酒に呑まれる

酒に呑まれて


酔っぱらいアレンの話。



夕刻、いつもより遅い面会となりそうだったがまだ面会時間には間に合いそうだったので見舞いに行くことにした。

病院に入り、アレンの部屋のフロアに入ると看護師に止められた。

「すみません、ジョゼフ様。今はちょっと……」

「……あいつの病状が悪化したのか?」

そう聞けば看護師が首を横に振る。

「いいえ、でも少し異常状態でして」

「異常状態?」

「まあ、大したことはないのですが。今はやめておいて下さい。ルイスさんが対応しているので」

「ルイスが?」

「ジョゼフ様が入るとまた収集付かなくなると困るので……」

看護師に聞いても何が起こったか理解できない。

もう少し理由を聞きたかったが看護師は腕時計を先ほどから気にしている。

業務を止めても悪いだろうと思い、長く引き留めるのはやめておいた。

「……時間ならある。ここで待っていてもいいか?」

「ええ、それなら構いません。ルイスさんが戻ってくると思うのでそれまでお待ちください」


病棟のロビーで40分ほど待っているとアレンの病棟の方面からルイスが現れた。

「ふぃい~疲れたあ……」

無駄にサラサラの髪も今日はボサボサに乱れている。台風に遭遇したかのようだ。

俺に気が付いたルイスが声をかけてきた。

「あ、ジョセフ様」

「何があった」

ルイスにそう問えば彼が口先を尖らせて指先で頭を掻いて首を傾げた。

「うーんとお、お話すると長くなるんすよねえ。うーんとお、どうしよっすかねえ~うむむ~」

妙なポーズで悩むルイスを前にするとなんだか殴りたいという感情が湧いて来た。

「悩むな」

「悩むなってなんすか!?ちょ、固く握った右手を下ろしてくださいよ!なんで殴り掛かる直前のポーズなんスか!?」

どうにもルイスを目にすると暴力性が俺にも出てくるらしい。

「なんか手が動いていた」

「勝手に動くモンなんスか?」

「それで話は」

「うーんとお……」

「……俺の手が動く前にな」

そう告げるとルイスが慌てて言った。

「えーと、話を短くすると俺が前に助けたぶどう農家の人からお礼にってたくさん酒とジュースをくれたんすよ。そんで、指揮官の見舞いにぶどうジュースでもと思って持って行ったんスよ。そしたら、それが酒だったみたいで」

「酒?あいつにそんなもの飲ませていいのか」

あちゃーとルイスが頭をかいた。

「ダメだと思うっす。俺も渡す直前で気が付いて止めたんすよ。『指揮官さまはお酒なんて100年早いっすよ!これは大人の味なんだから指揮官はぶどうジュースがお似合いっすよ!』って」

「……本当にそう言ったのか」

ルイスが真顔で言った。

「はい?そうっすけど」

「……」

頭が痛くなってきた。これほど悪意無く挑発できるのはもはや天才の域だ。もう先の光景が見える気がした。

「……それで?」

「指揮官、めちゃくちゃキレて……酒ぐらい飲める!バカにするのも大概にしろ!って言って飲んじゃったんスよね。そしたら、指揮官酔っぱらうと見境なくなるタイプだったみたいで……」

「……だから俺は看護師に部屋に入るのを止められたんだな」

「もー、俺指揮官が暴れるからなだめるの大変だったんすよ。如何なる場所でも敵に来られてもいいようにここで特訓する!って言い始めて……数発くらったっす、イテテ……」

「お前の自業自得だ。あいつは大丈夫か?」

「今はすっかりお疲れで寝ちゃってるっす。看護師さんが様子を見に来たけれどまあ二日酔いくらいはするかもしれないけど体調は問題ないそうで」

その言葉を聞いて息をついた。

「……それなら良かった」

「折角だから見に行ったらどうっすか?まあ、寝てるだけなんすけど」

「ああ、そうする」

「あ、指揮官の寝顔が可愛いからってチューしたりイタズラするのは禁止っすよ~」

ルイスがうざったくそう言うとまたイラっとした。右手を握り込むとルイスが後ずさった。

「え、なんで拳を俺に向けるんすか!?」

「……お前といるとなぜか勝手に動く。不思議だな」

「あ、俺、もう帰るっす!遅いと奥さんに怒られるんすよ~!」

ルイスが慌ててそう言って風のように去って行った。

よくアレンと上手くやっているな、あいつ……案外アレンは俺より心が広いんじゃないか?

