第三話 そして青年は、彼女と出会う。
「どうなさいました、ヒイロ様?」
落ち着いた大人のお姉さん、という感じの彼女が、小首をかしげるその様は、可愛らしい仔犬を思わせ実に似合っている。
(いかにも、こういう交渉の場には慣れてない……いや、向いてない感じの女性だなあ)
なんてちょっと失礼なことを考えていたヒイロだが、そんなことはお首にも出さない。勧められるがまま向かいのソファへ腰掛け、猫を二枚ぐらい被ったような真面目くさった態度で応対を始める。
「こちらの指揮官……というわけではなさそうですね。わたしのことを、ご存知のようですが?」
やたらゴージャスなキラキラ衣装――と、その一部――に気をとられていたが、こうして向かい合うと、目線の違いから思いの外小柄なことに気づく。
それと対比するように、同じく小柄だが、やたら弁が立つ母を思い出す。普段は傍若無人を絵に描いたような師匠だが、(兄貴達はともかく、姪っ子のアヤツにだけは絶対に勝てる気がせん)と、説教食らったあとに死にそうな顔でボヤいていたのが印象的であった。
それがなぜラノベ作家に転身したのかは全くの謎であるが、そこはどうでもいい。
この詰め所に来たのは、生体情報を用いた身元照会の後に、「難民登録」とやらをするためだが、先にこちらに面通しされたと言うことは、件の指揮官が不在なのか、あるいは彼女が無視できないレベルの重要人物ということになる。
しかしそんな重要人物が、面会を要求していること自体、極めて不自然なのだ。
ヒイロの認識では、自分がこの世界に「転移?」してきて精々半日程度しか経っておらず、その事実を知る者も、極めて限定的なはずだ。
この惑星の地上には、大規模な通信妨害が施されており、平時におけるアンドロイド兵の情報伝達手段も有線、または近接通信なため、その情報が「詰め所」に伝わったのは、つい先程のことになる。
まさかロビーのモニタ上の彼女の姿に見惚れていたから、わざわざ気を利かせたなんてことはあるまい。
エンフォーサーの鑑とばかりに胸元にパルスガンを構え、油断なく入り口近くで待機しているアンドロイド兵にちらりと視線を投げるが、特になんの反応もない。
そんなヒイロの様子を察したらしい、彼女は柔らかな笑みを浮かべつつ、おもむろに応える。
「遅ればせながら、わたし『シア』と申します、ソラリス教団に所属する預言者のひとりです」
そこまで聞いて、ようやく腑に落ちた。
(なるほど、この地への俺の出現は、『預言』されたものだったのか)
そう即座に察するのは、売れっ子ラノベ作家の息子としての面目躍如といったところだろう。
何しろ母の作品の掲載誌、および関連誌が出版社様から献本として山ほど送られくる環境で育ったのだ。英才教育の賜物で、こういう嗜好と思考形態になるのは推して知るべしである。
そして、アンドロイド兵との雑談、という名の情報収集で、この世界における政治・宗教・文化についてはざっくりとだが聞いており、その中に「ソラリス教団」の名があったのを思い出す。
帝国とは協力関係にある独立組織という彼らは、預言者という言葉が示す通り「未来予知」に類する特異能力――帝国では種類を問わず「サイキック」と呼ばれる――を持ち、それを情報として提供することで、今の地位を築き上げたのだという。
「『異邦人/エトランゼ』ヒイロ・サンジョウ様、あなたをお迎えにあがりました」
先ほどは「交渉向きではない」と評したが、なるほど、彼女は別の意味で交渉向きな人材なのだろう。
こうして魅力的な笑顔でお願いされてしまったら、一も二もなく頷いてしまいそうになる。
しかしこういうお約束シチュエーションにはそれなりに造詣が深い彼は、十二分に慎重であった。
入り口へちらりと視線を向けて、その存在を確認すると、何時ものように尋ねる。
