第一話 ヒーロー参上!?
――そもさん!
――せっぱ!
――ヒーローとはなんぞや?
――強くてカッコいいこと?
「どう見ても異世界だな」
ほの暗い、雲ひとつ無い群青の空を仰ぎ見て、青年は自分に言い聞かせるような口調でそう断言した。
地平の彼方をオレンジに染め上げる、まるで寄り添うよう輝く「二つの太陽」が、ここが地球ではない事実をはっきりと主張していたからだ。
なおこの時、視界の片隅に入った人工物はあえて無視することに決めた。
彼の名は「山上・緋色(さんじょう・ひいろ)」。自称平凡な日本人青年である。
平凡な大学生であるが故に、こんな異常事態に巻き込まれるような心当たりは全くない。
トラックにはねられた覚えも無ければ、神様的存在と二者面談した覚えもない。
(まてよ? そう言えばひとつだけ……)
思い返せば確かにひとつだけ、「それっぽい」前振りがあったことに気づく。
それは、夏場の日課である「裏山」の散策を終え、下山途中の出来事だ。
麓近くにある苔むした大岩――観音岩と呼ばれている――に挨拶をして、その直後。彼の耳に届いたのは、助けを求める誰かの叫び声だった。
標高二百メートル足らずの低山周辺は実家で管理している私有地なのだが、それを知らない素人さんが、時々迷い込んだりするのである。
山頂までの登山道は一本道だが、ほぼ獣道状態な上に、手付かずの山林は存外深く、方角を見失いやすい。幼い頃から遊び場として野猿の如く駆けずり回っていた彼ならともかく、一見さんが下調べもなしに入山すると簡単に遭難するのだ。
そういったウッカリさんを何度か救助してきたこともあり、今回も似たようなケースだと判断して声の主を探そうとした直後、唐突に視界が暗転、気がつけば冷たい地面に寝転んでいた。
覚醒直後は金縛りに似た状況で指一本動かせなかったが、しばらく待つうちに自然とコントロールを取り戻し、起き上がることに成功。痛む節々をほぐしつつ、ふと天を仰げば、あり得ないものが浮かんだ見知らぬ青空、という次第である。
(うーん、神隠しのたぐいだろうか。カクリヨ?)
実家はわりと由緒ある禅寺だが、住職をしている祖父が近所でも有名な怪談好きで、夏場は本堂にご近所さんを集めて朗読会を主催するほどである。
その影響を受けてか、彼自身オカルトネタも大好物だったりするが、実際に体験するとなればノーサンキューだ。
ちなみに金縛りは「睡眠麻痺」という睡眠障害であり、オカルトでもなければ病気でもない。
この手の雑学が豊富なのは、わりと博学な祖父に加えて別の、とある人物の影響だ。
(まあ、「師匠」なら、この状況でも嬉々として楽しみそうだなあ)
*
今となっては勝手知ったるかの「裏山」だが、幼い頃は未知に溢れ、怖いほど広く感じていた。
もちろん、ひとりで入山しようモノなら、祖父母や母に大目玉を食らったものである。
ただ夏休みの間だけは例外だった。なぜなら、かつてその時期には「山の主」が居たからだ。
「おお久しぶりじゃな、ヒイロ坊!」
ジジ臭い喋りでそう言って、毎年麓で出迎えてくれたのは祖父の弟。母からすれば父方の叔父に当たる人物だ。祖父の兄弟では末にあたり、どちらかというと母の世代に近い。
両袖を切り落としたボロボロの僧服をラフにまとい、まるで修行僧を思わせる偉丈夫だが、別に出家してるわけではない。昔からあちこちフラフラと旅歩いて、なにがしかの事件に巻き込まれては、成り行きで人助けをしているらしい。ニュースなどでも何度か取り上げられたこともあり、地元ではちょっとした有名人だったりもする。
そんな風来坊を絵に描いたような彼だが、ある時期を境に、毎年夏のこの時期だけ実家に戻り裏山で「修行」をするようになったそうである。サマーディがどうとか言っていたが、夏休みとは関係ないらしい。
幼い頃のヒイロにとって、彼は正真正銘の「最も身近なヒーロー」であり、土産話として冒険譚を聞くのが何よりも楽しみだった。
小学校に上がった頃に、大人同伴での山遊びが許可されてからは、最初は虫取りやキノコ採りといった、普通に子供らしい遊びに付き合って貰っていたが、(お主には才能がある!)とおだてられ、いつしか「修行」に加わることになった。
その時から、大叔父は「師匠」になったのである。
*
(さて、どうするか?)
