辺境銀河の異邦人/エトランゼ

天月 椎

第一章 Escape/大脱出。

プロローグ かごのなかのおとめ

 ――幼い頃は、何にだってなれると思っていた。


 その少女は、とある惑星国家の支配階級、その最上位である王族の末席として産まれ、何不自由無い生活をしていた。

 銀河の歴史に於いて、この惑星国家は極めて長い歴史をもち、かつては帝国主義的に近隣星系へと版図を広げていた時期もあったがそれも今は昔。

 辺境銀河に位置し、七つの惑星を擁するソラリス星系、その二番目の惑星である「ヒルメス」は、現在銀河の星図には存在していない。

 なぜなら銀河帝国を名乗る巨大軍事国家との激しい交戦の末、宇宙の藻屑と化したからだ。


「お前の美貌には、以前から目をつけていたのだ。わたしの元に来れば、良い思いをさせてやるぞ?」


 名目上は「難民」、実質捕虜として囚われた少女は今、「総督」を名乗る壮年男性の前に立たされていた。

 まだ幼さの残る少女を前に、如何にもな悪役セリフを恥ずかしげもなく吐く彼は、捕虜収容施設のあるエリアを管轄する指揮官である。

 大きな執務用デスクと、簡素な応接セットのみのシンプルな室内は今、彼と少女の二人きりだ。


(どうして、こんなことに……)


 成人式を明日に控え、何日かぶりの湯浴の後で、給仕用アンドロイドに着せられた室内着は、いつもの貫頭衣よりも肌触りが良いものの、薄布越しに透けて見える自身の素肌を否応にも意識してしまう。

 突然呼び出されたことも含め、彼が自分に何を求めて居るのかなど、世間知らずの少女ですら「触れず」とも解ってしまったからだ。


 かつてはヒルメスの属領として支配下にあった、近隣星系内の資源採掘惑星は、現在は「惑星ガーモス」と名を変え、帝国の支配下にある。

 帝国軍の擁する超兵器「メガ・フェイザーカノン」により破壊された惑星ヒルメスから逃れた多くの民間人は、その殆どが帝国軍に拿捕され、この惑星の一角を占有する「難民保護エリア」に収容されている。

 最後まで抵抗し続けた王族達の中、ただひとり逃された少女は、民間人に混じって、ひっそりと過ごしてきたつもりだったが。


「お前が王族の連枝であることは、調べがついている。蝶よ華よと育てられたお前には、ここでの生活は辛かろう?」


 突きつけられた事実と「辱め」に、少女は歯を食いしばるようにして耐えた。

 ここに「収監」されてすでに数年の時が過ぎているが、少女には労働者として求められる才能が著しく欠けており、その伸びもほとんど見られないいわゆる「劣等生」だったのだ。

