第4話 高松城、水びちょびちょの巻

「お池にはまって、さあ、大変」

 秀吉は鼻歌をうたいながら、備中びっちゅう高松城をめざした。前の三木城攻めと違って、今度は四万余の大軍で攻めるのである。「なんとかなるであろう」という気持ちと同時に、なんとかならぬ場合も「お池にはまって、さあ、大変」の思いつき作戦で、なんとかしたい。いや、なんとかせねば、この首が飛ぶであろう。

 備中高松城をグルリと兵で囲んだあと、秀吉は小高い山の上から城を見おろした。城のまわりは田んぼである。池や沼もあり、周辺が湿地帯であることは一目瞭然いちもくりょうぜんであった。

 むやみに攻め入れば、田んぼの泥にズブズブ取られ、そこを弓矢、鉄砲で狙い撃ちされることは必至であった。しかも、城の大手門に通じる道は、一本だけ。泥田の中に騎馬一騎がやっと通れる一本の細い道があるだけで、まさに難攻不落なのである。

 秀吉の隣で軍師の半兵衛がポツリとつぶやく。

「この城を落とすのには、急いで二年」

 秀吉が悲鳴のような声を立てた。

「ウッソー。オミャー、信長様のこわさをわかっておらんのよ。二年もかかれば、この首なんか胴体どうたいからスポンと切り離され、安土城の石段をコロコロと転がり落ちるんよー」

「なるほど。では、ここはガムシャラに攻め一本でいきましょう。わがほうも一万ほどの士卒しそつを死なせましょうが、さすれば城はすぐ落ちますぞ」

「バッカだねえ。信長様からおあずかりした兵を一万も死なせたら、ヤバいことになるわ。信長様からこの無能猿めがと、頭をたたき割られよう。軍師のオミャーだって、ただでは済まされぬぞ」

 フムと腕組みした半兵衛に、秀吉がなにやら耳打ちする。

「お池にはまって、さあ、大変。ムニャムニャ……ムニャ……」

 それを聞いた半兵衛は、ヒャーアッと叫んでびあがった。

「なんですと。水攻めですと。バッカじゃなかろうか。アッ、これはご無礼を」

「ムフフッ、あの城をビチャビチャ、ビチョビチョにして、水没させれば、城兵五千人は、さて、どうなるかのう。エヘッ」

 秀吉は背後を振り向いて、

「佐吉、さきちィ~!」

 と、側近石田三成いしだみつなりの通り名を大声で呼ばわった。

「ハハアッ」

 と、眼前に片膝ついた三成に、秀吉がたずねた。

「いま、兵糧の米はどれほどある」

「およそ十万石にございまする」

「それをすべて土地の百姓どもにバラまくのじゃあ」

 三成は頭の回転が高速5G以上である。鼻につくほど頭がよい。

 すかさず、秀吉に問い返した。

「三木城兵糧攻めのときは、柵用の棒を持ってきた者に米を与え申した。今度は、なにと交換いたしまするか」

「土よ」

「エッ、そのへん、どこにでもある土でございまするか」

「おうともよ。城を水攻めにする。ついては、城を取り巻く堤を造らねばならぬ、ついては、土俵どひょう一俵につき米一升を与えるがよい」

「わかり申した。では、早速、村々にその旨、ふれて回りまする」

 たちまち備中の村々に歓喜の声がひびき渡った。

「土俵一俵が米一升じゃとな。やれ、うれしや」

 村々の百姓たちは、発狂同然ともいえるほどに興奮した。女や子供までもが、大八車だいはちぐるまに土俵を満載して押し寄せた。高松城へと通じるすべての道が大八車や土俵をかついだ百姓でうずまり、てんやわんやの騒ぎである。

 秀吉は土木工事の先頭に立って、川を土俵でせき止め、高松城のほうへ流れこませた。折しも梅雨の季節に入り、川は増水し、水はどんどん高松城付近の広大な田野でんやを満たし、城はその洪水の中にポツンと浮かんだ。もうすぐ水没だ。これで一滴の血も流すことなく勝鬨かちどきをあげられる、と秀吉は内心ニンマリほくそ笑んだ。

