第七話 琥珀色の誘惑
「ご要件はお済みですか、ヒイロ様?」
総合庁舎一階のエレベータホール、どこかで聞いたようなセリフで出迎えてくれたのは、予想に違わずアンバーと名乗る護衛の女の子だった。
「ああ、大丈夫だ。待たせて悪かった」
「お気になさらずに。これがわたしの『任務』ですので」
時間的には余裕があるらしく、さほど急ぐことも無いそうだが、ここに長居する理由も意味もない。早速、シア達と合流するため庁舎を出ることになった。
さすがにアンドロイドまで同行することはなかったが、案内係の面目躍如とばかりに、出口前に立って慇懃に深々と頭を下げ、立ち去るヒイロ達を見送った。
なお、去り際にナニカ呟いた気がしたが、ヒイロは聞こえていない振りをした。
*
夕暮れ時を演出する、オレンジに染まる天井を一度見上げてから、ヒイロは少し前を行く「カジュアルな装い」の女の子に視線を戻す。
春空のような淡いパステルブルーのワンピースは、濃い目のブルーのリボンを胸元とパフスリーブの袖口にあしらい、蝶々結びにした同色のサッシュベルトから下は柔らかなシフォンプリーツで、フリンジをあしらった裾が膝丈でふわりと広がっている。
(うん、カワイイ。ああいうのも結構似合うんだな)
集団行動時はともかく、彼女単独でヒイロをエスコートするなら、あの地味めなフード姿はむしろ目立つということらしい、ロビーで待っていた時点で、既にあの恰好だった。
もっともシアが着ていたものと比べれば若干おとなしめなせいか、見事に街を行き交う人々に溶け込んでいる。彼女の役割からすれば、適切なチョイスなのであろう。
「にしても、君とは妙に縁があるな」
もしかして、件のアンドロイドのように、「俺専属なのだろうか」となんてことを考えていると、彼女は少し立ち止まって直ぐ隣に並ぶと、そのままピタリと寄り添って腕を組んできた。
そしてヒイロにだけ伝わるよう、いたずらっぽい口調でこう囁く。
『わたし、ヒイロ様専属の、「ハニトラ要員」ですので』
(いきなり何を言うのでしょうね、この子。しかも、「異能」使ってまで)
とんでもない爆弾をぶっこまれたヒイロだが、驚くのを通り越して、むしろ冷静になっていた。ある意味賢者タイムである。
「なんの冗談?」
「やっぱりヒイロ様、ちゃんと『聞こえている』のですね。サイキック適性がないそうなので、ちょっと心配だったのですが、ルミナ様の声を聞けたそうなので、ならばと思いまして」
ちょっと感心したような表情で応える自称ハニトラ要員さんに、ヒイロは変なこと言ってきた仕返しと言い訳し、ちょいとした悪戯を仕掛けることにした。
『胸元のボタン、ひとつ外れているぞ? ブラ丸見え。っていうか見せてんのか?』
そんな風に、眼の前の少女に向けて強い思念をぶつけてみる。
もちろんヒイロ自身はサイキックではないし、テレパスという現象の仕組みなど想像のうちでしかないが、こうしてはっきり表層意識に言葉を浮かべれば、テレパス系の能力者なら勝手に読み取ってくれるだろうと考えた。
しかし、肝心の彼女は、ただきょとんとしているだけだ。
「あれ、聞こえなかった?」
『もしかして、わたしのおっぱい、見たいのですか?』
開いた方の手で、隠すように胸元にあてがって、彼女はちょっと頬を染めて応えた。
当たらずと言えども遠からじだが、それは「視線」から類推したもののようだ。どうにも微妙に噛み合っていないチグハグさにやや困惑していると、それを遮るよう、彼女から再び思念が送られてくる。
『わたし、触れた相手に「言葉」を伝えるのは得意ですが、受け取るのは苦手なんです』
明朗快活なお答えに、ヒイロは即座に納得する。彼女は送話特化の「接触テレパス」というヤツなのだろう。同じテレパスと言っても、やはりいろいろと個性が出るようだ。
