第四話 遺された少女

 数多の光きらめく銀河の片隅で、今また小さな星がひとつ、その命を終えようとしていた。


「お母さん! しっかりして!! 目を開けて、わたしを見てよう!!」


 薄暗い独房を思わせる部屋の片隅、備え付けの簡易寝台に横たわる女性の手を両手でしっかりと握りながら、少女が嗚咽混じりにそう訴える。

 真摯な思いが届いたのだろうか、瞼を開いて、その女性は傍らに寄り添う少女へと、ゆっくりと視線を移した。


 歳の頃は十を越えたあたりだろうか、簡素な貫頭衣をまとう少女の、くすんだ灰色の髪――きちんと手入れをすれば青銀にきらめくだろう――は、深緑色の瞳を合わせ、ふたりが母娘であることを分かりやすく示していた。


「ああ『ルミナ』……わたしの愛しい娘」


 震える小さな両手を僅かばかりに握りかえすと、女性はかたわらの少女を愛しげに、そして悲しげに見つめた。光を失いかけた瞳から一筋の涙が溢れる。


「あなたを残し去りゆく母を、どうか許して。けれど、わたしはいつでも、あなたを見守っていますよ」


 一気にそう言い切ると、女性は全身を弛緩させ、ベッドに深く身を委ねる。

 再び瞼を閉じ、穏やかな表情を見せると、口元に僅かな笑みを浮かべてこう呟いた。


「だから、いつかは、あなたも……」


 その先は、言わなくても解る。

 なぜなら母が倒れ、この末期療養施設に運び込まれたあの時から、ずっと口癖のように言ってきた言葉だから。


 それが在りし日の「ヒルメス王国」に名だたる、最後の姫巫女の、最期の言葉だった。


  *


 それから数年の時が過ぎた。

 母を亡くして泣いてばかりだった少女も、今ではすっかり大人びて、母譲りの美貌の片鱗を見せ始めていた。


 そんな彼女は今、複数のホロウィンドウとにらめっこしながら、多数の作業機械に対する遠隔指示プログラムの構築中であった。


(うーん、もうちょっとここ、効率化できると思うんだけどなあ……)


 現代日本風なら「六畳一間」、洋風に言えば「ワンルーム」と言ったところだろう、質素な一人暮らしには充分だろう個室にあるのは、備え付けのソファ蒹ベッドに、スライド式の小さなサイドテーブル、そして現在腰掛けている小さなスツール以外、調度らしいものは何一つ見当たらない。

 私物なんてものは産まれてこの方持ったこともないので、ラックもシェルフも必要ないし、着るものもの配給品であるシンプルな貫頭衣と室内履きのサンダルだけ。汚れて不要になればスツールと兼用である廃棄・排泄物処理容器に放り込めば、新しいモノの申請許可が降りるという仕組みだ。


 世が世ならば、ルミナも王族の連枝として、もっとムダの多い暮らしをしていたことだろう。

 しかし銀河に覇を唱える軍事国家・銀河帝国の侵略軍に対し果敢に抵抗し、滅ぼされた惑星国家の市民たち同様、この「難民保護エリア」に点在する施設内の個室に押し込められ、能力相応の労役を課せられている。


 帝国に服従を誓ったわけではなくても、この難民収容所に身を置き難民という立場を受け入れた以上は、「銀河帝国臣民」に準ずる、ある程度の人権が認められている。

 そのこともあり、立派とまでは言えないものの、それなりに丁寧な扱いで母の葬儀が行われたことには感謝の気持ちもあり、その仕事ぶりは極めて真面目だった。


 機械制御による惑星規模での生産活動が発達した現状においては、未開文明が労働者に強いるような、非効率的な作業は行われておらず、母を含めた大半の難民たちに課せられた労役も、今のルミナのそれと大差ない軽度なものばかりだ。

 幼い頃には一日一時間程度、画面を見ながらタイミングを合わせてボタンを押すと言った、ゲームのような労役を義務付けられていたが、課題をクリアする度に難易度が上がっていたそれは、学習プログラムも兼ねていたのだろう。ご褒美として配給される甘いお菓子を目当てに、一所懸命頑張ったものである。

 今では大人たちと殆ど変わらない高度な作業も任されるようになり、それに比して待遇も良くなっていた。もっとも、食事の質がやや良くなったり、湯浴みの申請回数が増えると言った、ささやかなものだが。


(そろそろお腹空いてきたかも?)