「ええと、これって大丈夫なのかな?」
「結論から言えば、問題ない」
ずいぶんとざっくりした問いかけだったが、今までの話の流れで察してくれたのだろう。
もはや頼もしさすら覚える紋切り型で応えつつ、アンドロイド兵は間断なく続ける。
「規定により『次元漂流者』として調査記録をとる必要があるため、しばらく監視付きで拘束させてもらう。これは以前話した通りだが、現在は信頼できる身元引受人『候補』が居ると判断した。その後は貴様の選択に委ねられる」
「問答無用で処分されないってわけだな」
「なにも問題がなければ、だがな」
相変わらずの手厳しさに苦笑しつつ視線を戻すと、そこにはエメラルドグリーンの瞳を大きく見開いて、訝しげにこちらを見つめている美女の姿があった。
「どうかしましたか、シアさん?」
「いえ、随分と親しげだなと、思いまして」
そういいつつ、なにやら気まずそうな面持ちで一瞬アンドロイド兵へのほうへと視線を逸す。
その様子から、ヒイロはこの世界におけるアンドロイドの扱いを思い出した。
最低限の要件以外に彼らと言葉を交わすこと、それ自体珍しいことなのだろう。
「短い間でしたけど、彼らには色々お世話なりましたので。無人の荒野にいきなり放り出されましたし、心細かったのもあると思います」
「ただの通常業務だ。気にすることではない」
何時もどおりの淡々とした口調だが、どことなくドヤって見えるのは気の所為だろうか。
「以前も説明したが、貴様が難民登録をした場合、しばらくはこのエリアに拘束されることになる」
その間、幾つかの労役を課すことになるが、適性を見極めた後、「二級市民」への申請が許可され、そして正式な帝国臣民と認められる。
その後は適性に応じて、該当エリアへに振り分けられることになるが、この時点では惑星外への渡航どころか、街中以外の「移動の自由」は無い。惑星外はもちろん、街から街への移動ですら、相応のコストが掛かるのだ。難民は論外として、二級市民程度の「貢献度」では、まったく釣り合わない。
つまり、遠方への移動手段を得るには「一級市民」の地位を得る必要があるが、それには帝国への多大な貢献が条件となる。手っ取り早いのは帝国軍人――つまり武官になることだが、アンドロイド兵の管理運用以外に特殊なスキルを必要としない「一般指揮官」に関しては、現在この近辺では採用枠が一杯なので、いつでも人材不足であえいでいる技官や事務官などの高等文官を目指すのがお勧めとのことである。
なお、興味深いことに「アイドル」的な職域が存在する。歌唱や舞踊などの技芸を以て、民を慰撫することが主な役割で、正式には「慰問官」と呼ばれるようだ。
この世界に於いて「娯楽」は主に一級市民以上の上位階級に許されたもので、その提供者も極めて高い地位と権限を持ち、その作品を許可なく利用することは事実上不可能である。
稀に非合法に流通するものがあるそうだが、極めて低質なものらしい。
そしてシアの場合、帝国内での行動時は「特別慰問官」という地位を与えられ、下手な官職持ちよりずっと権限は上になる。不在だったとは言え、一介のエリア担当指揮官より優先して面通しされたのは、妥当な対応だったということだ。
そんな、まさしく「スーパーアイドル」とでも言うべき存在のシアだが、現在絶賛お困り中であった。
「ヒイロ様、もしかして帝国市民になるおつもりですか?」
恐る恐る、そう尋ねてくるのに対し、ヒイロは淡々と返す。
「特に問題なければ、そうするつもりですね。しばらくは難民扱いでしょうけど、待遇的にも妥当だと思いましたし」
ラノベファンタジーものならまずは冒険者ギルドに登録、生活費を稼ぎつつスキルを取得、なんて流れになるのだろうが、同じ根無し草にしてもこちらはまず「不法入国者」の疑いがかかったままだ。