 幼年教育プログラムから、彼女なりに必死にやってきたつもりだが、一人前と言うには程遠い。

 本来なら、成人を期に「二級市民」の資格が得られるはずだったが、充分な「貢献点」を稼げない現状では、成人後も「難民」待遇のままだと言われ、少女は激しく落胆した。

 自分の無能さに呆れ、何も言い返せないことが、とても悔しかったのだ。


 しかし、これには少々のカラクリがある。

 本来、帝国の施す基礎教育プログラムは、就学者の適性を見出し、伸ばすことに主眼を置いており、「落ちこぼれ」が出ること自体稀なのである。

 しかも慢性的に人材不足である帝国においては、あらゆる才能を零さず活用するだけの場など、いくらでも見い出せ、必要ならば作り出せるのだ。

 特に未成年者向けともなれば、更に手厚く、丁寧な指導が行われる。

 実際、少女は政務面に於いて極めて高い才能を有しており、「飛び級」的に「一級市民」への資格申請を前提とした教育プログラムが組まれるはずであった。

 その道を閉ざしたのが総督である彼だ。

 適性職の中で少女が最も苦手としていた「技師」向けの就学プログラムを、劣等感を煽りつつ言葉巧みに誘導し、無理に受けさせたのだ。


 そんな卑劣な仕掛けになど一切気づいていない少女に向かい、男は優しげな口調で諭すように訴えかける。


「そんなお前でも、慈悲深き帝国は見捨てたりはしない。わが伴侶として、将来帝国を担う『子』を産み育て上げることも、立派な職務だぞ?」


 ヒルメス王族の末裔として、子を成して次代へ繋ぐことは、重大な使命であると、少女は認識していた。しかし、相手が帝国軍の人間/ヒュムとなれば、話は別だ。

 銀河最大勢力であるものの、他種族と比較して能力的に突出したところの無いのがヒュムの特性だが、特に帝国人のそれは、「サイキック」と呼ぶ特異能力者の血を、自らの血統に取り入れることに対し、極めて貪欲なことで知られている。

 預言者の一族として名高い「古代ヒルメス人」を祖に持つ現代のヒルメス人も、強力な特異能力を持つ者は多い。王族の血統ともなれば特に顕著で、少女自身も、触れた相手の感情を読む、「接触テレパス」という特異能力を持っている。

 帝国軍によるソラリス星系への侵攻も、その血統を取り込むことが目的だと言っても頷けるほどだ。そんな連中の尖兵として、自分の子孫が使われ続けるなど、最後の王族として決して看過できることではなかった。

 故に、少女の答えは決まっていた。


「お前ほどの血筋なら、正妻として迎えてもかまわんと思っているぞ?」

「拒否します」


 そんな虫の良い提案を毅然とした態度で跳ね除け、少女は男の目を真っ直ぐに見返す。

 それは幼いながらも、確かに高貴な血筋を感じさせるものだった。


 しかし、華奢で非力な四肢には、少女のささやかな矜持すら守り切る力などなかったのである。


  *


 翌朝、成人を迎えた少女の小さな食卓に並べられたのは、何時もより少しだけ質の高いものだった。


(ああ、甘味も加わったのね)


 故郷で食べていたものとは比べ物にならない質素なデザート、ほんのりと甘いゼリーは、血を思わせるような濁った赤い色をしていた。

 これが少女の「初めて」の対価だと思うと、溢れる涙で甘みなどかき消されてしまった。


 成人式を迎えることで、収容所の子供たちは帝国の市民権を得ることになり、それぞれの能力に見合ったエリアへ送られ、そこで帝国に貢献するために働くことになる。二級市民とはいえ、その待遇は難民時代とは比べ物にならないほど優遇される。

 専用の個室が支給され、個人資産を持つことを許され、街中のみではあるが、外出の自由も在る。あとは才覚次第で、より上の待遇を得ることだって出来る。

 しかし。


「わたしには、関係ないことね」


 技師官として貢献点を稼ぐ道が断たれた以上、少女が取れる選択肢は殆どないに等しい。

 その上で総督からの誘いを拒絶した少女は、「市民権獲得」の意志なしと見做され、成人式への参加は許されず、成人後も「難民」という待遇で、収容所に残ることになった。もちろん、今までどおり外出の自由などない。


 そして「才能がない」とされた少女に与えられた役職は「下級慰問官」であった。

 所内の者たちを慰撫するため、己の技芸を振るうことがその役割である。


「歌唱、舞踊、どんな方法をとるかは、お前の自由だ。帝国は、自由を重んじるのだ」


 初めての「仕事」を終えた後の、蹂躙され尽くされ、力なく横たわるだけの少女を見下ろして、男は淡々とそう告げた。

 エリア内での人事権は総督が掌握しており、ここで生きていくためには、どんな屈辱であろうと、受け入れるしかなかったのだ。

 満足げに笑いながら執務室を出ていく男の背中を思い出し、少女は激しい吐き気を催した。なぜなら、「触れた」瞬間流れ込んで来た、自分への強い執着心に、嫌悪感しか沸かなかったからだ。