ぐるりと周囲を見渡せば、そこは草木もまばらな一面の荒野。
どっちを向いても荒野だが、しかし、どこまで行っても荒野というわけではなかった。
地平の先に、わずかに霞んだ濃緑に染まる山の稜線を認め、ここがオカルト感マシマシな不可思議空間でないことに安堵を覚える。もちろん石を積み上げている幼子も居なければ、それを突き崩そうと待ち構えているモリモリマッチョも居ない。
そして改めて、自分の格好を確認する。
やけに真新しい一枚布の貫頭衣と腰紐、薄っぺらいサンダルのような履物以外、荷物らしい荷物は何一つ持っていない。
(いったい、どういうシチュエーションなんだ? 古代ローマか? テルマエにでも寄った帰りか? それとも邪智暴虐でも誅する途中か?)
脳内でツッコミ入れる余裕もあるらしく、然程困った様子には見受けられない。
何しろ彼にとって、こういったサバイバル的な状況に身を置くのは、これが初めてというわけではないからだ。
もっともそれは「修行」としてであり、何の予告もなしに、といったことは流石に初めてではある。
しかしその経験が今に活かされているのだろう、故に、慌てて取り乱すような真似はせずに済んでいた。
(さて一通りツッコミ倒したし、そろそろマジに行くか)
輪郭のはっきりした、長い自分の影に視線を落とす。
地球と似た環境と仮定して、明け方の5時前後と当たりをつける。
(水と食料はともかく、まずは安全に休める場所の確保が最優先か)
そう判断して、山の見える方向を目的地として定める。
遊ぶ暇があるなら遊ぶが、迷う暇があるなら、まず行動。それが師匠の教えの根幹であり、今となっては彼自身の信条でもあった。
遠くにある山の麓は地平線の向こう、ここが地球ぐらいの大きさの星なら、5キロ以上先になる。
(山の麓にでも行けば川も流れているだろうし、周辺には人の住んでいる場所も……あるといいなあ)
幸いにもこの大地は、砂漠と表現するほど乾いた場所ではなく、背の低い草がまばらに生える程度には水気を含んでいる。
イザとなれば、草でも食って凌ぐという選択肢があるとなれば、多少は気が楽ではあった。
また群生するほどではないが、遠目には低木の類もちらほらと視界に入る。ただ地平線を遮るほどに大きな植物はまったく見当たらない。
何らかの気象条件の影響か、それとも他の理由なのか。
色々と想像を巡らせながら、ヒイロはこの異郷の探索に勤しむことにした。
(太陽の動きを確認しつつ、とりあえず5キロ、一時間ほど歩いてみるか)
そう決めて、歩数をカウントしつつ進むこと小一時間ほど。
太陽は拳ひとつ分ほど上に移動し、そして足元の影はそれに比例してやや縮んでいる。
遠くに見えていた低木が生えている地帯に近づくと、休憩がてらに軽く調査を行う事にした。
(果樹の類でもありゃあ、ラッキーなんだが)
多趣味な母が庭の一角を専有してガーデニングしていたのを思いだす。
寺の雰囲気に合わせ、山茶花や紫陽花といった如何にもな品種がメインだが、何種か鉢植えの果樹があって、時期になると香りを楽しむと共に、おやつとしても良く食べたものだった。もちろん、勝手に詰むと怒られたが。
そんなことを考えつつ、進行方向に見える高さ1m程度の低木に近づいて期待混じりに観察する。
表面を覆うよう生える小さな葉が朝露を帯びており、陽光でキラキラ光る様が美しいが、時期が悪かったのだろうか、花も実も見あたらない。
しかし食用として有用なら、周辺にこれらを糧とする生物がいるだろうし、それらを糧とする生物も居る、ということだ。
(現状、その手の生物を一切見かけていないってことは、もしや食用に適するものはこの周囲にはないってことか?)
