第六話 天は自らを助くるものを
「その子が受けた『特別な思考矯正』ってのは、例えば洗脳レベルのものか?」
面会先へと向かう直前、シアと打ち合わせをしていた護衛の一人が発した言葉を耳に止めて、ヒイロは躊躇なく聞き返した。
空間演出を解除したことで、生活感溢れる様相に戻ったスタッフルームには、五人の護衛少女がシアを囲んで今後の行動指針についての確認、及び各種報告などを行っている。
彼女らは、それぞれ「アンバー/ローズ/ラピス/アッシュ/ライム」と名乗った。髪色を元にしたコードーネームだが、それ自体、薬品などで任務ごとに変えているそうである。
そんな彼女たちとは少し距離を置き、入り口に近い場所で椅子に座ったまま「待ち」の姿勢でいたヒイロだが、聞かれてまずいことであれば、わざわざ目の前で話したりはしないだろうし、むしろ「聞かせていた」と判断したからこその問いかけだ。
それを肯定するよう、ヒイロの一番近くに居た少女――アンバーと名乗った――が向き直って小走りに近くまで歩み寄ると、碧い瞳で真っ直ぐに見つめながら、静かに応えた。
「ヒイロ様がご存知の通り、通常施される思考矯正措置は、軽めの警告を与える程度のものです。しかし、面会対象者に施されたものは、行動・言動の強制まで伴う、『それ』に近いものでした」
どうやら密偵のようなことまでしてくれるらしい彼女達は、シアの指示で成人式に出席しなかった少女を追跡し、その事実を突き止めてきたようである。
なお、これまでヒイロが会話に加わらなかったのは、空気を読んで口を挟まなかっただけだ。小腹が空いたのを察してくれた、眼の前の子からもらったソフトクッキー的携帯食が、思いのほか美味だったせいではない。ちなみに帝国製カロリーバーを食った感想を述べたところ、彼女にドン引きされた。解せぬ。
「しかし、当人の意向を無視して、そういう措置を施すのは、帝国法的にアウトなんじゃ?」
そう真顔で返すヒイロに対し、護衛の子は、低く抑え気味の声のまま、きっぱりと応える。
「抜け道なんて、いくらでも有りますよ。法に不備はなくても、運用するのは人間ですから」
その突き放したような物言いは、彼女を見た目以上に大人びて見せた。ただの想像でしか無いが、彼女たちは皆、ヒイロが思いもしないような厳しい世界の現実を見てきたのだろう。
(そんな理不尽、この世界でも路傍の石のようにありふれたものなんだろうな。俺みたいなサイキックも使えない「凡人」なら、出来る範囲で最善尽くす程度だろうけど、しかし、なまじ力があるからこそシアさんは余計に苦しむ事になる……か)
そう思いにふけるヒイロに、少女はやや前屈みになって、キスをするような距離まで静かに顔を近づけた。
不意に近くに感じた気配にぎょっとするヒイロだったが、そのまま彼女は明るいブラウンの髪を揺らしながら、耳元に唇を寄せ囁く。
「ヒイロ様のような『特別』な方がシア様のお側にいてくれるなら、わたし達も安心出来ます」
それだけ言うと、直ぐに一歩引いて距離を取り、暖かな視線でヒイロを見つめる。
一見地味めな少女の小悪魔めいた仕草に、ちょっとドキっとしたヒイロだったが、ふと彼女の「所属」を思い出す。
「あ、もしかして、『読んだ』?」
「さて、どうでしょう?」
人差し指で唇を抑えつつ、楽しげな口調でそう言うと、くるりと身を翻して表情を隠すようフードを目深にかぶる。
「シア様のこと、よろしくおねがいします。わたし達は、招かれてはいませんので」
それだけ言うと、彼女は仲間達の元へ戻っていった。
*
「ではシア様、そちらにどうぞ」
深い赤色の絨毯が敷き詰められた室内、その中央に据えられたブラウンウッドのテーブルセットの側に立った少女は、にこやかな表情を浮かべつつ、シアを向かいの席へと促す。
それを受けてヒイロが椅子を引くと、シアは小さく会釈を返して、ゆったりと着席した。
護衛の子に言われたからではないが、ヒイロはシアのサポートを全うすべく、気合を入れている。
実際にはどこかに隠れ潜んでいても、まったく違和感ないのだが、一応彼女らは、建物の外で待機していることになっている。
今この場に居て、シアを守れるのは自分だけだと意識すると、自然と身が引き締まるといったものである。
「それでは、『ルミナ』さん、とお呼びしても?」
「流石にご存知でしたか。ですが、収容所内では母以外に、その名で呼ぶものは居ませんでした」
そう言って、癖なのだろうか、片手で耳掛けにした髪を撫でる。耳元のやや大きめな髪留めには、制服の襟章と同じ歯車を思わせる紋様が描かれている。これは銀河帝国のシンボルなのだが、女性向けアクセサリのデザイン的には非常に浮いて見えた。
「今のわたしは、二等技師204号と呼ばれています。いずれ一級市民となった時には、改めてその名を名乗ろうと思っています」
「なるほど、そうでしたか」
そうしてお互いに改めて自己紹介を交わして、シアは今回の面会の趣旨を説明。
ルミナの承諾を確認すると、そのまま本題へと入る。
「それではソラリス教団を代表して、難民保護協定に則り、当方の意向をご説明させていただきます」
落ち着いた雰囲気のまま、幾つかのホロウィンドウを開き、その記述をひとつひとつ丁寧に説明する。
ヒイロとの交渉が、いい具合に予行演習になっていたようで、シアは危なげなくソラリス教団側の条件を提示していく。
途中、ルミナからも幾つか質問が飛び、それに対してシアも迷うことなく答えていく。
護衛の子たちとの雑談で聞いたことだが、なんでもシアは、「女教皇」という異名を持つ、ソラリス教団の偉い人の愛弟子らしい。今見せてくれるその堂々とした物腰は、外交交渉に於いて鬼札として各界から恐れられる、凄い人の薫陶を受けただけはあると、納得させられるものがあった。
