幕間 ソラリス教団

「シアちゃん、上手くやれてるかしら?」


 薄闇の中でもなお映える真紅の唇から、ため息混じりの言葉が漏れる。

 ゆったりとした淡い紫の薄衣一枚を素肌にまとい、誘うようなポーズで豪奢なカウチに寝そべるのは、やや年かさに見える美しい女性。

 ゆるくウェーヴのかかった長い黒髪、その幾条かが白い肌にまとわりつく様は、その豊満な肢体をより扇情的に際立たせ、見るもの総てを惑わす、成熟した大人の色香をこれでもかと放っている。

 事実、彼女の周囲に侍る側近――皆、年若い美少年――達は極度の興奮状態にあり、熱に浮かされたような表情のまま、彼女の裸身に食い入るよう魅入っていた。


 光芒を思わせる幾条もの薄布を巡らせた天蓋、甘ったるい香りに満たされたその内から、女性は少年達のひとりに視線を投げる。

 女神の微笑みを以て選ばれた少年は歓喜に打ち震えつつ、傅くように両膝を折る。白いローブの前垂れのあたりが、天を突くよう大きく膨らんで見えるのが、少年の興奮具合を如実に現していた。


「謹んでお受けします、『アキナ』様」


 親愛と畏敬を込めた口調で、女性の名を唇にのぼらせると、膝をついたままゆっくりと近づく。選ばれなかった少年たちは、それを羨望の眼差しで見送った。


 気だるげに半身を起こし、導くように差し延べられる白い両腕、その内へと、誘蛾灯を前にした羽虫の如く少年は吸い寄せられていく。背中に回された両腕で、優しく包むように抱き寄せられ、柔らかくも弾力のある、白い双丘へ顔を埋めた。しっとりと濡れた柔肌から漂う、芳しい色香が鼻腔を満たす。

 刹那、片頬に添えられた手のひらが、少年の顔を上向かせる。妖しく光るエメラルドの双眸と、薔薇を思わせる真紅の唇がほんの鼻先にあることを認識した直後、少年の唇はみるもあっけなく強奪された。


 貪るような口づけを、まったく抵抗することなく受け入れた少年は、巧みに動く彼女の舌が口腔を容赦なく蹂躙していくのを、ぼんやりとした意識の中に感じた。

 二人分の吐息に混ざり、クチュクチュと唾液を泡立たせる音が、静寂の中で際立って聞こえる。どんな高級な蜂蜜よりも甘い彼女の唾液が、絶え間なく喉奥に流し込まれ、それを一滴も零さぬようにと、必死に嚥下する。それと呼応するように、熱を帯びた互いの全身から吹き出す、滴るような汗が混じり合い、先程胸元で感じたものよりも遥かに強い体臭が、脳髄へと麻薬のように染み渡っていく。


 五感総てが容赦なく蹂躙され、またたく間に屈服させられる。今以上に激しい行為も幾度と無く経験済みだが、彼女の膨大なそれに伴う圧倒的技量の前では、少年の抵抗など紙くずのそれに等しい。