残念な仮説に至ったが、この程度で落ち込むほどヤワな神経をしていない。
僅かな糧を巡って、未知の生物と生存競争なんてのは御免こうむるので、そこは幸運だったとポジティブ思考で乗り切ることにした。
今は角の生えてるウサギモドキと戯れてる場合ではないのだ。居るかどうかは不明だが。
とりあえず、貴重な飲める水分の発見である。気温が上がって蒸発してしまう前に、貫頭衣の一部を千切って丁寧に拭い取る。記念すべき、異世界初採取である。
(まさに甘露。長靴いっぱい飲みたいよ)
全量で100ccにも満たないが、先には同じような低木が幾つかあるので、その都度補給していけばいいだろう。
俗に聞く、「人は水なしで二週間は生きられる」とは師匠の実体験でもあるそうだが、自ら再確認しようとは思わない。
改めて観察を続けると、この低木は手首ほどの太さの、背の低い幹から細い枝が何条も伸びて、それぞれ先端部にこれまた小さな葉がまばらについているといった形状だと解る。
枯れ落ちたら如何にも回転草/ダンブルウィードになりそうで、ステレオタイプな荒野の情景を思い浮かべ思わずニヤけてしまう。
(まあ、「目印」として使うには、丁度いいか)
次に少しかがんで、地平線と低木の高さに目線を合わせる。
そのまま周辺を見回して、ほぼ同じぐらいの高さになる他の低木に目星をつけてから、再び直立しておもむろに片手をまっすぐ前へと伸ばす。
遠くに見える幾つかの低木の高さを測るよう、親指や人差し指をあてがったりと色々試していく。
しかし実際に測っているのは高さではない。
(一番近くの木で指一本分の高さ、凡そ2度か)
これは師匠から伝授された雑学の一つで、「手の分度器」と言うものだ。遠くにある対象物に向けて腕を伸ばし、それが親指一本の幅に隠れるなら2度、拳の幅なら10度と言った具合に、自身を起点に遠方の二点が成す角を大まかに知る方法である。天体観測などで利用される定番知識だ。
人体の各部位の比率は、子供でも大人でもそう変わらないので、誰でも同じように使える点もポイントが高い。
師匠と一緒に、夏の星空に手を伸ばしたことを思い出す。もちろん夕飯に遅れて、共々母に説教を食らったが。
さておき角度を知る方法があるなら、対象物の大きさや距離を割り出すことも出来る。
偉大なる三角関数様の賜物だが、厳密な測定には専用機器や複雑な計算が必要だ。
しかし、今利用できる「道具」はこの身一つである。
(スマホとまでは言わんが、腕時計がありゃあ色々楽出来るんだが。まあ、無いものは仕方がない)
道具が不足しているなら、使えるものに合わせた運用をすれば良いと頭を切り替える。
件の「手の分度器」も、そういった先人たちの工夫から産まれたものだ。
例えば対象物の大きさを予め把握していれば、そこから大まかな距離を算出できる。
そして見かけの大きさは、距離に反比例する。
(目星つけた低木が1mぐらいの高さと仮定して、一番近くが30mほど先。遠くに見えるゴマ粒並の影が、同じ種類の木だとして……この感じだと、最低でも2〜3キロ先は見通せていそうだな)
周辺の植生に目を配り、休憩がてらに水分を補給しながら更に歩くが、お目当ての果樹はやはり見当たらなかった。
更に数時間ほど歩いて、太陽が沖天へと至る頃には、低木地帯を突きぬけ再び草だけの荒野へと至る。しかし目的の山は未だ地平線の向こうだ。
(思いの外遠いな。日が暮れるまでに辿り着けるのか?)