「それで、さっきは何を伝えたかったのでしょうか? なにやらイタズラめいた感情だけは伝わってきたのですけど」
「ワンピースの前ボタン、一つ開いてるなって」
そう聞いて視線を落とし、その事実に気づくと片手で器用に見じまいを整える。
『中、見ました?』
「カワイイの付けてるなって。さすがハニトラ要員」
不服そうに唇を尖らせつつ、彼女は応える。
『もう。これ結構、真面目な話なのですよ?』
何食わぬ顔で前を向いたまま歩くヒイロに対し、アンバーが異能を介して語ったのは、シアの口からは聞けなかった、ソラリス教団側の意向だった。
教団が、異邦人/エトランゼと呼ばれる、異世界からの来訪者を積極的に保護している、という話はヒイロも覚えていた。もちろんそれが、ただの「慈善」ではないことぐらい察しが付くが、その具体的な理由については、シアの説明では十分とは言えなかった。
その辺りが引っかかっていたので、最初の交渉で「ごねて」見せたわけだが、おそらくシア自身もあまり理解していなかったのだろう。
『こう言ってはなんですけど、シア様、政治方面はからきしなのです』
非常に納得の行く答えを頂いてスッキリとした気分になると、ヒイロは改めて教団側の意向とやらの詳細を尋ねた。
端的に言えば、彼らが必要としているのは「異世界」の知識・情報だ。
銀河を股にかける巨大諜報組織を実体とするだけあり、情報の価値に重きを置くのは、いかにも「らしい」在り方だと言える。
『ですが、強制というわけではありませんよ? そこはシア様のおっしゃられた通りです』
被保護者たるヒイロが、その都度必要と認識した情報を提供すれば、結果に応じた対価を支払うというだけだそうだ。諮問機関みたいな立ち位置だろうか。シャーロック・ホームズ?
などと考えつつしばらく歩くと、たどり着いたのは、そこそこ大きなビル。一階は左右に広い間口の出入り口で、無人の小型車両/コミューターがゆっくりと中へと入って行くのが見えた。おそらくは、タクシー乗り場みたいなものだろう。
「ヒイロ様、こちらへ」
腕を引かれて向かったのは、入り口に据え付けられた端末装置だった。真正面に立つと、ホロウィンドウが一つ開いて、身分証の提示を促してくる。
「コミューターを使いたいのですけど、身分証をお借りできませんか? わたし達は諸事情により、その手のモノは何も持たされていないのです」
「ああ、そういうことなら」
彼女はおそらく、ヒイロがビームセイバーを持っていることを知っているのだろう。しかし、せっかくだからとヒイロは、主任のお姉さんから預かったリストバンドを使うことにした。
そして無事認証に成功したらしい、ホロウィンドウには何台かのコミューターのサンプルが三次元的に表示され、それぞれ貸出の条件が併記されている。
しかし、傍らでそれを確認したアンバーは、驚いたように眼を見張った。
「どうかしたのか?」
「いえ、普通の旅行者でしたら、一番小さい一人乗りぐらいしか借りられないのですが」
みれば、リストに載っているのは複数人用の大型コミューターや、居住性高めのハイエンド機種までリストされており、見た所そのすべてが自由に利用可能となっていた。
「下手すると、シア様に付与されたものに匹敵する権限がありますよ、そのID」
「まじか」
「帝国領内だけ、あるいはガーモスだけかもしれませんけど」
随分と大盤振る舞いされたものだなとマジマジとリストバンドを見つめる。特に追求はしてこないようだが、アンバーはどういった経緯でこれを手に入れたのか、興味が隠せないでいるようだ。
「まあいいです。どうせタダですし、一番いいのに乗りましょう。当然二人乗りで」
