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「もう……オペラを支えている魔女は限界だ。その娘に問題がなければ今すぐにでも交代したいところなんだが」


男が老人にそういうと、言葉を続けた。


今この大陸を浮遊させている魔女の魔力は尽きかけている。


そのため一刻も早くスレイに引き継が去れば、禁術の影響で疫病の蔓延する時期が長くなってしまうと。


それを聞いた老人は、俯くと右手を顔に当てた。


「彼女に問題はありまぜん。しかし……ようやく笑顔を見せるようになったというのに……」


やっと人生を謳歌し始めたスレイに、もう終わりのときか来るのか。


せめてもう少しだけでも良い思いを――。


魔法陣に縛り付けられている間に、思い出せるだけの楽しい記憶を残してやりたかった――。


老人はスレイとのここ数年の暮らしで情が移ってしまったのだろう。


彼女のことを、まだ手放したくなさそうだった。


しかし、その老人よりもショックを受けたのはスレイ本人だ。


彼女は老人と男の話を聞いて知ったのだ。


ただ魔力が高いというだけで連れて来られた、その本当の理由を――。


(わたしは……この大陸を浮かすための道具だったの……? そんなのって……そんなのってッ!)


真実を知ったスレイは、いても立ってもられなくなりその場から走り去った。


もう何年も住んで見慣れた館の廊下や階段が、なんだか恐ろしいものに見えてくる。


「逃げなきゃ……早く逃げないとわたし……!」


だが、自分はどこへ向かって走っているのだろうか。


きっとあの男はこの大陸を管理する役人だ。


館から出てもすぐに連れ戻されてしまうに決まっている。


それに、たとえ彼らから逃げおおせたとしても、これから人生をずっと一人で隠れて生きるなどできない。


そう考えながらもスレイは、その足を止めることはなかった。


そして、急に目の前に現れた人物にぶつかってしまう。


「わッ! ご、ごめんなさい。わ、わたし……」


「大丈夫ですか? どこかケガはないですか?」


倒れたスレイにそっと手を差し伸べた人物。


スレイは思わずその手を取り、顔を上げると――。


「あ、あなたは……!?」


スレイはその人物――黒装束姿の男のことを知っていた。


いや、詳しくいえばぼんやりと記憶の中にあった者と重なったのだ。


「レレ……レレ·プロミスティックなのですか!?」


それは彼女がずっと気になっていた少年――レレ·プロミスティックだった。


男らしい顔つきにはなっており、スカイパトロールになるための訓練も受けたのだろう、その体はがっしりとしていて背も高くなっていた。


だが、あのときの穏やかな笑みはそのままだった。


自分が邪険に扱ったというのに、それでも優しく声をかけ続けていた彼がいま目の前にいる。


「もしかして君は……スレイ……?」


レレも彼女のことに気が付いた。


スレイは彼に名前を教えてはいなかったが、きっと一緒に来た役人の男から聞いたのだろう。


レレは少し照れた様子を見せると、倒れたスレイのことを立ち上がらせた。


「いや~あの~……なんていうか……おれのこと……覚えていてくれたんだね」


「レレ……レレ……。わ、わたし……」


スレイは緊張しているレレへ抱きついた。


そして、涙を流しながら彼の胸の中に頭をうずめる。


レレは一体何が起きたのかわからないまま、ひとまず彼女を部屋へと連れて行くことにした。


「少しは落ち着いたかな?」


スレイの部屋に付くと、彼女はしばらく黙ったままだった。


そんなスレイにレレは理由を訊ねず、ただ彼女のことを気遣う。


スレイは、何も言わなくても傍にいてくれる彼に悪いと思いながらも、その心の中ではたしかな安心感を覚えていた。


やはりこの人は変わっていない。


自分が失礼なことをしても怒らず、問いただすようなこともせずに、優しく声をかけてくれる――。


スレイは、そんなレレの態度を嬉しく思っていた。


「もう大丈夫です。ありがとうレレ……」


「お礼なんていらないよ。なんたっておれは君を守れる男になりたくて頑張ってきたんだから」


レレはそう自分でいった後に酷く慌てだした。


つい本当のことを口に出してしまったというものあっただろうが、何よりも数年ぶりの再会でこんなことをいったら気持ち悪がられてしまうと思ったのだ。


だがスレイは、彼の言葉を聞くと再び涙を拭った。


「ご、ごめんッ! いきなりそんなこと言われたら引いちゃうよね!」


「違うの……レレ。わたしは……」


それから涙の意味を伝えたスレイは、この空中大陸オペラのこと――。


そして、自分に課せられた使命のことを彼に話したのだった。

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