 モニタ上の時刻表示が正午を周り、彼女の腹時計と一致を示す。作業を中断して休憩時間に入ると同時に、配給食の申請を行った。

 うんと伸びをして、軽く身体を解しつつ待っていると、テーブル脇の壁にスリットが現れ、樹脂製プレートがスライドして出てくる。適度な深さをもった複数のくぼみには、それぞれ色とりどりの固形食やゼリーのようなものが充填されている。それは「レーション」と呼ばれる標準的な栄養補給食品であり、施設の外でも普通に出回っているものだった。

 その中の一つ、キラキラと宝石の用にきらめく、透き通った赤いゼリーを認めると、ルミナは嬉しげに微笑んだ。


(やった、これ大好き!)


 小さい頃は、濁った赤い色だったこの甘いデザートだが、幼年向け選択課題の中にあった「配給食の改良」に取り組んだルミナは、見事「栄養価を下げず、低コストで見た目を改善する」という成果を出し、それによって貢献点を大きく稼いだことがあったのだ。今では「外」でも人気製品のひとつだと、定期評価報告で聞いている。

 母から聞いていた「外の世界のデザート」を再現しようと試行錯誤した結果だが、実物を目にした母が殊の外喜んでくれたのを覚えている。味自体は余り変わらなかったが、母と二人で分け合って食べたのは、とても大切な思い出のひとつだ。


 母はこの手の技術・開発系の労務は苦手だったが、課題が上手く出来ると我がことのように喜んで、沢山褒めてくれた。そのことが嬉しくて、ルミナもより高度な課題に果敢に取り組んでは、ひとつづつ確実にクリアして、そして今の待遇を勝ち得ている。

 ルミナの年代で、次々に新技術を開発、改良案が採用されるのは極めて珍しいケースだそうだが、それはきっと施設生まれの同年代の子達よりも、多く「外」の知識があったからだろう。

 「接触テレパス」という異能を持つ母が、言葉に出すこと無く伝えてくれた様々なことは、今のルミナの人格を形作る重要な「芯」となり、それが斬新な発想を産み出す元となっている。


(さあて、今日の「街」では、どんな噂が流れているかな?)


 食事を済ませたルミナは、使用済みのトレーを回収させてから、幾つかのホロウィンドウを呼び出す。

 積み上げた功績の結果として、今では一日一時間程度ではあるが、情報収集のためにデータベースアクセスの申請も出来るようになっている。

 もっとも最低限度の権限なので、リアルタイムで追えるのは、外のアンドロイド達が収集する街中の噂――当然検閲済み――程度だが、それでも母の教えてくれた「外の世界」がどんなものか、十二分に補完出来るもので、それがまたルミナに新しい刺激と、多くの発想を与えてくれた。


(話題は、『成人式』のことでもちきりだなあ)


 それは年に一度、惑星全土で行われる一大式典。この惑星に住む子供達が、成人した証として市民権を獲得し、そのことを祝うというものだ。

 丁度、明日に開催されるが、今年のそれには、ルミナも参加資格を持っていた。

 実は肉体的な意味ではもう「大人」になっていて、子を宿す機能も正常に働いていると、だいぶ以前に医療用アンドロイドから知らされていた。


(わたしの相手って、どんな人なんだろ? やっぱりヒュム系で、年上のお兄さんタイプがいいなあ)


 情報制限の厳しい難民の立場とはいえ、母からの知識も含めて、恋愛や性に関する知識も年齢相応に持っている。しかし帝国に於いては恋愛を楽しみ、伴侶を自由に選ぶ権利は、男女共に「一級市民」からに制限されている。それ以外は申請があれば遺伝子的に相性の良い相手がエリア内から選ばれ、互いに顔も、肌も合わせることのない人工交配が標準的である。


 母も生涯「難民」という立場であったので、本来は人工交配になるはずだが、ルミナはずっと「好きな人と愛し合って産まれた」と聞かされてきた。詳しいことは聞けずじまいではあったが、そのことを話す時の母は、とても幸せそうで、自分もいつかそんな運命の相手に出会いたいと憧れていたのだ。

 しかし、そのためには一級市民の男性から伴侶として指名を受けるなどしなければ、あり得ない事だ。可能性として一番高いのは、時折母を呼び出していたこのエリアの「総督」だが、彼に逢う時の母は、あまり嬉しくなさそうだったから、きっと違うのだろう。


(わたしもあの人、あんまり好きじゃないしね)


 幼い時は、母の添え物みたいに雑な扱いをされ、なにより彼からの呼び出しで、母と長く引き離される日が時々あり、何度も寂しい思いをしたものだった。

 しかし母が亡くなって、彼が「親権者」となってからは、労務で成果を出すたび呼び出されて、「お褒めの言葉」とささやかな「ご褒美」を頂くことが多くなった。

 そして、「大人」になった頃からは、明らかにルミナを見る目が変わったのが解った。


(あの目、いやだな。ほんと、気持ち悪いよ……)