(やっぱシアさん、やれば出来る人なんだなあ)
微妙に上から目線で失礼なことを考えながら、ヒイロは黙って二人のやり取りを見守った。
「つまりは、教団としての被保護者へのスタンスは、自己責任が基本、ということですね」
ヒイロが指摘したことと似たような部分を確認しつつ、ルミナはシアを相手に、全く臆することなく応対している。その堂に入った態度と大人びた雰囲気に、ふとあの時の護衛の子を重ねてしまう。
年格好、背格好とも同じような感じではある。しかし、どちらが魅力的かと問われれば、迷いなく護衛の子に軍配が上がるだろう。
(食い物貰った相手に弱いとか、俺どんだけ食いしん坊キャラなんだか)
そんなことを考えていたヒイロだったが、ふとルミナがこちらに視線を向けている事に気づく。
一瞬ばっちりと目が合ったが、直ぐに視線を逸らされた。
内心の緩みが表情に出ていたのだろうかと、今一度気を引き締める。
その後、何度かのやり取りがあって、無事一通りの説明が終わるが、直後、ルミナは躊躇なくきっぱりと応える。
「とても魅力的な条件ですが、やはりわたしは、帝国を去るわけには行きません」
シアはシアで、こうなることを知っていたかのように、なんの動揺も感じさせることなく、冷静にひとつ問いかける。
「よろしければ、理由をお聞かせ願えませんか?」
「帝国には長年、母が難民としてお世話になっていました。その恩を、娘のわたしが返さなければと思っています」
「立派なお考えですね。お母様も、さぞお喜びでしょう」
わりと際どいその言葉に、一瞬だけ言葉をつまらせたかと思うと、ルミナは取り繕うような笑顔を見せ、話題を変えてきた。
「まだ、予定まで時間がありますし、少しお茶でもいかがですか? 名にし負う『星詠みの巫女』様の事、色々お話を伺いたいです」
そしてホロウィンドウを操作すると、空間の一角からアンティーク調のティーワゴンが現れ、その上にはティーセットがひと組乗せられていた。
ルミナは手慣れた感じでお茶をサーブしていくのだが。
(ティーカップ、2個しかないよね?)
どうにもヒイロは「居ないもの」として扱われているようだが、その割には彼女の視線が、時折こちらに向くのには気づいていた。
ヒイロは少し思案した後、片手を上げて二人の会話に割り込む。
「話も一段落したようだし、すまないが自己紹介は、いいかな?」
「あっ」
どうやらシア自身、すっかり忘れていたらしい。ちょっぴり悲しい気持ちになりながらも、ヒイロは気丈に自己紹介を始める。
「付き添いのヒイロ・サンジョウだ。異邦人をやっている」
「た……ヒイ、ロ……エト、ランゼ……です、か」
先程までの流暢な言葉遣いとは程遠い、妙な歯切れの悪さに違和感を覚える。
何かヤラカシたのではないかと戦々恐々としつつ、どうしたのものかとしばし様子を伺っていると、少女はやや戸惑ったような表情のまま、問いかけてきた。
「た……立ったままで、お疲れではないですか?」
確かに、用意されたテーブルは小さな二人がけで、ヒイロの席はない。
だから、シアの斜め後ろに護衛のごとく佇んでいたわけだが、この程度は別に苦でもない。
そう伝えるため、口を開こうとしたヒイロだったが、少女は答えを待たなかった。
「座るものを、ご用意しましょう」
そう言いつつホロウィンドウを手早く操作すると、シアの座る隣に、シンプルな背付き椅子が現れた。
それと同時に、デザインを合わせた低めのテーブルも出現する。
「剣を、お持ちなのですね。手荷物でしたら、そちらのサイドテーブルにどうぞ」
そうしてにこりと微笑むと、彼女は再びシアのほうへと向き直って、会話を続ける。
その素振りに先までの不自然な感じはなく、それは貴人に相応しい気品溢れる受け答えだった。
(なんだったんだ?)
そう疑問に思いつつも、せっかく用意してくれたのだからと椅子を引き寄せようと手をかける。
しかし、その手は見事にすり抜ける。
(背もたれに「当たり判定」がない? デザイン的な問題か?)
もう一度、掴む場所を変えて見てはすり抜け、そして角度や速度を変えてもすり抜ける。
何度やっても同じことだった。
もしやと思って、サイドテーブルのほうにも手を伸ばすが、やはりすり抜けた。
(ただの立体映像じゃん!? てっきり空間演出の上位バージョンで、物質化してるのかと思ってたのに!)
事前にビームセイバーを見たこともあり、この手のものがあってもおかしくないと決めつけていたのだが、どうやらそれは間違いだったようだ。
「だ、大丈夫ですか、ヒイロさん? 何か、妙な事になっているみたいですが」
心配そうな表情でこちらを伺うシアを横目に、ヒイロはルミナを注視する。
「楽しんでいますか? 素敵な椅子でしょう? 消すこともできますよ。 点滅だってできます」
にこやかな表情のままこちらを向くと、少女はまた脈略もないことを話し始める。
「単純でしょう? 少しは気づきませんか? 結構頑張っているのです。手短にどうぞ」
(なんの嫌がらせ? もしかして俺、この子に嫌われてる?)
けれど、黙ってこちらを見つめる眼差しに、ヒイロはどこか鬼気迫るものを感じ取り、はたと気づく。
(間抜けか俺は!! この子は今、自分の意志で自由に話したり、行動したりができないんじゃねえか!!)
そして今までの彼女の奇妙な言動を思い返す。
そこには、一貫して一つのメッセージが込められていた。
(頭文字でタ・ス・ケ・テかよ! 宇宙でも縦読み文化ってあるんだな!!)