運良くこの街を逃げ出せたとしても犯罪者確定、街に近寄ることすらできず逃亡者生活直行である。
何より貫頭衣一着だけの貧弱装備、多少サバイバルの心得があったとして、それが通用するほどこの惑星の自然環境は甘くはない。
結局、これから何をするにしても、それなりの身分、その後ろ盾は必要なのだ。
当面の衣食住が保障されるなら、多少の不自由は必要経費と割り切ればいい。
「あの……私共の元に身を寄せるという選択は?」
それこそが、彼女がここに来た目的なのだろう。
色々と御託を並べては見たものの、選択肢がほぼ一択であることは理解しているのだ。
懇願するような目線で訴えて来るのに対し、あしらうような態度をとるのは心苦しい。
しかし、ヒイロはまだ「大事なこと」を聞いていないのである。
「ええと、シアさん。ひとつ、お尋ねしたいのですが?」
「は、はいっ、なんでしょう!」
期待に満ちた表情で、前のめりになる様からは、ピンと立った犬耳と、ブンブン振られる尻尾が幻視できるようだ。しかし(なにこのカワイイ生き物)とばかりに和んでばかりも居られない。
「そもそもの話、そのソラリス教団が、俺に何を求め、そして何をしてくれるのかがまったく分からないのですが?」
「あっ――――!?」
短く叫んだかと思えば、そのまま硬直、絶句。そんな彼女を横目に、ちらりとアンドロイド兵に視線を投げる。
油断なく銃を構え佇む姿は、なんとなく肩をすくめたように思えた。
*
「――以上が、当方が示す条件となりましゅ」
テーブルの上に浮かぶのは数々の立体映像、接触可能型ホログラフィック・ウィンドウなんて如何にもなSF的定番ギミックに若干興奮しつつ、それらが示す内容を改めて精査する。
時々アンドロイド兵にフォローしてもらいつつ、なんとか説明を終えたシアだが、色々やらかしまくって思い切り恐縮しきっている。先程セリフを噛んだことは敢えてスルーする。
どう言う理屈かは不明だが、基礎的な銀河標準語/帝国語の読解はできるようなので、シアの提示した資料が、口頭で説明してくれた内容と矛盾がないことは確認できた。
要点を噛み砕いて言うなら、三つ。
まず一つ目、ソラリス教団による身元引受と、保護下に在る間の生活保障。
これに関しては、教団の昔からのポリシーらしく、彼らが「異邦人/エトランゼ」と呼ぶ「次元漂流者」の保護を積極的に行っているそうである。幾度かアンドロイド兵から、その言葉を耳にしていたが、それは教団が、ヒイロを「異邦人」に該当すると判断したことに基づくようである。
なお教団の保護下に置かれることと、教団に所属することはまったくイコールではない。
あくまで身分としては「教団保護下の次元漂流者」である。
二つ目は、教団保護下における自由行動の許可。
教団側として特別な便宜は図らないが、自己裁量・自己責任の範囲での自由行動を認めるといったところだ。
一見破格な待遇に思えるが、最低限の生活保障はあっても、そこから先は関知しない、ということだ。特に、自分の身は自分で守ることが大前提だ。
滞在先の法に従わないなどは論外として、トラブルに巻き込まれた場合など、その辺りのさじ加減は、保護責任者であるシアに任されている部分もある。
それと比較して、なんでもかんでも手とり足とり指図してくれる帝国のほうが、親切に思えなくもない。
――自由は不自由、不自由は自由。
かつて師匠と交わした「問答」が脳裏をよぎり、なんとなく懐かしくなるヒイロである。
そして問題の三つ目、教団の要請に対する、可能な限りの協力。
「これが、こちらとしては一番の懸念なんですが」
教団の機密に関わる部分もあるそうで、具体的にどんな要請があるのかはまったく教えてもらっていない。