 そこには愛などという暖かな感情は何一つ見えず、ただ、「モノ」として縛り付けるだけの、悍ましいものだった。


「何が自由よ!」


 癇癪を起こして給仕トレーを弾き飛ばすと、飛び散った流動食やら固形食が、手狭い個室の床を汚す。

 すぐにセンサーが感知し、眼の前に四角い半透明なスクリーンが浮かび上がる。

 接触型ホログラフィックインターフェイス、通称・ホロウィンドウと呼ばれるそれは、画面一杯を使って清掃処理の申請を促していた。

 今は亡き故郷にも、この手の情報端末システムは存在したものの、幼い頃はあまり触れる機会が無かったため、今以て苦手意識が抜けないでいる。

 慣れない操作に戸惑い、結局何時も通りに音声操作で対応した。


「ごめんなさい、お願いするわ」


 あまり複雑な操作には向かない上に、いちいち言葉にするのが、独り言のようで恥ずかしいが、背に腹は変えられない。

 そしてホロウィンドウが、無事申請を受諾した旨を報告してきたことを確認し、ほっとため息をつく。


(いつまでもこんなじゃ、この先思いやられるわね)


 少しだけ冷静になった少女は、清掃アンドロイドが来るまでの間、操作の練習がてらにホロウィンドウに申請可能項目の一覧を呼び出して眺めた。

 難民待遇のままとは言え、成人した以上は出来ることがそれなりに増えるようだ。

 特に目を引いたのは、「役職」に付随する待遇として「湯浴みの申請」が毎日出来るようになっていたことだ。

 今までは週一でしか申請許可が出ず、光学的浄化処理に頼っていたが、あれではリラックスも出来ないし、細かいケアも難しいのである。

 対人業務なのだから常に身ぎれいにしておけということだろうが、それなりに嬉しいことではあった。


 そうこうしている間に、ドアが開いて見慣れたアンドロイドが入ってくる。

 女性的な丸みを帯びた、やや小柄な機体だが、その分小回りが効き、とても器用でパワーも十二分にある。

 昨夜、歩くのも辛かった少女を部屋まで抱えて連れてきてくれたのも、「彼女?」だった。

 もっとも、あの時の自分が、今床を汚している元・配給食と重なって見えてきて、素直に感謝して良いものか迷ってしまう。


 そんなアンドロイドが手際よく部屋の掃除をするのを複雑な心境で眺めながら、少女は朝食前のことを思い出す。

 起き抜けに部屋に訪れたのは、清掃用よりも一回り大きい、医療用アンドロイドだった。

 覚醒処置を行い、はっきり目を覚ました少女に対し、幾つかの説明を行うと、彼女は少女にとある薬物を投与していった。


 有り体に言えば、それは「不妊薬」である。これも役職に伴う待遇らしい。

 まだ子を宿す準備が出来ていない身体だが、そろそろ兆候があってもおかしくない頃である。この処置が在れば、あの男の子供を孕まなくて済むのは幸いだと思った。


 しかしそれは、妊娠できない状態を強制されているということでもある。

 次代を繋ぐことすら許されず、ただ戯れに嬲られるだけの存在が、今の彼女なのだ。


  *


 あれからまた時は流れ、少女と言うには少し大人びてきた彼女は、今も変わらず一人部屋で静かに過ごしている。


 下級慰問官としての仕事は、予想に違わず決まりきったものだった。

 慰問専用に用意された特別な部屋にて、ささやかに彩られた姿で、夜ごと訪れる男たちを迎え入れる日々。

 拙い技芸でやり過ごそうと試みたことも幾度かあったが、そんなものは前座にもならず結局は力づくで組み伏せられることになった。彼らは、所内でそれなりの功績を積んで、その報酬として「慰問」を求めた者たちであり、それは当然の権利なのだ。


