まだ勇気の出ない君に誓いの唄を

渋谷楽

まだ勇気の出ない君に誓いの唄を

 

 泣いても千切っても変わらない運命。

 姿を隠して夜を漂っている僕。

 蜃気楼みたいに消えたりしないから、

 暴いてよ君の言葉で。


 古びたアコースティックギターの音色と、僕の歌声だけが、このだだっ広い体育館に響く。旋律を正確に捉えるために足踏みをしたり、身体を揺らしたりすると、その分視線が強くなる気がして、僕はそれがちょっと恥ずかしい。

「……ありがとうございました」

 曲の最後のフレーズを歌い終えると、まだ仄かに揺れる弦をミュートしないまま、小さく頭を下げる。その後のトーク等は一切せず、すぐ椅子から立ち上がってそそくさと退場するのが、孤独なシンガーである僕の『流儀』だ。

「ハルカー! お前この学校の生徒なんだろ? 今日こそ顔見せてくれよー!」

「キャー! ハルカくーん!」

 パーカーの大きなフードに隠れた僕の顔を今日こそ見てやろうと、ステージに生徒たちが殺到するが、僕はそれに目もくれず、文化祭の日はいつも隅で僕を見ているはずの「あの人」を、歩きながら横目で探す。

 いつも友達に囲まれている人気者の女の子。その人の凛々しい瞳と目が合った気がして、足早に袖口に逃げる。勘違いだって、わかってる。あんなに綺麗な人が僕のことを見てくれるはずがないって。物書き特有の思い込みだって、わかってる。

「悠人(はると)! 今日も最高だったぜ!」

 そう言って嬉しそうに僕に駆けてくるのは、この学校、王城寺ヶ原(おうじょうがはら)高校(こうこう)の生徒会長である高藤(たかとう)裕樹(ひろき)だ。足を止め、ギターを肩から下すと、いつも通りの爽やかな笑顔を向けられる。

「お前やっぱり凄いな。文化祭になれば、皆お前の歌を楽しみにしてるんだ。ハルカが誰なのか、学校中の噂だぜ……だから、そろそろ、顔出しても……」

「裕樹、ありがとう。でも、それは出来ないよ」

 ステージのライトが決して届かない、辛うじて相手の顔が見えるくらいの暗さの、この空間は、まるで僕の人生みたいだ。

「ハルカが僕だって知ったら、皆幻滅するさ」

 顔を見せて、人気者になればいい。そんなこと、軽く言わないでくれ。

「僕は、一宮(いちみや)悠人(はると)は、ハルカのままでいいんだ」

 僕は、もうあんな思いは、二度としたくないのだから。

 制服に着替え、いつもの丸眼鏡をかけて、誰にもバレないように人混みに紛れていった。

 地を揺らすような皆の熱量が、僕の頭痛をさらに激しくするのだった。


   * * *


 僕の机は、木の匂いがする。

 それは、当たり前のことなのだが、昼休みの時間にずっと、こうして机に鼻を当てていると、そのことが嫌でも脳に刷り込まれる。

「そういえばこの前の文化祭、マジ楽しかったよなー!」

 きっと、『楽しい』というのも、それと同じなのだろう。目と鼻の先で、ずっとそれを感じられるから、無意識の内に『学校生活は楽しい』と脳にインプットされる。

「ハルカの新曲、マジで良かったわー! マジで正体気になるー!」

 楽しいを感じられたから、もっともっと色々なことを知りたくなるのだろう、このクラスの獣たちは。そんなこと知ったって、どうにもならないのに。

「もしこのクラスにいるんならよ。卒業式にも出てほしいよな。先輩たち喜ぶぜ」

 ハルカは、このクラスにはいない。もしハルカがここにいたなら、文化祭が終わってからも何も出来ず、卒業間近の好きな人に想いを伝えられない僕を、引っ張り上げてくれるだろうから……。

「んなわけあるかよー……おっと、あぶね」

「うわっ」

 その時、不良グループの一人が、僕の机にぶつかった。

「んだよ、いたのかよ」

「ハルカと言えば……一宮、お前ギターやってるらしいじゃん? 二組の高藤から聞いたぜ」

「えっ」

 裕樹、あいつ、余計なことを……!