なお、帝国語からの翻訳で、何故縦読みが成立するのかは考えてはいけない。宇宙の深淵に飲み込まれかねない事象である。
おそらくこの「洗脳」措置は、あくまでも今回のシアとの対談を乗り切ることを想定したものなのだろう。
だから部屋にはヒイロの椅子が用意されておらず、ヒイロが居ないものとして扱われていた。
そして、彼女は気づいたのだ。
居ないはずの存在、「ヒイロ」に向けて話す時だけは、ある程度の自由が効くと。
かと言って、そのまま助けを求めるような言動は、発することが出来なかった。
そこで考えたのが、「思考矯正」の網を抜けるべく、暗号めいたメッセージを話すことだった。
「たべものの、メニューはこちらです。
すきなものを、選んでください。
けーき、がお勧めです。
てんにものぼる、美味しさです」
ホロウィンドウに表示されたデザートの一覧には、「ケーキ」なんてものは無かった。もしかしたら、彼女自身食べたこともないのかもしれない。
「ケーキなら、いい店を知ってるんだ。今度一緒に食べにいかないか?」
「たいへん、うれしいです。
すてきな、お申し出ありがとう。
けっこん、してもいいです。
てを、握ってもいいですか?」
言いつつも微動だにしない少女へ一歩近づいて、無理やりその手を取る、その直後。
『お願い、ヒイロお兄さん! ルミナを助けて! ルミナをここから連れ出して!!』
脳内に直接響いてくる、その悲痛な叫びこそ、素の彼女なのだろう。
今まで交わしたものと比べ高貴さの欠片もない、まだ幼さの残る言葉遣いは、けれど彼女のイメージにぴったりだと思った。
(ああ、そういうことか)
そしてヒイロは、色々なものが腑に落ちるのを感じた。
どこかで聞いたことのある「声」だと思っていた。ご近所に住んでいた小さな幼馴染っぽいとも思ったが、少し違う。
(そう、この世界に「呼ばれる」直前に、聞いた声だ)
「君は、言ったよな? 『誰か助けてよ!』って。俺には、そう聞こえた」
――天は自らを助くるものを助く。
それは「誰にも頼らず」、ひとりで事を成し遂げようとする者への天からの祝福だ。
ああ、それは実に神様らしい。神の奇跡を得るなら、そのぐらいの気合と覚悟は必要だろう。
けれど、とヒイロは思う。
誰にも「頼れず」、自由すら奪われながらも、それでも最後まで諦めなかった少女が助けを求めたなら。
奇跡なんて、だいそれたものは要らない。必要なのは、ただ一歩を踏み出す勇気。
(だったらそいつは、俺の領分だ)
『ルミナの声が、聞こえたの? 助けてって言ったの、届いたの?』
「届いたさ。だから、俺が来た」
なんとか掴めたその小さな手を、ヒイロは放さないようしっかりと握りしめると、張り付いた笑顔のまま、少女はポロポロと涙を流す。どうやら涙腺はコントロール対象外らしい。
「こんなカワイイ子を泣かすとか、こいつは、ギルティってやつだな」
「ええ、まったくですね」
穏やかではあるが、どことなく平板さを感じる声音のシアへと、ヒイロは苦笑しつつ視線を向ける。
「えーっと、それで、どうしたもんでしょうかね?」
カッコつけたはいいものの、実際これからどうしたものかと考えあぐねてはいたのだ。
いざとなったら、この子を抱えて逃げることになるのだろうが、さすがにそれは最終手段だ。
「そのご様子では、ルミナさんの『意志』を、確認したのですよね?」
「そこは、確かに。テレパシーの類かな。たしかヒルメスの姫巫女が得意とする希少技能だったか」
「ええ、ちゃんと覚えていたみたいで、なによりです」
終始笑顔のままだが、シアからなんとなく不機嫌そうな雰囲気を感じて、ヒイロは若干引き気味に尋ねる。
「もしかして俺、なにかヤラカシましたか?」
「え?」
やけに腰の低いヒイロを見て、如何にも心外と言った風に、シアは目を瞬く。
しばし間を置いてから、傍らのルミナをちらりと一瞥し、また思案すると、はたと気づいたように頬を赤らめる。
「どうしました?」
「ああ、えっと、はい。どうやら、『目的』は果たされたようです。ヒイロさんがヤラカシたお陰で」
最後に付け加えた一文をやたら強調したシアは、短く嘆息してから何時もの笑顔に戻る。
「じゃあ、ここからがわたしの見せ場ですね」
*
もとよりこの面会の後、「総督」の元ヘ挨拶に向かう段取りになっていたようで、シア達一行はアンドロイドの案内よって最上階行きのエレベータへと向かった。
『ヒイロお兄さん、ルミナのこと、置いていかないよね?』
いつの間にかぎゅっと握り返されていた少女の手を、流石に振りほどく気にはなれなかったヒイロだが、一緒に部屋を出て移動するにはひと工夫必要だった。
無許可での外出を禁じられているらしい、ルミナの手を引いて部屋から連れ出そうとしても、入り口のあたりで完全に動かなくなってしまうのだ。
色々と悩んだ挙げ句、結局ヒイロはルミナを「お姫様抱っこ」することで解決した。
部屋を出た先で降ろせば歩いて戻ろうとするが、抱えた状態から抜け出そうと抵抗しないのは不幸中の幸いか。
『ルミナ、これ知ってる。結婚式とかのスナップで、見たことあるかも』
身を守ることが優先されているのか、ヒイロの首元に回した華奢な両腕にぎゅっと力が篭もる。
密着度が増したせいか、雑多な感情が入り混じって伝わってくるようになったが、主たるは嬉しさと期待感、若干の不安、そしてヒイロへの好意といったところだろうか。
矯正されているはずのその笑顔が、どことなく内心と同調しているように見えたのは気のせいではないらしい。
そうこうしている間に、エレベータは最上階に到達、毎度のごとくアンドロイドの先導で、件の執務室前にたどり着く。
そして中で待っていたのは、オリーブドラブをベースにした、軍服っぽいスーツをまとった、初老の男性である。ルミナを抱えたまま入室したヒイロに一瞬だけ目を剥いたが、彼は軽く咳払いをして後、何事も無かったようシアへと向き直った。
「ようこそおいでくださいました、『星詠みの巫女』殿。殺風景な場所で申し訳ありません」
「いえ、急な申し入れにも関わらず、この度は最大限のご配慮を頂き、ソラリス教団を代表してお礼申し上げます」
その様子から見ても、教団の全権大使であるシアの立場は相当に強いようである。
如何にも苦労人という雰囲気をまとう彼から、実用一点張りの応接セットへと促され、シアは一部の隙も感じさせない優美さでソファに身を鎮める。
そしてヒイロは、ルミナを抱えたままということもあり、そのままシアの斜め後ろあたりで待機した。傍から見ればシュール極まりない光景だが、総督殿は見なかった事にするらしい。
そして慇懃無礼とも言うべき態度で切り出したシアは、無事ルミナから「受け入れの意志」を確認したことを報告。その際、ルミナに対する洗脳まがいの思考矯正ついては一切触れなかったのだが。
「保護協定の定める条文、『難民の意志を無視した不当な搾取、また暴力を加えた場合は、保護国としての資格を失う』、という項目についてはご存知ですよね?」
そしてそこから先は、まさに「シア無双」であった。
ヒイロVS総督の血湧き肉躍るガチムチバトル?
