第4話 ジョーンの話 2

 「ジョーンが数を数えるところをショーにしよう。注目を集めるには早い者勝ちだ!」

 旦那様はさっそく町のイベントホールを予約してしまった。


 その日からジョーンは数字を書いたカードやヒマワリの種を使って数を教わることになった。

 ショーに向けて仲間とべつべつの生活だ。

 モフェアリーのしっぽが最も大きく美しいとされる成熟期を、ショー本番に合わせるためだ。それには成熟したしっぽを有するモフェアリー同士を接触させてはならないと、屋敷の面々は経験から知っていた。

 ジョーンだけでなくジャックとジルも、しっぽが成熟期を迎えるのは時間の問題だった。


 学習は順調に進み、10まで数えられるようになった。ごく簡単な足し算引き算もできる。

 しっぽは身体の他の部分全てを合わせたくらい大きくなっていた。フリフリの可愛い衣装も用意された。

 鷲の旦那様のデザインを考えた耳飾りは特に凝ったものだ。黄金色の花咲く蔓が、ジョーンのすみれ色の「耳」に絡まる形。「耳」の頂点の綺麗な粒にもよく映える。


 巷ではしっぽの刈り取りに向かないモフェアリーがペットとして取引され、それを外出時に背中に乗せたりして連れ歩く飼い主もいる。先日会った、新興のライバルにあたる鷹の若社長がペットの「耳」に洒落たカバーをつけていたことから着想を得たのだった。


  *  *  *


 いよいよ当日となった。旦那様がジョーンとベテラン召使いを籠に乗せて会場へ出発するとき、奥さんと末っ子が見送りに来た。

「パパ、これはジョーンにお守り。ママと作ったの」

 手首につけるアクセサリーで、左右で2つある。どちらにもきれいな貝殻がついている。召使いは着替えさせるときに衣装の手袋の上からつけてやった。

 イベントホールの入口には長蛇の列。あっという間に満席となった。

「これはモフェアリーと猛禽類の新たな可能性が拓ける瞬間。そこまででなくとも宣伝にはなる」

と、旦那様は思っていた。


 拍手とともに幕が上がり、司会者が挨拶し、スポットライトを浴びたジョーンが、ラメをまぶしたように煌めくしっぽも誇らしく

「ぴい!」

と高らかに鳴く。そこまでは良かった。


 舞台は散々だった。

 最初の問題から躓いた。籠に入ったリンゴの数だけ鳴く、といった家では軽々と出来たことが舞台では出来ない。

 うろうろと歩き回り

「……ぴぃ」

ときどきか細く鳴いて

「ぴぃ……」

たまに立ち止まっては

「……ぴぃ……」

俯いて「耳」の付け根を触る。

 会場がざわつきだした頃、手首のお守りが耳飾りに引っかかって落ち、カタンと音が響いた。


 催しはふれあいコーナーに急遽変更された。表向きはまるで始めからその予定だったかのように、明るく取り繕って。

 ジョーンにとって、多数の見知らぬ者に触れられるのは慣れておらず大きなストレスだ。それを知ってか知らずか、ほとんどの観客は満足気に帰ってゆく。

「モフェアリーってものを初めて真近に見たよ」

「ふわふわだった」


 鷹の若社長も見に来ており、鷲の旦那様が不満そうなのに気づくと悪気なく

「とても可愛いかったですよ」

と声をかけた。

 鷲の旦那様は悔しくなって、ジョーンを籠に放り込んで急いで飛んで帰った。


 帰宅して籠を地べたに置くと、ジョーンが転がるように出てきた。

「……ぴい…………ぴい……」

 甘えようとして旦那様のほうへ歩いてゆくが、足取りは奇妙におずおずとして遅い。

 また俯いて「耳」の付け根を触った。

 そんなジョーンの衣装の襟首あたりを旦那様は嘴に咥えてゆき、バタンと自室の扉を閉めた。



 ジョーンを床に座らせ、背中を踏みつけ、お尻としっぽの境目をダン! と一突きした。


「!!!ぴいいいぃぃぃ!!!」


 今日のために一段と綺麗に手入れされたしっぽが、血を滴らせて転がった。旦那様はそれを、切り口を下にして丁寧に脇に置いた。


 そしてジョーンを翼で叩きながら罵った。

「よくも俺に恥をかかせたな!」

 打たれるたびにかよわいモフェアリーは転がり、床に血の跡がついた。

 怒鳴り疲れて肩で息をしていると、ジョーンは少し動けるようになり、うつ伏せになったまま、また「耳」の付け根を触る仕草をした。近くで見てようやく気づいたが、そこは耳飾りを固定する金具のある辺りだ。収まりかけた怒りが再燃した。