「マジで⁉ ならよ、今ここで歌ってみてくんね? ハルカみたいに!」

 無理だ。今の僕は、ハルカじゃないから。

「ぎゃはは! 無理だろこいつじゃ」

 その通りだ。僕には出来っこない。

「どうせ、気持ち悪い歌しか歌えねえんだろうなあ」

「……気持ち悪い歌?」

「ん? ああ、どうせお前、歌下手なんだろ。聞いてるだけで鳥肌立つような。そう! フジクラみたいな!」

「ああ、あいつな! あいつイケメンなのにもったいないよな!」

「……僕の音楽を」

 頭の中の血管が切れた音がして、僕は立ち上がる。

「僕の音楽を、馬鹿にするな!」

 自分でも聞いたことがないような怒鳴り声が、教室中に響き渡る。

「あっ……」

 喉を締め付けるような苦しい静寂の後に聞こえてきたのは、クラスの女子のヒソヒソ声と、不良の舌打ちの音だ。

「あービックリした。何急に大声出しちゃってんの?」

「プライド高すぎだろ。キモ」

「あ、あの、そんなつもりじゃ」

 全身をゆっくりとすり潰していくような重苦しい空気に、逃げ出してしまいそうになる。

 その時。

「お前ら、何してるか!」

 紺色のスカートを揺らして、戦天使が教室に現れた。

「げっ、生徒会長!」

「大声が聞こえたから何かと思えば、どうやら下級生のイジメ問題は、聞いていたより深刻なようだな」

 目を鋭く光らせた彼女は、肩で風を切って歩いてくる。

 クラスの皆の奇異の視線を、不良たちの尊厳な態度を全く気にせず、彼女は、さも自分が正義の勇者(ヒーロー)かのように歩いてくる。

 そんな彼女のことが、僕はどうしようもなく好きだった。

「退け! 退け! さもなくば、私がお前らを締め上げてやるぞ!」

「か、会長、それは校則違反じゃ……」

 彼女は後ずさりをする彼らを追い詰めるように、不敵な笑みを浮かべる。

「生憎、私はもう生徒会長ではないんだ。怖いものなんかもう無いぞ? それより、やるなら早くやろうではないか。空手部も引退して、ちょうど身体がなまっていたところなんだ!」