そんなものはない。平凡な大学生に変な期待をしてはいけない。
ヒイロ自身、帝国における難民の待遇に関してはきっちり説明を受けていたし、一番の懸念だった、「虐待」に関する事項についても、ばっちり頭に入っていた。わざわざ資料をまとめてくれたアンドロイド様様である。
今回の難民保護協定に関しても、締結国の現地法も合わせて多数該当項目があったが、言ってることはどこも大差ない。この辺りの価値観は普遍的なようで、ひとまず安心したことを覚えている。
(まあ、あの子が言っていたように、抜け道はいくらでもあるんだろうが)
今回も置物状態となったヒイロだが、現状お姫様達の守護役という立場に変わりない。
油断なく総督や周囲の状況を観察するが、その時ルミナから伝わってくる感情に、若干の変化があったことに気がつく。具体的には、総督に対する悪感情のそれだ。
「総督のこと、嫌いなのか?」
お姫様抱っこな体勢を利用して、ルミナの耳元で囁くと、首に回した両腕に力を入れ直し、直後、怒涛のごとく思念を送ってきた。それは総督に対する辛辣な悪態の嵐である。
曰く、目つきがいやらしい。何かと干渉してくるのがうっとおしい、笑顔が胡散臭いなどなど。
さらには、この能力にて把握した彼の感情、ルミナを通した亡き母への「強い執着心」、それに対する嫌悪感などが滔々と語られる。
それらを聞いている内に、今も目の前でシアにやり込められる一見強面のオッサンが、ヒイロの目には何処にでも居るような、くたびれたお父さんのように思えてきた。そして、はたと気づく。
(もしや今のルミナって、思春期的なアレか?)
そこに思い至ったのとほぼ同時に、シアは仕事を終えたらしい。
「さあ、もう大丈夫ですよ、ルミナさん。ですよね、総督殿?」
そう言って肩越しに向けるシアの笑顔に、どことなく攻撃的なモノを感じ、ヒイロは不意に居心地が悪くなる。
見れば、向かいに座る総督も、相当疲れたような雰囲気を漂わせていた。
「……そ、そうだな。では二等技師204号。只今より、その任を解く。お前は自由だ」
「了解しました」
『もう、降ろしてください、ヒイロお兄さん。ちょっと名残惜しいけど』
総督への返事と重なるように送られてきた思念に従って、ヒイロは彼女を優しく床に立たせる。
そして両腕が自由になった瞬間、眼の前に復数のホロウィンドウを展開、目まぐるしいスピードで何やら操作したかと思えば、耳元の髪留めに手を伸ばして無造作に外し、そして明後日の方向に放り投げた。
「やっと普通に話せる!」
如何にも少女然とした自然な笑顔を浮かべ、ルミナはヒイロの腰元に両腕を回してぎゅっと抱きついた。
「ありがとう、ヒイロお兄さん! ルミナ、もう自由なんだね!」
「お礼ならシアさんに言いな。俺自身、なんもしてないし」
言ってて情けなくなってくるが、事実なんだから仕方ない。そう自虐するヒイロに対して、ルミナは訝しげな表情を浮かべる。
「そんな事ないと思うけどなあ? でも、わかったよ、ヒイロお兄さん!」
そう言ってシアへと向き直り、ルミナは無邪気な笑顔でお礼を述べる。
「わたしのこと迎えに来てくれて、ありがとう! シアさんみたいな人が親権者になってくれたらいいなって、わたし、ずっと思っていたの」
「ええ、どういたしまして。わたしもルミナさんを迎えられて、とても嬉しいですよ」
女神の如き笑顔を見せるシアさんの言葉に、感極まったのかルミナはうっすら涙を浮かべた。
そんな心温まるやり取りが繰り広げられる中、ソファに深く身を沈めつつ、難しい顔をしている男が居た。
「何か、言いたいことでもあるのかね?」
この状況を作るきっかけになったであろうイレギュラーに向けて、男は不機嫌そうな視線を投げつつそう言った。
そんな彼に対し、ヒイロはしばし熟考して応える。
「そうだな、無いこともないな」
言いつつ、シアに向かって目配せすると、彼女は小さく頷いて応える。みなまで言わずとも察してくれるのが、互いの気持ちが通じ合っているように思えて、なんだか嬉しいヒイロであった。
「それじゃルミナさん、所属変更に関しての手続きはまだ少し残っていますから、ちょっと部屋を出て打ち合わせしましょうか?」
「んー、わかったかも?」
ルミナもルミナで察してくれたらしい。すこし名残惜しげではあったが、ヒイロから身を放して、ソファから立ったシアの元へと駆け寄る。
「それじゃヒイロお兄さん、また後でね!」
元気に手を振るその姿に、ヒイロも同じように手を振って応える。
そして華やかなふたりの姿が消えた後のこの部屋は、辛気臭い表情のオッサンと、気まずそうな表情の青年が残された。
何時までもお見合いしているつもりも無いので、さっさと要件を済まそうと口を開こうとしたヒイロだったが、同じようなことを考えていたのだろう総督に先を越された。
「異邦人ヒイロ・サンジョウ。お前が報告にあった、スパイ容疑者か。サイキック反応もない無能力者だとは聞いていたが」
(ああ、やっぱ俺、サイキックないのね)
改めて突きつけられた事実に若干打ちのめされつつも、ヒイロは気を取り直して真顔でこう尋ねる。
「あんた、おっぱいは好きか?」
「は?」
見つめ合ってきっかり5秒。
何を聞かれたのか、一瞬理解出来なかったらしい。
だが、明らかにマトモな問ではなさそうだと判断した男は、剣呑な表情で聞き返す。
「何の話だ? 気でも違ったのかね?」