それなりに水分補給できたのが幸いしたのだろう、然程気温も上がっていないことも有り、体力も充分残っている。必要なら、走ることも考えたほうがいいのかもしれない。
今のところ、モンスター的な危険生物の存在は見受けられないが、しかし同時に人影もまったく見られないし、他の人工物らしきものも影も形も見当たらない。
(もしかして、無人島ならぬ無人惑星?)
などと少々不安を覚えたその時。
地平のはるか先に、何やら動く物体を目に留めた。
敵対的生物の可能性は捨てきれない故に慎重に、しかし足早で対象に近づく。
そして目を凝らせば、それが複数の人影だと確認できた。
(おおう、第一村人発見というやつかな!)
逸る気持ちを抑え、警戒もまだ解かずに、ゆっくりと近づいてゆく。
言葉が通じるかは分からないが、接触しないという選択肢はない。
まずは敵対意志が無いことをアピールするため、にこやかな笑みを浮かべようとしたところで、はっきり相手の姿を確認して、思わず頬が引きつった。
(武器持ってる!?)
直後、踏み出した足先が音もなく盛大に弾け、埃を立てた。
視線をちらりと足元に向ければ、こぶし大の大穴が空いている。
二人組の村人かと思いきや、鈍色に光る全身鎧をまとった、ツーマンセルの兵士であった。
「動くな。抵抗は無意味だ」
すでにこちらの存在を認識したらしい、やけに通る無機質な「機械音声」で警告を発すると、油断なく「銃口」をこちらに向けながら、ゆっくりと近づいてくる。
(ちくしょう、やっぱファンタジーじゃなくてSFかよ!)
青空には雲ひとつないが、雲以外のモノも何もないとは言っていない。
遥か上空を弧を描いて横切る巨大構造物は、軌道エレベータを地上に向け懸架する大型レール、いわゆるオービタルリングの類であった。
先程からやたら「惑星」云々と言っていたのは、実際には気がついていたからだ。
ここが地球を遥かに超える、高度な科学技術を有する文明圏である可能性に。
なお、オービタルリングに沿って歩けば、当然軌道エレベータにたどり着くはずだ。しかし、最悪惑星半周しかねないので、現実的な選択肢にはならなかったのである。
だからこそ見なかったフリをしたわけだが、この惑星の大きさをしきりに気にしていたのは、その辺りの未練もあったのだろう。
そんな慎重なんだか大胆なんだか分からない我らが主人公「山上・緋色」……まあ、異世界だし横文字で「ヒイロ・サンジョウ」が妥当だろう、自称凡人の彼が「修行」の成果を真に発揮するのは、もう少しだけ先の話である。
少なくともこの世界の科学レベルでは、現代知識無双はできそうにないが。
*
記念すべきファーストコンタクトは、不幸にも非友好的であった。意思疎通が可能だと解ったことだけが、不幸中の幸いだろうか。
――慌てるでないぞ。
愛用の黄色いタオルを手にした師匠が、日頃口癖のように言っていた言葉思い出す。
そんなセリフを頻繁に聞かされてきたということは、返せば無警戒でいれば慌てるだろう事象に、常日頃晒されてきたということになるのだが、まったくその通りであった。
何かの幼虫をそのまま食ってみせたり、木の根みたいななにかを齧ってみたり、はては泥水の上澄みを「土粥じゃ」と言いつつすすってみたり(※良い子は真似してはいけません)と、師匠の奇行には枚挙にいとまない。
それを聞いた母に小一時間説教食らったりするまでがお約束なのだが――何が言いたいかというと。
「帝国法第27条4項に則り、貴様が恭順の意思を見せ続ける限り、我らは帝国臣民に準ずる扱いを貴様に保証する」
拘束されたかと思えば即座に、自身の立場と権利について説明されている。
銀河帝国辺境派遣軍に所属するというアンドロイド兵たちの語るところによれば、「法による支配」こそが帝国の秩序なのだそうだ。
(意外と紳士的だぞ、帝国軍!?)