アンバーに指示されるまま、ホロウィンドウを操作して、該当機種を選択する。しばらくすると、大型エレベータに載せられ降りてきた一台のコミューターが、スロープをゆっくりと下って眼の前に音もなく停車した。
車長が短く、ドアもない2シーターのオープンカーという体裁なので、乗り込むのも簡単ではあるが、紳士然とした態度でアンバーをエスコートする。どちらがナビシートかは不明ではあるが、おそらくどちらもでいいのだろう。
そして二人が乗車したことを確認したらしい、座席正面にホロウィンドウが開いて、行き先の指示を求めてきた。そのあたりもすべてアンバーに任せたが、目的地は街の辺縁部、外へ繋がる大型リフトを完備する宿泊施設を兼ねたパーキングエリアだ。
現在シアとルミナは、同じようにコミューターに乗ってそちらに向かっているようである。
「さすが高級機種。シートもゆったりめで乗り心地もいいですね」
「俺はそもそも、こういうの自体初めて乗るけどな」
二人を載せて、ゆっくりと走り出したコミューターは、危なげなく人を避けて専用レーンへと移動。その速度を徐々に上げていく。室内装備については操作権限は無いらしく、アンバーは色々なオプションを試している。キャビンを外部干渉から完全に遮断するシールドに、空間演出を交えたシェイド機能は、幾つか吟味した結果として、水平線に大きな夕日が溶けるように沈む、オレンジ色の砂浜というちょっとロマンチックな情景を作り出すに至った。
「俺の故郷じゃあ、自動車と名乗ってはいても、運転自体は人間が行うんだよな。AIによる自動運転なんて、まだ実用段階にないね」
『それは興味深いですね』
外で歩いていた時と同様、アンバーはヒイロの腕に自らの腕を絡ませ、さらにはしなだれかかるようにして寛いで見せる。
人目を気にしなくていい分、気が緩んでいるのだろうと解釈し、ヒイロは一緒に眼の前の夕日を眺める。
「それはそうと、なんでわざわざテレパス使うんだ?」
『訓練の一貫です』
どうやらヒイロのようなサイキック能力のない相手は、テレパスの訓練相手として最適らしい。相手からの補助が期待できない分、より高度で繊細な制御を必要とするからだとか。
「思った以上に、サイキック使うのって大変なんだな」
『訓練方法もそれなりに体系化していますので、適切な指導者の指示の元鍛錬すれば、充分実用レベルに完成できる「技術」ですよ? もちろん才能の差もありますけど、一番重要なのはやはり日々の鍛錬です』
単に身体能力が高いだけでは、格闘技の世界では勝ち上がれない。突き詰めればサイキックも、それと同じようなものなのだろう。今のヒイロには、まったく関係ないことだが。
「しかし、コミューターといいサイキックといい、俺の故郷ってこの銀河の文明レベルからすれば、相当遅れているぞ? 公になっている部分では、異星人とのファーストコンタクトもまだだろうし、星系間移動なんて完全に未踏領域だろうしな。俺の持つ情報に、それほど価値があるとは思えないが?」
そんな疑問はおそらくは事前に予想していたのだろう、彼女は逡巡もなく答える。
『異なる文明、異なる文化の元で育まれた思考や知識の大系が、この銀河にて齎す情報こそが重要だと、上層部は考えているようですよ?』
「へえ。異なる視点からの意見が大事ってことかね? そういうことなら納得出来なくもないか」
『わたし自身、余り理解出来て居なかったのですけど、こうしてヒイロ様に触れてみて、色々と得るものがあると感じている次第です。ですから、ヒイロ様と行動を共にするのは、わたしにとっても大きなメリットがあるのです』
この銀河、転送ゲートや各種超光速/FTL航法など、なまじ情報や物流のインフラが発達しすぎた所為で、文明や文化の「均一化」が極めて顕著だ。一部保守的な種族や独立組織が、それらを拒絶し独自文化の保護を訴えるも、若い世代を中心に少しづつ侵食は進んでいるそうである。「文化・情報爆弾」なんて言葉もあるが、情報の力の強大さを垣間見る一例だ。