「わ、わかりましたよ! わかりました! どければいいんでしょ」

 彼女の握り拳を見て、不良たちはそそくさとその場から離れていく。

「全く、おちおち卒業もしていられないな」

 不良たちが一時的に教室から出ていくのを見送ると、彼女は、立ったまま硬直している僕を振り向いた。

「それで、君は大丈夫か? 何やら大声を上げていたようだったが」

「ぼっ、僕は! 大丈夫です!」

「そうかそうか、なら良かった」

 短く整えられた黒髪。凛々しい瞳。悪戯っぽい笑顔。近くにいるだけで、胸が高鳴る。

「……そういえば君、どこかで見たことがあるような」

「あっ、はい! 一年の時も助けてもらいました。一宮悠人です」

「私は藤咲(ふじさき)彩音(あやね)だ……って、もう知ってるか。こういう輩には気を付けるんだぞ。私はそろそろ卒業するんだからな」

「は、はい……」

 そう言って彼女は踵を返す。その後ろ姿もずっと見てしまう……。

「あ、そうだ。一宮」

「はっ、はい!」

 突然の呼びかけに心の準備が出来ていなかった僕は、思わず跳ね上がってしまう。

「な、何でしょうか」

「……君、良い声をしている」

 あまりに唐突な彼女の言葉に、僕は硬直してしまう。

「……聞こえなかったか? 君は良い声をしている」

「に、二回言わなくていいです! そ、それが、どうかしましたか?」

「だから、君はもっと喋ったほうが良い。君の声は、人をハッとさせる。透き通った声だ」

「あ、ありがとう、ございます……」

 きっと、今の僕の顔はゆでだこより赤い。彼女から咄嗟に目を反らすと、彼女の小さく笑う声が聞こえてきた。

「だからって、ハルカとかいう奴の真似事はやめろよ。人は背伸びをすると碌なことがない」

「は、はい……」

 去り際にそう言われ、ハルカは僕なんですと言いかけたが、結局何も言わず彼女を見送る。

 すると、教室の入り口からひょっこりと顔を出した裕樹と、目が合った。

「悠人、今日の放課後、俺の家な」

 口の軽い親友を一度睨みつけ、彼女の顔を思い出の中に閉じ込めるように、僕は、また机に突っ伏したのだった。




「それで、何であんなこと言いふらしたんだよ」

 床にあがらをかき、僕のお下がりのアコギのチューニングをしている裕樹を、僕はベッドに座って見下ろす。

「何が?」

「何がじゃなくて、何で僕がギターやってることを、他の人に言ったのかって言ってんの」

「えっ、だって、本当のことじゃん」

 裕樹の毒気のない視線に当てられ、僕は頭を抱える。

「そうなんだけど、そうじゃないっていうか……もう! 裕樹のそういう軽いとこ、子供の頃からずっと変わらないよね」

「ま、お前の恥ずかしがり屋もな」

「んぐっ」

 それには何も言い返せず、バツが悪くなって窓の外を見る。

「……そういえばお前、クラスではいっつもあんな感じなのかよ」

 裕樹の考えていることは、いつもわかりやすい。僕と裕樹が小学生の頃からの仲だということを差し引いても、彼の態度は彼の心情を如実に表すと思う。

 僕の方を決して見ずに、背中を見せて話をするのは、彼が猛烈に怒っている証拠だ。

「まあ、あんな感じだよ。たまにちょっかい出されたり」

「言い返さないのかよ?」

「無駄だよ。僕のことなんて、誰も気にしてないんだから」

 裕樹は顔を上げる。対照的に僕は、ギターをいじるふりをする。

「お前もしかして、まだあの時のこと引きずってんのかよ」

「……あの時のことって?」

「ほら、中学の頃の」

「……ああ」


 放課後の教室に、僕と、僕の好きな子で二人きり。その状況になったのは僕が裕樹に頼んだからで、その子が何も言わず待っているのは、僕の行動を待っているからで。

 意を決して口を開いた。その時。

『ごめん、正直、悠人くんの顔、全然タイプじゃないんだ』


「ピュアなもんだよなー。中学の失恋今も引きずってよー」

「う、うるさい! これくらいじゃないと、歌詞なんて書けないんだよ!」

「はいはい。ていうか、そんな酷いふり方する性格の悪い女、さっさと忘れちまえばいいのに」

 裕樹のその言葉で、その子のことを諦められなくて、朝まで泣いていた頃を思い出す。

「それは、出来ないよ」

「……そんな調子じゃ、きっと会長のことも忘れられなくなるぜ」

「……」

 そんなこと、わかってる。きっとあの人の表情が、何気ない仕草が、僕の脳裏に焼き付いて、きっともう、一生離れないんだろうということくらい。

「……そういえば」

「ん?」

 あの人のことを考えると、『あの歌』の存在を思い出した。

「新曲、書いてみたんだ」