 絶え間なく襲い来る緩く、時に鋭い快楽の波に抗いながら、思わず声をあげそうになるのを、少年は必死の思いでこらえた。


 ――儀式は、静寂を以て為すべし。


 総ての預言者にとって、もっとも初歩の規律を思い浮かべつつ、すこしでも限界を遅らせようと抗ったが、終わりの時は唐突に訪れた。

 全身を震わせ、総てを出し切り果てた少年は甚大な快感と幸福感に浸っていた。

 そして女性は最後に一度、優しく啄むような口づけを落とし、優しく彼に微笑みかける。

 最後に「何か」呟いて後、少年の思考は完全に限界を超え、その制御を放棄した。


 選ばれた少年が役目を終えたことを認識すると、側で黙って見守り、耐えていた少年たちは即座に行動に移す。

 仲間の粗相を、手慣れた様子で片付けていく少年たちに一瞥もくれず、女性は瞳を閉じたまま思惟を巡らせた。

 その様には、先までの見せていた淫靡さなど欠片も感じさせないほど、神聖さが漂っている。


「……ああ、結局こうなる運命か。思いの外、早いのね」


 何やら意味深なセリフを呟いた後、薄く双眸を開く。

 直後、彼女は自身の「礼拝堂」の入り口に立つ、クロークをまとった人影を認め、そちらに視線を注いだ。

 周囲の側近たちに、下がるように手振りで指示した後、先までの気だるげな雰囲気とは異なる、はっきりとした口調を投げかける。


「ああら小猿ちゃん、お行儀よく待てたの? 偉いわあ」

「いいタイミングだったろ? さすがに瞑想のヤってる最中、踏み込む趣味はねえからな」

「も少し遅れてたら、そうなってたかもね?」


 シアの礼拝堂の時と同じように、側近の少年達は師と同格とされる少女に目礼を送り、足早に去っていく。

 それらを総て律儀に見送ったあと、アヤはアキナの居る天蓋近くまで歩みを進める。


「ンで、なにか『面白い物』でも見えたのか? 朝からお盛んにヤりまくったらしいじゃないか……ってかいい加減、歳考えろやババア」

「なによう、そんな言い方ってないじゃない?」


 まるで少女がするみたいに「ぷくっ」と頬を膨らませ、アキナは心外そうに抗議する。


「わたしだって、いい加減引退して、シアちゃんに跡目を継いで貰いたいのよう」

「アホいえ。シアにあんたの代わりなんて『到底』無理ってもんだぞ!?」


 ヘリオス三聖の一角「心術」を司る「リ・ウェーダ」の主座であるアキナは、先にも述べた通り、星詠みを含めた多数の預言者達の取りまとめ役として、教団内にて絶大な信望を集めるカリスマである。

 しかし対外的には教団の「表の顔」として永きに渡って君臨し、政治交渉の場に於いては、その辣腕を十全に発揮、銀河各所に大きな存在感を示し続けてきた「外交交渉の鬼」として知られている。

 畏敬を込めて「ソラリス教団の女教皇」、一部の口さがない者たちには「女怪」と呼ばれる、銀河帝国皇帝に並び称されるレベルの超重用人物だ。

 なお、教団の運営は完全合議制であり、教皇相当のポジションなどない。


 さておき、確かにシアは教団史上最高とも目される、稀代の天才預言者ではあるが、政治面での資質は「皆無」であると、親友であるアヤの贔屓目をてんこ盛りにしても、はっきりとそうと言い切れる。

 かつて、シアの政治的才能にまだ期待していた頃、アキナの補佐役として外交交渉の場に出向いたことがあるが、それを踏まえての外交畑からの評価はこうだ。


(あなた、喋っちゃダメね。微笑んで座ってるだけで十分よ)


 ついた二つ名が「最強の置物」、或いは「ソラリス教団の超偶像/スーパーアイドル」である。

 それ以来、シアの引きこもり具合が、悪化・加速したという笑えないオチがついている。

 その主原因とも言える「ババア」は、ジト目を向けるアヤを諭すような口調で続けた。


「だ、だからこそよ! わたしの場合、まだ組織が立ち上がって間もない頃、必要に迫られてだけれど、本来組織運営に関するゴタゴタなんて、それ専門の部署がやるべきことよ。シアちゃんに求めるものは、あくまでも『心術』の主座としてのものだけ。わたしが退くことで、自然と役割が分離することになるわ」


 アヤとて曲がりなりにも、ひとつの組織を取りまとめる立場の人間である。

 教団の現状、抱える問題点についてはそれなりに把握しているつもりだ。

 元は、星系内で完結していた相互互助組織に過ぎなかった。それが今や、全銀河を網羅する巨大ネットワークを構築できるほど肥大化した、銀河有数の大組織となっている。


「長く続いた組織は、どこかしら『ガタ』が目立って来るものよね」

「違いない。帝国もまた然り、だな」


 自らの負った「使命」を全うするための、ただの預言者集団でしかなかった「ソラリスの民」が、自衛のため政治の場に出ることは必然だったと言える。

 その役目を担ったひとりの才媛が、想定外の傑物であったことなど「誰が」知ることができよう?


