第八話 ヒロイン×ヒロイン×ヒロイン
「急ぐぞ『ルミナ』、もうじき宇宙船『エウロスター』の修理が終わるころだ!」
片手にビームガンを構え荒野をひた走る若き偉丈夫は、もう片方の手で、女性らしいほっそりとした白い手を、しっかりと握りしめていた。
彼の背後で息を切らせ走るのは、長い青銀の髪をなびかせる美しい女性だ。
二人は揃って、帝国支給のアイボリーの士官服をまとっているが、その所々が薄汚れ、ほつれ傷んでいる。帝国ではこの手の物資は毎日新品が支給されるが、彼らのそれは長期間「着たきり」だったことを連想させ、事実ここしばらくは、光学的浄化装置にかけることすら出来ない状況にあった。
「ここを乗り切れば、ようやく惑星『ガーモス』を脱出できる!」
ケイブローク遺跡に隣接する、サヤンシンイ鉱山地帯、その地下空洞に隠されていた一隻の小型宇宙船。それはかつて、この地を訪れた反帝国組織・ソラリス教団の預言者たちが、この日のためにと用意していたものだった。
しかしまともに整備出来る状況になく長い年月を経たことで、主要機関部が劣化しており、直ぐに飛び立つことは不可能な状態だったのだ。
これらを修理可能な人材を秘密裏に確保し修復を急がせたが、彼らの中に内通者が紛れ込んでいたことで、この場所が帝国地上軍に知られてしまった。
以来、アンドロイド兵達との散発的な戦闘に明け暮れる日々となり、遺跡の一部を使っての籠城戦にて迎え撃つこととなった。
「アンドロイドどもめ、羽虫のようにうじゃうじゃと沸いてくる!」
遺跡内部に逃げ込んだ二人は、最後の時間稼ぎとばかりに攻め寄せるアンドロイド兵を相手取る。
外壁を乗り越え、遺跡内に侵入してきたアンドロイド兵を、男は正確無比な射撃で撃ち抜き次々に無力化していく。その間女は、彼の背後にて祈りを捧げるような姿勢をとった。
彼女の髪を飾る、黄金色のサークレットが、ぼうと淡い緑色の光に包まれる。
直後、彼らの背後で物陰に隠れ、攻撃の機会を伺って居た数体のアンドロイド兵が動きを止め、そのまま煙を吹いて地に倒れ伏す。
男はすぐさま振り返ってビームガンを構えるが、アンドロイド兵はすでに完全沈黙していた。
「危ないところだった。すまない、助かったよ」
「ふふ、油断禁物ですよ?」
額に玉の汗を浮かべながら、彼女は柔らかく微笑む。
彼女の切り札である「サイキック・コレダー」と呼ばれる技は、サイキック能力者の精神波を用いた一種の電磁波攻撃であり、本来サイキックへの耐性が強いアンドロイド兵に対抗するため生み出された、ソラリス教団の最新技術である。個別に調整される特製サークレットが変換装置となっているが、実用的なレベルで使用するには、相当なサイキック能力を必要とする。
彼女の能力は並外れて強力だが、それでも負担は大きいらしい、疲労の色は濃く、今も静かに息を整えている。
「大丈夫か? 朝から立て続けなんだ。大分消耗しているはずだろう?」
「いえ、これくらい、なんともありません」
この若い男女二人は、惑星ガーモスからの脱出を望む者たちの指導者的地位にあるが、宇宙船の修理が完了間近になるにつれ激しくなる敵からの攻撃に対処すべく、周囲の反対を押し切って防衛戦に参加した。
二人は集団内でも一二を争う強力なサイキックの持ち主であり、事実上の最大戦力でもあったのだ。
そのことを裏づけるように、今まで騒がしかった遺跡の外側も、今はひっそりと静まり返っている。
彼女の能力は防壁を越え、広範囲にまで効果を及ぼしていたのだ。
「おそらく二個小隊程度は片付けたか。しばらく時間は稼げたようだが」
そう言って安堵しかけたその時。
『一級秘書官104号、および一級捜査官116号に告ぐ。速やかに投降せよ』
ガーモスの空に浮かぶホログラムには、オリーブドラブに染まる制服姿の、老練な男が映し出されていた。襟章の階級はカーネル――大佐級に相当する彼は、難民保護区を含む復数エリアの指揮官、「大総督」という立場にある。
そして、彼ら二人にとっては、また別の「顔」があった。
「お父様……」
互いの上官であることはもちろん、女にとっては実の父であり、男にとっては義理の父であった。
「義父殿も無茶をする。年甲斐もなく、前線にまで出張ってくるとは」
帝国の指揮官は後方で大まかな指示を出して以降、現場はすべてアンドロイド兵に任せるのが常である。
血気盛んな若い頃ならともかく、細かい指示を飛ばすために現場に出るなど、ある程度年季を重ねた軍人ならばやらないことだ。
あるいは、そうせざるを得ない状況なのだと察する。
「ごめんなさい■■■、やっぱりわたしは行けないわ。父を残してここを去ることは出来ない」
幼い頃に母を亡くして以降、ずっと父娘ふたりで支え合ってきたのだ。
そのことを知ってる男としても、彼女の懊悩に水をさすことは躊躇われた。しかし。
「あの子のことはどうする? 片親にするつもりか?」
残酷な言葉でそう問われ、女は一瞬だけ母親の顔に戻る。しかしそれでも、決意を翻すことはなかった。