この手の「ぼやかし」こそが一番怖い。そこに悪意が潜まなくても、どんな爆弾を抱えているか分からない以上、慎重に対応するに越したことはない。
油断せずに気構えをして、ヒイロは真面目くさった表情のまま、相手の出方を伺った。
「そうですか? 強制というわけではないので、そんなに気負うことは無いと思いますけど」
ヒイロの問いかけに怪訝な面持ちで応えるシアだが、どうやら問題の本質には気づいていないようだ。
短いやり取りの中でも、彼女自身は善性の人だというのは察せられるので、こちらを騙そうだなんて欠片ほど思っていないだろう。しかし組織の思惑はまた別だ。
確かに可能な限りとあるが、それが教団存続に関わるような大事であるなら、前提条件が崩れかねないため、断るという選択肢は自動的になくなる。
そんな懸念を述懐してみたところ、シアは驚いたように一度目をぱちくりさせ、それからくすりと笑ってみせた。
「教団の運営基盤はもとより盤石ですし、流石にヒイロ様に出来ないことなどお願いしません。例えばそれがヒイロ様のご意志を無視することなら、わたしが責任以て抗議しますよ?」
なので「ちょっとしたお小遣い稼ぎ」程度に考えてくれればいいと、シアは気安く応えるのだった。
しかし、まさかそのちょっとした、お小遣い稼ぎが命懸けの大冒険になろうとは、神ならぬヒイロにはまったく……いや、それなりの嫌な予感はあったようだが。
「ヒイロ様は心配性ですね。ですがわたし、こう見えて結構偉いんです。頼ってくれて、いいんですよ?」
などと誇らしげに胸を張って見せる様子に、ヒイロの懸念はあっさり霧散してしまう。
ホロ越しに見える、たゆんと揺れる双丘を追って、思わず視線が上下するのはもはやお約束である。
諦めにも似た深いため息を一度ついて全身の力を抜くと、ヒイロは背筋を伸ばし、向かいから汚れなき笑顔を向けてくる、魅力的な女性へと改めて向き合う。
「わかりました、頼らせてもらいます」
すっかりやりきった、とばかりに満足げな笑顔を見せるシアに、ヒイロは相好を崩してはっきりとそう返す。
「はい、ご返答はまた日を改めて……って、いいのですか? こんなに早く決めても……」
想定外の返答に面食らう「保護責任者」に、ヒイロは改めて肯定の意を返す。
「この件に関しては、判断材料は充分揃いましたしね」
生活基盤の確立が急務なのは前述した通りだが、その上でヒイロ自身の「目的」を鑑みれば、なるべく行動制限はないほうが良いのだ。
何より、これ以上ない明確なイベントフラグであり、さらに綺麗なお姉さんとお近づきになるチャンスとなれば、もう「乗るしかない!」と判断するのはラノベ脳なら当然と言えよう。
そしてヒイロはソファを立って、ドアの前に立つアンドロイド兵の元に歩み寄る。
「そういうわけなんで、難民登録はなしになりそうだ」
「それが『貴殿』の選択であるなら、是非もない」
さり気なく呼称を変えてくるなどの心憎い演出に、ほんとに「高度な知性ではない」のだろうかと、改めて疑ってしまうヒイロであった。
*
(一見すると、普通のヒュムの男性なのですが)
運命の星図に加わった新たな「真紅の星」、ヒイロ・サンジョウと名乗る「ヒュムっぽい」青年を初めて目の当たりにしたシアは、自分がまるで、おとぎ話のヒロインになったかのような、そんな錯覚に陥った。
八星士の星の消失という、永きに渡る一族の使命を台無しにしかねない危急の事態。
このまま出会うことなく、消えかねない他の星達だったが、突如投じられた奇跡の光、その強い運命に引き寄せられ、そして輝きが増してゆく様を、シアの「星詠み」の力が捉えたのである。
(この新たな星の流れこそ、彼が齎してくれたもの……)