 預言者には、幾つかの「禁忌/タブー」がある。中でも重要なものがふたつ。

 ひとつは先述した通り、「預言者は、預言に自らの意志を介在させてはならない」ということ。

 そしてもう一つは、「預言者は、預言者を見ない」である。

 これは戒律の類というより、事実上不可能に近いことである。


 預言者同士が、互いを預言し合ったらどうなるか。

 それは合せ鏡の如く、無限回廊を生み出す行為。神の領域へと挑む愚挙だ。


 特に、預言者自らの未来だけは、決して見ることが出来ない。

 皮肉のような制約は、だからこそ彼らに、未だ見ぬ未来を語り合う、という喜びを与えても居る。


「つっても、外交に関しては、あんたは当分今のまんまじゃないか?」

「そこは仕方ないわ。それでも、『心術』の主座としての役割を押し付け……もとい、降りられるのだもの、相当楽になるわ。後進も着実に育って来ているし、近い内には名代を任せられるだけの人材も揃うはずよ。そうして増えたプライベートの時間を、素敵な出会いのためにつぎ込むの! 目指せ結婚!」


 そうして夢見る乙女の表情を見せるのは、結婚歴なし、彼氏居ない歴(ピー)年、多忙を極めた結果として組織内で偉くなりすぎて、誰も手出し不能になった、超売れ残り美女である。

 ちなみに、女性預言者の年齢を尋ねるのもタブーである。


 そして信じられないだろうがアキナさん、「処女」である。

 あんだけエロエロな事をしておいて何を今更とお思いだろうが、大事なトコロに未だ男の侵入を許していない、清い身体なのである。清いの定義が崩壊するが、気にしてはいけない。


「まあ教団内には、あんたを『女』として受け止めてくれる奴は皆無だろうからなあ。ジジイ共は論外として」


 戦士として並外れた聴力をもつアヤは知っていた。

 先程の儀式の後で意識を失った側近の少年が、至福の表情で最後に呟いたひとことを。


 ――ママぁ・・・・・・。


 アキナの醸し出す圧倒的な超母性に、教団の若い男たちは抗う術をもたない。

 そう、みんなバブみを感じてオギャるんだよ!


「それで結局、あんたは何を予見したんだ?」

「まあ時間もなかったから充分な『仕込み』も出来なかったことだし、せいぜいシアちゃんの周辺で起こった出来事が無作為に見えたぐらいねえ」

「具体的には?」

「シアちゃんのお風呂シーン二回、お食事シーン三回?」

「あんたアホだろ!? その預言一回に、巷でどんだけの大金が動くと思ってんだ!?」


 殆どの星詠みは、導きとして極めて曖昧で、抽象的な物言いしか出来ないものである。

 人の運命を天の星々に見立て、その運行を詠み取る「星詠み」の能力は充分に稀有ではあるが、預言者の価値観からすれば、その程度なら出来て当然の基礎的能力に過ぎない。

 事実アキナの星詠みも、歴代の主座達と比しても劣らぬ実力は有している。

 単に、彼女独自の預言術のほうが、遥かに精度が高く、有用と言うだけである。エロエロだけど。

 同様に、多くの経験を積んだ預言者達は、それぞれ独自の「儀式」の形を作り上げることになり、それが「一人前」の証とも言えるのだ。エロエロだとしても


 そんな「独自性」を打ち出せていないシアは、どうしても自身を半人前と評価してしまう。

 実際には、基礎を極めて神器クラスに磨き上げるという、神業級の偉業をなしているのだが、そのことにはついてはまったく自覚がない――それはそれとして。


 対してアキナの預言と、それによる導きは、シアのそれ以上に具体性が高く、明々白々としているのが特徴だ。

 種を明かせば、アキナ子飼いの諜報機関による事前調査との合わせ技の賜物だが、それを抜きにしても極めて高精度の預言が為されるのである。

 結果、庭園に礼拝堂を構える多くの星詠みを基準にすれば、最低でも数百倍に値する超高額報酬が動いている。


「しようがないじゃない。預言者を直接見るのは、わたしたちのタブーでしょ? 帝国内でのシアちゃんの動向を把握するには、監視者/ウォッチャーを間に挟むとか、回りくどい方法をとるしかないのよ。機械的手法に関しても、あちらのほうが何枚も上手だし」

「わかるけど……それはわかるけどさあ」


 疲れ切ったかのように全身を脱力させるアヤを見て、楽しげな口調でアキナはつづける。


「でも帝国の食事って、ほんと味気ないものだからねえ。シアちゃん相変わらずのポーカーフェイスで乗り切るっぽいけど、あれは後で持ち込みの携帯食で口直しするでしょうね。なにか美味しいもの持っていけば、喜んでもらえるかも?」