 僕の何気ない一言に、裕樹は目を丸くし、文字通り飛び上がる。

「ええっ!? マジかよ! ひっそり書いてたのか。んで、タイトルは何て言うの?」

「……青春」

「え?」

「青春! 聞こえないの?」

 僕が口を尖らせると、裕樹はへらへらと笑う。

「わりいわりい。悠人がそういうタイトルの歌書くの、珍しいからさ。びっくりして」

「そ、そうかな?」

「それより、歌詞。見せてくれよ」

 そう言って無遠慮に手を差し出す裕樹を、僕はジトッと見上げる。

「……言いふらさないでよ」

「言わないって。約束する」

 裕樹の真剣な眼差しに押されるように、僕は、歌詞の書かれた紙を差し出す。

「……はい」

「おおー! さっそく読ませてもらうぜ!」

 ドカッと床に座り、歌詞の世界に入っていく裕樹。

 太陽が傾いていくにつれ、裕樹の呼吸が徐々に荒くなっていくのがわかった。

「……悠人、これ」

 顔を上げた裕樹の第一声は、上ずっていた。

「これ、いつ歌うんだよ」

「……決めてない」

「これ、卒業式で歌わなきゃいつ歌うんだよ」

 歌詞の内容は、冴えない男子高校生が、強気な性格の先輩への想いを綴ったもの。

 言わば、今の僕をそのまま主人公にしたものだ。

「卒業式なんて、無理だよ。荒らしみたいなもんじゃん」

「いや、こんなん、最強の余興……じゃなかった、三年生を送る歌にピッタリだろ」

「お前、進行だからって気合入りすぎだろ」

「いや、これは気合も入るよ!」

 裕樹に肩をがっしりと掴まれる。中々勇気の出ない僕に、裕樹がいつもやることだ。

 それをされると、盛大に失恋したあの日のことが、嫌でも脳裏によぎる。

「……僕、そろそろ帰るよ。門限あるし」

「……あ、ああ、そうか。すまん」

 裕樹の手を乱暴に払い、アコギの弦を黙って緩め、いつもより雑にケースにしまう。

「なあ、悠人」

 足早に部屋を出て行こうとするところを、裕樹に引き留められる。

「お前の存在は、ちっぽけなんかじゃないぞ」

「……何言ってんの」

 裕樹は、さらに畳みかける。

「俺は、お前の歌があったから、お前が俺を音楽の世界に誘ってくれたから、ギターに出会えた。お前がいなかったら、俺……」

 才能はないけど情熱的にギターをかき鳴らす裕樹の横顔、その時の顔は、学校で皆と喋っている時より、よっぽど楽しそうなんだよな。そんなことを、思った。

「俺、絶対、卒業式にお前が歌う時間作るから! だから、その時は、お前自身の言葉で……」

「……うん。じゃあ、また明日」

 急いで裕樹の家を出て、夕日とギターを背負って家に向かって歩いていく。

「……良い歌、だよな。我ながら」

 ポケットに乱暴にしまった歌を取り出し、広げてみる。あまり経験のないバラードに、甘酸っぱい歌詞が上手くマッチしていると思う。

 その中で嫌でも目についたのは、『青春』の文字。

「僕自身の言葉、か」

 胸ポケットからシャーペンを取り出す。

「どうせなら、かき鳴らしてやるよ」

『青春』の二文字に線を引き、『告白』に書き換えた。

「後悔しても、遅いからな」

 僕は、誰に言うでもなく、そう呟いた。

 冬に肌を刺す冷たい風が吹くのは、いつか必ず春が訪れることを示しているんだ。


   * * *


「続いて、卒業証書授与」

 マイクが裕樹の声を拾って、体育館中に響く。

 卒業生たちが次々に壇上に上がり、校長先生から卒業証書を受け取っていく。

 そして、藤咲さんの番になると在校生がにわかにざわつきだし、一つ「おめでとう!」と声が上がると、彼女は袖で涙を拭った。

 僕はそれを、ステージの袖口から見ているのだった。

「やばいよ。やばいってこんなの。後で絶対怒られるやつ……」

 僕は、ギターを抱き締め、眼鏡を外し、いつもの白のパーカーを着て待機している。先生にバレたら、説教どころでは済まない……。

「やっぱり、僕には無理だ。卒業式で歌うなんて。文化祭とは、わけが違う……」

 ここでもし失敗でもしようものなら、僕は、一生この学校の笑いものだろう。

「……校歌斉唱」

「えっ、もう⁉」

 校歌斉唱が終われば、後は退場するだけだ。僕はその隙を突いて、ステージに躍り出る手はずだ。

 だが……。

「……やっぱり、僕には無理だ」

 裕樹には後で謝ろう。僕には、勇気がなかった。

 大体、あいつが無茶なこと言いだすのが悪いんだ。卒業式でこんなことをやろうだなんて。

「……悠人、どこに行くんだ」

「ひっ! ひ、裕樹……」

 恐らく僕に釘を刺しに来たのだろう、裕樹と、鉢合わせになってしまう。

「……裕樹、ごめん。僕、やっぱり無理だ」