「そんなに邪魔なら、こうしてやる!」

 耳飾りごとジョーンの頭を踏んだ。耳飾りが壊れると同時にブチブチッと厭な感触があった。

「ぴ……」

 それは微かな声というより、呼吸器官から空気が出入りする音に過ぎなかった。

 ジョーンはもう動かない。


「大変なことをしてしまった……!」

 旦那様は、ジョーンを抱えてトカゲ魔術師の部屋に駆け込んだ。千切れてしまったジョーンの「両耳」も持って。


 トカゲ魔術師は顔色を変えた。

「これはひどい……! 可哀想に」

「この子はもう助からないだろうか……?」

「やってみますとも。しかし完全に元通りとはいかないでしょうな……」

 ジョーンを寝かせて、いつもより長い呪文を唱える。その間にも旦那様は後悔に苛まれながら祈った。

 やがて、杖からジョーンの身体とちぎれた「耳」に向けて稲光が迸った。

 ジョーンは一命をとりとめ、目を覚ました。しかし「耳」は二度と戻らなかった。



 久々に仲間のいる部屋に連れて行くと、ジャックとジルはさっそくお尻の匂いを嗅ぎ、ジョーンの帰りを歓迎した。

 ジョーンも挨拶を返したが、その動きはぎこちない。


 翌日、トカゲ召使いたちはジョーンの足元の小さな水たまりに気づいた。トイレに間に合わなかったのだ。

 綺麗好きなジョーンは不快さと、酷く怒られる予感に困惑している。

「大丈夫だよ。おいで」

 召使いたちはジョーンを抱えて足をきれいにし、床を掃除し始めた。


 そこに旦那様も様子を見に来た。

 ジョーンは召使いの腕のなかで怯えていたが、その召使いが体の向きを変えた拍子に旦那様と目が合った……ように見えた。


「その子はもう、見えてないよ」

 そう告げたのは窓辺に止まった鴉だ。

「俺が頭に大怪我を負わせてしまったから……」

「それもあるけど……まさか、知らなかったのか? モフェアリーの目は頭の上の出っぱりにあるんだよ。カタツムリみたいにさ」

「えっ!?」

「あんた方が『耳』だと思ってる物の先っちょに綺麗〜な粒がついていただろう。それが目だよ。そこに何か被せるのは、モフェアリーに外の景色を見せたくない時さ」


 ステージ上の失敗を招いたのは自分だったというのか。「耳飾り」で視界を狭めてしまった上に一生の光を奪ってしまったのか!

 しかし偽りなき後悔と同時に、兎や野鼠にそっくりな姿なのにその実像は異様だ、とも感じた。

 そんな自分にも嫌悪感がわいた。


「そんな……! では、このパッチリと澄んだ可愛い部分は何だというのかね」

「頭部の正面に二つあるのは『目』じゃない。水分を排出する器官だ。けどまあ、仲間と表情でコミュニケーションをとったり、あんた達に養われるのにも役立ってるようだな。たまに阿呆が可愛さ余って憎さ百倍、なんてこともあるらしいが」

「失せろ!」

「おお、怖い怖い」

 鴉は飛び去ろうとした。

「いや、やっぱり待て! 一つ教えてくれ……じゃあ、モフェアリーの耳は一体どこにあるんだ?」

「水分排出器官の上をよく見てみな。あばよ!」

 アホー、アホーと鳴きながら鴉は飛んで行った。


 この部屋にはもう、旦那さんに近づくモフェアリーはいない。それどころか警戒するようになった。

 けれど彼らは変わらずジョーンに寄り添っている。変わったのは、力持ちのジャックがジョーンに肩を貸していること、小柄なジルがジョーンの食べようとしている果物を支え、食事を手伝っていることだ。


「やっぱり俺は阿呆だな……」


 そこにコロピィが通りかかった。

 このごろ皆がジョーンを心配するあまり見張りが疎かになったらしく、部屋から出てきてしまったのだ。

 モコモコしっぽをゆすりながら、短い足でトコトコと。好きな果物と大好きなキノコをたらふく食べて上機嫌。

 鷲の旦那さんの足元に、モッチリとした身体をすり寄せて

「ぴい〜〜♪」

 一声鳴いて座り込む。

 その両の瞳は……すなわち、は、まっすぐに旦那さんに向けられている。


 俺を許してくれるのか。

 ……もちろんそれは錯覚だ。コロピィは、俺が何をしたか知らないのだ。

 鎮痛キノコを日常的に与え続けたせいでいつもぼんやりしているこの子は、何もわからない。同じ屋根の下にいる仲間の痛みも、外で暮らしている同種族の苦しみも。そういう風に育ててしまったのは俺だ。

 いま俺の足に体重を預けていられるのも、俺の翼と爪が血に汚れていると気づかないからだ。


 甘えるコロピィに何の反応もせずただじっと見下ろしている雇い主に、剣持つトカゲが怒りと疑いの眼差しを向けていた。

「旦那。今度はコロピィを虐める気ですかい」

「違う……そんなことはない」

 旦那さんが弱気になったのは剣のせいではなく、そう思われても仕方ないという諦念だった。


 じつをいうと、鷲の旦那さんが屋敷のモフェアリーを譲渡することを考えはじめたのはこの一件の影響が大きい。


 旦那さんの息子の友達だという青年が、ジョーンを迎えに来た。

 世話が良かったらしく、しばらくのちにはジョーンは視力を失っていながらも支障なく生活できるようになり、元気に過ごしている。しっぽも美しく成熟した。


 一説には、モフェアリーのしっぽが成熟するとラメをまぶしたように煌めくのは、繁殖可能期のサインを発しているのだという。

 このころ水分代謝も活発化する。ふだんからパッチリとしていた水分排出器官がうるうるキラキラと潤って、ときおり雫をあふれさせるようになる。

 これには「恋の涙」という詩的な呼び名があるが、モフェアリーの本心は他者の与り知らぬところだ。

 成熟したしっぽを有するモフェアリーは、繁殖行為を行うか、しっぽを刈り取る時まで、水分排出器官からも「恋の涙」を流し続けるのだ。


 青年は、ジョーンの美しいしっぽを金に換えようとしなかった。二匹目を迎えることも望まなかった。ジョーンがあまりに愛しく、二匹目も公平に大切にすることは不可能だと思えてならなかったからだ。

 ジョーンは世界で最も長く「恋の涙」を流し続けるモフェアリーである。






(第4話 ジョーンの話 おしまい)

(第5話に続く)

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