今さらそう思った。


ノックも控えめに病室に入るといつもとは違うアルコールの匂いがした。普段するエタノールの消毒的な匂いではなく、甘ったるいぶどうの香りだ。締め切った室内にその匂いが充満している。慣れない香りに少し眉を寄せた。

ルイスをボロボロにした元凶は何事もなかったかのように静かに寝息をたてている。

寝ている姿からは普段の怒鳴り散らしている彼が想像つかない。

頬が酒のせいでいつもより赤くなっていて、それが一層子供じみて見える。

サイドテーブルにワインのボトルが置いてあった。これを飲んだのか。

手に取って眺める。まだ中身が入っている。流石に全部飲むのはルイスが止めたようだ。

ワインボトルを置くと思いがけず音が部屋に響いた。

しまった、アレンの方を見やれば彼の瞼が震えてゆっくりと開いた。瞳の琥珀色の色彩がこちらの姿を映す。

「……すまない、起こしたな」

寝起きのアレンはぼんやりとした表情のままじっとこちらを見ていた。ややあって彼が口を開いた。

「……ジョゼフ?」

「ああ」

アレンは独り言のように呟いた。

「変だな、こんな時間にお前がここにいるなんて……」

そう言いながらベッドから起き上がろうとする。

危なっかしいのでそれを手伝ってやった。

言われてみれば今日はいつも面会する時間より遅くなっていた。

ルイスが散々彼に構っていたせいだ。面会時間はとうに過ぎていたが、長い時間待っていた俺を看護師が配慮してくれたのだろう、特別に今日は時間をくれているらしい。

アレンが納得したように言った。

「分かった、そういうことか」

「何がだ」

「夢だ」

「……夢?」

言葉の意味が掴めず聞き返した。

「うん、そうだな」

一人で頷く彼に言った。

「いや、アレン。俺は意味が分からない」

「オレさ、よくお前の夢見るんだよ。そんで、これは夢だって、夢の中で分かるんだ」

「……今も夢だってことか?」

そう聞けばアレンが笑った。

「ああ、夢だ。今すごく現実味がねえんだ。空間がふわふわしてる」

そう言ったアレンはいつになく上機嫌な様子だった。呂律が普段の調子に比べて怪しい。どうやらまだアルコールが抜けていないようだ。

「空間がおかしいのはこいつのせいだろう」

テーブルの上のワインを指さすとアレンが嬉しそうに言った。

「ああ、そういえば今日酒を飲んでやったんだ。でも残念だな。オレは酔ってねえ。全く平気だった」

「平気そうには見えないがな」

聞く耳を持たず、アレンがこちらに指を突き付ける。

「今度はお前と飲んでやる」

「……俺は酒をわざわざ飲みたいとは思わん」

「いいか、飲み勝負だ。先に倒れたら負けだ」

「看護師の許可を得ろ」

「いいに決まってる。飲んでも平気だったんだからな」

そう言って胸を張った。

赤い顔でよくそんなことを言うものだ。

酒を飲んだことを周囲から散々心配されるような身体だというのに。

無邪気に言うアレンを前にすると酒を飲むなと真正面から言うことは気が引けた。

「……ジュースの勝負なら付き合ってやる」

「なんだよ、逃げる気か」

「酒を飲む気はない」

そう言うとアレンがむくれた。

「なんだよ、大人のくせに酒も飲めねえのかよ」