「あなたと出逢って、あの子を産んでから、きっともう決まっていたことなのでしょう。だから、『ヒルメスの姫巫女』としてのわたしの役目は、きっとここまでです」
声を震わせながらも、気丈にそう応える。それは、彼女に流れる王族の血筋を感じさせる、眩くも気高いものだった。
「それでも、俺は『ルミナ』と一緒に居たいんだ!」
立場も何もかもをかなぐり捨てるような、愛しい男からの強く求める言葉に、「名もなき女」は儚げな笑みを浮かべて応える。
「その名はもう、『あの子』のものですよ?」
この瞬間、男はすべてを理解した。もう、引き返すことは出来ないのだと。
どんなに求めても、どんなに足掻いても、この「運命」を覆す資格は、自分にはないのだと。
「それに、これが父に出来る最後の『支援』なのでしょう。投降を促す交渉という体で、アンドロイド兵たちを抑えているけれど、帝国の管理システムは、そこまで間抜けじゃありません。思考矯正も働くでしょうし、きっと、長くはもたない」
彼の秘書官になる前は、彼女の母同様に政務官としても稀有な才能を発揮した彼女である。帝国の不利益を積極的に排除しようとする管理システムの仕組みついては、帝国上層部並に熟知している。
そんな帝国が求めるものこそ、強力なサイキック能力を代々宿す、彼女ら「ヒルメスの姫巫女」の血筋である。
しかし、産まれたばかりの娘相手に「代替わり」の儀式を済ませたことで、今の彼女は急速に衰えるだけの、「残火」に等しい存在でしかない。そんな自分が身代わりとして残る事で、姫巫女の能力も完全に渡すことにはならず、なにより娘の身の安全も図れるのだ。母親として、選択しない理由はなかった。
「大丈夫。今のあなたには、頼れる仲間が居る。そして『星詠みの巫女』様の導きの先に、逃げ延びた多くの同胞が待っているはずです」
力なく項垂れる男の首に両腕を回し、女は元気づけるよう口づけた。
「そしてどうか、第二の惑星ヒルメスを見つけて。母と、わたしの夢、あなたに託すわ」
別れを惜しむようきつく抱き合う二人だったが、その背後から、武装した女性がひとり歩み寄り、淡々とした口調で声をかける。
「お二方、ここは戦場ですよ? お気持ちはわかりますが」
如何にも「傭兵」らしい暗色のコンバットアーマーで、起伏に富んだその身を包んだ女は、慇懃な態度で男に向きなおり、言葉を向ける。
「お迎えに上がりました。『星海王/スターキング』様」
「ああ、『破壊者/デストロイヤー』か」
「その呼び名、余り好きではありませんね。か弱い女性につけるには些か物騒すぎませんか?」
などと言いつつ、その両腕には腰丈程もある物騒な攻撃用デバイスが抱えられている。
帝国の技術を一部流用し教団で創られた、彼女の専用装備「フェイザーランチャー」である。
位相変換したフリーオン粒子を高圧縮、プラズマ化した荷電球体を放つ、アンドロイド特効の投擲兵器であり、遠距離、かつ広範囲の殲滅能力を持つ。これのみならず、数々の強力な兵器を戦術レベルで使いこなす彼女は、非サイキック系としては随一の戦力であり、まさに「破壊者」という異名に相応しい実力を備えている。
「そちらの戦況はどうなっている?」
「芳しくありません。教団より派遣された特務小隊が奮闘していますが、多勢に無勢です」
「そうか……彼女たちの流した血、一滴たりとも無駄にするわけにはいかないな」
「あなたにそう言って頂けるなら、あの子たちも本望でしょうね」
そんな彼女は、半ばトレードマークと化した不機嫌そうな表情のまま、彼の傍らに寄り添う女の姿に、咎めるような視線を向ける。
「何時までそうしているつもりです。敵も、長くは待ってはくれませんよ?」
「ごめんなさいね。これで最後かと思うと、名残惜しくなっちゃって」
「ふむ。それが、あなたの選択ですか」
そのやりとりからして、どうやら二人の間では、なにやら事前に了解があったようだった。
「あの子のこと、そして彼のこと、お願いね。それからこのサークレットも預かってて頂戴。いずれあの子が使うことになるでしょう」
「次代の姫巫女様のことは任されました。彼のことはお約束しかねますが、精々手綱を握ってみせましょう」
「ええ、期待しているわ」
そっけなく言い放つ「親友」に対し、姫巫女だった女は意味深な笑みを浮かべて応える。
秘めた想いすら見透かすその笑みに居心地の悪さを感じつつも、傭兵の女はそれを表情に出さないまま、心の奥底で思索する。
(まったく、何時もあなたは、手強い敵として、わたしの前に立ちはだかるのですね)
最後にもう一度抱擁を交わした後、去りゆく女を名残惜しげに見送る男。
その淋しげな背中を、今直ぐ抱きしめたくなる気持ちを抑えつつ、残り、託された女は深くため息をもらす。
(何れ帝国の手先として、我らの前に立ちはだかる
この惑星ガーモスにて出逢った八星士の「三人」は、この先数多の困難と悲劇を乗り越え、あるべき未来へと進んでいくことになる。
しかし。
優しき少女の意志と、娘を想う母の遺志、そしてあんまり何も考えていない青年の意思によって、この未来は、もう無くなったのであった。
わっふるわっふるとか言っても続きとかないからね?