「それで教団としては、『刺激物』として俺を取り込みたいと、そういうことだな?」
『はい。しかしルミナ様もシア様も、少々特別な方々なので、ヒイロ様を繋ぎ止める「鎹」としては現状不適との判断でして、そのために選ばれたのが「わたし」なのです』
ルミナからの好意は嬉しいが、育った環境のせいか少々情緒に幼い部分が目立つ。恋愛対象としては法的にYESかも知れないが、感情としてはNOタッチに属する存在であり、将来的にはともかく、今は妹分という側面が強い。
そしてヒイロ的には大本命であるシアだが、立場的な問題もあるだろうし、なによりこちらを恋愛対象として見ていないフシもあって、紛うことなき高嶺の花だ。
そこに現れるのが、いろんな意味で無難な存在であるアンバーだ。
「とはいえ、ちまちました情報提供で小遣い稼ぎならともかく、いきなり君みたいに優秀な子を対価として寄越されても、今の俺に支払える目算なんかないぞ?」
『そこは先行投資と考えて頂ければ。わたし自身、ヒイロ様には期待していますし』
あわよくば、異世界人の「血」を取り込もうなんて思惑もあるのだろう。
ただのお人好し集団じゃあないとは思っていたが、なかなかの強かさ。だからこそ、取引する相手としては信用できるとヒイロは判断した。
決して、右腕に強く押し付けられる柔らかいナニカに惑わされている「だけ」ではない。
フード付きマントの上からは気づかなかったが、彼女のそれも結構なお点前なのだ。
だからといって、(こーなったもう、アンバーちゃんでいこう!)とはならないのが、複雑な男心なのである。
『ヒイロ様のお気持ちは察しています。けれど、わたしは二番目以降でも全然かまいませんよ?』
「二番目って……いくら任務とは言え、そんな風に自分を安売りするもんじゃないぞ?」
半ば説教地味た言葉で、やんわりとお断りの意志を示す。もったいないことをしている自覚はあるが、これも恋する男の矜持というものである。
「任務ではありませんよ? それに、女には女の矜持というものがあるのです」
異能を介さず、直接言葉にして彼女はそう訴える。こちらを見上げる真摯な瞳には、いつぞやに見せたやけに大人びた雰囲気が漂っている。年格好はルミナに近いが、彼女はしっかりと成熟した、大人の女性なのだと否応にも意識させられた。
『多少文明が発達したところで、この銀河も弱肉強食の理に囚われた世界です。くだらない小競り合いで多くの命が簡単に失われる、理不尽な世界です』
その事は、銀河の歴史を紐解いた折に、ざっくりとだが頭の中に叩き込んでいる。そして今以てなお闘争の影は留まることを知らず、今も銀河のあちらこちらで、多くの命が理不尽に奪われている。
きっと彼女もそんな理不尽で、大切なものを失ったのだろうと察する。
『けれど、例え何もかも失って先が見えなくとも、それでも一歩でも前へ進むこと。これはソラリス教団の原初の教えでもあります』
狙って言ったのだろうか、ヒイロの信条に近い言葉を耳にしたことで、少し彼女との心の距離が縮まったのを感じる。
そうしてヒイロの気構えが和らいだのを察したのだろう、先までとは一転して柔らかな表情を浮かべ、絡めた腕にぎゅっと力を込める。
『恋愛市場も同じく理不尽な戦場です。良きお相手は、迷う側から直ぐに売れて行ってしまうものなのです。どんなに強く慕っても、尻込みしていては負けなのです。そういう意味でも、これはわたしにとって、文字通りの「先行投資」です』
自信たっぷりにそう言い切るのを聞いて、ヒイロは彼女に対する認識を新たにする。
何より彼女の言葉は、シアを想うヒイロ自身にも当てはまることだった。