 嫌な考えを振り払うよう、ルミナは一度頭を小さく振るってから、無心でホロウィンドウを操作した。 

 そして幾つかの情報を精査している内に、きらびやかな衣装をまとった、やたら美人なお姉さんのスナップを見つける。


(今年は「星詠みの巫女」が、特別慰問官として参加、かあ)


 滅多に姿を表さないことで有名な彼女は、優しげな雰囲気が、どことなく母を思い起こさせた。

「ソラリス教団」に所属する預言者のほとんどが、古代ヒルメス人であると聞いているので、彼女とルミナは、どこかで血が繋がっているのかもしれない。そう思うと、俄然親近感が沸いてくる。


(この人が、わたしの「親権者」になってくれたら嬉しいなあ)


 なんてことを考えながら、頬を緩める。

 慰問官といえば母の職務がそうだったのを思い出す。

 歌や舞踊などの技芸を以て、民を慰撫するのが役目と聞いているが、「特別」と言うからには、きっと色々と凄いのだろう。スナップからして、凄さが伝わってくる。特に、とある一部分。

 しかし、幼い頃から大好きだった、母の綺麗な歌声だって、きっと負けていないはずだ。


(でも……それを確かめるのは、ちょっと難しいかな)


 ホロウィンドウに表示された、各種申請一覧。

 その中で、一番目立つところにある「成人式への参加申請」は、未選択のまま。

 締切は今日の正午丁度と、先程申請期限を過ぎたばかりだった。

 それは、帝国の市民権を自発的に放棄する行為である。


(あとは、「難民保護協定」の結果次第だね。ソラリス教団も協定には参加してるし、期待してもいいかも?)


 それは母から教えられた、この惑星から「脱出」するのための特別な手段。市民権の取得を拒否した「未成年」は、帝国と交流のある諸国家、団体などから「保護」を受けるチャンスを得るというものだ。

 いつかルミナを帝国の軛から解き放つため、制限された情報の中から、なんとか母が掴み取った成果だ。

 本来、その制度に関して説明があって然るべきだが、母の予想通り、なぜかルミナの元には、その情報は知らされなかった。

 それは、母やルミナの血筋に深く関係していた。


(わたしが『王族の末裔』って言われても、ピンとこないんだけどね……)


 帝国の人間、特にあの男は、その高貴な血と、ヒルメス人の「特異能力」を狙ってルミナや母を囲い込もうとしているそうだ。

 たしかにルミナから見ても、母は細かい所作の端々まで気品に溢れており、きちんと身なりを整えさえすれば、高貴な生まれであることは感じられる。そんな母を、上級市民が見初めるのも納得できるが、対してルミナは瞳と髪の色ぐらいしか共通点はなく、なにより。


(うーん、もう少し「お胸」が欲しいかな)


 他のヒュム種と比べて痩身傾向にあるヒルメス人の中でも、母は比較的「豊か」な部類であったが、ルミナは現状平均にも満たず、将来に期待したいところである。


 とはいえ、ルミナ自身にも狙われるに足る理由には心当たりがある。

 それは「精神感応/テレパス」という特異技能の持ち主だからだ。その能力は、母の持つ「接触テレパス」の上位版であり、触れずとも対象の感情を読み取れるというもの。

 母との別れをきっかけに覚醒した能力だが、最初は効果範囲が手の届く距離と狭く、読み取れる感情も曖昧なものだった。現在はかなり実用的な性能になっており、訓練次第で様々な発展性をもつ強力な能力である。


(母さんには、能力に覚醒しても秘密にするよう言われてたけど、もうバレちゃってるよね)


 定期検診に訪れる医療用アンドロイドには、「サイキック」を検知する機能が備わっていることは、密かに行ったプログラム解析の結果把握済みだ。今ならセンサーを誤魔化すぐらい出来るが、覚醒自体はもう知られているものと見ていい。


(となると、今夜あたり「反応」が在るのかも……?)