 その間、何度も「総督」からの誘いが有ったが、彼女は頑なに拒絶を続け、その度に、腹いせのように激しく嬲られることになった。

 所内の男たちはまだ良い。多くは、同じヒルメス人の同胞である。理不尽な目にあった彼らを慰撫するのは、元王族としてのせめてもの責務と割り切れたし、仮に孕むことになっても、受け入れる覚悟もあった。

 しかし、力づくで自分を汚したあの男だけは決して許せなかった。それなのに、拒絶すら許されない弱い自分が、情けなくて、悲しくて仕方がなかった。


 ただただ泣いて過ごした日々はとうに過ぎ、施設内総ての男達への慰撫を済ませた頃には、彼女は殆どの感情を失うほど擦り切れていた。

 如何な美貌の持ち主とは言え、人形のように無反応ともなれば相手をする男たちも面白いものではない。

 自然と扱いが乱暴になり、彼女の白い肌には細かな痣や傷が消えず残るようになった。

 帝国臣民に施されるものからは、数段ランクの落ちる治療薬では、消しきれないほどに。


 そして定期的にケアに訪れる医療用アンドロイドから、ついに身体も大人になった事実を知らされる。

 薬で抑えられているため、女性特有の生理現象がないこともあり、それをあまり実感できないでいたが、その日以降、新たな不安が彼女の胸を埋め尽くした。


(お薬、ちゃんと効いているよね?)


 もしも治療薬のランクを意図的に落とせるなら、不妊薬にも同じことがされているかもしれない。

 世間知らずだった少女の頃とは異なり、あの男のやり口はもう理解している。

 権謀術数渦巻く宮廷で生まれ育ち、幼いながらもそれなりの教育は受けている。必要な情報が揃えば、筋道建てて状況を推測、理解するなど容易いことだった。


 その推測を裏付けるようなタイミングで、突然長めの休暇が得られることになった。

 傷が癒え切らないことを理由に、あの男が「便宜」を図ったという。

 そう恩着せがましく耳元で囁かれても、彼女の心は微塵も動かない。

 なにより休暇と言いつつも、男からの呼び出しが増えるだろうことは想像に難くない。

 そこまで激しく求められるなど、女冥利に尽きる、なんて考え方も出来るかもしれないが、初めてを奪われた時の屈辱と嫌悪を思い越せば、到底受け入れられるはずもない。


 一度孕んでしまえば、折れるとでも思っているのだろう。

 けれど今の少女の弱った心では、それを否定しきれないのも事実だった。

 そんな恐怖を押さえ込みながら、自分の上で醜く喘ぐ男が歪んだ情欲を吐き出す様を、彼女は冷ややかな目で見下ろした。


  *


 そんな彼女の元に転機が訪れた。

 嫌いな男の相手を終え、その痕跡を念入りに洗い流した後のこと。

 自室のベッドに横たわり、傷ついた心と身体を休めていた彼女だが、ふとすぐ近くに人の気配が現れたことに気づく。


(今夜はもう、慰撫の予定はないはずだけれど……)


 何時もより遅い時間ではあるものの、こうして突然、男が自室を訪ねてくることは、珍しいことでもない。慰問官として相手をするより、恋人同士のようなやり取りを好む者も少なからずいるのだ。

 もっとも、そんな演技を求められたところで、恋愛経験など一切無い彼女にとっては、応えようがなかったりもするのだが、得られる貢献点に多少の色が付くのは、概ね満足してもらえているのだろうと解釈している。

 今回も、そんなイレギュラーのひとつ。そう流して、彼女は視線だけを動かし気配のある方を伺うと、薄闇の中には、大柄な男の姿があった。

 今まで相手にしてきた所内の男たちは全体的に細身だったので、初めて見る男になる。

 多少反応して見せなければ、すぐ乱暴にされることは経験済なので、けだるい身体を押して半身を起こそうとするが、男はそれを制するよう、覆いかぶさってくる。


(いきなり始めてしまうの? 随分、せっかちな人)