「すまなかった。さっきの言葉は、君の覚悟を茶化した感じになってたみたいだ」
『解って頂けたなら幸いです。ですがこれは、わたしのミスでもありますね。最初に「任務」などと言ってしまったから、ヒイロ様に疑念を抱かせてしまったのでしょうか』
確かにいきなりハニトラ要員などと自称されれば、警戒もするだろう。
『そこは、わたしから志願したことですので、お気になさらずに。ヒイロ様の人となりを見た上で、ちゃんとお慕いしておりますよ? それとも――』
強く絡めていた腕を若干緩めて、ほんの少しだけ距離間を演出する。その上で、憂いを込めた瞳でこちらを見つめ、またもや異能を介さずに問いかける。
「それとも、他の子がよろしかったですか?」
それ相応の教育は受けているのだろう、さすがハニトラ要員を自称するだけはあって見事な駆け引きである。
一見地味めに見えてこのあざとさは、「ずるい」と思ってしまっても仕方ない。
故に応える代わりに、ヒイロは自分から彼女を強く引き寄せる。
「ヒイロ様♥」
彼女好みの回答だったのだろう、満足げに口元を笑みを湛え、再び強く腕にしがみついてくる。
しかし、異邦人ヒイロ・サンジョウ、そう簡単に落ちるほど甘くはない。
今日はいつになく女性にモテててる気がして、若干調子こいてる気がしないでもないが、本来はもっと慎重派なのだ。まあ、悪く言うならヘタレなのだが。
「つまるところ君は、俺の『パートナー』としてソラリス教団との間を取り持つのが任務だと考えればいいのか?」
『むぅ、ビジネスライクに考えれば、そうなりますか?』
ビジネスに例えた今までのノリを引き継ぎつつ、自らの思惑を若干外した対応に、彼女は感心しつつもちょっと残念そうな口ぶりで応える。そんな様子に苦笑しつつも、ヒイロはしばし思考して、新たに浮かんだ疑問をぶつける。
「双方の意見が対立した場合、君はどっちに付く?」
『もちろん、ヒイロ様の側に立ちますよ? ただし、わたし自身の思惑、価値観と照らし合わせて、納得できることならば、ですが』
一切迷い無く応えたところから、紛れもない本心なのだろうと判断できる。
すなわち重視すべきは、教団の思惑を受けた上での、彼女自身の自由意志となる。
ヒイロのようなただの被保護者のみならず、正規の信徒ですら、「選択の自由」が許される点からも、教団の盤石さが伺える。
それは帝国のスタンスである「制約下の自由」との大局のように思えた。
「じゃあ、いい関係を築くには、もっとお互いのことを知る必要があるってことかな?」
『願ったりかなったりです。ただ、わたしにとって、教団の意思は絶対ではないってことだけは、覚えておいてくださいね』
おそらく彼女は彼女なりに、何らかの目的があるのだろう。それが何かはまだ明かしてくれそうもないが、とりあえず口頭による、「仮契約成立」ぐらいにはなったのだろう。
恋人関係云々は先送りとしても、この地で初めて出来た、利害を共にし、尊重しあう対等なパートナーとしてだ。否、これからそうなれるよう互いに努力し合う関係という方が、今はしっくりくる。
なお例のアンドロイドは、悪友といったところだろうか。
『それから、もうひとつ。お察しの通り、わたし物理戦も心理戦もそれなりに修めていますが、誤解なきよう申し上げておきます』
やけに艶を湛える瞳で見上げながら、彼女はとびきりの笑顔でこう宣った。
「わたし上から下まで、全部『初物』ですよ?」
*
街の外れへと向かう二人乗り高級コミューターの中で、ヒイロとアンバーは互いの身の上や趣味嗜好など、当たり障りのないレベルでの情報交換を済ませていた。
アンバーにとって、ヒイロ自身の事を含む異世界の話は、全般的に興味深いものがあったようで、特に「師匠」との修行の話には深い関心を示していた。