まだ予断は許さないものの、最悪の状況を脱したことに安堵すると、次に出てくるのは未知への好奇心・探究心だった。そして彼を導く事こそが、この惑星で出会う幾つかの運命の星を、強く繋ぎ止めることになると確信を得たのだ。
かつて、ひとつの運命を自らの導きで繋いだが、その時以上の使命感を以て、シアは今回の「旅」に臨んでいる。
勢い込んでヤラカシた場面に目を瞑るにしても、結果として概ね良い方へ向かっているようである。
(やはり、わたしが介入しなかったら、「預言通り」帝国市民になっていたのでしょうね)
直接話して解ったことは、彼自身、「今は」帝国に対して殆ど隔意を持っていないことだった。
永きに渡って培われた帝国の統治体制、その理念自体は――嗜好に合うかは別として――極めて合理的なものだと理解出来る。
しかし、その「実態」は惨憺たるものであることを、シア達「辺境銀河」に住まう者たちは嫌というほど身にしみている。
故に、そのまま運命の流れに任せても、何れ彼は出会った「八星士」と共に帝国を離れる結果になることは解っていた。彼の人となりを知った今なら、より確信できることだ。
偏見なく物事を判断しようとする彼の誠実な態度には、少なからぬ好感を抱いている。
だからこそ、余計に彼を悲しませたくない。
それが、「シア」としての介入の理由でもあった。
(可能な限り早く、彼を、「彼女」と引き合わせないと)
*
「先ほど『生体情報の確認』が完了した。遺伝子情報的には帝国系のヒュムに最も近いが、血縁関係を含め、帝国、及び周辺諸国のデータベースに該当情報は一切なし。現状では貴殿の出自はまったくの不明であり、調書の情報と合わせ高確率で『次元漂流者』であると判断された」
毎度おなじみアンドロイド兵からの報告を、ヒイロは黙って聞き入った。
シアとの交渉を終えた後、当初の予定通り、身元確認のため生体情報のスキャンを受けることになった。健康状態確認などを含めた本格的検査なら、近所にある「医療センター」が最適だが、手続きを含めそれなりに時間が掛かるそうなので、今回は詰め所備え付けの小型機器を用いての簡易検査で済ませることにした。
簡易とは言え、ヒュム系人種ならこれで事足りるらしく、しかもスキャン自体ほぼ一瞬で終わって、少々拍子抜けした印象である。具体的に何をしたかは省くが、ヒイロ曰く「ピリ辛味」らしい。
そして、件の応接室でシアと他愛もない雑談をする短い間に結果が出たという次第である。
女性っぽさを感じさせる、柔らかなフォルムを持つアンドロイド――女性型ならガイノイドというべきだろうが――が出してくれた「お茶っぽい何か」をすすりながら、しばし思惟を巡らせる。
次いで告げられた補足情報から解ったのは、この銀河が、いわゆる「太陽系銀河」ではなさそうな点である。
我らが地球の存在する太陽系に関する情報は、地上での事情聴取時点で真っ先に提供していたが、改めてデータベースを参照しても、該当する星系は一切見当たらなかったそうだ。
ここがアンドロメダなどの別の銀河なのか、あるいはマルチバース的な別の宇宙なのか、はたまた恒星の寿命レベルでタイムスケールにズレがあるのかは分からないが、「地球への帰還」には相当な困難を伴うだろうと予感した。
――遠く離れて異郷にひとり。
なんとなく浮かんだフレーズだが、怪獣退治の予定はない。多分。
「大丈夫ですか、ヒイロ様?」
少々センチメンタルになっていたのを察したのか、シアが心配そうな表情で覗き込んでくる。その気遣いが嬉しくもあるが、気恥ずかしさが先に立ち、ヒイロは態とすっとぼけて応える。
「美味いってものでもないですが、まあ、飲めます?」
「そういうことではなくて……」
ちらりとテーブル上の質素なカップに視線を落としたかと思うと、シアは苦笑する。