しかし、そんな人を殺しかねない強烈な視線などものともせず、ヒイロはヒイロで見下したような視線を向けて応えた。今まで被ってた猫はすべて収納済みである。
「……項垂れた振りしながら、シアさんの胸元チラチラ見ていたことぐらい気づいているからな」
「ぐっ!? 言いがかりだ! たまたまそう見えただけだ!」
どうやら身に覚えがあったらしい、慌てたような表情で一気にまくしたてる。そんなオッサンの照れ顔なんて見ても嬉しくもなんともないが、こうなったらヒイロのペースである。
如何にも懐深い理解者のような体で、ヒイロは諭すように続ける。
「まあいいじゃないか。俺も似たようなことしたし。あんだけ立派なんだから、思わず視線が向くのも仕方ないってものだよ」
「む、まあ、たしかに、立派であった」
見事に乗ってきたのを確認しつつ、そのまま自然に話題を引っ張る。
「それに何故かこの星の女性は、痩せ型が多いからなあ」
「ああ、この惑星ガーモスは、かつてはヒルメス『帝国』の殖民星だったからな。この地に根を下ろした彼らと現地人と混血が進んだ結果、ヒルメス人の形質が強く現れたと言われている」
「そうなのか。流石にその辺りは、聞くのが恥ずかしかったんだ。勉強になる」
「ふん、若いな」
おそらく主導権を取り戻したつもりなのだろうが、そうは問屋が降ろさない。
十分気が緩んだところで、本題をぶっこむ。
「おい、この大根役者」
「それは、どういう意味だ?」
「演技が下手くそって意味だ。あんた、始めからあの子のこと、『助けたかった』んだろ。わざわざ悪役ムーブでもしてたんだろ。ご苦労なこった」
断定口調でそう言い放つヒイロに対し、男は顔色一つ変えずに応える。
「なぜ、そんな風に考えた?」
「あのままシアさん追い返すつもりだったなら、俺の同席を認めるべきじゃなかったんだ。まずそこからして、不自然だろうが」
「貴様のような小僧ひとりに、どうこう出来るとは思わなかったからな」
それ自体、事実ではあるのだろう。そもそも実際どうにかしたのは、ルミナ自身だ。
ヒイロがしたことは、必死に伸ばされた手を握った、ただそれだけなのだから。
しかし、その結果が今のこの状況である。
「選択肢を作る時点で、逃がす気があるってのと同じだろ。何故そんなことをした?」
そう詰め寄るが、総督は何かを言いかけたまま、渋い顔をして黙りこくった。
その「見慣れた」様子から、ヒイロは確信する。
「それが、『思考矯正』ってやつか? ルミナの時にも思い知ったが、随分と厄介なもんだな」
帝国に対する悪意・害意を察知し、それに関する言動・行動を抑制するのが基本効果と聞いている。今回、ルミナを手放すことが、帝国の「不利益」に通じると判断されたのだろう。
故に、それへの加担を意味する発言が出来なかった、というわけだ。
「あくまで、立場と責任の重さによる。然程影響力がない二等市民程度なら、軽犯罪の事前抑止程度の効果しかないし、難民には基本的に無効だ。そう設定されている」
帝国の根幹を揺るがす不正となれば、それこそ強烈な「思考矯正」により阻止されるだろう。しかし個人レベルの多少の不徳程度は見逃すのがシステムAIの裁定であるようだ。抑圧が過ぎれば、むしろ逆効果になると学習した結果なのだろう。
最も、そのガス抜き用の小さな穴すら巧みに突いてくるのが、人間の狡猾さなのだが。
(確かに、あの子の言った通り、抜け道なんていくらでもありそうだ)
例えば一時的に「一級市民」として総督の補佐官などの要職につけることで職務上の制限を増やし、いわゆる「位討ち」のような状況を作ることも可能だろう。
管轄エリア内での人事権を持つ総督であれば、その程度は容易である。
市民権を得ることは、通常の難民たちにとってはメリットでしかないし、寄る辺無い子どもたちであれば、多少強引でも、「親権者」による温情と判断される可能性すらある。
つまりシアによる介入がなければ、市民権放棄の事実も無視されていた可能性が高いわけだ。
「なるほどな。帝国市民にならねーのは正解だったかもな。そういうのは俺の趣味じゃないわ」
「安心しろ。思考矯正なら、サイキックのないお前には、一切効果がない」
帝国の用いる「思考矯正」技術は、能力者の異能を外部から制御することで成り立つものだ。要するに、自身のサイキック能力によって、自身の行動を縛る、という理屈らしい。
こちらを小馬鹿にするような表情に肩をすくめつつ、ヒイロは気にせず一番聞くべきことを聞く。
「それで、ルミナに施した思考矯正だが、もう大丈夫なんだよな?」
「見ていたろう? 先程自力で解いたよ。元々後付の機械的措置だ、後遺症も残らん」
体内埋込み型の外科的洗脳措置には、術後経過を見ることを含め相応の時間が掛かる。
そのため今回彼女に施されていたのは、催眠暗示に近い、基本的な思考矯正でしかなかった。
シアとの会談をやり過ごせば済むため応急的に、あの趣味の悪い髪留めが制御と増幅の役割をしていたらしい。今までは、自分で外すことは出来なかったようだが、総督の「指示」によって帝国での職務権限を失い、難民同様の待遇に戻ったことで、思考矯正のレベルが弱体化。
ほぼ自由行動の権利を得たあとは、自力で思考矯正自体を無効化したようである。
「賢い子だとは思ってたけど、すげえな」
「ああ、技師としても恐ろしいほど優秀だよ。だからこそ、手放すのは惜しい」
「半分ウソだな。いや、1/3ほどか? 帝国側の思惑とは別に、あの子を手放したくない理由があるのだろ?」
そう指摘され、男は再び黙り込む。