 薄手の貫頭衣に手がかかり、おもむろにたくし上げられていく。彼女はされるがまま、やや荒れ気味の肌の上を布がすべる感触に、少しだけ身構えした。

 薄明かりの元、顕になった裸身を、男はひとしきり眺める。

 全身に感じる男の視線、ふと傷だらけの醜い身体を思い出して、いつにない羞恥を覚え始める。


「ひどいものだな」

「え?」


 思いの外優しい声音と、予想外の反応に、彼女は思わず声を上げた。


「君はもう少し、男の扱いを覚えたほうがいい。今までのことを想像するに、そんな余裕もなかったのだろうが」

「あなたは……いったい?」


 疑問をおぼえて口にした自分の言葉は、予想外にかすれていて、かつては美声と讃えられた面影は少しも残っていない。あの日から、随分とたくさんのものを失ってしまったのだと、彼女は改めて自覚する。

 悲嘆と恐怖の狭間で擦り切れきったはずの心に、ほんの少しだけ暖かな情動が戻ってきている事には、まだ気づいては居ない。


「喉も、随分と痛めているようだ。今は、無理に喋らなくていい」


 そう言って、男の大きな手が、髪を優しく撫でる。

 久しく使わずにいた異能は、ただ優しく労るような感情だけを伝えてきた。

 もともと口下手なのだろう、ぶっきらぼうだけれど、一言一言、慎重に言葉を選んでくれて居ることは、異能に頼らなくても理解できた。

 こんなふうに、優しく扱われたのはいつぶりだろうか。

 もはや見ることのない故郷の景色、そして優しかった母の手の暖かさ思い出し、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。


「『ヒルメスの姫巫女』よ、君の使命は知っている」


 久しぶりに耳にしたその呼び名。彼女は目を大きく見開いて、近くにある彼の顔を改めて見つめる。

 薄暗がりではっきりとは見えないが、自身によく似た深緑色の瞳――姫巫女の血筋に現れる――から、彼女はひとつの答えにたどり着く。


(姫巫女の系譜、けれども男性……古代・ヒルメス人!?)


「君のことは、色々と調べさせて貰った。次代へと繋ぐ、子を成さねばならんのだろう? その手助けに来た」


 王族であろうとも畏怖すべき偉大な存在。しかし、やや不遜な物言いが、若干彼女を不快にさせる。

 その事に気づいたのだろう、すぐさま取り繕うように言い訳を始める。


「……すまない、格好つけすぎた。『憧れの女性』を前にすると、平常心では居られない」


 そう戯けて笑ってみせる彼が、とても可愛らしく思え、先程の不快感などすぐに霧散してしまう。何より隠そうともしない真っ直ぐな好意に、久しく失っていた自尊心をくすぐられた。


(女性の扱いに、それなりに心得があるようですが)


 その割に、どこか初心なところが残る彼に、彼女は強く興味を惹かれる。

 彼にも彼なりの事情があるのだろうが、利害は一致している。番う相手としても申し分なく、またとない機会であるのは確か。ならば、受け入れるのも吝かではない。

 そう決めたその直後、訪れたのは、いつにない胸の高鳴りだった。

 覚悟はしたつもりだったが、いざ彼に抱かれるのだと考えると、冷え切っていた心と身体に熱い情動がめぐる。


(ああ、きっとこれが、「恋」というものなのね)


 色々と言い訳を並べ立てたものの、解ってしまえば何のことはない。

 ひと目見ただけで、彼に強く惹かれていたのだ。

 不意に自覚した、初めての想い。それとは裏腹に、彼の表情は翳る。


「他に、選択肢があったのかもしれない。けれど、俺は君を抱くことを選んだ。君の意志とは無関係に」


 悲しげにつぶやく彼に、彼女は自分の想いを告げようとするも、今の自分の醜い声を思い出して躊躇する。

 そして戸惑いがちに開きかけた唇は、彼の唇で強引に塞がれてしまった。


(好意を抱いた相手に見栄をはりたくなるのは、女だって同じこと。でも、この想いは伝えたい。だからせめて……)