「なに?」

「僕、勇気が出ないんだ。こんな日に、いつもより違う種類の注目を浴びて、耐えられる気がしない」

 ギターを、肩から下ろす。

「ごめん」

 出口へ、いつも通りの日常へ向かって、重い一歩を、踏み出そうとする。

「……悠人。じゃあ最後に一つだけ聞いてくれ。お前が決めたことに、俺がとやかく言うつもりはない。ただ、これだけは聞いてくれ」

「……」

 ステージに反響して、校歌の二番が耳に入ってくる。

「実を言うと、俺も、会長のことが好きなんだ」

 何かとんでもないことを言われた気がして、咄嗟に振り返る。

「……はい?」

「だから、俺も、あの人のことが好きなんだ」

「えっ、じゃあ、何で僕に!」

「お前なら、いいと思った」

 裕樹の嘘は、わかりやすい。僕ならすぐに、本音がわかる。

 裕樹は、引きつった笑みを浮かべてから、目を伏せる。

「……だから、行ってくれ」

「……君は、いっつもそうだな」

 翻(ひるがえ)り、ステージに続く階段の、一段目に足をかける。

「いつもいつも、事あるごとに僕の背中を押して、一体何のつもりだ」

 次は、二段目。もうすぐ校歌が終わる。

「応えないわけに、いかないじゃないか」

 三段目、光が微かに入ってくるところまで来ると、フードを目深に被る。

「頑張れよ」

「言われなくても」

「あ、それと!」

 ステージに片足をかけたところで、振り返る。

「俺は、お前の顔、結構可愛いと思うぜ」

「……嬉しくないよ」

 最後に小さく笑って、ステージに上がる。

「おおっとここで登場したのは、今我が校で話題沸騰中の、ハルカだー!」

 裕樹のやけくそとも思える声に、生徒たちは一斉に反応する。

「えっ、ハルカ! ハルカじゃん! 来てくれたんだ!」

「なんか、あの人この学校のOBで、プロの卵だって噂だぜ!」

「凄い、歌ってくれるんだ!」

 スタンドマイクの目の前に立って、ギターストラップを肩にかける。かつてないほどの視線が僕に集中し、呼吸が少し震える。

「……皆さん、卒業おめでとうございます。今日は特別に、一曲歌いたいと思います」

 生徒たちから歓声が上がる、その直後。

「君! 何やってるんだ! 今日は神聖な卒業式の日だぞ!」

「すぐにそこを降りろ!」

 教師たちがわらわらとステージに集まってくる。が、そこに立ち塞がるのは屈強な男子生徒たちだ。そこに紛れている鬼の形相の裕樹と目が合い、緊張が少し、ほぐれた気がした。

「それでは聞いてください」

 ゆっくりと、深呼吸をする。

「告白」

 計画当初はブレスを多めにして歌おうと思っていたが、生徒たちは僕に学校への反逆の舵を取ってもらいたいらしい。最初は少ししゃがれた声で、大袈裟なくらいに抑揚をつける。

「欠けているところだらけの僕ら。お互いの長所で補い合えたら」

 二番からは、ゆっくりと着地するようなビブラートで、心地よい抑揚で。

「いつも遠くから、あなたを見ていた。いつも見る夢の中で、あなたと会えるようにと願った」

 そしてサビは、体育館中に響かせるように。僕の存在をこの世界に図々しく主張するように。

「結婚してくれなんて言えないけど、これだけは、言える……」

 ほら、ここでフードを取るんだ。勇気を出せ、僕!

「悠人―!」

 教師を抑えつけている裕樹と、目が合う。

「男見せろや、ボケー!」

「……この、馬鹿」

 大きなフードを、ゆっくりと外す。窓から差し込む陽の光が、いつもより眩しく感じる。

「は、ハルカが、フード取った!」

「おい、あの子って二年の……」

「マジで? 一宮がハルカなのか?」

 ハルカの正体を知ってざわめく生徒たちの間を縫って、裕樹が藤咲さんのところに走っていくのが見える。

「会長! ほら、マイク持って!」

「えっ? あたし⁉ 何で⁉」

 よく聞いとけよ。

「ああそうだ。僕が、一宮悠人がハルカだ! そして今日は、どうしても言いたいことがあって、ステージに上がった!」

 一度しか言わないからな!

「藤咲彩音さん、あなたのことが、僕は、ずっとずっと、好きでしたー!」

 少しの静寂の後、どんなアーティストのライブよりも大きな歓声が、体育館を揺らした。

 彼女は数舜目を泳がせた後、マイクを握り直し、息を吸った。

 彼女の普段の様子からは想像もつかない、小さくか細い声が、僕の耳だけに届いた気がした。


 徐々に滲んでいく景色の中で、この春だけは永遠であってほしいと、そう、願ったのだった。


 終わり。


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