「そのだんまりは思考矯正とは関係なさそうだが、追求すんのは止めとこう」
「情けをかけたつもりかね?」
「敗者を貶めるのは、恥とされる文化圏の出身なんだよ」
「お優しいことだな」
半ば煽り気味に言った「敗者」というレッテルに対し、なにも言い返さないということは、それを自覚していると言うことなのだろう。
傍若無人を地で行く今のヒイロにも、「恥」を厭う気持ちぐらいある。あまりしつこく追求したところで、後味が悪くなるだけだろうと、早々に話を切り上げることにした。
「そういえば、システムの報告によれば、お前には『交渉官』としての資質があるようだ」
行動監視という名目で、今までの言動や行動が逐一チェックされていることは知っていたが、職業適性検査までされているとは、流石に思わなかった。帝国の管理システムというのは実にマメである。
「あくまで簡易判定だが、その片鱗はあると感じたよ。めぐり合わせによっては、わたしの部下になっていたのかもしれんな」
「ゾッとしねえけど、否定はしきれねえか」
あの時シアに出逢わなければ、ヒイロは普通に難民登録を行っていたことだろう。
後に二級市民の申請を行い、帝国臣民として過ごす中、総督を介して「義娘」のルミナと出逢う運命もあったのかもしれない。
それが悲しい結末に繋がるのだとしても……そんな未来は、もう無くなったのだ。
「わたしの手元で立派な
「淑女ねえ。今のままルミナも、充分カワイイと思うがね」
「それが彼女の母の、わたしへの最期の頼みだったのだよ」
その表情は、心残りを悔やむというよりは、どこかさっぱりとしたものだった。
互いに言いたいことは言い尽くしたのだろう、特に別れの言葉などなく、互いに目礼を交わし合う。
(ようやく、この男の本音が聞けた気がするな)
この男と、ルミナの母の間で何があったのか、それは分からない。
しかし案外、自分と似通っている部分があるのかもしれないと思いつつ、ヒイロは黙って部屋を後にした。
*
「要件はお済みですか、おっぱい大好き
総督の執務室を後にしたヒイロに対し、アンドロイドは出会い頭にそう宣った。
思わず咳き込みそうになるところを堪え、平静を装って応える。
「んんーっ? なんのことかな?」
「お忘れですか? このナヴィ型は情報処理に特化した機体です。執務室内での出来事も、システムに介入してリアルタイムにモニターしておりました」
(無駄に高性能だなチクショー!)
「そしてこれまでの貴殿の発言と行動を元に導き出した結論です。前提条件を入れ替え、何度も徹底的に検算しました」
職業適性を導きだすのと平行して、やっていたのがそれかとヒイロは唖然とする。
そんな事にAIの貴重な演算リソース割いていいものだろうか?
「すまんが、このことは内密に。ついでに総督のおっぱい語りの件も」
「ご安心を。プライバシーを最大限考慮するのが我々アンドロイドのポリシーですので。また総督のおっぱい好きは、もとより公然の秘密状態です。似たもの同士ですね」
(総督ェ……)
報告するその様は、どこか誇らしげに見える。
もしかして褒めてほしいのだろうかと思ったが、調子に乗りそうなので止めておいた。
「さておき、シアさん達はどこ行ったのかな? ルミナの部屋とか?」
「ルミナ殿には、持ち出す私物類もありませんので、私服に着替えたらそのままシア殿と共に外へ向かいました。お買い物をするそうです」
どうやらシアが昼に買い揃えた衣類には、ルミナのための物も含まれていたようである。
しかし、今回の買い物はそれとはまた別腹なのであろう。女性の買い物に付き合う意味を重々承知しているヒイロは、それを聞かなかったことにして質問を変えることにした。
「だったら、なにか伝言でも預かってないか? どうやって合流するかとか?」
「それに関しては、当庁舎の一階ロビーにてシア殿の関係者にお待ち頂いています」
そう聞いて、とある女の子の顔がちらりと思い浮かぶ。
あまり待たせるのも悪いと、ヒイロはアンドロイドを促してエレベータに乗り込んだ。
「その前に、ヒイロ殿には立ち寄って頂きたいところがあります」
「ん? シアさんからの伝言か?」
「いえ、エリア総督からです」
「なんでだよ!?」
思わずツッコミを入れ、直後ヒイロは肩を落とす。
「要件あるなら、さっき言えばよかったろうに。段取り悪いな」
「恥ずかしかったのでは?」
オッサンの照れ顔なんざ想像したくはないが、先程の執務室でのやり取りを知っているアンドロイドが言うのなら、その予測は相応に正確なのだろう。
そうこう言う間に、目的の階についたようだが。
「おお〜、君が噂の異邦人くんだね〜、待ってたよ〜!」
エレベータのドアが開いた直後、やたら陽気な白衣のお姉さんが出迎えた。
「こちらは帝国技術開発局分室。通称トリントン・ラボと呼ばれています。そして――」
「あたしは一級技師102号、ここじゃ『主任』って呼ばれてるよ。個人名もあるけど、ヒミツね」
アンドロイドの説明を遮ってウインクするのは、青い瞳とはちみつ色の髪を持つヒュム系の若い女性だ。化粧っ気はないものの素材としては一級品、適切に着飾って出るところに出れば多くの男性の目を惹くに違いない。
おそらく総督と同様、帝国系ヒュムというヤツなのだろう、街中で見た地元の女性達に比べてとっても「丘陵地帯」で、出るところが出ているのであった。
(これはシアさんにも負けてないかもしれん)