「わたし達タリタ・ケーべやリ・ヴェーダの基礎訓練に通じるものがありますね」
「サバイバル実習はともかく、修行は精神修養が主だけど、そういうのってどの世界でも似通って来るものかもな」
ヒイロとしては、ソラリス教団における戦闘集団、タリタ・ケーベの訓練に興味を掻き立てられる。
「そんな厳しい修練を耐えてきたとか、やっぱアンバーってすごいんだな」
「ヒイロにそう言われると、わたしも自信がもてます。まあ、二度目はゴメンですけど」
げんなりした表情を浮かべる傍らの少女に、ヒイロはくすりと笑って応える。
長時間サイキックを使い続けるのは、さすがに疲れるらしく、今は二人とも普通に言葉を交わし合っている。
もっとも、その雰囲気はずっと打ち解けた感じで、互いに呼び捨てしあうぐらいには気易い仲になっていた。アンバー自身の大人びた雰囲気も相まって、傍目には恋人同士に見えてもおかしくはないぐらいだ。
そんな風に、二人が互いの仲を深めあっていると、沈まない夕日を隠すように一枚のホロウィンドウが展開する。
「そろそろ目的地に到着のようですね。ちょっと名残惜しいですけど」
どこかで聞いたようなセリフで、アンバーは絡めた腕にぎゅっと力を込める。
そのままヒイロの顔へと、吐息が掛かるぐらいの距離まで自分の顔を近づけ、ゆっくりと両の瞳を閉じる。
夕日の照り返しとは異なる赤みがかった頬、よく見れば、薄く化粧をしているのが解る。
グロスを引いた艶めいた唇が、覚悟を決めたようにきゅっと結ばれるのを見て、ヒイロは開いた方の手で琥珀の髪を撫で、そして。
「うん、そういうのはまだ早いな!」
お約束のようにデコピンをかますと、アンバーはちょっと涙ぐみながら不機嫌そうな上目遣いを向けてくる。
「なんとなく、こうなるだろうとは思いましたけど」
「ヘタレでゴメン。でも、こーゆーのはなんか違うと思ってな」
ちょっと締まらない小さなアヴァンチュールの終わりは、コミューターの停止と共に訪れた。
シェイド機能が解除され、すっかり暗くなった車外には、見慣れた二人の女性の姿が。
「え? ヒイロさんと、アンバー? どうして?」
どうやら出迎えに来てくれたらしい、シアとルミナはコミューターのシートの上に、恋人同士のように寄り添う一組の男女を見つけて、しばし絶句した。
シア的には、ヒイロが借りた二台のコミューターに分乗してくると思っていたが、よもや二人で相乗りしてくるとは、まったく予想だにしなかったようだ。
(こりゃ、雰囲気に流されていたらヤバイことになってたな。あるいは狙ってたか?)
傍らの容疑者にちらりと視線を向ければ、どうやらビンゴだったらしい、片手で額を抑えながら、ちろりと舌を出して応えた。でもカワイイから許す。無罪。
「あー、ヒイロお兄さんと手を繋いでる! あなた誰?」
状況を飲み込めないでいたシアに先立って、見知らぬ女性との「親しさ」を目ざとく指摘したルミナは、ぷくっと頬を膨らませつつ、ちょっと不機嫌気味な表情を作った。
(最悪は免れたものの、なんか面倒なことになりそうなんだが)
などと嫌な予感を覚えるヒイロだったが、傍らのアンバーは落ち着いた態度を崩さない。
ヒイロの焦りの感情を読み取ってくれたのだろう、にこりと微笑んで応える。
『ここは、わたしにお任せください』
そう言い残してコミューターを降りると、まずはシアへと向き直って恭しい態度をとった。
「アンバー、ただ今戻りました。シア様のご指示通り、ヒイロ様をお連れしました」
「そ、そう? ご苦労さま、です?」
未だ戸惑うシアを他所に、そのままアンバーはすっとルミナの方へと歩み寄る。
「それからルミナ様、ちょっとお手を拝借します」
不機嫌そうに唇を尖らせるルミナだが、意地悪をして困らせるようは発想はない――流石天使、さすてん――ようで、素直にアンバーが差し述べる手を握った、直後。