*
「知ってるか? まだ一日経ってないんだぜ?」
明後日の方向につぶやくヒイロに、ルミナは訝しげな視線を投げる。
「どうしたの、ヒイロお兄さん?」
「ちょっと『メタ会話』というのをやってみた」
「???」
半ば自分に言い聞かせている部分があったりもするが、実際ヒイロがこの惑星ガーモスに現れて以降、かなり「巻き」で展開が進んでいるのは確かである。
その短い時間で、シアやルミナ、更にはアンバーを加えたヒロイン級の女性たちと出会い、成り行きとは言え共に行動するような関係に至っている。
そして現在ヒイロたちは、「ランドクルーザー」と呼ばれる中型の人員輸送挺に乗り、惑星ガーモスの地表を移動中だ。目的地は、最寄りの軌道エレベーターで、明朝には宇宙ステーションに上がる予定である。
この惑星からの脱出には早くて数ヶ月、遅ければ何年も掛かりそうだと予想していたが、一日足らずで達成できてしまった事実に些か拍子抜けといった感がある。
それもこれも、「ソラリス教団」がもつ圧倒的影響力の賜物だろう。
シア達一行の惑星上での移動装備であるこのランドクルーザー、街から街への移動で二級市民一月分の収入が吹っ飛ぶほど維持費がかかる超金食い虫であり、帝国下級貴族程度ではおいそれと所持できないものである。
そんな物をちょい乗り感覚で用意できる点からも、ソラリス教団の資金力は相当ものだと推察できる。
(俺の「お小遣い」程度じゃあ、タクシー代にもならんとか)
仕方ないとはいえ、今の自分の甲斐性のなさに、ちょっとだけヒイロは自己嫌悪に陥った。
反重力的技術なのだろうか、ほぼ無音でホバリングしつつ夜の荒野を疾走するその見た目は、幅広で平たい水上バスを思わせる。
固定式ベンチシートが並ぶ船体上部甲板は、防護シールドにより全面シースルー状態なため、見上げれば満天の星空といった状況。ちなみにシールドが無かったら凍死必至だ。
「見て見てお兄さん、星空がとっても綺麗かも!」
「夜空に見える星の多くは、『恒星』って言ってな、みんな自分の力で光っているんだ」
「恒星って、マシートⅠと、マシートⅡみたいな星のことだよね?」
「おっ、よく知ってるね」
「ヒイロお兄さん、星を見るの好きって聞いたから。少し調べたんだ」
アンバーに入れ知恵されたのもあるのだろう、船内の自室で黄昏気味だったヒイロを、こうしてデッキに誘い出してくれたのはルミナである。
産まれて初めて地上に出たルミナにとっては、人工の明かりが皆無でまっ暗闇なガーモス地表も、物珍しさが勝るようであった。
今の快活な姿は、初対面時のお嬢様然とした様相とは似ても似つかない。
彩る装いも、お硬い制服姿とは打って変わって、胸元の切り返しにリボンをあしらったミニドレスに、ケープを合わせた可愛らしいもので、今の彼女にとても良く似合っている。
街外れの宿泊施設で合流してお披露目された時には、「ちょっと子供っぽくないですか?」なんて気にしていたが、彼女の青銀の髪とグラデーションを為す濃いめのブルーと、ハイウェストなAラインが、クールでスマートな大人っぽい印象を醸し出している。
そう伝えると、とても嬉しそうにしていた。
(ちょっと「背伸び」した感じが可愛らしいってのも事実だがな!)
ゆったりめのレザーシートに寄り添うように座る二人は、恋人同士というには女性側の幼さから一見お巡りさん事案だが、どちらも成人しているので、二人を罰する法は現状存在しない。あと二、三年もすれば見た目の釣り合いも取れるだろうが、今は精々兄妹といったあたりが無難だろう。
そんな二人だが、ルミナのはしゃぎっぷりとは対象的に、ヒイロはやや沈みがちであった。
その理由だが。
(なんだかシアさんが、余所余所しい件)
船内には大小復数の客室があり、シア達ソラリス教団側の人員は、大部屋を会議室として使って、重要な打ち合わせ中らしい。
アンバーから説明があったが、今回もルミナ共々思いきりハブられた形である。
教団の保護下ではあっても教団の一員ではない、という違いはこういうところに出るのだろう。
今までは、ルミナの保護という共通の目的と話題があったが、それが済んで以降接触の機会が激減したのを残念に思うヒイロである。
もちろん、シアはソラリス教団の重要人物で、元々多忙な身だ。何処の馬の骨ともわからん凡夫とキャッキャウフフなんてやってる暇も理由も本来はない。
そういうわけで、現在ヒイロはルミナとともに、満点の星空の下でロマンティックな逢引中なのであるが。
「お兄さん、ルミナと一緒じゃ楽しくない?」
不安げな表情でこちらを見上げる美少女に気づき、ヒイロは「やっちまった」と自省した。
あれからルミナの身の上を聞き、ミニマル過ぎる難民生活のディストピアっぷりにドン引きしながらも、この健気な少女に対して「守護らねば」と使命感を持ったばかりなのだ。
(だってーのに、不安にさせてどうするよ)
確かにヒイロにとって、シアは特別な女性である。しかしルミナを後回しにして良いわけがない。
「そんなことはないぞ? ひとりで見る星空も好きだけど、誰かと一緒だともっと楽しいからな」
ヒイロの言葉に応えるよう、絡めた腕にぎゅっと力が込もると、異能を通じて伝わる「不安」の気持ちが、少しだけ和らいだのが解る。
彼女にとっては、こういう方法で気持ちを伝えるのは自然なことなのだろう。
(
ルミナの持つ異能――ヒルメスの姫巫女由来の――は、まだまだ発展途上なのはもちろん、実は覚醒自体も不完全な状態らしい。
それは先述した通り、異能に覚醒して以降、適切な指導者が居なかった事が原因である。