あまりのご立派ぶりに、ついついそんなことを考えていたヒイロだが、アンドロイドが何か言いたげな視線を向けてきたのに気づいて、慌てて挨拶を返す。
「異邦人ヒイロ・サンジョウです。総督にここに行けと伝言されたのですが?」
「うん、聞いてる聞いてる。じゃあ、あたしについてきて〜!」
白衣を翻してくるりと半回転。襟元で結んだゆるくウェイヴのかかった長い髪を揺らしながら、部屋の奥へとヒイロを先導する。
このフロアは今まで見てきた場所と異なり、パーテーション類がごっそり取り払われ、ひとつの大きな部屋になっている。何に使うか分からないような大型機材が、幾つも所狭しと並んでおり、研究者然とした白衣のスタッフ達が、慌ただしく行き交っていた。
それはそうと、わりと綺麗どころのお姉さんが揃っているのは気のせいだろうか。
しかも見渡す限りの大山脈である。
(総督殿の趣味だろうか。もしも帝国に所属してたら、ここに入り浸っていたに違いない)
などと、無くなった未来に想いを馳せるヒイロだったが。
「はーい、異邦人くん、こっち
謎の機材の前で仁王立ちする「主任」のお姉さんがヒイロを手招きする。
背後では数名のスタッフがホロウィンドウを展開しながらなにやら作業をしていた。
「念の為確認するけど、君、ソラリス教団所属だよね?」
「まあそうですね」
「教団のポリシーからすると、君にはなにがしかの自衛手段が必要なんだろうけど、君の腰のそれって、武装としては飾りだよねえ」
彼女が苦笑しつつ言うそれとは、もちろんビームセイバーの事だ。
事前取得していたヒイロの生体情報に関しては、既に共有されているのだろう、サイキックを使えないことは把握されているようだ。
「身分証代わりに使えるそうですが、できればも少し穏便な形状だとありがたいですね」
所属変更の手続きと共に所有者登録も済んでいるので、全銀河共通の公式身分証としても使えるようだが、身分証の提示を求められる度、相手を脅しているように見られるのは、外聞が悪すぎるというものだ。本職にとっては、そういった威嚇行為も大事なのだろうけど。
「ふむ、そういうことなら丁度いいのがあったかな」
肩越しに振り返って、背後で作業していたお姉さんに声をかける。
二言三言やり取りした後、相手の女性がホロウィンドウを操作してしばらくすると、謎の機材――保管庫の類らしい――の一部が開く。そして、中から何かを取り出し、主任のお姉さんに手渡した。
小さな樹脂製っぽいのその物体は、一見、リストバンドのような形状をしている。
「調整するから、好きな方の手を出して?」
そう促されたので右手を伸ばす。ホロウィンドウを広げて何やら操作しつつ、件のリストバンドをお姉さん手ずから装着してくれるが、これは何気に気恥ずかしいものがある。
すぐ目の前に良い匂いのする髪、そして、ちょっと前のめりなった事で強調される大峡谷へとついつい視線が向いてしまう。
「装着したまま手首を軽く振れば、トグルスイッチで機能がON/OFFできるよ。ちょっとやってみて」
言われるままに振ってみると、一瞬だけ不自然な抵抗感があった。これがスイッチを意味するものだろうが、それ以外は何かが変わったような感じはない。
軽く手を握ったり開いたりして確かめていると、お姉さんは白衣の胸元を強調するようなポーズを取って、楽しげな口調でこう告げる。
「ねえねえ、異邦人くん。さっきからずーっと、あたしのおっぱい見てたでしょ?」
「すみません。たいそう魅力的だったもので」
女性がその手の視線に敏感だというのは知っているし、チラ見もガン見もしないつもりではいるものの、何事も限度というモノがあるのだ。
などと居直ったりはせずに素直に謝罪すると、お姉さんは猫みたいに目を細め、囁くようにこう言った。
「だったら、触ってみよっか?」
お気軽に誘惑を仕掛けてくるお姉さんにドキリとさせられつつも、その直ぐ近くでホロウィンドウ上のデータが目まぐるしく動いているのに気づいて、何か意味のある行為なのだろうと判断する。答えの鍵は、このリストバンドをした手が握っている。これから握りに行くのはおっぱいなのだが。
「それではお言葉に甘えまして」
そう言って、おもむろにお姉さんの胸元に指を伸ばす。もちろん、リストバンドをしている方のそれだ。
その魅惑的な柔肉に触れるまで数センチと言ったところで、ヒイロの視覚は明確な違和感を捕らえた。
「んっ♥」
ハートマーク付きで色っぽい反応を返すお姉さんの胸元、その一部が浅く落ち窪んで淡い陰を作る。しかし、ヒイロの指はまだ一ミリも触れてはいない。思い切って掴むように五指を動かせば、それに応じてふにふにと形を変えていく。もちろん、まだ一切触れていない。
知的好奇心が刺激されたのだと脳内で言い訳しつつ、違いを確認すべくリストバンドをしていないほうの手をワキワキさせた途端、お姉さんは一歩後ずさってその身を隠す。
「んもう、コレ以上はダ・メ。ちゃんと動作してるのは確認したよね?」
照れながらそう言うのに苦笑しつつ、ヒイロはリストバンドをしている手を振るって機能を停止させる。
「君ってば全然物怖じしないんだもの。こっちが恥ずかしくなってきちゃったわ」
「そういう性分なもんで」
いつの間にかヒイロの呼称が変わっていることからしても、ちょっと打ち解けたという感じだろうか。
「察しの良さげな君なら気づいたとは思うけど、それがリストバンドの機能だよ」