  *


 午後の労務を終了し、遅めの夕食を済ませた後は、一日の中でルミナが一番の好きな時間だ。

 空間演出を応用して、自室の一角を防水性防護フィールドで区切って出来上がった少し広めのシャワールームは、「ご褒美」として使用が解禁されたオプション機能のひとつである。

 そこには一糸まとわぬルミナと、もうひとりの姿があった。


「ルミナ、後ろを向いて。お背中を洗ってあげるわね」

「うん。ありがとう、アン」


 目に優しいアイボリーカラーをした医療用アンドロイドが、甲斐甲斐しくルミナの入浴の世話をしている。

 元々は傷病者向けの介護機能だが、ルミナはこっそりプログラムを改ざんして日常的に使用している。


「どう、気持ちいい?」

「もうちょっと、強めでもいいかも?」


 自己学習機能を追加することで、入浴時はルミナの好みに合わせて洗う時の力加減や、湯加減など、その日の状況にあわせて最適化するシンプルながらも極めて高度なものだ。

 ついでに入れ替えた音声データは、自分の声を元にして、母に似せたものである。

 最初は「お母さん」と呼ぼうと思っていたが、実際運用する時点になって気恥ずかしくなり、急遽「アン」と言う名前を付けた。

 以来、この特殊プログラムはルミナの呼びかけに応じて適当なアンドロイドにダウンロードされ、状況にあわせてルミナの心身をサポートしてくれるようになった。


「どう、気持ちいい?」

「あー、うん、気持ちいいよ?」


 せっかくいい雰囲気に浸っていたけれど、今のように同じ定形セリフが続いてしまうと、途端に「素」に引き戻される。エンジニア的視点では、音声入力に定形応答の繰り返しでしかない。だから、応答にあまり凝っても容量のムダだ。アンドロイド達の共有記憶領域上に、非正規に個人作業エリアを作っているため、多少ならともかく、派手に使うと監視プログラムにバレて削除されかねないのだ。


 とは言え、気になるものは放っておけないのが、生粋のエンジニアの悲しい性というもの。

 さっとホロウィンドウを広げると、同じようなセリフが連続しないよう訂正し、ついでにニュアンスと言い回しを不自然にならない程度で変化させる新規ギミックも追加した。


「こんな感じで、どうかしら?」

「うん、うん、いい感じだよ、アン」


 最小限の改良で成し得た成果に、ルミナは満足げに笑みを浮かべる。

 幼い頃から手がけてきたことだが、元々適性があったのだろう技師系労務の中でも、AI関連は得意中の得意だった。


(もし自由になれても、こういう仕事は続けたいなあ)


 いつかは、感情をもつ「高度な機械知性」に出会うことが一つの目標だが、現在帝国ではタブーとされる存在だ。だからもし、帝国に籍を置いてしまえば、一生叶わぬ夢になりかねない。


(ああ、「夢」と言えば)


 そして、かつて母に何度か聞かされた言葉を思い出す。


(民を守り導くことこそ王族の一番の義務よ。わたしの代では失敗して故郷を失い、多くの民を辛い目に合わせた。だから、いつか、皆が安心して暮らせる地へと導くの。「第二の惑星ヒルメス」を見つけること。それが、お母さんの夢よ)


 自分のちっぽけな夢に比べたら、なんて壮大で、立派な夢なのだろう。

 母は夢に大きいも小さいもないと言ってくれたけど、それでも母の夢は、とても素敵なものに思えた。


(お母さんの代でそれが成せるだなんて、流石に思ってないわ。そのためにも、血を絶やさないこと。それは何代先になっても、王族の義務を忘れないため。だから、帝国の血に、思想に染まりきってはだめ。そのことは忘れないでね、ルミナ。そうすれば、いつか……)


 いつか、きっと。それは母の口癖みたいなものだった。

 母の夢は叶えてあげたい。けれど今のルミナには、その方法は、まったく見当もつかなかった。

 だから次世代に先送りだなんて、ちょっと消極的だろうか?

 もっともそのためには、「お相手」が必要になるわけだが。


「はあ、夢は果てしないなあ」

「夢を持つのは、とても素敵なことよ」


(会話の起点として、そこ拾っちゃう? 今回は殆ど口に出してないけど、「夢」ってキーワード、結構優先度高めかも?)