そんなことを言う彼は全く大人に見えない。拗ねる子供のようだ。

お前に言われたくないとは思ったが下手に今のアレンを挑発する言動はやめておいた。

「……そこまでして酒が飲みたいのか?」

聞けばこくりと彼が頷く。

「一緒に酒を飲んで語らえばお前の本音も聞けるだろう」

「俺の本音?」

「酒って言うのは人の心を自由にするもんだろ?」

「酒に期待しすぎだ」

アレンが手を伸ばしてこちらの胸に触れた。

「お前の中がどうなってるのか見てやりたい」

いつものこいつの行動にしては随分と距離が近い。

「……俺の心なんか知っても何にもならないだろう」

「オレの心くらいお前に見せてやる、ほら、分かるだろ」

そう言ってアレンが俺の手を取って自分の胸に当てさせた。

寝巻き越しに早くなっている鼓動と熱い体温が伝わる。

分かることはやはりこいつは相当に酔っているということだ。

「……そんなことで見えはしない」

そういえばアレンが不貞腐れる。

「オレはこんなにも知りたいのにお前は本音を隠してばかりで何も教えてくれない」

そう言って俯く。先ほどまであんな上機嫌だったくせに、酒が入ったアレンは言動が読めなくて厄介だ。

「本音を隠してるつもりもない」

いじける彼の瞳を覗き込んむように目を合わせる。

「……俺はお前が考えてる以上にお前を大切に思ってる」

アレンは大人しくこちらを見上げている。

なんだか小さな子供を諭しているみたいだ。

「これが本音だ。だから、そんな顔をするな」

しばらくアレンは神妙そうに俺を見ていたが噴き出した。

「ッ……ふはっ……!」

眉根を寄せたこちらにアレンがけらけらと笑う。

「はは、何だお前、真剣な顔しやがって」

話がどうやら全く通じていなかったらしい。

「……お前な」

まともに取り合って損した気分になる。なんだ、こいつ。

正気じゃない相手に真剣になるだけ無駄か。

「……さっさと寝て酔いを醒ませ」

そろそろ引き上げ時だろう、撤収しようと立ち上がった。

「もう帰るのか?飲み比べが終わってねえぞ」

「ワインは回収してく。お前は水で十分だ」

そう言いながらワインを取ろうと身をかがめる。

これの代わりにコップに水でも入れといてやるか、そんなことを考えているとアレンがこちらに身を寄せてきた。

「おい、」

首に腕を回されて、アレンの身体が密着する。

ワインを取ろうとした手を止めた。

「……どうした」

別にい、と呂律の回ってない口調でアレンが絡む。 密着した身体から酒の匂いが漂った。

「離れてくれないと動きにくい」

「夢の中くらい、どうやってもいいだろ」

「……これは夢じゃない」

そう言ってもアレンは笑って動こうとしない。

今日のこいつは予測ができない。

「……今日のお前は忙しいな」

どうするかな、そう思っているとアレンがぽつりと言った。

「俺はな、お前が夢に出ると嬉しい」

いつになく素直なことを言う。本当にアレンか、こいつ。

「……だから、夢じゃないって言ってる」

俺の心を知りたいと言ってきたこいつの姿を思い出す。これも、今のアレンなりの愛情表現なのかもしれない。もっとも、本心云々関係なく酔うと抱き着き癖があるだけかもしれないが。