仕様書の類なのだろう、目の前に幾つかのホロウィンドウを表示しながら、調子を取り戻したお姉さんはテキパキと説明を始める。
「腕部装着型の『斥力場発生装置』ってやつだね。総督の異能の一部を擬似的に再現したものだよ。基本は攻撃を弾く、見えない壁を生成すると思ってくれればいいかな」
特に「見えない」と言う点はメリットでもあり、デメリットでもある。使いこなすには、相当な慣れが必要だろう。
「一般的な防護フィールドみたいに遮断や減衰させるわけじゃないから、力場に加えられた物理衝撃の類はベクトルに応じて素通しするけどね。
総督もなんらかの異能力者だろうとは思っていたが、そんな能力だったのかとヒイロは関心する。そしてタイマンバトルにならなくてよかったと、心底安堵した。
「総督は力場で全身覆えるけど、この子は精々手首から先ぐらいが限度なんだよね。ただ、同一表面積を任意形状で形成できるのが強み。プリセット3種、カスタム5種を登録可能で、ジェスチャで切り替えて使い分ける感じだよ」
デフォルトは、手袋をしているような状態になるようだ。外側に向けて手のひらを広げれば、そのふた周りほど大きいサイズの円形の盾状に、拳を握れば、それに沿って半球形に展開される。これらがプリセット定義だ。
カスタマイズに関しては、ホロウィンドウなどの外部インターフェイスからアクセスして設定するそうで、一定レベルの
ヒイロの場合、ルミナに頼むことになりそうだ。
「もしかして、ビームセイバーみたいな使い方もできるとか?」
「うん、それ無理」
期待して尋ねたが、予測していたのだろう、一瞬にして否定された。
仮に刃状に力場を形成したとしても、精々質量ゼロの「鈍器」にしかならない。つまり、素手で殴ってるのと変わらないそうだ。
しかも力場が生成出来る範囲も、リストバンドから然程離せないと制約も多い。
「力場そのものは、『全く無害』だからね。安全第一設計なのだよ?」
あくまでも護身用なので、それはそれでコンセプト通りってことなのだろう。
防護シールドを発生させるタイプのデバイスより低コスト・低燃費で、内蔵バッテリーにより使用者のサイキックに依拠しないため、誰にでも手軽に扱えるのもコンセプトの一つだそうだ。
またエネルギーは周囲から自動収集するので、バッテリー切れの心配もない。
「とは言え、素材の問題から変換効率がイマイチで、連続稼働時間が300秒程度なんだよね。以後はエネルギー残ってても自動的に待機状態に入っちゃう感じ。そこが現状最大の課題かな」
「つまりこれはまだ、試作品の類ってことですか?」
「そゆこと。無能力者である君にモニターして貰えると、お姉さん的には実にありがたいのです」
異能力者が使った場合、異能と干渉して正確なデータが取れないので、完全な無能力者は被験者として極めて魅力的らしい。手近で該当人材をサーチしていた所、タイミング良く登場したのがヒイロである。すぐに紹介するよう総督をせっつき回したそうだ。
シアの同行者としてすんなり許可が降りたのは、これも原因にあったのだろう。
あるいは、「理由」に使われたというべきか。
「そういうことなら、ありがたく使わせてもらいますが、これ結構な値段するんじゃ。もし壊しても修理費とか払えませんよ?」
「開発費はともかく、製造コストの大半は一部の希少金属が占めているだけだから、それを回収して再利用できれば原料費としてはタダみたいなもんだよ? 無くされちゃったらさすがに困るけど、所有者登録してればサーチ機能が使えるから、その点は安心していいよ」
件のビームセイバー同様、埋込型識別チップに偽造不能な暗号コードが割り振られているので、所有者登録すれば身分証として使えるのはありがたい。
なお量産化する場合の製造コストは、ヒイロのお小遣い半年分――いうなれば「6ヒイロ」――を想定しているそうで、そこに至るまでには先述した通り素材の選定という難関が残っている。
それらを含めて、このワンオフな試作品の開発費用に至っては、ものすごいことになるのは予想に違わないようだ。
「ちょっとやそっとじゃ壊れないけど、リペアやメンテナンスは教団の技術研究開発部でしてもらうといいよ。あそことは技術提携してるから、レポートくれればこっちにも伝わるし、改良案も送れるからね。ウチに直接来てくれても、あたしとしては大歓迎だよ♥」
色々とデータ取りにつきあわされそうだが、「ああいうの」だったらこちらも大歓迎である。
せっかくのお誘いであることだし、ここで繋いだ縁は大事にしたいものである。
などと殊勝なことを考えつつ、内心としては単に「おっぱいおっぱい」なのが彼らしいところ。どちらにせよ、機会があるなら寄ってみようと思うヒイロであった。
「待たせている人も居ることだし、そろそろお暇しますね」
「あたしも良い気分転換になったよ。またね〜」
改めてお礼を言いながら、ヒイロはラボを後にしてアンドロイドの待機するエレベーターホールまで戻る。
「お戻りですか、異邦人。早速ですが、また総督からの伝言です」
「なんだって?」
「『必ず護ってみせろ』、だそうですよ?」
おっさんのツンデレってどうなのよ、なんてことを思いつつ、ヒイロはニヤリと笑みを浮かべてこう返す。
「だったら、『当然だ』、って返してやれ」
ヒイロ好みのけれん味の効いたやり取りに満足しつつ、新たに手に入れた「誰かを助けるための力」を強く意識した。
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