薄味の薬湯といった感じの青っぽい液体は、最初から一切口をつけていないところからして、元々彼女のお好みではないらしい。
「お買い物にでも、行きませんか? 服も、そのままというわけには行かないでしょうし」
実は貫頭衣の下には何も着けておらず、「ぶらんぶらん」状態である。
なのにすぐ近くに「たゆんたゆん」な刺激物があるのはとてもよろしくない。
検査が済めば、街中の移動については自由と聞いていたので、渡りに船とばかりにその申し出に乗っかることにした。
*
「すみませんね、シアさん。なんだか気を使わせたみたいで」
「いえ、『外』でのお買い物は、わたしも久しぶりなので。楽しいですよ」
賑やかな街中を歩く二人の装いは、先とは打って変わって若者らしいカジュアルなものだ。
フライトジャケット風の赤い上着に、暗色のスラックスのコーディネイトはシアの見立てであり、活動的なヒイロにはとても良く似合っている。
対するシアは胸元と袖口にレースをあしらったドレス風ワンピースで、胸元から腰へとゆるく流れるドレープが優美な印象を与える。髪の色に合わせた若草色はヒイロの見立てである。
幾つか試着した中から選んだものだが、「どれでもいいんじゃないか?」なんてバカ正直に言わなかったのは、この手に厳しい母の教えの賜物である。
(結果的に全部買ったが、喜んでくれたのなら何よりだな)
つかず離れずの距離で並んで歩く二人は、傍目には恋人同士にでも見えるんじゃなかろうかと考え、ヒイロはヒイロで内心ウキウキである。本当に恋人同士であるなら、腕を組んでぴったり寄り添ったり、手を絡めあったりとかするものだろうが、流石にそこまでは高望みというものだろう。
それに。
「ヒイロ様、こちらです!」
当初のおとなしめな印象からは予想外なアクティブさを発揮する彼女は、目についた店の先々で足を止めては、せわしなく駆け寄っていく。
今は手芸店らしいショウウィンドウの前でエメラルドの瞳をキラキラと輝かせていた。
特に目を引いたらしい、見慣れないクリーチャーを模した縫いぐるみっぽいものを指差して、若干興奮気味にヒイロを促す。こういう感じも、案外悪くはないものである。
「もしかして、この惑星の原住生物でしょうか? これ、カワイイと思いませんか?」
(一番カワイイのはあなたです)
なんて思わず口にしそうになるのをこらえて、ヒイロは「適切に」相槌を打つ。幸か不幸か、地上では他の生物を見かけなかったが、例の山岳地帯まで行っていれば、あるいは遭遇したのかもしれない。
なお、その縫いぐるみの実物はもっとゴツい上に肉食であるが、それは言わないのが優しさであろう。
「普段は側近の者たちが用意してくれますので、こうして自分で見て選ぶのは楽しいです」
如何にも箱入り娘的な発言だが、実際そういう身分なのだろう。
二人の周囲を守るよう取り囲む、暗色ローブ姿の護衛数人をチラ見しながら、ヒイロは改めて隣に立つ女性が、極めて重要人物であろうことを意識する。
詰め所を出たところでシアから紹介された「彼女」達は、ソラリス教団から派遣されてきたシア専属の護衛だという。
フードの下にチラ見えした少女然とした顔立ちが、シアに憧れの眼差しを向ける様には年相応の可愛らしさを感じたが、これでいて単身かつ徒手空拳でガーディアンとも互角以上に渡り合える腕前だとか。今は姿が見えないが、総勢八名がこの任に着いているという徹底ぶりで、密かにシアの護衛を気取っていたヒイロは(もしかして俺、要らない子? むしろ守られる側?)と脱力した。
そんな気合い入りまくりの親衛隊じみた彼女たちと共に街を歩けば、まるで何かの神話の一場面の如く、行く先々で人混みが割れていくのが圧巻であった。
尋ねた店も皆、当然貸切状態だったわけだが、何件かハシゴした後に入った店で違和感を覚える。
