前だ。


『嘘』


『本当だよ。いつかお願いしてみるといいさ』


 と父がちいさく笑った。


 会話はそれだけだった。そして父と話した後、私の中にようやく罪悪感が襲ってきて、母に謝りたくなった。だけど結局、時間の経過によって普通に話せるようになっただけで、私は最後まで母にこの出来事を謝っていない。そして私が母に歌をせがむこともなかった。


 私と歌を繋いでいたものは切れることなく、そのあとも密接な関係のまま続いた。きっかけは沙希のお母さんだったけど、途中からは純粋に歌う、という行為が好きになっていた。でも家族以外で、誰かのいるところで歌うことはしなかった。やっぱりそれは恥ずかしかったからだ。


 それからすこし経って、小学校高学年になった頃、私は沙希のお母さんに一度、どうやったら歌ってうまくなれるの、と聞いたことがある。


『うん? そうね、人前で歌うことじゃないかな。歌を聞く誰かの笑顔を見てると、そのひとがもっと笑顔になって欲しい、とか。聞き惚れて欲しいなぁ、とかね。そこに聞いてくれる誰かがいる、って本当に力になるんだよ。それが普段、自分のことを知らないようなひとだったら、歌声だけで繋がることだってできる。それって、すごいことだと思わない?』


 そして続けて、良かったら私の前で歌ってみて、と言ったのだ。


 私は憧れのひとの前で歌うことになり、緊張しながら歌い終えた私を見ながら、すごい、本当に上手、と言って、私を抱きしめてくれた。沙希のお母さんのその行動は、自信にもなったし、そして同時に、不安にもなった。


『お母さんから聞いたんだけど、莉子の歌、私も聞きたいな』


 その数日後、教室で私にそう言ったのは、沙希だった。ちょっと嫌だな、と思いつつ、まぁ沙希になら、とちいさく歌ったのを覚えている。最初は沙希だけだったが、数はすこしずつ増えていき、私はそれからときおり人前で歌う機会ができるようになった。確かにひとに聞かせることを意識するのは上達に繋がるのかもしれない、と思う一方、ただ好き勝手ひとりで歌っていたころに比べて、どうも楽しくないな、とも感じていた。


 でもそれを言ってしまうと、憧れのひとを裏切ってしまうような後ろめたさがあったし、それにうまくなっているのは事実だから、自分のほうが間違っているような気にさえなっていた。


 やがて私はひとりの時も、歌うのが億劫になった。


 うまい、と言われるたびに、私は歌が嫌いになっていく。


 唯一そのことに気付いたのが、母だった。


『無理しないで。あなただけは、あなたの歌を愛してあげて』


 その言葉に、驚きと反撥心があったのも事実だ。だけど母の言う通りだ、と思ったのも事実で、私はそれ以降、誰かの前で歌うことをやめた。いまでも歌うことは好きだが、その声が届く先にいるのは、自分だけだ。

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