 ぼんやりと次のコーディングプランを考えている内に、アンはルミナの髪を洗い始める。

 軟質素材でコーティングされた、細く繊細な指がなめらかに動いては、ルミナの頭皮をマッサージし、そして肩先まで伸びた青銀の髪を、毛先まで丁寧に洗っていく。

 夢見心地にひたる至福の一時、しかしそれは無粋な言葉で遮られた。


「『二等技師204号』に次ぐ。速やかに総督府まで出頭せよ」


 アンの介護プログラムに割り込みがかかって、通常モードで呼び出しが掛かる。

 この収容所の人員は、基本的に個人名では呼ばれない。

 正規の個人識別は桁数が多く使い勝手の悪い「難民コード」で行われるが、平時は所属エリアと役職名、短いシリアルコードを適宜に組み合わせた短縮名称が用いられる。


「ああ、やっぱり来たか。いやだなあ……」

「大丈夫よ、ルミナ。きっと上手く行くわ」


 すぐにアンの声に戻って、優しくルミナを励ます。

 ネガティブな発言をした時の半定形応答ではあるが、重くなった気分が少しだけ持ち直した。


「そうだと、いいんだけどね」


  *


 明日の式典に合わせ、難民収容施設のある地下街には、エリア総督が訪れていた。

 定期巡回時と同じように呼び出さたルミナは、街の中央にある大きめな庁舎、通称「総督府」と呼ばれる建物へと出頭する。彼との面会を果たすため、庁舎内の一室に通された後は、不安に押しつぶされそうな気持ちを、なんとか抑え込んでいた。

 それは、側に「彼女」が居てくれるからだ。


「ありがとね、付き合ってくれて」

「いつでも見守っているわ」


 丁度室内に待機していた介助用アンドロイドを、「アン」として再起動させたルミナは、その場で幾つかのプログラムアップデートを行い、護衛のような役回りを任せたのだ。

 今は二人きりで、特に危険もないと判断したのか、元々指示されていた任務であろう、ルミナのドレスアップに専念している。


 ここまで着てきた何時もの貫頭衣を脱いで、真新しいパフスリーブのワンピースに身を包む。明日の式典で子供たちが着るであろうものから「アン」が見繕ったものだ。

 式典に参加するつもりのないルミナは、こんなところで着ることになるとは思っても見なかった。


「よく似合ってる。かわいいわ」

「うん、ありがとう」


 仕上げとばかりに軽く化粧を施されると、わずかに残る幼さも消えて、ぐっと大人っぽい印象が強まった。


「ほう、見違えたな! まるでお前の母の、若い頃のようだ」


 声のするほうを振り返れば、そこに居たのは「エリア総督」その人であった。


(いつのまに!?)


 アンは、彼の到来については何も知らせなかった。その原因は、彼の立場によるものだ。

 指示の仕方にもよるが、護衛の立場からは、上位者である彼は警戒対象からは外れてしまうのだ。


「どうしたのかね。もっと、良くその姿を見せてくれないか?」


 初めて顔を合わせた頃に見せていた、強いギラつき感は薄れたものの、今は目の奥に潜む欲望の色が一層深まったように見える。

 そんな目が、ルミナの全身を上から下まで舐めるよう見回すのに居心地の悪さを覚えながらも、アンに促されておもむろに姿勢を正した。


「……お褒めに預かり、光栄です」


 いまだ慣れない上品な言葉遣いを返しつつ、スカートの両脇を両手でつまみ上げ、一礼する。

 つい最近、眼の前の男に仕込まれた「貴人」にふさわしい仕草というやつである。

 なかなか様になってきた様子に満足げな表情を浮かべると、男は如何にも上機嫌といった風に応える。


「お前のおかげで、『上』からの評価も上々だ。今後も、その調子で頑張りたまえ」


 そんな「お褒めの言葉」を頂く度に、ルミナの心はひどくささくれ立つ。

 彼女が今まで頑張ってきたのは、総て母の笑顔が見たかったからだ。

 帝国が誇る労働管理システムは、帝国臣民と難民の隔てなく、成果は正当に評価してくれる。

 もしも母が生きていれば、ルミナを立派に育て上げた「功績」で労役から開放され、保養施設で穏やかに暮らして行けるはずだったのだ。

 そのために、ずっと積み上げてきた功績を、この男は「親権者」としての立場で掠め取ったようなものだ。


「明日の成人式に先駆け、親権者として祝辞を贈ったわけだが」


 そこまで言って、威圧するように声のトーンが落ちる。


「さて、『式典に参加しない』とは、どういうことなのかね? 申請ミスだというなら、特別に便宜をはからんでもないが」

「ミスではありません」


 はっきりとそう返され、男は露骨に鼻白んだ。


 日頃労務者達が使っているホロウィンドウを介した各種申請システムは、エリア総督「ごとき」では介入しようがない、帝国議会レベルの最上級権限で管理・運営されている。申請内容の修正や訂正は可能だが、当事者の意志確認が必須であり、それを無視しての改ざんはシステム的に不可能だ。

 帝国に対して不利益になる「情報の検閲」との名目で、難民に対し各種情報を隠匿することは比較的容易だ。しかし、システムに対して労務者が意志を伝える仕組みは、仮に当事者が存在を認識していなくても、機能自体は正常に作動する。