人の意識というものは相当に複雑で、何層にも重なるパイ生地の如く、常に並行して復数の思考や感情が入り乱れている。意識と無意識、そして相反する感情が同時に存在し複雑に絡み合う状況で、「本心」というものを特定するなど、相応の訓練と経験を積まなければ出来ようはずもない。
幼い頃に覚醒して以降、手探りのように異能を使ってきたルミナには、なにが「正解」なのかを判断する術がなかった。
そんな状態で、複雑な「大人」の心の裡を覗き見てしまえば、あたかも「深淵の怪物」のように見えてしまうのは無理なからぬことではある。
(実際の所、ヤツはちょいと不器用なツンデレ親父だったりするんだが。ルミナにそれを理解しろってのは、酷なことだろうよ。そもそも誰得だし)
預言者として長年鍛錬を積んでいるシアは当然として、ヒイロも師匠との修行の一貫で、座禅や瞑想を始めとした様々な精神的鍛錬を経験している。
それ故ふたりはルミナにとって、初めて触れた「心を読みやすい」存在だったのだろう。
こうして今、ヒイロに寄り添い腕を組んでいるのも、実のところ異能の制御訓練でもある。
サイキックが使えないわりに、表層意識を十二分にコントロール出来ているヒイロは、テレパス系異能の鍛錬の相手としては最適らしいのだ。
そのことを教えてくれたのは、ルミナと同系統のテレパス系能力者であるアンバーだった。
教団本部ならばともかく、この場の人員で適切な指導ができるのは彼女だけであるため、シアの指示で、しばらくルミナの指導に当たることになったそうだ。
「お兄さん、今、ルミナのこと考えてた?」
「そうだな。修行、頑張ってるなってね」
「えへへ♥ 当たったあ」
そのアンバーが提示した最初の修行こそが、彼女もコミュータ内でも行っていた接触テレパスによる送受信訓練だ。覚醒を促すためだったのだろう、幼い頃のルミナも、母とこんな風にテレパスで会話をしていたそうで、とても懐かしがっていた。
今行っているのは、ヒイロの深層意識を避け、表層意識のみを選別して読み取るという初歩的なものらしい。今まで、なまじ異能が強力なせいで、深層の奥まですべて読み取ってしまっており、あまり実用的とは言えない状態だった。不慣れな今は相当疲れるらしく、休み休み何度もチャレンジしているが、成功率はかなり「低め」で、やはり実用にはほど遠い。
(とはいえ訓練初日で「成功」できたことに、アンバーもかなり驚いていたからな)
アンバーの丁寧な指導があったとは言え、本来は何ヶ月もかけて習得する技術らしく、数度のチャレンジでコツを掴んで以降、何度か成功を修めている点に、「姫巫女」の血筋の非凡さが見て取れる。
公然とヒイロとくっついていられる事が嬉しいらしく、ヤル気満々なのも原因らしいが。
ヒイロ自身、その訓練のため何時もより気を抜き、深層へのガードをやや緩めている。先程ルミナを不安にさせてしまったのは、シアのことを考える余り、気を抜きすぎたせいもあったのだ。
しかし、表向きは強力な「精神感応/テレパス」として知られる「姫巫女」の異能は、実際はそれに留まらない、発展性に長け、応用力の高い能力だ。
そのように以前、シアから説明を受けており、実質的には、「姫巫女」という固有能力と言っていい。故に、本来姫巫女を指導するのは、同じ姫巫女であることが望ましいが、改めて言うまでもなく姫巫女の系譜は、ルミナが最後のひとりなのだ。
(教団本部になら、ある程度資料が残っているそうだし、ルミナのためにも、一度は立ち寄る必要があるな)
もっとも、ルミナが「姫巫女」としての生き方を望むかどうかは、別問題だ。
アンバーがこっそり教えてくれたことだが、ルミナの覚醒は、平均的な姫巫女の血筋よりも相当遅いようなのだ。おそらく、母と二人きりの生活に満足してしまい、能力者に最も大事な、「高み目指す」という意識が希薄だったことが原因と考えられるらしい。
出来るなら、ルミナは普通の少女として生きていくほうが幸せなのかもしれないが、ソラリス教団の思惑も含め、きっと周囲の状況がそれを許さないだろう。
「ふにいぃ」
気の抜ける声と共に、不意に片側にずっしりとした重みを覚えて視線を向ければ、べったりとしなだれかかるルミナの姿があった。アンバーのように甘えてきたというより、額に浮かぶ汗を見るに、オーバーワークぎみなのだろう。
「今日のところは、訓練は終わりにしようか」
「えー、ルミナ、まだまだ頑張れるよ?」
不満げに抗議するルミナからは、「甘えたい」という意識が強く伝わってきていた。ヒイロ自身が、彼女の向上心の源になっているのは、良いことなのは悪いことなのか。
おそらくこの状況を予測していたのだろう、無理をさせないよう、アンバーにもキツく言われている。
「それじゃあ、もう少し星でも見ていこうか?」
「――っ! うん、それがいいかも!」
出会いのインパクトも含め、ルミナのヒイロに対する好感度は始めからほぼMAX状態である。将来楽しみな美少女にそこまで好かれて、男として嬉しくないはずもない。
そういう意味でも、ルミナもまた特別な女性のひとりなのだ。
飴でもあげたいところだが、残念ながら手持ちはない。
なので今のヒイロが出来る、特別なものをプレゼントすることにした。
「なあルミナ、真上近くある赤っぽい星が解るか?」
「赤い星? あの明るめの星かな?」
ヒイロの視線を追うよう天を見上げて、ルミナは早速それらしい物に目星をつける。
「星を見る時には、まずは明るさで分けるんだ。一番明るいのが一等星、その次が二等星って感じだな。さっきの赤い星が、だいたい一等星の明るさになる」