「さすがにそこらへん、同行者達がなんとかするだろ? それに、タブーっつーなら預言への干渉は可能な限り避けるべきじゃねえか」

「まあ、強い運命力を持つ『八星士』絡みを軸に据えた預言だから、多少の干渉は誤差範囲に収束するとは思うけど、今は『微妙な時期』だし、用心に越したことはないわねえ」


 意味深な物言いに、一度短く鼻を鳴らして応えると、アヤは真剣な面持ちになって尋ねる。


「んで、見えたのはそれで全部、ってわけじゃないんだろ?」

「ええ、そうよ」


 勿体つけた割にあっさり白状するのは、言いたいことを言い切ったからだろう。


(年寄りは話がいちいちくどいんだよなあ)


 なんてことは、口が避けても言わない。

 真面目な表情は崩さず、アキナの言葉を待っていると、充分に溜めた後、ケレン味たっぷりにこう宣った。


「教団総本山は、壊滅するわ!」

「な、なんだってー!?」


 反射的にノッてしまったアヤだが、実は彼女自身、それほど驚いている様子は見えない。


「あら、やっぱり小猿ちゃんも、似たような情報持ってきたってことかしら?」

「まあ、そうだな」


 そう言って、アヤも、あっさりと種明かしをする。

 軽く片手を振るってジェスチャアすると、周囲に展開されるのは複数の立体映像/ホロ・ウィンドウ。それを指先でなぞり、幾つかの報告をピックアップしてから、アキナの眼の前へと投げ渡す。

 視線だけ動かして、アキナは慣れた様子でそれを精査、新たな情報を引き出しつつ全容を頭に叩き込む。


「先行して帝国内に潜伏させた復数の特務部隊からの情報だが、辺境派遣軍の一部がこの教団総本山の制圧に動くようだ。近隣星系での勢力図の変化、人員や物資などの動きからみても、間違いない。そして奴らの直近の目的は――」


 得心したとばかりに、アキナはアヤの言葉に重ねる。


「「転送ゲートの制圧」」


 アキナの預言による高精度・高確度の最終情報。

 アヤの持つ多角視点と高度な分析による裏付け情報。

 新たなリソースを交えた上、二つの経路により導かれた寸分違わぬ互いの答えに、稀有なる預言者達は、満足したように頷きあう。


 銀河ほぼ全域に及ぶ大規模なネットワークインフラである転送ゲート、特定の二点間における物質・情報移動の制御を担うのは、「ゲート・トランジット・エクスチェンジ/GTX」と呼ばれる重要施設である。

 一つのGTXが制御可能なゲート数には構造的制限があるため、GTXは銀河の要所要所に網の目のごとく配置されている。そしてそれらは、銀河帝国とソラリス教団を中心に、主だった大規模組織間の合意により管理権限を分け合う取り決めになっていた。

 そして辺境領域に関しては、その殆どが教団の支配下にあり、中でも最大規模のものが、ソラリス教団総本山に置かれているのだ。


「たかが総本山『ひとつ』落とされたぐらいで揺らぐほど、教団の基盤は脆くはないけれど。一応は中央に向けて外交ルートで働きかけてみることになりそうね。遺憾の意で時間稼ぎされて、どうせムダになるけど」

「結果として、この一帯のゲートネットワークは、しばらく麻痺状態になる。これは不可避の未来だ。幾ばくかの混乱もあろうが、それに対してアタシらに出来ることは何もないし、すべきでもない」


 その言葉に同意するよう、アキナは一度小さく首肯する。

 そして外界で畏れられる二つ名にふさわしい威厳を一瞬でまとい、かつて幾度と無く繰り返してきた問いかけを投げる。


「ねえ『アヤ』、覚えておいでかしら、わたしたちのモットーを?」

「『備えよ、常に。絶えず星を導き続けよ』です、『アキナ』様」


 それは教団のシンボル「ヘイロウ背負う主星ソラリス」の周囲に刻まれた、原初の誓いである。

 どれだけ時代が進み、変わろうとも、その在り方だけは変えてはならない。


「それこそが、わたしたちソラリスの民――いまは、古代ヒルメス人かしら?――の最大の使命よ」


 逆に言えば、それさえ守れるのなら――否、それを守るためならば如何なる変革をも受け入れる。

 それが、誇り高き彼らの在り方なのだ。


 懐かしいやり取りに若干照れつつ、アヤは何時もの不遜な態度に戻って、ため息混じりに応える。


「外圧でそれが成されるのは些か業腹ではあるが、実際、丁度いい機会なのかもしれないな。ああ当然、受け入れるともさ」


 生真面目モードでそう結論付けるアヤに対して、一足先にお気楽モードに戻ったアキナが楽しげに自らの結論を述べる。


「じゃあ結局一番有用な情報は、シアちゃんの、お風呂シーンよね。最近またおっぱい大きくなったみたいで、持ち込んだブラが軒並み合わなくなる未来が見えたわ」

「先と比べて、深刻度の落差が激しすぎる……っていうか帝国法じゃねえが、プライバシーの侵害も甚だしいわ。アタシだからいいけど、少しはシアの尊厳を慮れや。アタシだから良いけど」