(まったく、やりにくい。やはり母の時のようにはいかんか……)


 ルミナの母のケースでは、幼年就学プログラムの「結果」を改ざんして選択肢を隠蔽し、あえて苦手である「技師」としての道を選ばせ、「落ちこぼれ」の立場に貶める事に成功していた。

 禄に貢献値を稼ぐことも出来なかった事で、成人しても難民の地位に留められたのは、そのせいである。


 もしもホロウィンドウの操作に早々慣れていたのなら、自分に「政務」の適性があり、その道に進むため「飛び級」出来るという情報を得ることも出来たのだろう。

 しかも母自身、なまじ政治知識があったことで、難民という立場では公務には関われないと決めつけ、選択肢の存在を考慮しなかったのだ。


 あるいは母一人なら、帝国から逃げることだけは出来たかもしれない。

 そこは一般の難民同様、二級市民への申請が可能になるまで貢献値を得ればいいだけだからだ。

 しかしルミナを授かった後では、それは容易では無くなった。

 子供を育てることも、帝国では立派な「労務」として見なされ、負担軽減のために行政の補助も入る。しかしその結果、子供に関して100%の親権を得ることができなくなり、子供を置き去りにしない限り帝国を離れる自由はなくなったのだ。


 もはや色々と手遅れになった後、それらに気づいた母は、娘のルミナにホロウィンドウの操作を教わりながら、帝国の行政システムについて徹底的に調べ上げ、そして見つけたのが件の「難民保護協定」の存在だ。


「わたしは協定に則り、諸国、諸団体からの保護を受けるつもりです」


 立て板に水の如く、すまし顔でましたてるルミナだが、その内心は穏やかではない。こちらをじっと見つめる男の視線が、徐々に剣呑なものに変わっているのがわかるのと同時に、彼女の「異能」は、彼の怒りの感情を強く訴えてきたからだ。それでも、今更止めるつもりはない。


「総督殿、いままでの格別のお計らい、『亡き母共々』深く感謝致します。お世話になりました」


 最後にそう嫌味混じりに言って、再びのカーテシーで締める。

 そんな様子を最後まで黙って見ていた男だが、直後異能が伝えてきたのは、怒りの中に交じる侮りと哀れみの感情だった。


「なるほど、小賢しいお前らしい。よく考えたものだ」


 違う。最後のアレはともかく、計画の大半は、生前の母がルミナのために懸命に考えてくれたものだ。

 そんなルミナの憤りをあざ笑うよう、男は諭すような口調で続ける。


「しかし、お前は母親同様、自分の価値をよく理解していないようだ。帝国にとって、特異能力者は稀有な資産だ。わたしの思惑抜きにしても、そう簡単に手放すと思うかね? 特に、お前ほどの強い力となればな!」


 その言葉に、ルミナは大きく目を見張る。

 ここに来て、母が異能を隠すよう言ってきた、本当の理由を完全に理解した。


「まったく、お前の母も、実に良い置土産をしてくれたものだよ。何処の馬の骨が孕ませたかは解らぬが、望外に優秀に、そして美しく育ってくれたものよな」


 そう言いつつ、おもむろに歩みを進め、男はルミナの元へと迫る。

 虚を付かれた彼女は、恐怖に耐えることが出来ず硬直してしまい、一歩も動くことが出来なかった。

 その節くれだった指が、少女の頬へと伸ばされた、その瞬間。


「アン!」


 やっとの思いで出せた叫びは、傍らに立ったままで無反応だったアンドロイドに、規定外の動作を実行させた。


「どういうつもりだ? これはお前の仕込みか?」


 男の行く手を遮るよう立ちはだかる介助用アンドロイドに眉をひそめ、その背に隠れた少女を鋭く睨みつける。

 ビクリと身をすくめるルミナをかばうように動いてから、アンドロイドはこの場を回避すべく、もっとも相応しい言葉を吟味する。


「せっかくのお召し物が、汚れてしまいます。ここは日を改めて……」

「黙れポンコツ!」


 左から右へと振り抜いた男の拳が、「アン」の機体を弾き飛ばす。

 一見細身に見えるその身体からは考えられないほどの膂力に、ルミナはあっけにとられた。


「『ナース型』ごときで、このわたしを止められるとでも思ったか? あまり舐めないほうがいいぞ?」


 暴れる患者への対処や、院内での警備を補助するため、女性的フォルムをもつナース型アンドロイドは、元々ガーディアン型に匹敵するパワーを備えている。

 それを難なく退けるほどの「能力」を持つなど、全くの想定外だった。


「わたしの父もその父も、代々異能力者の女性を収集する嗜好があってな。わたしのこの能力も、その『ひとつ』から引き継いだというわけだ」


 異能者の子は、母親の異能を強く受け継ぎやすい傾向にある。母体との接触機会が多いことが、その原因と考えられているが、詳しい原理は未解明だ。実際ルミナのテレパスも、母の能力を発展強化させた形で受け継がれている。