「そうなんだ。あ、同じぐらい明るい星が、近くに幾つかあるかも?」
「じゃあこうして拳を握って、真っ直ぐ腕を伸ばして空にかざしてみな?」
例を見せるように天に向かって拳をかざすと、ルミナも見様見真似で同じようにやってみせる。いつぞやの「手の分度器」というやつだ。
「そうしたら、赤い星から拳三つ分ぐらい下の方に、同じぐらい明るい青っぽい星があるのが解るだろ?」
「あ、あった!」
「青い星は、生まれたての若い星なんだ。歳を経るとだんだん赤っぽくなる」
「そっかー。ルミナとお兄さんみたいかも?」
「俺はそこまで歳食ってないけどな!」
この辺りの知識は、元は師匠からの受け売りから始まっている。自分でも色々と調べたりもしたし、大学の天文サークルでもアチコチ遠征して、沢山の星空を眺めて来た。
(だけど、一番心象に残っているのはやっぱり師匠と見上げた夏の星空だな)
そんなことを思い出しながらヒイロは、丁度いい具合に条件に当てはまる「最後の一つ」をチョイスして見せた。
「お空の、おっきな三角形だ!」
「さしずめ、『ガーモスの大三角形』だな。多分、俺達が初めて見つけたものだぞ?」
「すごーい!」
アンバーに聞いたところ、この銀河にも「星座」に類する概念は存在するようだ。しかしガーモスでは、地表環境の厳しさから、星空を見上げる文化は育たなかったそうである。
「あ、でも、他の惑星から見たら、違うように見えちゃうかも?」
「その通り! ルミナは賢いな!」
いきなりそこに思い至るとは、さすが宇宙船が当たり前に飛び交う世界で生きてきただけはある。対してヒイロの小さな頃は、もっと俗っぽい感想しか出なかった。飴玉とか飴玉とか。
「こんなにいっぱいお星様があるのに、お兄さんとルミナ、同じものを見ているんだね。なんだか不思議かも」
星空を見上げて何を思うか。
色々答えはあるだろうが、それはきっと、それまでの人生の鏡写しなのかもしれない。
今のルミナなら、側に居る誰かと同じものを見ることを、大切に思っているのだろう。
「ルミナね、今日のこと絶対忘れないよ。いつかまたここで星空を見上げる時は、お兄さんも一緒に居てくれる?」
真摯な瞳でそんな風に言われて、良い返事しないとか、ありえないとは思わないか?
*
ヒイロが悶々とした想いを天使に癒やされていた頃。
星詠みの女は自室にお籠りしてお独り様で悶々としていた。
胸のうちで渦巻く、行き場のない想いに耐えかね、ポツリとつぶやく。
「明日から、どんな顔をして『彼』に逢えばいいのかしら」
少し前から自覚していたことだが、今日のシアはいつもと調子が違っていた。
内心はともかく、表面的にはもっと自分の感情をコントロール出来ているはずだったのに、今日に限っては、剥き出しの感情を顕にしがちだった。
挙げ句に、護衛の子/アンバーの想定外な行動に焚き付けられ、かなりみっともない姿を晒すことになったが、それ自体はきっかけに過ぎない。
本当の原因は、はっきりと解っている。
(わたしは、ルミナさんに「嫉妬」している)
八星士の星の消失という稀有な惨事から始まった、一連の出来事。
久方ぶりに八星士の導きに携われる事に、シアは不謹慎ながらも心を踊らせていた。
なにより特別に感じたのは彼、異邦人ヒイロ・サンジョウと出逢ってからのことだ。
彼に関わったほんの半日にも満たない短い時間の中で、シアは自分が物語のヒロインになったかのような、そんな錯覚に囚われた。
昔ならこんな役回り、きっと他の者に任せて自分は裏方に回っていたに違いない。けれど彼という存在が、舞台に立つ勇気を奮い起こし、そして優しく背中を押してくれたからこそ、実力以上を発揮して、重要な役どころをこなすことができたのだ。
しかし。
(本物のヒロインでもないわたしが、何時までも舞台に居られるわけないのですよね)
それはもうすぐ、自らに課した「導き手」としての役割が終わることを意味している。
今回の預言への介入行為は、ヒイロに明かした通り、「ヒルメスの姫巫女の保護」が主となるが、裏の目的としては消失した「星海王」の痕跡の確認、およびその立ち位置に現れた赤い星、ヒイロとの接触と、その人となりに触れることにあった。
あと一つ、この星で為すべき役割が残っているが、それが果たされれば、シアの導きなどなくても、彼らだけで自然と道を切り開いて行くだろうと確信していた。
ヒイロ自身、サイキックに適性がない事は少々不安ではあるが、代わりとなる力は何れ手に入れることになるはずだ。
しかし、それはつまり。
(預言に於いて、星海王は姫巫女の伴侶となる存在。今のヒイロさんの役割ははっきりしないけれど、もしも消えた星海王の役割を引き継ぐならば、きっと)
そう考えた途端、彼女の胸が締め付けられるような痛みを訴える。
今は少女のようなあどけなさが勝るルミナだが、あと数年もすれば彼の隣に立つに見合う、魅力的な女性へと成長するだろうことは目に見えている。
大人と子供の中間にある少女という存在。特に恋を覚えた彼女たちが、しばしばそういった華々しい変貌を遂げる存在であることは、同じ女として容易に予測できることだ。
(あのような出会い方をしたのだもの。想いを寄せてしまうのは当然よね)
舞台に立ち続ける資格を持つ少女は、何れは誰をも魅了するであろう一番星として、星々の中心に艶やかに君臨することになるだろう。きっと直ぐ側に、赤い星を伴いながら。
それに比べて今の自分は、手の届かないものを見上げ泣きじゃくるだけの、小さな子どもようだと思った。
(けれど、今悲しいのは、舞台から降りること?)