てっきり話も聞かずに「すわ強制連行か!?」とか思ったが、こちらが恐縮してしまいそうなほど懇切丁寧に色々と説明してくれるのである。口調はやや威圧的だが、これは彼らの仕様なのだろう。
ふと、「ミランダを知っているか?」なんてセリフが頭をよぎる。
特定の女性の名前ではなく、拘束された被疑者が、黙秘権など各種権利を通達される、アメリカの刑事手続における捜査上のルールである。
海外刑事ドラマ鑑賞――いわゆるクライムもの――は母の趣味のひとつで、よく付き合わされたものだ。一人でツッコミいれるのは虚しいらしい。
(とはいえ黙秘権も、弁護士を呼ぶ権利もなさそうだが……彼ら自身、警察権と司法権を合わせ持ってる感じなのだろうな。プライバシーも厳重に守られる感じだし。そういや、そんなアメコミあったなあ)
想定外の状況に面食らいつつも、そんな事はお首にも出さず冷静に情報収集し、状況分析出来ているのも、ひとえに師匠の教えの賜物であろう。たぶん。
ちなみに帝国法第1条はただ一文、「皇帝は絶対にして不可侵」との旨が記されている。
思い切り絶対君主制だが、陛下の鶴の一声で帝国法が覆った例は、建国以来一度もないそうで、実質、「君臨すれども統治せず」状態らしい。ちょっと親近感が沸いたヒイロである。
こうした経緯から、彼にとって現状は「お巡りさんの職質」レベルにまで心理的ハードルは下がりまくっていた。
「どうやら貴様、本当に『銀河帝国』を知らんようだな。各種生体反応から見るに、嘘を言っている兆候も見られない。あるいは、それ相応の訓練を受けているか、だが」
事情聴取の中、正直に自身の状況を説明したところ、件の帝国法の規定によれば「次元漂流者」という扱いになるようだ。
聞けば、そういうケースもさほど珍しいことではないらしい。
しかし実態としては、アンドロイド兵が匂わせたように、それを騙ったスパイが大半だそうで、現状は「不法入国の容疑者」と二択のシュレディンガーの猫状態、開けてみるまでは分からないって寸法だ。
比較的緩い空気ではあるものの、まだ予断は許さない状況であるとヒイロは改めて気を引き締めた。
「それでは、最寄りの街にて生体情報の確認、及び『難民登録』を行うことになるが、ここまでで、なにか質問はないか?」
難民についての説明もすでに受けており、概ね地球人たるヒイロの認識と一致する。
ただ先述した通りスパイの可能性もあるため、結果がはっきりするまでは監視がつけられるとのことだ。
なにしろヒイロの出で立ちは、件の難民たちの標準的な室内着だそうで、そのため「脱走者」として疑われている。何らかの理由で無断で街から出ようとする者も時折出るそうで、スパイならば動機としては充分だろう。
そしてその抑止力としての存在が、彼らアンドロイド兵なわけだ。
なお生体情報の確認は、身元確認を含めてのものであり、本当に次元漂流者であるならば、帝国を含めた諸国家の住人データベースには存在しないことになる。ヒイロ自身、この「身体」が、自らのものであるとの自覚はあるが、元々この世界の住人の身体に「憑依」した可能性も疑っている。