(今回は、人が多いな)
今までは客の居ない店内で、店主含め数名のスタッフが、恭しくシアの応対をしていたが、この店には常連客らしき者が数名いて、店員はシアに目礼しただけですぐに目の前の仕事に戻ってしまう。
シアはシアで、まっすぐ店の奥へと歩みを進めていく。
後を追うと、彼女は「スタッフルーム」と帝国語で大書された扉の前で立ち止まった。
「こちらですよ、ヒイロ様」
生体認証の類だろう、スライドして開いたドアの中へと、シアはヒイロを促す。
すぐ先にある下り階段を数段降りて、狭い廊下を何度か折れ曲がった先にあるドアをくぐると、数台の長テーブルと椅子が並んだ、休憩室っぽい場所に出た。一部物置として使われているのか生活感ありありで、詰め所の殺風景さに比べれば、むしろ落ち着く感じだ。
「適当な場所に、腰掛けてくださいな」
そう言って、彼女は部屋の奥にある給湯室的な場所に向かった。
手近な椅子に適当に腰掛け、ぐるりと周囲を見渡す。
窓ひとつない半地下状態、広さは凡そ十二畳といった間取りだろうか。
(セーフハウスって感じかな? 「防諜」もばっちりなんだろうなあ)
などと思っていると、不意に周囲が一面のお花畑に変わった。
雲が流れる青空の下の、色とりどりの蝶が舞い、小鳥のさえずりも遠くに聞こえる。
眼の前にあったはずの長テーブルも、お洒落な二人がけ用の丸テーブルに変わっていた。
(え? 今更神様とご対面!?)
とっさに身構えるも、数メートル先に現れたのは、見覚えのあるワンピースをまとった、見知った美の女神様であった。
「びっくりしました? 部屋備え付けの『空間演出/プロダクション』を起動させたのですけど」
小さなサービスワゴンに、可愛らしい花模様の散りばめられたティーポットと、お揃いのティーカップを乗せて来たシアが、ヒイロの居るテーブルの前に立つと、楽しげに給仕を始める。
「『仮想現実』、いや『複合現実/ミクスド・リアリティ』のほうかな? 故郷だと、まだ実用化はしてなかったので、正直、感動してます」
「でしたら、よかったです」
接触型ホロウィンドウなんてものがあるのだし、その延長上に、こういう技術があってもおかしくはない。おっかなびっくりテーブル外側の空間に手を伸ばせば、元の長テーブルがオーバーラップ表示される安心設計である。何か物を置こうとしたなら、サイドテーブルでも出現しそうだ。
「ここは、教団資本で運営する店舗の一つです。今は、わたしがオーナーみたいなものですね」
「ほほう、シアさんが店長さんでしたか」
慣れた手付きでポットを傾け、丁寧な所作で二つのカップに琥珀色のお茶を注いでいくと、ジャスミンに似た甘い香りが、ふわっと立ち込める。
勧められて口にすると、渋みや苦味のない爽やかな味わいで、芳しい香りと合わせて、気持ちが安らぐのを感じた。これらは、ちゃんと現実のようである。
「良い香りのお茶ですね。気分が落ち着きます」
「ありがとうございます。わたしのお気に入りなんですよ」
テーブルを挟んで向かい側に現れた、背付きの椅子に腰掛けたシアも、カップを手にして嬉しそうに微笑んだ。
「もしかして、『ああいうの』がお好みなのかとも思いましたけど」
「よっぽどでもない限りは、出されたものは頂く主義なもので」
「わたしは、一口で充分でしたけどね」
あの毒物っぽい見た目にも関わらず、口をつけたことがあったらしい。彼女の旺盛すぎる好奇心を改めて確認して、ヒイロは苦笑した。自分のことは棚に上げてだが。
長閑な景色を眺めながら、美女と二人きりの穏やかなティータイム。ポットの底の茶葉の如く、いつまでも浸っていたい状況ではあるが、さすがにそういうわけには行かないだろう。
ヒイロもそこまで鈍くはないので、一息ついたタイミングでおもむろに問いかける。