 彼への想いを異能に乗せ、唇越しに送り届ける。


『あなたを愛しく想っています。だから、あなたの子が、欲しいのです』


 永らく異能の修練を怠ったことで、「言葉」としてはっきり伝えられるほど熟達していないことを、今ほど悔やんだことはない。

 ただ優秀な子種が欲しいだけの浅ましく、ただ快楽を求めるだけのはしたない女だとは、思われたくはなかった。

 けれど、そんな心配を他所に、直後彼から返って来たのは、優しく暖かな親愛の情だった。


(ああ、ちゃんと伝えられた。伝わってくれたのね!)


 互いの心が通じ合った事を感じ、彼女の想いは炎のように激しく燃え上がった。

 そこから先は、彼女にとって夢のように幸福な時間だった。


(ああ、彼と、一つになっていくのを感じます)


 薬によって停止していたはずの「母となるための機能」が活性化し、それが当然であるかのように、二人の遺伝子を引き合わせる。そして彼女は、自らの内に新たな命が宿ったことを確信した。


 これからどんな不幸が、どんな困難が待ち受けていようとも、耐えられるだけの思い出を、「初めての証」とともに深くその身に刻み込まれたのだ。


 あとはもう、王家の使命などどうでも良いことのように、彼女はひとりの女として、更に貪欲に彼を求めた。上気し汗にまみれた裸身、彼に触れられて居ないところが無くなるよう、手と唇で彼を導いた。

 少々いびつかもしれないが、確かにこれは愛し合う男女の営みだった。


「ほんの一夜限りの交わりだが、わたしは生涯、君ひとりを愛すると誓う」

「忘れません。心はずっと、あなたの元に」


 かつてとなんら遜色のない、否、艶を交えることで、一際魅力を増した美声が響く。

 そしてほんのりと濡れて輝く白皙には、不思議とシミひとつなかった。

 そこに居たのは、傷つき枯れ果てた、虚ろな瞳の少女ではない。匂い立つような色香を纏わせる、幸福なひとりの女だった。


 別れ際、最後の口づけを交わしたあとで、女は男の耳元で小さく囁く。

 それは「ヒルメスの姫巫女」としてではない、幼い頃の彼女本来の名前。もはや誰も知る人も居ない、彼女が彼に贈れる最後の宝物だった。

「真名」の重みを知る男は力強く頷くと、彼女がしたように自らのそれを贈った。

 ヒルメス王族の慣習であるそれは、婚姻の儀を意味するものだった。


「忘れないで。誰にも教えないで。それはもう、あなただけのものだから」


 異能なのだろう、虹色の光に包まれ、幻のように消えていく男の姿を、彼女は精一杯の笑顔で見送った。

 涙越しにきらめく、幾重にも重なる極光が消え去ると、部屋はまた静寂に包まれた。


 本当は、自分を連れて行ってほしい。けれど、それは許されないことだと理解してしまった。

 この鳥かごのような小さな部屋こそが、今、この銀河で最も安全な場所。

 そこで「この子」を産み、育てることが自分の使命なのだと。


 それは一人の女が、母として生きることを決めた瞬間でもあった。


  *


「星詠み」の少女の導きにより、消えかけた運命の星は再び正道へと戻された。

 数多の星々に埋もれ行く、名も知らぬ男女二人の想いが、希望の光を次代へ紡ぐ。


 銀河を覆う暗雲、待ち受けるは巨大な野望と渦巻く陰謀、数多の謎と危険な罠。

 立ち向かうは熱き冒険心と尽きない勇気、そして時空超える恋愛浪漫。


 さあ、準備はいいか? 物語は、ここから始まる――!

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