 このとき、もう一人のゴーヨク軍師、黒田官兵衛が秀吉本陣に駆けこんできた。

「大変でござる。毛利の援軍がこちらに向かっておりまする。その数、およそ三万」

「えっ、こんな大事なときに、なんで来るのー。いま忙しいから帰ってチョーと、言うてチョー」

「そんな相手なら世話がありませぬ。敵の軍師、安国寺恵瓊あんこくじえけい殿も、一度お目にかかりたいとか」

「エッ、だれにお目にかかりたいのじゃ?」

「無論、アホ猿、もといっ、殿にござる」

「殿って、わしのこと?」

「あったり前田でございましょう。ほかにだれがおりましょうや。たぶん和議の申し込みかと思いまするが……」

「イヤじゃ、イヤじゃ。恵瓊と申せば、オミャーより口がうまく、オミャーより頭が切れると聞く。オバケじゃ。妖怪ようかいじゃ。そんなやつと会っても、ゼッタイ、ゼッテエ、言いくるめられる。舌の上でコロコロ転がらされて、まるめこまれる。会うのはイヤじゃ」

 官兵衛はチッと内心舌打ちし、「ここだけの話」と断ってナイショ話をした。

「実は、内々ないないに聞いた話では、毛利の領国りょうごく五カ国を割譲かつじょうしてもよいということでござる」

 毛利は中国十カ国の覇者である。本拠地の安芸を中心に、周防すおう長門ながと出雲いずも石見いわみ美作みまさか備後びんご、備中、因幡いなば伯耆ほうきを領している。そのうちの、備中、美作、因幡、伯耆、備後をくれるというのだ。

 秀吉はゴクンと唾を飲みこんだ。この条件なら、もしかして信長もナットクしてくれそうだと思ったのである。

 秀吉はとりあえず恵瓊と会ってみることにした。話をして、それから和議の条件を考えても悪くはない。話のなりゆき次第では、もしかしたら、五カ国割譲が七カ国割譲にふくらむかもしれない。ゴーヨク官兵衛の話を聞いて、ゴーヨク猿に変貌へんぼうしたのである。

 秀吉は恵瓊と会い、開口一番にこう伝えた。

「こりゃ、恵瓊とやら。わしは信長様から毛利輝元殿の首を刎ねよとおおせつかり、この備前くんだりまで来ておる。信長様はガイコツ好きよ。討ちとった敵のガイコツに漆を塗って、酒を飲むという気味の悪~い趣味を持っておられる。しかも、衆道大好き。アッ、いかん。話が脱線したが、要するに、わしは輝元殿の首を頂戴ちょうだいするまでは帰れんのよ。信長様、こわいんよ。お小姓の蘭丸殿もおとろしいんよ。わかってチョー」

 秀吉はなめられたくないばかりに、総大将輝元の首がほしいと大きく出た。恵瓊は秀吉の猿顔をジトーッと見て、なにも言わない。秀吉も恵瓊の顔をうかがうようにのぞきこんだ。

 ややあって、恵瓊が言った。

「そんなにこわいなら、殺せばいいではありませぬか」

「エッ、だれをじゃ?」

「無論、羽柴殿のあるじ、信長を、でござる」

「ヒエーッ、オミャーはなにを申すか!」

 そんなことをのみのフンほどにも考えたことのない秀吉は気絶しそうになった。実際、頭がクラクラし、目がグルグルまわった。

 が、次の瞬間、気を取り直して、ふるえる声で言った。

「とっ、とんでもないことを申すでないっ。アホか。そっ、それは、ムホン、謀叛むほんであるぞ。主君に対する裏切りじゃあ。そんなことを仕出かしたら、わしは織田軍団から一斉攻撃を受け、たちまちオダブツ、あの世ゆきよ」

 織田軍団には柴田勝家、丹羽長秀にわながひで前田利家まえだとしいえ滝川一益たきがわかずまさら、天下に聞こえた武将がいる。それらすべての軍を敵にまわせばひとたまりもない。

「たとえ、信長様が鬼神きじんのようにこわくても、むっ、謀叛など考えたこともない。信長様を裏切れば、どえりゃーことになる。クワバラ、くわばらじゃ」

 ビビる秀吉に恵瓊が悪魔のささやきをする。

「ムフフッ、謀叛とそしられぬいい手がござる」




 




 


 

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