「ええ!?」
何を言われたのだろうか、途端に顔を真っ赤にして、ルミナは目に見えて動揺し始める。
ルミナの手を握りながら、ニコニコと人畜無害そうな笑顔で微笑むアンバーと、なんとなく嫌な予感に戦々恐々とし始めたヒイロとの間で、ゆらゆらと視線をさまよわせる。
「どう? 参考になった?」
「うん! ありがとう、アンバーのお姉さん!」
「歳もそう変わらないみたいだし、アンバーと呼び捨ててくれていいですよ。だって『友達』でしょ?」
「わかったよ、アンバー! わたしのことも、ルミナって呼んで欲しいかも!」
その申し出は、純真無垢なルミナにとっては非常に魅力的に見えたようで、早速友達同士の距離感にまで近づいていた。
(どう丸め込んだかは知らんけど、なにもルミナにまでハニトラ仕掛けなくても……)
そう呆れるヒイロだったが、つい先までの「おこ」な状態など一瞬に吹き飛んで、今はすっかり上機嫌なルミナを見れば、何も言えなくなってしまう。
もっとも、ルミナを伴って一緒に出迎えに来てくれたシアが発する空気は、対象的に氷点下にまで冷え込んでいたのだが。
「よかったですね、ルミナさん。初めてのお友達かな?」
「うん、そうかも!」
しかし側に居るルミナは、その事にまったく気づいてないようだ。彼女のテレパス能力は、対象に触れなくても発動可能という、アンバーのものよりずっと高性能なもの。とは言え、シア並に制御された意識に対しては、今のルミナの練度で読み取れるのは、表層も表層に制限されてしまうのである。
母譲りの自分の能力に絶対の信頼を置いているルミナにとって、今の状態のシアでもいつもどおりの優しいお姉さんとしか認識できていないのだった。
(なまじサイキックに頼れない俺の方が、シアさんの態度の変化を感じ取れてるとか、なんという皮肉だろうか)
もちろんそれはアンバーも同じであるが、彼女はルミナとの親睦を深めることに全力を注ぐらしい、こちらの手助けは期待できそうもない。
(確かに、互いに助け合う対等な関係って約束だものな。全部アンバーに任せきりってのは、違うよな?)
そう覚悟を決めて、ヒイロもコミューターを降りる。ある程度離れると、周辺の安全確認を済ませ、回送モード切り替わったらしい。まずはゆっくりと走り出し、そして専用レーンに乗ると急加速して去っていった。
時間稼ぎのように、それらを見送っていたヒイロだったが、何時までも逃げているわけにはいかない。意を決してシアへと向き直る。
「異邦人ヒイロ・サンジョウ、只今本隊に合流いたします!」
見事な敬礼を決めたヒイロに対し、シアは毒気を抜かれたようにため息を漏らす。
今まで感じていた底冷えするような不機嫌オーラは、なんとか霧散できたようだった。
「とにかく、部屋に行きましょうか?」
*
宿泊施設の中へと足を運べば、ソラリス教団の関係者らしい、教団のシンボルが入ったクローク姿の女性たちが皆を出迎えた。
最上階へ上がれば、ロビーではチラホラ見かけた他の宿泊客の姿は一切見当たらなくなる。アンバーの説明によれば、宿泊施設のワンフロアをまるごと貸し切ったらしい。そのほうが警備がやりやすいのだとか。
途中、アンバーの仲間らしい地味なクロークをまとう者たち数名とすれ違ったが、フロアを巡回中だそうで、一度面通しされた見覚えのある子たちは、ヒイロに向かって小さく会釈をした。
アンバーはしばらくルミナと一緒に居ることになったとその都度説明し、特に合流する様子には見えず、そのまま4人で客室の一つへと入ることになった。
広めなスイートルームのリビングに据えられた、ゆったりめのソファに腰を下ろして、ヒイロはいつぞやのように、シアと向かい合わせになる。