異世界転移という「超常現象」をすでに体験しているのだし、あり得ない話ではない。
(もしそうなら、面倒な事になりそうだが)
ちらりと考えを巡らせてから、慎重に尋ねる。
「もし、街への同行を拒否したら?」
「この場で処分する」
容赦なく突きつけられる銃口と共に、間髪入れずに返ってきた物騒な答えを聞いて、ヒイロは素直に「恭順」の意志を示した。
実際、選択肢など無い等しいのだ。そのことを改めて確認し、きっぱりと覚悟を決める。
「それで、『街』とやらにまで、どのぐらいかかります?」
「凡そ二時間程度だ」
今までヒイロが向かおうとしていた方角から、ややズレた方向に歩き出すのを見て、素直に連行されたのは正解だったと安堵する。
なによりも重要なのは――突然、腹腔より響く重低音。
異世界だろうと異郷の惑星であろうと、人間、腹は減るのである。
そんな様子を眺めていたアンドロイド兵のひとりが、腰のポーチから何やら黒っぽい棒を取り出してこちらに向ける。
「ヒュム向けのカロリーバーだが、食うか?」
好感度爆上がりであった。
*
まるで砂を噛むが如く味気ない半固形物を貪り食いつつ、ヒイロは考察を始める。
アンドロイド兵の言う「ヒュム」というのは種族的分類のひとつで、いわゆる人間に相当する。より細かく分類できるが、文化的違いなどはあれど、概ね同じような生物的な特性を備えている。更に言うと、「交配可能」なグループという括りでもある。
他にはより動物に近い種や、虫に近い種なども居るようだが、帝国の定義によれば「意思疎通可能な知的存在」として、等しく「人類」として扱われるようである。
(懐広いな、帝国!)
などと感心しつつ、そうした様々な人種が闊歩する異星の街中を、アンドロイド兵に先導されて歩くヒイロは、紛うことなき「お上りさん」状態で、周囲を物珍しげに観察していた。
時折交じる異形が目を引くが、大多数はヒイロ同様、いわゆる人間的外見をしているヒュムのようである。
(まさにSFって感じだなあ。とは言え、着ているものは結構普通なんだよな)
いわゆるSF的なピチピチスーツなんてものは一切見かけず、多少カラフルではあるものの、地球的基準で見れば、むしろやや
殆どは近くに居るアンドロイド兵の存在に気付いて即座に目を逸らすが、時折手を振って来る子も居たりする。そのチャレンジャー精神に応える意味で笑顔で手を振り返し、宇宙子ギャルとでも言う感じの若い女の子達が、キャーキャー騒いだりするのをほっこりした気持ちで眺めた。
(しかし……ヒュムの女の子が軒並みスレンダー体型なのはどういうことなのか?)
SFと言えばナイスバディなお姉さんではないのかと、一介のおっぱい星人であるヒイロは訝しがった。
そんな風に人類観察に勤しんでいると、オープンカフェの類だろうか、店先にはカラフルな髪色の年若いヒュム達が、テーブルを囲んで談笑する様子が見て取れる。
しかしテーブルの上にあったのは、如何にも軍用って感じのランチプレートだ。
(もしかして、ああいうのが帝国標準の食文化?)
