第5話 ジャックとジルの話 1
じつはジョーンを屋敷に迎えるより前に、ジャックとジルのしっぽが成熟期を迎えたことがあった。
その当時はモフェアリーの生態に今より謎が多く、その世話をしていた召使いたちも「しっぽの成熟期」というものを知らなかった。
すっかり春かと思いきや、急に冬に逆戻りしたような寒い日が続いた頃のことだった。
鷲の旦那様のしっぽビジネスが軌道に乗って忙しくなってきた時期でもある。
そのぶんトカゲ召使いたちが交代で世話していたモフェアリーのことで連絡する機会が少なくなっていた。
その朝、ベテランのトカゲ召使いは使用人室の2匹のモフェアリーたちが凍えないよう、久々にストーブをつけた。モフェアリーは火を恐れるのでよもや火に近づく事はあるまいと思っていた。
「ぴい!」
まずジャックが勢いよく駆け寄って来た。ハチミツ色の「耳」と頭部をぶつけるみたいに擦り付けてくる。
その後ろからジルが少し遠慮がちに近づいてきた。
「ぴぃ」
クリーム色の「耳」と若葉色の「瞳」をこちらに向けて小首をかしげている。
「はいはい、すぐ朝ごはんだからね」
たくさん食べるジャックの分を少し多目にする。先に食べ終わってもジルの分に手を出させないためでもある。ジルもちゃんと食べた。モフェアリーたちはみな元気だ。
二匹とも数日前から後ろ姿が妙にすっきりしている。それに気づく前の晩には、ぴい、ぴい、とやけに鳴いていた。
しっぽは何らかの条件下で生え替わると聞いたことがあったので「ああこれだな」と納得していた。古いしっぽは若い召使いが片付けたのだろう。
「今日も寒いね。あんた達にはせっかくふわふわの立派なしっぽがあったのに、なくしてから寒さが戻るなんて世の中うまくいかないねぇ」
正確には彼らのしっぽは無くなってなどいない。生え替わった新しいしっぽがまだ小さいのだ。勿論この召使いも分かっているが、ついそう言いたくなるほど、大きく成熟したしっぽは存在感があるのだ。
ふと見ると、床に白い毛に覆われたハート型のクッションのようなものが転がっている。若い召使いが新しいペット用おもちゃを買ったらしい。
モフェアリーの姿を眺めながら部屋を出るとき、しっぽが無ければないで、まるい背中や後頭部がはっきり見えて可愛いなあ、と思う。
次にトカゲ召使いたちが久しぶりに二人揃ってモフェアリーの様子を見に行ったとき、大変なことになっていた!
「ぴーい!!」
「ぴいー!」
2匹のモフェアリーたちが2匹とも、悲鳴をあげながらのたうちまわっている。
「ぴいーー!!」
ジャックとジルは小さな赤い芋虫のようなものにたかられている。転がっては身体を床にこすりつけ、身を寄せ合っては必死にお互いの毛づくろいをするが、焼け石に水だ。
「ぴーぃ!」
モフェアリーの前肢は小さなものを摘むのに適さない。脇腹から払い落とそうとした虫が手にくっついたり、床に落ちた虫がまた毛皮を這い上って来たりで切りがない。
「ぴいぃー!!」
二つのいたいけな新しいしっぽは無惨にも、赤い小虫の群れに覆われてしまった。
「ぴぃーぃ!」
若い召使いは意を決して手袋をはめた。そして小さな多数の敵を果敢にも次々と滅ぼしてゆく。
「うわぁあああ! 何これ、気持ち悪い」
ベテラン召使いが喚いた。さっき見た白いクッションが千切れており、中身は綿ではなく異様なものだった。
「どうしました?」
「見てよこれ」
柘榴の実を割ったように、無数の赤い粒々が見え、その赤い粒々一つ一つが蠢いているのだ。
ベテラン召使いは千切れたクッションを赤い粒々ごと窓から放り投げた。下は崖。虫は屋内より自然界で生きるべきだ。
「もしかして!」
若い召使いは、クッションの残りの部分を見つけた。
焦げ跡がある。モフェアリーがじゃれつくうちにストーブの近くに押しやられ、また遠のいたのだろう。一歩間違えたら火事だとゾッとした。
しかし今、それ以上に驚くことに、クッションの残骸の奥のほうに、何かに似たものが居た。
「まさか、これ……モフェアリーの赤ちゃんでは?」
勇気を出して一匹をそっと取り上げ、手袋越しに手のひらに乗せてみた。
それは不思議にも、モフェアリーとそれにたかっている赤い小虫の間をとったような姿の生き物だ。
極小の身体を包む赤いゼリー状の物質は、モフェアリーの頭部のそれと質感がよく似ている。頭の上に突き出た二つの「耳」とその先端の粒。
つぶらな一対の「目」と可憐なまでにささやかな口からなる小さな小さな「顔」だけが、かろうじてゼリーの皮膜から露出している。
思いがけず拾い上げられた小さな生物が身じろぎした。するとお尻あたりのゼリー状の物質がつるりと剥がれてしまった。
露わになったのは、まだ小さいけれど、ぷっくりと丸くて白いしっぽ。モフェアリーさながらの!
「ぴ」
さっき害虫扱いした手前、心苦しさがあれどこれは召使いたちも認めざるを得なかった。たしかにモフェアリーの赤ちゃんだ。
召使いたちはジャックとジルをトカゲ魔術師の部屋へ運び込み、治療を頼むついでにこの出来事を報告した。白いクッションの残骸も渡した。
* * *
やがてトカゲ魔術師はこの一件と幅広い見聞から、以下のような考察に至った。
白いクッション状の物は、しっぽの変化した「卵」に近いものだ。
モフェアリーは一見、哺乳類に似た姿をしているが生物学上は全くかけ離れたもので、育児や抱卵の習性はない。
幼生は本来「しっぽ=卵」を内側から食い破って外に出る。そのころ、一般的にはもっと成体に近い姿に成長しているし、親は近くにいない。
何割かの幼生は出られず死んでしまう。めでたく外に出た子も厳しい競争に晒されるが、もしかすると「しっぽ=卵」の内部こそ最難関の競争の場かもしれない。
今回はストーブの熱で「しっぽ=卵」が焦げ目から破れ、親と同じ室内にたくさんの幼生が出てきたという特殊なケースだ。
幼生のごく初期だけ、口から「しっぽ=卵」を内から食い破るための溶解液を分泌する機能が備わっている。それでジャックとジルの被毛を食物と認識し、食い荒らしそうになっていたのだ。
これからは「卵」を見つけたらトカゲ魔術師に預けることになった。幼生は生存率を上げるように管理され、管理養モフ家や飼育希望者の手に渡るだろう。
なお、コロピィのような刈り取られたしっぽには、このような事態は起こっていない。
屋敷ではしっぽビジネスの第2の担い手にあたるコロピーニは、どうやら窓から放り出された幼生の生き残りと思われる。
ところで、比較的大きな体でやんちゃなジャックは男の子、小柄でおとなしいジルは女の子……と召使いたちは当時なんとなく思っていた。
しかし、あの一件の「しっぽ=卵」の大きさから考えて、小柄なジルのしっぽだとも思えないのだった。
そしてモフェアリーという生物は、またも予想外の実態を垣間見せる。
(第6話へ続く)
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