アンバーは護衛らしくシアの背後に立ち、そしてルミナはヒイロの隣にナチュラルに腰掛け、アンバーがしていたようにべったりと寄り添い、腕を絡めてくる。
そんな様子にやや戸惑い気味なりながら、シアはおもむろに尋ねる。
「それでヒイロさん。先程のコミューターは、一体?」
底冷えするような不機嫌さは鳴りを潜めたものの、まだ少し「おこ」な雰囲気なシアに対し、ヒイロは件のリストバンドの一件も含めてざっと説明することになった。
特にリストバンドの件はアンバーも知らないことだったので、興味深く聞いていた。
「なるほど、確かに一部ですが帝国の一級士官に相当する権限が付与されているみたいですね。士官としての実務権限は一切ありませんが、帝国内における移動制限が相当に緩和されています」
その場で展開したホロウィンドウを介して、シアはリストバンドの来歴を調べたようだ。特に秘匿されている情報ではないらしい。
「辺境領域、特にガーモスへの出入国に関しては、今のわたしのひとつ下の権限で、面倒な審査はあらかた省略できるみたいです」
「なんでそんな高待遇なんだか、俺もさっぱりなんだが」
そう疑問を呈すると、シアはちらりとルミナを見て応える。
「おそらくは、ルミナさんのためでしょうね」
「わたしの?」
「ヒイロさんと一緒なら、帝国辺境の公の場なら、ほぼフリーパスで行けるということです」
その意味をあまり理解してないのだろう、ルミナは眼をぱちくりさせるが、シアはかまわず先を続ける。
「通常は帝国軍の士官級待遇と成れば、外来者向けの一時的な措置としてでも、それなりに強い『思考矯正』の義務が生じます。ですが、ヒイロさんの場合、無意味ですから」
「ああ、たしかにそんな事言ってたな」
帝国の思考矯正プログラムは、サイキックを持たない者には意味を成さない仕組みだ。元々は、罪を犯した異能者への能力制限措置だったようだが、そこから発展、応用範囲を広げて今に至っているようである。
実際シアや、アンバーを含む随伴者たちも、入国時に軽度の矯正措置を受けている。だからこそ、ルミナの救出に対して、強行的な措置が取れなかったのだ。
しばし考えを巡らせてから、ヒイロは一つの疑問を口に昇らせる。
「総督は、俺とルミナに何をさせるつもりなんだ?」
さすがに事前情報が少なすぎて、まったく見当が付かない。それはシアやアンバーも同じようだったが、ただひとりよく解って居なかったルミナが、ぽつりと一言。
「新婚旅行、かも?」
その突飛な一言が、お開きの合図になったらしい。一度深くため息をついてから、シアは締めの言葉を述べる。
「この事は教団側のミーティングでも、議題にかけることにします。二人は、このままリビングで寛いでいてください。用事があれば、アンバーを遣いによこします。それから、この後の予定は、ルミナさんが知っていますので、ヒイロさんも聞いておいてくださいね」
矢継ぎ早にそれだけ言って、シアはソファを立つ。
そしてここで、一度アンバーとは離れる事になるらしい。二人きりの時の甘い雰囲気なぞ何処吹く風で、アンバーは護衛然とした態度のまま、部屋を出て安全確認を済ませ、外で待機していたもうひとりの護衛娘と合流する。
「またね、アンバー!」
去り際に、ルミナに軽く手を振り、そしてヒイロへはウィンクを送る。
その唇は、「あとで」と動いているようだった。
そしてだだっ広い部屋に、ヒイロとルミナの二人が取り残された。
「で、この後の予定って?」
「お食事した後、おっきなコミューターみたいな乗り物で、みんなで移動するんだって」
「移動? どこへ」
そう尋ねるヒイロに対して、ルミナは好奇心たっぷりと言った笑顔で応える。
「軌道エレベーター!」
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