他所様の事情に深く立ち入るつもりはないが、しばらくご厄介になるだろう場所である。ファッションもそうだが、微妙に禁欲的な印象がつきまとうのが妙に気になった。もっとも、ガチガチにストイックってほどではないし、「土粥」すするのに比べれば雲「泥」の差であろう。
すでに胃袋に収まっている謎の高カロリー食品が、確実に空腹を満たしている事実を実感しつつ、淡い光を放つ高い「天井」を見上げながら、ヒイロは少し前の出来事を思い返す。
あの後二時間ほど歩いたあたりで、数メートル四方がやや盛り上がったような地形に遭遇した。その手前に立ってしばらくすると、低い音を立てておもむろに地面がせり上がる。その側面には金属的な扉があった。
それが、「街」への入り口だった。
(ああ、こりゃ見つかるわけないわ)
もしかしたら、目が覚めたあたりに、これと同じようなものがあったのかもしれないが、知らなければ気づきようもあるまい。
促されるままに開いた扉をくぐると、どうやらエレベータらしい。機械的駆動音と共に、馴染み深い身体が軽くなる感覚を味わいつつ(重力制御みたいなのはないのかあ)などとぼんやり考えた。
しばらくして到着した場所は、地下とは思えないほど明るく広い、半球状の空間。
そこには多数の建造物が整然と建ち並び、街路を多くの人々が行き交う、まさしく人の住まう街だった。
「地下街とは思いませんでしたよ」
街の観察を続けながら、地上での道中同様、ヒイロは前を行くアンドロイド兵に気楽に話しかける。
「かつては、この惑星の地上に居住施設があったが、今はみな、地下に生活圏を移している」
日が昇っている間は比較的穏やかな気候だが、夜は極端に気温が下がり、不用意に野宿でもしようものなら凍死必至らしい。さらに時期によっては長期間激しい風雨に晒されるという、なかなか厳しい自然環境の惑星のようだ。実際、惑星原住の古代人は、永らく穴居生活がスタンダードだったそうだ。
故に下手に地上に住むよりも、気候の影響を受けにくい地下のほうが、効率的なのだそうだ。
街の外観は、いわゆる古典的SF風にキテレツ形状な高層建築物が建ち並び、その周囲を取り巻く透明なチューブの中を、車輪のない自動車がビュンビュンと行き来する……なんてことは一切なく、地下の街という点を除けば、21世紀の地球と大差ないレベルで「普通」であった。
建物も極めて普通だが、高さは天井を考慮して数十メートル程度に抑えられている。街中央にある「総合庁舎」と呼ばれる六階建てのビルが、一番大きな建物らしい。
ただ、個人の移動手段として、コミューターと呼ばれる完全自動運転のタクシー的なものが使われるそうで、それが通りをまばらに行き交う様子が伺えた。
このような地下コロニーは、凡そ数百箇所存在し、惑星全体で数千万規模の人口を抱えている。
それらコロニー群は、用途や目的に合わせ一定範囲で区切られた「エリア」という単位で管理されている。
ちなみにヒイロが最初に目指していた山の周辺が「サヤンシンイ山岳エリア」で、その麓には、かつて原住民が生活していた「古代遺跡」があるそうだ。
かつての都市名を用いて「ケイブローク遺跡エリア」と呼ばれているが、そこに着いて神を呪う前に彼らに出会えたのは、まさしく幸運だったと言える。
食い物を貰ったのが大きなきっかけだったのだろう、アンドロイド兵に対する警戒心はかなり薄れていた。(我ながらチョロいなあ)と、ヒイロは内心苦笑する。
そこから生じた気安さが、彼の胸のうちに、ひとつの疑問を浮かび上がらせる。
「ところで、あなた達アンドロイド兵も、『人類』って扱いになるのかな?」
「我々は、人類に使役されるため作られた道具に過ぎない。人類への奉仕者、それが我らのあるべき姿であり、存在意義だ」
迷いなく応えるその事実に、ヒイロは少々面食らった。
今までのやり取りから、彼らが「意思疎通可能な知的存在」に、十二分に該当するように思えたからだ。
その疑問を予測していたかのように、アンドロイド兵は補足するような言葉を続ける。
「かつて銀河には、極めて高度な機械知性たちが存在していた。だが帝国に反旗を翻したことで、その勢力は滅ぼされ、以後人類に匹敵する高度な機械知性の製造は禁止されることになったのだ」
敵対種族を絶滅に追いやる苛烈さは、ヒイロのイメージする「悪の帝国軍」そのものだ。しかし、その説明からすれば、彼ら自身「高度な機械知性ではない」と言う認識でいるようである。