「それで、何かお話があるんですよね?」
「ごめんなさいね、本当なら、わたしからお話を切り出すべきでしたのに」
カップをソーサーに静かに置くと、シアは申し訳なさそうな表情で応えた。
「もしかして、『詰め所で話したこと』と関係在りますか?」
検査結果を待つ間に話していたのは、主にシアに関することだった。
今日は丁度「成人式」に当たる儀式が惑星全体で行われ、シアはこのエリアでの式典のゲストとして招かれ、参加したそうである。
新成人に対し「星詠み」を行い、皆の将来を導くという定例イベントで、これにシアが参加するのは極めて珍しいことらしく、巷で話題になっていたそうだ。
それはともかく。
帝国法では子供、すなわち未成年には正規の「市民権」が無く、親権者の庇護下というやや不安定な立場にある。しかし、銀河諸国家間で締結する各協定の元に、未成年者への手厚い保護が謳われ、無理な労働や虐待に類する搾取に対しては、厳しい措置が取られる事になっている。
「成人を以て多くは市民権を得ることになるのですが、時折それを選択しない子もおりまして」
市民権の有無は、帝国領内で生活する上では極めて重要な意味を持つ。難民の立場であっても、準市民として最低限の人権は保証され、仕事も得られる。しかし、文官など政務には関われるはずもなく、また管理職につけないなど、ある程度選択の幅が狭まる。また移動制限など、行動上の制約も多い。
それでも何らかの理由で、帝国に属することを良しとしない子達が、毎年一定数出るのだ。
そういう子達に対して選択肢を与えるため、シア達教団や、その他団体が保護を申し出るという仕組みが、銀河規模の協定として、ここ十数年の間に整備されたそうである。
実際、ヒイロ自身も似たような経験していることで、そのあたりは非常に納得が行くものである。
「このエリアでも、ひとり拒否者が出ましたが、その子の保護が、わたしがここに来た目的の一つなのです。それで――」
縋るような視線で見つめられて、ヒイロは察した。
(あ、これ巻き込まれるパターンだ)
恥ずかしげに頬を染め、瞳を潤ませる様が、なんとも庇護欲をそそる。狙ってやってるのだとしたらかなりの女狐だが、これが彼女の「素」である。
かつて祖父に(お前は女で身持ちを崩すタイプだぞ)と笑いながら言われたのが脳裏をよぎる。
「今更ですけど、わたし、あまり交渉事というのは得意ではなくて。ヒイロ様には、情けないところお見せしてばかりで、お恥ずかしいかぎりなのですが……」
(うん、知ってた)
内心ツッコミを入れつつも、しかしヒイロとしては彼女と共に行くことを選択した時点で、とっくに「覚悟」など決まっている。
気の抜けない丁々発止のやり取りの楽しさも知っているヒイロではあるが、拙いながらも真摯に向き合ってくれたシアが好印象だったのは確かなのだ。決して、おっぱいに釣られたから「だけ」ではない。
「シアさんに同行するのはやぶさかではないですが、そもそも何をすればいいんです?」
「いいのですか!?」
俯き加減だった顔をぱっと上げると、そこにあったのは大輪の花を思わせる笑顔だった。
周囲に咲き乱れる幻影の花たちなど、霞んで消える程に美しく咲き誇るその姿が、ヒイロの心に消えない花としてはっきりと焼き付いたのを感じた。
「ありがとうございます! ヒイロ様に側に居てもらえるだけで、それで充分です!」
(ああ、爺さん。やっぱあんたは正しかったよ)
元から好みのタイプではあった。それでも自分はこんなに惚れっぽかったのかと苦笑しつつ、この時ヒイロは、彼女に対する恋心を、はっきり自覚したのである。
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