恐れ躊躇いながらも手を伸ばしたのは、彼女が本当に掴みたかった「星」は何だったのか。
そう考えた事で、シアはようやくその想いを自覚する。
(ああ、そうか。やっぱりわたし、彼に恋をしていたのね)
初めて彼の星の記憶に触れたあの時から、その想いは膨らみ始め、そして今日という短い時間の中、胸の内を駆け巡った数々の想い。沢山の喜びと安らぎ、少しの不安と戸惑い。そして、心奮い立たせる勇気。そのすべては、彼が呼び起こしたものだった。
そう頭で「理解」することで、シアは自分の気持ちに整理をつけた。
つけてしまったのだ。
(彼のためにも、この役割、しっかり成し遂げないとね)
つい先程まで、護衛娘たちや側近達を交え、シアは今後の行動指針について話し合っていた。
地上で「すべき事」はすべて終わり、次の目的地である最寄りの軌道エレベータへは明日早朝には辿り着く予定だ。
(そこには、この星で出逢うべき最後のひとり……ルミナさんに並ぶ、重要な星が待っている)
いわゆる「八星士」という存在に関しては、おとぎ話の類として姿を変え形を変え、銀河各地に伝わっている。
しかし、その真の姿と意味については、永らく教団内部で秘匿・共有されてきた。
それは八星士の系譜である当人が知ることで、大局が乱れる可能性を懸念したからだ。
今のヒイロに対し、すべてを打ち明けられなかったのも、それが理由だった。
――星海王/スターキング。
――星照妃/スターライトプリンセス。
――星霊卿/アストラルロード。
――星銀の刃/アルカナブレード。
――破壊者/デストロイヤー。
そして、ヒルメスの「姫巫女」。
これらが、現在シアが把握している八星士――そのうちの7つ――を現す異名である。
彼らはそれぞれの名が象徴する役割を担い、銀河の何処かで出逢いの時を待っている。
そして「星」を冠するものが多い中で例外的なものが、ふたつ。
それがルミナである「ヒルメスの姫巫女」、そしてこれから出逢うだろう「破壊者」だ。
前者はソラリス教団にとって最も縁の深い血筋に由来するため追跡がしやすく、故にフォローも入れやすい存在である。初代ルミナ自身そのことを把握しており、姫巫女として為す役割は、「代替わり」と呼ばれる儀式によって、代々引き継がれている。
それは今のルミナも例外ではない。例え当人の記憶に無かったとしても、儀式の手順を含めて、魂の奥底に刻みつけられた最重要情報である。
八星士の中核を為す、もっとも重要な存在こそが彼女なのだ。
そしてもうひとりの例外、破壊者は、他の星と異なり為すべきこと、及び役割がはっきりと決まっている。
その物騒な二つ名は文字通り、「破壊」の力を司る。しかしただの暴力装置ではなく、破壊により閉塞した状況を打破するためのものだ。
そのため、この役割に選ばれる者の多くは、圧倒的な武力を持ちながら、怜悧な知恵者でもある。例えば先代は、ヒルメス軍の智将と称えられた老練の武人であった。
八星士の中で、姫巫女が高いカリスマ性で多くの民を導く存在であるのに対し、参謀格としての立ち位置となり、その知略を以て勝利を導く存在でもある。
そんな正反対な二星を繋ぐ存在、それこそが「星海王」だ。
もっとも、現在その星はあとかたもなく消え去り、ヒイロを意味する赤い星がその代役をこなしている恰好になる。
(今代の破壊者は若い女性と聞いています。預言に従うならヒイロさんを想う人が、もうひとり。いったい、どんな女性なのでしょうね)
運命の傍観者として、今までどおり一歩引いた位置で、彼らを見守ろうと決めたシア。
しかし、胸の内にくすぶる小さな炎がまだ消えていないことは、「大人の女性」らしく、見て見ない振りをした。
頬を伝う熱い物、その意味すらも、小さく固い心の蕾に閉じ込めて。
*
大炎上確定の火種から一度視点を移して、ここは惑星ガーモスの遙か上空に鎮座する巨大構造物。
惑星ガーモスを囲むオービタルリングから延びる、三本の軌道エレベータそれぞれに存在する「静止軌道ステーション」、そのうちのひとつである。
その役割は宇宙船の離発着、及び補給やメンテナンスが受けられる停泊地、いわゆる「宇宙港」であり、特に「第三ステーション」と呼ばれるここは、軍港である第一、第二と異なり、民間に開放されている唯一の場所である。
ここには各国の大使館や迎賓館、外国人居留地など政治色の強い場所もあるが、中心となるのは交易関係者が営む巨大な商業区、観光客を目当てとするカジノなどの娯楽施設を擁し、様々な人やモノが行き交う賑やかな印象を持つ場所だ。