それでも無邪気な様子のこいつを見ていると首元に絡む腕を振りほどく気が起きなかった。

ワインを取ろうと宙に止まっていた手をアレンの背中にそっと置いた。

くすくすとアレンが笑い声を漏らす。

「夢のお前はオレを拒絶しねえんだ。現実でこんなことをしたら、お前はきっと……」

そう言ってアレンが黙り込んでしまう。

それ以上は何も言わなくなったので彼に呼びかけた。

「アレン……?」

彼から返答がなかった。深い呼吸の音が聞こえてくる。

「……寝たのか」

抱き着いた姿勢のまま眠ってしまったようだった。

「……人騒がせな奴」

そっとアレンの身体を持ち上げた。

彼の身体は見た目以上に軽い。

無理もない、普段あれほど元気そうに見えているが病人だ。

あのエネルギーがこの身体から生まれてくることがふと不思議に思えた。

ベッドの上に寝かせてやって、眠りこける彼を見下ろす。

ルイスで暴れた後に俺にも散々絡んで、体力を消耗したのだろう。

サイドテーブルの上のワインはきちんと没収して、病室を後にした。



◆◆◆◆


「頭がいてえ……」

翌日の昼、病室のベッドの上で唸るアレンにマリーが叱咤する。

「馬鹿じゃないの?どうして酒なんて飲むのよ」

「オレの意思で酒を飲んで何が悪いんだよ」

「飲んでヘロヘロになってるのはどこの誰かしら。ダッサイわね」

「うっせえ!オレは酔ってなかった!」

「えー!ルイスがベロンベロンだったっすよ☆って言ってたもの」

「あいつ……!い、いいや、誰もあの日は見舞いに来てねえし俺は覚えてねえ!」

「じゃあ酒は誰が持ってきたのよ」

そう聞かれるとアレンが小声になった。

「お、俺が買ったんだよ……」

「えー!酒が病院で買えるんですかあ~?」

挑発するマリーをアレンが睨んだ。

「うっせえ、アホ女!大声で騒ぐな、頭に響くだろ」

マリーが大声を出した。

「あーなんか、ここでリサイタルでもしたい気分だわ!!5時間くらい!!」

「バカかよテメー!出てけー!」

マリーとアレンが話を始めるととても騒がしい。

「ジョゼフが来た時にはもうグーグー寝ちゃってたんでしょ?」

マリーがそう聞いて来た。

「え?お前も来てたのかよ。オレ覚えてねえぞ」

昨日の有様を2人に話す気は起らなかった。マリーの言葉を肯定した。

「……ああ」

「ジョゼフが来たときは寝ていてよかったわねえ。きっとサルの様に大暴れされていたわよ」

「誰がサルだ!」

アレンの様子も二日酔いでいつもより覇気はないが、マリーとの会話を聞くにすっかり普段通りに戻っている。

アレンの俺への態度もいつも通りだった。昨日の記憶はすっかり忘れているのだろう、多分。

「さ、アホな病人くんは今日は絶不調だからここまでにしといてやるわ。行きましょ、ジョゼフ」

そう言ってマリーが立ち上がった。

「ああ」

「次はとっちめてやるわ」

最後に物騒な言葉を投げて病室を出て行った。

「何しに来るつもりだテメエ!……ったく、あの暴力女……」

マリーに続こうとしてふと足を止めて彼に向き合った。

「アレン」

「ん?なんだよ」

「昨日の夢のことは覚えているか」

「昨日の夢……?」

そう言うとアレンは覚えているのか、いないのか、怪訝な表情になる。

「昨日のお前は酔ってた。だからちゃんと今のお前に言っておく」

昨日の様に彼の目を見て告げた。

「俺はお前のことをちゃんと大切だと思ってる。それに、夢じゃなくても俺はお前を拒みはしない」

「は……?」

その言葉にアレンの瞳が揺れた。

「いいな」

困惑したように彼が言った。

「お前何言って……?なんでお前がそんなこと……」

これ以上話すときっとこいつはまた動揺してしまうだろう。

話もそこそこに引き上げることにした。

「またな、アレン」

踵を返して扉に向かう。

「ま、待て、おいっ!どういうことだよ!」

焦ったようなアレンの声を背後に聞きながら部屋を後にした。


病院の廊下に出てマリーと並んで歩く。

「本当、酔っぱらいなんて困ることばっかりよ!」

そう言ったマリーの言葉に頷くほかなかった。

「ねえ、でも酔っぱらってるところ、少し見たかったと思わない?きっと面白かったわよ」

マリーがいたずらっぽい顔をして聞いてくる。

厄介だったが確かに面白くはあった、かもしれない。

その言葉にちょっと考えてから答えた。

「……悪くはなかったかもな」

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