 例えば古代ヒルメス人は女系の一族であり、始祖である「預言者」の能力が現代まで色濃く残ることになった。

 対して男系、特に「サイキック」と相性の悪いヒュムの一族は、どうにも一代限りの能力になりやすい。

 そのため彼らは、あかたもハーレムの如く多くの女性能力者を侍らせ、後継者にふさわしい強い形質を持つ「男子」を産ませてきたのである。


「もっともこの程度では、精々辺境のエリア総督程度が限界だったというわけだがな。使えん能力だよ、まったく」


 自嘲気味に言う男から伝わって来る感情は、強い侮蔑と憎しみだった。

 会話の流れから、それが彼の母に向けたものだと看過したルミナは、母親を「能力」の容れ物としか見ていないような態度に激しい怒りを覚えた。


(こんな能力なんか無くたって、わたしはお母さんが大好きだった! 成人して離れ離れになる時がきても、「もう大丈夫」って安心させかった!)


 怒りと恐怖が無いまぜになって、ルミナは溢れる涙をそのままに、強く歯を食いしばる。


(ほんとはもっと、もっと、ずっと一緒にいたかった!)

「ああ、その目は覚えがある。本当に、母娘なのだな」


 かつて、自分の誘いを拒絶した時の、本物の高貴を感じさせる強い瞳は、確かにこの少女にも宿っている。

 そのことに興味を惹かれ、男は饒舌に言葉を続ける。


「わたしの娘ではないと解った時には、随分と落胆したものだが、今となってはそれも一興。成人後は適当な貴族へ嫁がせようとも考えていたが、母娘二代で、わたしを楽しませてくれるなら、それも何かの運命だろうな」


 伸ばされた男の手が、ルミナの細い顎にかかり、無理に上向かせる。

 触れられた瞬間、脳裏に流れ込んで来たのは、男に組み伏せられ、激しく泣きじゃくる幼い母の姿だった。

 その後ほんの一瞬の間で、男の記憶なのだろう、母との交わりのシーンが幾つも流れ込んでくる。


「いっ……いやっ! いやだああああ!!!」


 本当は、解っていた。

 幼い頃はともかく、心も身体も成長した今は、「慰問官」という母の仕事の、本当の姿を。

 能力が強化され、近くに行かなくても彼の「感情」が読み取れるようになってからは、雑音のような感情の波の中で際立つ、自らに対する強い執着心に、ひたすら「気持ち悪い」という印象しか抱けなくなった。

 そして今、これほど間近な上、直接触れられて伝わってくる強い感情の大半が、自身を通して母へと向けられたものだとはっきり解ってしまった。


(こんなものに、お母さんはずっと曝されてきたの!?)


 母が心をすり減らしながら、ずっと耐えてきただろうその感情は、今のルミナが受け止めるには荷が勝ちすぎた。

 何もかもかなぐり捨てて逃げだそうとするも、尋常ならぬ男の力に引き戻され、片手で抱きかかえられる。

 彼の腕が、まだ膨らみかけの胸元を圧迫するのを意識して、ルミナは羞恥と怒りで顔を真っ赤に染めた。


「いやっ、わたしにさわらないで!」

「ふむ、ヒルメス人らしい貧相な身体だが、育てる甲斐があると考えればいいか?」


 嫌いな男性に触れられた事に加え、普段思い切り気にしていることを指摘され、一瞬だけ「素」に戻る。

 冷静になった視線が捕らえたのは、倒れ伏したはずのアンがゆっくりと立ち上がった姿だった。


「安心するがいい、わたしがお前を、立派な淑女にしてやろう。亡き母同様にな」


 強い力で無理やり向き合わされ、やや乱れた青銀の髪に手がかかろうとした瞬間、すぐ近くまで来ていたアンの瞳が、淡く輝いた。


「……『総督』に次ぐ。『星詠みの巫女』が到着した」

「なんだと、予定より早いな?」


 アンドロイド本来の音声が告げる言葉に、その立場を思い出したのだろう、男は少々苛立たしげな態度で、続きを促す。


「現在は、静止軌道ステーションにて入国手続き中。至急、対応すべし」

「ふむ、まだ時間があるが……まあ仕方がない」


 拘束の手が緩むと、ルミナはすぐさまそこから抜け出した。しかし腰が抜けたのか、ぺたりと座り込んでしまい、そのまま立ち上がることも出来ず、怯えたような目で男を見上げながら、ジリジリと後ずさった。


