流血√1仲間のために



そのとき、聞きなれた声がした。


——アレン!」


ぼやけた視界の中で淡い金色の髪の男が目に入る。

ジョゼフだ。

彼がこちらに駆け寄ってくる。

ああ、これはどこかで見たような光景だなと心の片隅で思う。

「大丈夫か!」

ジョゼフがそう聞くけれど返答すらろくに返せない。

「……ッ」

「動かないでいい。すぐに病院に……」

彼が支えようと体制を変えると身体が拒絶した。

胸の筋肉が痙攣して肺に生暖かい液体が流れ込む。

「はッ、……!ッ、ゔ……ッ!」

激しくむせ込むと生暖かい液体が口の中に溢れて吐き出される。オレを支えているジョゼフの腕に血が滲んだ。

「アレン!」

意識が朦朧としてくる。

焦ったように呼ぶジョゼフの声が酷く遠くにあるように聞こえた。

いつも冷たいジョゼフの手が今は熱く感じた。

その温もりだけが今自分を支えているものの全てのような気がした。

縋るように固くその腕を握り、悪寒が来るのを堪える。

「……急ぐ。我慢しろ」

身体を持ち上げられる。

痛みが走って呻くが、声が酷く掠れて声にならなかった。

ジョゼフはそのまま黙って走り出した。

ああ、またオレはお前に情けない姿を見せたな。

そんな後悔を最後に意識を手放した。



◆◆◆


聞きなれた心電図の音がする。

目を開くと白い天井が目に入った。いつも見慣れた光景だった。

オレは……確か……

思い出して起き上がると肺に溜まっていた血が逆流して口に流れ込んできた。

「う゛……ッ!」

咳が込み上げてきて口元を押さえる。堪えようとするが息を吸うと胸が鋭く痛んで大きくむせた。

咳の衝動で胸の筋肉が引きつる。

「いッ……て、ェ……ッ」

急な激痛に思わず蹲った。

「すぐ起き上がるな」

そう声がして小さな金盥が差し出される。

ジョゼフだった。

むせながら血を金盥に吐き出す。

震える背中をジョゼフの手がさすった。

咳がようやく治まって顔を上げた。


「オ、レ……は……」

かすれているけれど声はちゃんと出た。聞くとジョゼフが答えた。

「点滴して一日中寝てた」

ジョゼフの服に血がこびりついているのが目に入る。

着替えもしないでずっと待っていたのか。

「……お前に、情けない姿を見せた」

ジョゼフが口を開く。

「俺がマリーだったら今お前をぶん殴ってた」

安心しているのか、怒っているのか、どちらとも言えない調子でジョゼフが言った。

「……ああ、そうだな」

「どうして無茶ばかりする」

今は自分の気持ちに素直になることが出来た。自分の感情を口にした。

「お前が羨ましい。お前は強いんだ。その身体も、その心も。オレには届かなかったもの全て、お前は持っている。……オレは弱い。見ろよ、少しも外を出られないこの身体を」

そう口に出すと、かつての指揮官としての自分が跡形もなく消えたような心地になった。

か弱いやせ細ったただの病人だだけがここに残されている。

「……強くなりたかった。気持ちさえあれば、身体も付いてきてくれると思い込みたかった」

自虐的に笑ったが、堪えきれずに俯いた。

「認められるわけねえだろ……こんな、オレを……」

ジョゼフはしばらく黙っていたが、やがてこちらに近づいてこちらの手を握った。

生温い掌の温度に発作が起こった時に彼の温もりに縋ったことを思い出した。

あんなに一緒にいたくなかったのに、その体温にどこか安心した。

「……俺はお前を弱いと思ったことは一度もない。俺は完璧なんかじゃない。心だってあってないようなものだった」

ジョゼフがこちらを見据えた。

「俺の心が強く見えるとしたら、それはお前とマリーがいるからだ。2人が俺を支えてくれるからだ。……お前が死ぬかと思った時、とても恐ろしくなった」

そう言ってジョゼフが言葉を途切れさせた。

彼の掌から微かな震えが伝わって来た。

彼の無表情な顔よりもはっきりと感情が伝わった。

ああ、本当にこいつ、怯えているんだ。

苦しんでいたのはお前もだったのかもしれない、ふとそう思った。

ようやく今まで自分のことばかり考えていたと気付いた。

「……心配かけさせた」

「……俺だけじゃない。ルイスも、マリーもだ」

「……ああ」

「アレン、俺たちがいる。だから、もっと頼れ」

「……ん」

ジョゼフの言葉に今は素直に頷けた。

「……看護師がお前は当分しっかり療養が必要だと言っていた」

「……療養は好きじゃねえ……」

「俺もマリーもルイスもまた来る。しっかり治せ」

そう言われれば渋々了承するしかなかった。

「……分かったよ」

「面会は数分だけって言われてる。そろそろ俺はここを出る」

そう言ってジョゼフがドアの方を向いた。

「ジョゼフ」

「なんだ」

「……ありがとう」

そう言うとジョゼフが微かにほほ笑んだ。


彼が出て行くと部屋に静けさが戻ってくる。

痛み止めが切れてきたかもしれない。身体の痛みが増した気がする。

体制を変えようとすると胸に痛みが走る。

体調はとても良いとは言い難い。

呼吸をすれば肺が震え胸は軋む。ボロボロだった。

いつ治るかも、治ることが出来るのかも分からない。それでもまだ希望は失えない。治すしかない。オレには共に生きていきたい仲間がいる。

まだ死ねない。命が惜しい。

「……絶対、治す」

弱弱しい息で、それでもはっきりと呟いた。

今度こそまたあの海を見に行こう。

そう決意して、曇る雲を見上げた。






仲間のために END

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