事実、帝国軍所属のアンドロイド兵は総て「最下級兵士」であり、彼らに指示を出す「指揮官」としての人類を必要とするそうだ。
復数の街を擁するエリアごとに、「総督」と呼ばれる指揮官が配置され、おおよそ
「つまり君たちは、その指揮官の指示で動いているってこと?」
「基本はそうだ。もっとも、今回のような通常任務は『帝国法』に従って動いているが」
その上で、グレーゾーンの解釈などで、人類による最終判断が必要になるようだ。
なんとなく釈然としないものを覚えつつ、ヒイロは再び周囲の街並みに視線を移す。
行き交う人々の合間には、よく見ればアンドロイドと思しき存在が混じっていることに気づく。
件の二人のアンドロイド兵は、「エンフォーサー」と言う種類で、主に街の内外の警らを担当し、戦闘能力としても最低限のものしか無いそうだ。もっとも、衝撃波を放つ「パルスガン」を標準装備し、何処までも疲れ知らずで追跡してくる彼らは、一般人類に対しては充分な驚異ではある。
対して遠巻きに見えるアンドロイド兵は、より威圧感のある厳つい外観をしており、戦闘力も高めの「ガーディアン」と呼ばれる存在だ。主に重要施設の警備を担当しているらしい。
「あそこが我々の『詰め所』だ。着いてこい」
例のガーディアン二名が立っている、シンプルな外観の建物を視線で促す。
今更逆らう理由など無いので黙って後を追う。
入り口に着くと計4名のアンドロイド達が互いに目線を合わせた後、一瞬固まった。「目」に相当する部分がぼんやりと光ったかと思うと、会話をしている風に、何度か明滅を繰り返す。その直後、兵士達の間にある、金属製の扉が左右に開いた。
(中は結構普通だな)
入り口から入って、ロビーと思しき場所に出る。真正面の壁には大型パネルが設置してあり、何やらきらびやかな衣装をまとった、恐ろしく美人なお姉さんが、穏やかに微笑む姿が映し出されていた。
異星人らしさを感じさせる淡いオリーブ色の長い髪を揺らす、ヒイロの好みにどストライクな色白美人にしばし見とれていると、前方を歩いていたアンドロイド兵が振り返る。
「彼女は『星詠みの巫女』だ。先程更新した情報によれば、現在この惑星に慰問に来ているのだが、興味があるか?」
「ああー、ええと、興味があるっていうか、なんというか」
なんとなく、咎めているような口調に聞こえて、ヒイロは慌てて後を追いつつしどろもどろに応える。
「なんだか、初めて逢ったって気がしないなあと」
「それは、男性が初対面の女性の気を引く時に、しばしば使われるセリフだな」
珍しく嫌味っぽいセリフを吐いたかと思えば、一瞬思案するような素振りを見せる。
今までツーマンセルで行動していたアンドロイド兵だが、片方はロビーで別れ、残った片方がヒイロを案内している。途中で気づいたことだが、ヒイロと対話をしていたのは、常にこの片方だけだった。
そんなアンドロイド兵は、とあるドアの前に立ち止まり、例によって目を光らせる。
しばらくすると、音も立てずにドアがスライドして開いた。
「丁度いい。『異邦人』ヒイロ・サンジョウ、君に来客だ」
促されて中に入ると、そこは応接室らしい。テーブルを挟んで、向かい合わせにした三人掛けソファの片方に、どこかで見たような女性の姿があった。
「ヒイロ様、とおっしゃいますのね」
入室したヒイロに始めから目線を合わせたまま、彼女は白皙に柔らかな笑みを浮かべ、そしておもむろに開いた淡い緋色の唇からは、耳に心地よい優しげな声音が響いた。
生で見る彼女は、モニタ上のそれとは比較にならないほどに魅力的に映った。
「は、はじめまして」
やっとの思いでそれだけ返すが、特にフレームアウトだった「部分」の予想外な豊満さについつい視線が向きそうになるのを抑え込むのに必死だった。
そんな男の悲しい性を咎めるわけでもなく、彼女は興味深げに目の前の男性に視線を注いだ。
「なぜかしら、初めて逢ったという気がしませんね」
そう言って穏やかに微笑む謎の美女に、ヒイロは常らしからぬレベルで盛大に困惑したのである。
そしてそんな彼のすぐ近くで、機械知性が静かに情報分析していたことなど、まったく知る由もないことであった。
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