やや禁欲的な傾向にあるガーモスの地下街とは異なり、ここを行き交う人々は一般的な旅行客のみならず、荒っぽい宇宙船乗りや傭兵など、いわゆるトラブルメーカーになりうる存在も多々見受けられる。
基本的な有事対応は、ガーモス地上軍より派遣される、アンドロイド兵達による治安維持部隊、通称「湾岸巡視隊」が行うが、そもそも有事に至る前に、各組織ごとに独自に掟/ルールを設け、治安維持に貢献している部分もある。
そして、そんな歓楽街の一角、ちょっと小洒落た雰囲気のバーのカウンターにひとり、若い女性の姿があった。
落ち着いたディープパープルの髪は、項が見えるほど短く切り揃えられた、軽く頬に掛かるレイヤードボブ。
モノトーンなオフショルダーのハーフジャケットと合わせたパンツルックは、D環付きのポケットがあしらわれ、バーチェアのフットレストにかけた足には厚底なハイカットブーツと、やけに実用的で、全体的にマニッシュな雰囲気がある。
もっともジャケットは脱いで隣の椅子に掛けており、今はホルターネックの黒いサマーニット姿と、それだけで童貞サンがミリ妙で瞬殺される勢いである。
その上で、無防備にも顕になる細身な上半身、シミ一つない、ほんのり赤みがかった健康的な素肌とのコントラストが、薄暗い店内で鮮やかに映える。そして緩やかに括れた腰から、やや大きめなヒップにかけてのSラインカーブが非常に艶めかしく、そんな危うげなアンバランスさが、彼女の持つ女性としての魅力を殊更際立たせていた。
「さしずめヒロイン参上、といったところでしょうか?」
などとメタっぽいことを言いつつ、彼女はグラスの中を満たす「真っ白な液体」を一気に飲み干すと、空になったそれをコースターの上にコトリと置く。その言葉遣いや仕草の端々からは、上流階級を思わせる上品さが伺える。
「マスター、もう一杯お願いするわ」
何らかの獣人種だろう、カウンターにてグラスを磨いていたケモミミ持ちの大柄な男は、短くため息を付きながら、内側がうっすらと白く染まるグラスを手にする。
「これ、口当たりが良くても結構強いんだから、そんな飲み方しちゃだめよ?」
どうやらおネエ系らしい、見た目にそぐわぬ穏やかな語り口で、マスターはここ半年足らずですっかり馴染みとなった上客を気安く嗜める。
言いつつも、手際よく幾つかのリキュールのボトルを手にし、淡々とオーダーに応えるあたりは、さすがプロフェッショナルと言える。
「あなたはわたしの母上ですか?」
半眼になって抗議を述べるが、別に怒っているわけでもなく、軽く酔いが回っているのだろう、むしろ楽しげである。
チェイサー代わりに、柑橘系のジュースをちびちび飲みながら、ため息混じりに頬をほんのり染める姿には、見た目の年格好にそぐわぬ艶が乗っている。
そんな、一見「隙だらけ」な極上の餌が眼の前にぶら下がっているのだ。
酔ってタガの外れた男が、ついつい惹き寄せられるのも、無理なからぬことである。
「おいおい色っぺえ姉ちゃんよ、なにひとり寂しく呑んでんだ?」
などと言いつつ、馴れ馴れしい態度で大柄な男が隣に座る。
そして大胆にも、女性の肩に手を回してきた。
粗野な雰囲気からして、おそらくは傭兵の類であろう、ひと稼ぎした後の祝杯でも上げ、勢いで何件かハシゴして来たと見える。
相当酔いが回っているらしく、真っ赤になった顔でケタケタと笑いながら、無言になった女性へとまとわりつく。俗に言う、うざ絡みというやつだ。
「ちょっとお客さん、見ない顔だけど、他のお客に絡むのはやめてくれないかしら?」
ただ隣に座って飲むだけなら大目に見るつもりだったが、この一見客の痴態は流石に目に余る。そう判断して嗜めるマスターだったが、それで聞き分けるほど行儀の良い輩ではなかった。
「おいおい、こちとら客だぞ? 金なら持ってんだ。マスターなら黙ってグラスでも磨いとけや!」
予想通りの反応に短くため息をついて、マスターは先程から大人しいままの女性へ視線を移す。そして申し訳なさそうにこう告げる。
「悪いけど、お相手してやってくれない? 奥の部屋、使っていいから」
「シャワーも、借りていいかしら?」
「お好きなだけどうぞ」
そんな二人のやり取りを聞いて、男は下卑た笑みを浮かべる。
「なんだ、『店付きの女』だったのかよ。そうならそうと言ってくれや」
「『それ』専門ってわけじゃないけど、マスターに頼まれたなら仕方ないわ」
粗野な男の腕の中で、女は諦めたように深くため息を付く。
あまり乗り気でない様子から、女がこの手のことに不慣れな印象を男に与えた。
「姉ちゃん、今まで何人相手にしてきた?」