 大事なことなので二回言いつつ、結局のシアの成長記録の更新をしてしまうアヤである。

 居直るわけでもないが、顧客情報の秘匿は当然としても、その他のプライバシーだとか気にしていたら、預言者などやってられない。

 なにより互いに帝国臣民というわけでもないので、罪に問われる謂れもない。せいぜいバレたらお説教されるぐらいである。お堅く言うなら、帝国が成文化された「法」によって秩序を維持するのに対し、教団は慣習や道徳といったいわゆる「不文律」で成り立っているのだ。


「それにしても困ったわねえ。シアちゃん、マシート星系に閉じ込められちゃうわあ。あのあたりは女性が下着つける文化ないから、市場で新しいの手に入れるのは困難ね」

(そもそもあのサイズ以上じゃ、もうフルオーダーメイドじゃないと無理だろ)


 同性の幼馴染特権的な一級秘匿情報を脳裏に浮かべつつも、アヤは世間話に興じるおばさんモードへと移ったアキナのスルーを試みるべく、クロークを翻して背を向ける。


「あら小猿ちゃん、もうお帰り? お茶でも出したほうが良かったかしら?」

「聞くべきことはもう聞いたしな。それにシアの預言によれば、あそこでやることはそれなりに多いようだし、こっちの準備が整うまでは、星系内でおとなしくしていてもらうさ」


 そう、アヤはそっけなく言い放つ。


「あらあ、シアちゃんのこと、心配じゃないの?」


 インプリンティングされたひな鳥のように、シアに対して強い執着心を示す――半分はアキナのやらかしのせいだが――彼女にしては珍しい態度、その背に向けてアキナは意外そうな視線を向けた。


「大丈夫だろ。近くにシアを嗅ぎ回ってる『組織』が居るが、役に立ちそうだから泳がせてあるし、何より『未来の英雄』が側に居るからな」


 過保護なところはあまり変わってないようで安心するが、ひとつ聞き捨てならないキーワードを「聞かされて」、アキナは少々面食らって応える。


「いつもの『八星士』じゃなくて、『英雄』? それってシアちゃんの言ってた、新しい星のこと?」

「さあ? アタシのカンってやつだ。だから、この程度の修羅場、軽く乗り越えてもらわねえとな。なにしろ――」


 笑顔とは本来、攻撃的なものである。

 そんな言葉を思い出させる壮絶な表情の中、ほんの少しの寂寥感を混じえて、シアの番犬は静かに唸った。


「何れシアを掻っ攫っていく、クソ野郎だからな」


 変革すべきは組織だけではない。

 進む道を違えた時と同様、シアとの関係も、また変わる時が来たのだと、アヤは自分に言い聞かせる。

 互いに互いを言い訳にして、傷を舐め合うような関係は、もう終わりにすべきなのだと。


「あら、そういうこと? まあ元々、『お仕着せ』に納まるような子じゃないしねえ」


 そんな示唆的なセリフを背中で聞いて、アヤは短く舌打ちする。


(確かに今回の旅で、シアは大きく成長することになる。預言者としてでなく人として、そして女としても)


 それが教団の思惑の内だとしても、望ましいことに変わりはない。ただ、それを近くで見守れないことに、少しばかりの淋しさを覚えるのだ。


「シアちゃんはともかく、あなたも難儀な子よね」


 表情こそ見えないが、思わず抱きしめたくなるような背中に、アキナの母性がくすぐられる。

 普段は小猿ちゃんなどと小馬鹿にしているものの、愛弟子として受け入れたシアと共に、幼い頃から可愛がってきた、大切な妹分なのだ。そのことだけは、決して変わることはない。


「淋しくなったらいつでもいらっしゃいな。『アキナお姉さん』が、抱きしめてあげるわよ?」

「うっせえ、ババア」


 それだけ短く言い残して、アヤは馴れ親しんだ、甘ったるい香りの部屋から足早に立ち去った。

 彼女の軽口が照れ隠しだなんてことは、「お姉さん」には預言するまでもなく丸わかりなのだ。

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