「今夜から、お前はここに住むのだ。せいぜい大人しくしているのだな」


 粘つく視線を向けられ、ビクリと身を震わせたルミナだが、急に胸元に熱いものがこみ上げてくる。

 とっさに両手で口元を抑えるも、もう遅かった。

 胃からせり上がってきた苦くも生暖かいものが口内を満たしたかと思うと、直後溢れ出して、真新しいワンピースを汚す。


「うぇ、うええええええぅ! げほっ、げほっ!」


 吐瀉物にまみれて激しく咳き込む少女を、男は顔をしかめつつ見下ろし罵った。


「ちっ、まだ淑女には程遠いか。おい、ポンコツ! すぐに片付けろ!」


 チカチカと目を光らせ、アンドロイドはゆっくりとルミナの元に近づいていく。

 ホロウィンドウを幾つか開いて指示を終えたあと、男は興味を失ったように背を向け、足早に部屋を出ていった。


 それを確認した直後、「アン」はゆっくりと目線を下げ、労るようにルミナの背中を撫でる。


「大丈夫よ、ルミナ。もう、大丈夫だから」


 母に似せた穏やかな声を耳にして、ルミナは俯いたまま大粒の涙をこぼす。


「ルミナ、失敗しちゃったよう。ごめんなさい……おかあさん、ごめんなさい!」

「大丈夫よ、ルミナ」


 粗相をして泣きじゃくる子供のようなルミナに、アンはひたすら慰めるよう声をかけ続ける。


「ルミナのために、ずっと頑張ってくれたのに。ルミナが、おかあさんの言うこと、聞かなかったから!」


 ルミナが異能に覚醒した事、それが帝国側に早々知られていたという推測は、当たっていた。

 問題は、その事に開き直って能力を多用し、成長させてしまったことだ。


 ヒルメス人は、サイキックに対して元々高い素養を持っているが、凡百の徒であるなら然程重要視されはしない。しかし姫巫女の血筋というのは伊達ではなかった。

 短期間で極めて強力に成長し、その尋常ならざる伸びしろを示してしまったのだ。

 更に言えば、生前の母から教わった簡単な自己鍛錬法だけでそれを成したことは、血筋だけで説明しきれない程の異常事態だ。場合によっては、先祖返りすら疑われるほどに。


 難民保護協定と言えば聞こえが良いが、悪く言うなら公的な人身売買だ。

 国費を投入して育成した貴重な人材を、ただの善意で無償譲渡などあろうはずもない。

 様々なバーターを前に成立する、立派なビジネスなのだ。

 もちろん母もそのことは理解していたし、ルミナの技師としての才能も加味した上の計画だった。

 しかし、そこに異能が加わると話はもっと複雑になる。

 ルミナを引き渡す条件として、帝国はおそらくは膨大な対価を要求するに違いないのだ。


「ルミナはもう逃げられない……帝国から、逃げられないんだ……」


 弁護するなら、能力に目覚めて以後、適切な「師」が居なかった彼女に、それらを自覚しろというのも無理な話ではあったが、そんなことは今のルミナにとってどうでもいいことであった。


「こんなんじゃ王族の義務も、お母さんの夢も、ルミナは何一つ果たせない」


 それは、今まで気丈に生きてきたルミナが、初めて口にした泣き言だった。


 王族の義務は、ヒルメス王家の血を絶やさない事。

 そして母の夢、それは「第二の惑星ヒルメス」を探すことだ。

 しかしそれらは総て、今のルミナにとって、ただの重荷でしかなかった。


「わたしは、お母さんみたいにはなれないよ。会ったこともない民の幸せも、何処にあるかも分からない星のことも、なにも考えられない……わたしはただ、お母さんに笑っていて欲しかった。ずっと一緒に居たかっただけなのに!」


 背中を撫でる優しい手も、穏やかな母の声も、今のルミナには何の慰めにもならなかった。

 どんなに辛くても、誰も助けてはくれない。

 本当に孤独であることを、深く自覚してしまったから。


「もういやだよ! だれか…誰か助けてよ!」

『大丈夫よ、ルミナ。きっと、大丈夫だから……』


 この時。

 少女の切なる願いと、母の強き想いは時空を超越し、「天命」を呼び寄せた。


『だから、いつかは、あなたも、幸せになりなさい』

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