「そんなの、いちいち覚えてないわ」
周囲の客たちは、この哀れな「贄」を、見て見ぬ振りをした。
薄情と言えば薄情なのだろうが、誰しも無用なトラブルには巻き込まれたくはないのだ。
この先「何が起こるのか」を、知っているのならなおさらであった。
「やるのでしょう? さっさとお立ちなさいな」
「ここでか?」
「お望みとあらば」
「まあ、精々楽しませてくれや」
女の沈黙を肯定と受け取ると、男はさらに大胆な行動に出る。肩に回した手を、そのままゆっくりと下へと降ろし、ホルターネックの脇から突っ込もうとしたのだ。
「んあっ、いきなり何をするの!?」
今まで顔色ひとつ変えなかった女が突然見せる初な反応。お高く止まった態度が「ただの強がり」だったと判断し、男は嗜虐心をそそられた。
焦った表情で抵抗を始めた女を無視し、そのまま胸元を弄りだす。
直後、ふと真顔になって、こう呟いた。
「なんだよ、ぺったんこじゃねえか」
(((ああ、よりにもよって一番言ってはならんことを!)))
次の瞬間、マスターを含め、店の常連たちは一切の望みを捨てた。
地獄の門が音も立てず無慈悲に開くと、直後、その奥底から怨嗟の声が響き聞こえる。
「死にたいのですか?」
深い酔いすら一発で覚ます強烈な殺気に、男はすぐさま女から距離を置いた。
傭兵稼業でそこそこ稼げて居るのだろう、それなりの危機察知能力があるようだが、できればもっと早く気づいて欲しかったとは、常連客達の心からの声である。
「酔いが覚めました。せっかくの良い気分が台無しです」
破廉恥男を冷たく睥睨する女に、マスターはカウンター越しに囁きかける。
「できれば、程々でお願い。ノーランクで『初犯』みたいだし」
「不本意ですが、善処しましょう」
どうやら男の犯罪履歴を照会していたらしい。眼の前に広げていた小さなホロウィンドウを、指で弾くようなジェスチャで消して、マスター――正確には「傭兵ギルド・ガーモス支部」の――は、事後処理を想定して執務室である奥の部屋へと引っ込んだ。
「手慰みに軽く揉んでやるつもりでしたが、まさか揉まれるとは思いませんでした。『傭兵の流儀』も知らぬド素人が」
多少の狼藉も力を示せばまかり通る。それが彼女の言う「傭兵の流儀」というやつだ。
徹底した実力主義、それが傭兵の世界における最大のルールであるが、悲しいかな、時折勘違いした「無法者」まがいな連中が出ることがある。
そうなる前に、血気盛んな新人/ニュービィの鼻っ柱をステゴロでへし折り、上には上が居ると知らしめるのも先達の役目と、「ギルド付き」の高ランク傭兵は、時折こんな役目を押し付けられる。
彼女自身、数え切れないほど挑まれ、この「試しの儀式」を引き受けたものだが、もしも自分を返り討ちに出来るほどの益荒男なら、その将来性を買ってこの身を任せても構わない。そう覚悟をさせるほど重みのある儀式でもある。
しかし、そこそこ実力はあるようだが、この業界に入って日が浅いであろう男は、そのあたりの知識も経験も浅かったようである。
こいつの指導に当たった同輩にも、相応のべナルティが課せられるだろうが、今は最優先にすべきことがある。
「おしおきタイムです」
バーチェアをくるりと回し、後ずさった男へ向き直ると、彼女は軽やかに一歩前へ踏み出しつつ、その細い左腕を真正面に振り上げた。
ただの罪人と認定した男へと突きつけられた腕、それは一瞬にして別物へと変化する。
やけにごつい大型射撃デバイス、それは腕部擬態型の「サイキックバスター」だ。
突然目の前に現れた凶悪な逸物を前に、しばし何が起こったのか理解出来ないでいた男だったが、今更ながら彼我の「戦力差」を認識出来たらしい。
その表情が、一瞬にして恐怖に彩られる。
そして何かに気づいたらしい、恐怖が限界を越えたのか、男はいきなり饒舌になって語りだす。
「お、思い出したぞ! 左腕に大型『狙撃銃』を移植した、イカレタ女傭兵の噂を」
店内に居た常連客――何れも熟練の傭兵――たちも、個々に防御措置を講じて、事態の顛末の傍観を決め込んだ。
そんな薄情な先輩方の反応など目にも入ってないだろう罪人は、それで状況が好転するかのような強迫観念に囚われつつ、懸命になにかを思い出そうとする。
そして、ついに思い出したのだろう、声を震わせつつ「その名」を叫んだ。
「破壊者/デストロイヤー、ミリア・ヴァイロン!」
「その二つ名、あまり好きではありません」
逆効果であった。
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