第4話 生と呪い
「姉さんって、何年くらい生きてるんですか?」
「人間の世界の常識を教えてあげるわ。女性に齢を聞いちゃだめ」
数日、この竜のカンパネラと一緒に過ごしたが、彼の常識は少しだけ人とずれている
ただ命の捉え方などの価値観は、ほぼ人と同じだった。
きっと彼は産まれてからの100年、誰かに育てられたのだろう。
「姉さんはいつも本を読んでますが、暇なんですか?」
「……暇じゃなくて、勉強なの。この世界には数え切れ合い程の本があるんだから、いつか結婚するまでに読んでおかないと。それから――」
私は彼の額にビシッと指を突き立てた。
「私はお前の姉さんじゃないわ。周りで呼んでたら誤解されるから、別の呼び方をして頂戴
」
成人男性が、10歳の少女の後ろを『姉さん、姉さん』と歩きまわっていたら、世間体がよくない。私は別になんとも思われないけれど、カンパネラが変人だと思われてしまう。
それは彼のためにならない。
「実年齢は俺より上なんですよね。うーん姉さんが駄目なら……アーニャさん?」
「私、アーニャって呼ばれるの苦手なの」
アーニャと呼ばれると、なんだか可愛らしすぎて背筋がゾワッとする。
「じゃあ。アーさん。そう呼びます。アーさん、アーさん。うん、しっくり来ますね」
「……えぇ。それでいいわ」
私が言うと、彼はぱああっと明るい笑顔を浮かべた。
本当に素直な子だ。
表の顔や裏の顔がない。きっと、優しい方に育てられたのだろう。
「……お前、家族は?」
「俺の家族はもういないです。家族というか、うーん。飼い主さんでしたかね。彼女から言葉と感情を教えてもらいました。でも、残念ながら人ってすぐ死んじゃうんですね」
カンパネラは肩を落とす。
100年を生きた。つまり、人の一生を看取ったのだろう。
時が流れていくのは残酷だ。
それは私が身を持って知っている。
私が眠っている間に、何人も使用人が代わった。
父親も、母親も、何度も代わった。
そして、王子も何代も代わった。
取り残されるのは、いつも私一人。
私が本棚から本を取り出し、一冊読む。この国の成り立ちや、世界の言葉の本は読破したから、最近は大衆向けの本にハマっている。
カンパネラは私の仕草を真似して、ラテン語の本を取り出して、開いて、じーっと本を眺めていた。
「アーさんは、王子様と結婚するのが夢なんですよね?」
「そうね。結婚して、キスをして、そうしたら呪いが解けるの」
私は書斎のソファーに座る。するとすぐ横にカンパネラが座った。
彼が使用人なら指摘したけど、使用人じゃないから、そのまま何も言わないでおく。
「そしたら、アーさんは死んじゃうんですか?」
「ええ。この呪いは解けて、私はやっと息を引き取ることができるの」
「……むむ。アーさん、俺はアーさんが目覚める前、毎日ここに通ってました。朝になると執事さんが窓を開けてくれるので、そのすきを狙って入り込んでました」
「あぁ、そういう入り方をしてたのね」
正面から堂々と名乗らずに来ているとは思わなかったけど、窓から来てたとは。
「よく執事やメイドに追い出されなかったわね」
「最初のうちは追い出されたんですけど、ちょっとずつ女の子――メイドさんたちが味方になってくれて、気づいたら窓から入っても怒られなくなってました」
「6年間……毎日来てくれてたの?」
「はい。アーさんが目覚めるときに傍にいたくて」
「……なんで?」
「だって、目が覚めた時、一人だったら寂しいじゃないですか」
カンパネラは当たり前のように言った。
この子は……本当に良い子だ。優しさも持ち合わせている。
寂しさ、悲しさ、嬉しさ――この感情を理解して、相手に伝えるには経験をしないといけない。
この子はいつも一人で目覚めて、寂しかったんだろう。
私は手を伸ばして、彼の頭を撫でた。
空色の髪がくしゃっと乱れる。
「……お前は、良い子ね」
「頭を撫でられたのは……20年ぶりです」
「ふふ」
「あ、やっと笑った。アーさんの笑顔を見たの、初めてです」
「……そう? 私はいつも笑ってるつもりだけど」
「いや、全然。無表情ですよ。何考えてるかわからない時が多いです」
「そ、そうなのね。……むむ」
私は自分の頬をぎゅっと押したり、引っ張ったりした。
笑顔を作っていたつもりだったんだけど。
貴族として笑顔を浮かべることには慣れていたけど、本当に笑う――ということは、いつの間にかやめてしまっていた。
「ねね、アーさんは不老不死なんですよね?」
「えぇ、そうよ。でも刺されたり殴られたり、大きな外傷を負ったら死ぬわ。あくまで寿命が齢をとったり、ひいたりしているだけ」
「俺、わからないことがあるんです。うまく伝えられるかわからないけど……あ、変な意味で捉えたらすみませんね。アーさんの目的は、死ぬことだと、執事さんから聞きました」
「えぇ、そうよ」
王子様と結ばれて、子を産んで、呪いが解けて、死ぬ。それが私の目標。
「死ぬことは容易いじゃないですか。竜と比べて人間は脆いです。……だから、ちょっと俺が尻尾を一振りしたり、一緒に空高く飛んで落としたら、アーさんは死んじゃいますよね? その死じゃ駄目なんですか?」
カンパネラの宝石のような瞳が、真摯に私を見つめてくる。
あぁ、彼はその感情と衝動も知っているのか――そう思ったら、また彼に愛情が湧いた。
「死ぬことは容易いわ。でも、どうせ何百年も生きてきたんだもの。最期は幸せなハッピーエンドで死にたいわ。……それくらい、神様に許されたいわ」
「うん、うんうん。わかりました! つまり、アーさんは幸せになりたいんですね!」
カンパネラはいきなり立ち上がった。
「なら、こんな書斎に引きこもってないで、外に行って、色んなものを見ましょう! そしたらもっと人生は潤いますよ!」
カンパネラが私の手を引く。本当に、子どもみたいな子だ。
「今日は予定がないから。少しだけなら」
そう言って、私は彼と一緒に家を出た。
玄関前で、久しぶりに会う執事は、6年分老けていた。
「おはようございます。お嬢様。護衛はいりますか?」
執事は私の隣に立つカンパネラを一瞥して、尋ねてきた。
「いいえ。必要ないわ」
人の何倍も強い竜がいれば、護衛なんて必要ない。
「わかりました。それではお嬢様、起きたばかりなので、あまり動きすぎないように」
執事はそう言って、いつものように深々とお辞儀をした。
「あ、そうなんですか? じゃあ――」
と、カンパネラは唐突にしゃがみこみ、私をお姫様抱っこで軽々と持ち上げた。
「――!?」
不意打ちに驚く。
メイド達がきゃーきゃーはしゃいでいる。きっとあの子たちね、カンパネラに恋とか教えたのは。
「歩けるわ。自分の足で歩かせて。リハビリ代わりに丁度いいから」
「そうですか……」
彼はそう言って、優しく私を地面へ降ろしてくれた。
「じゃあ、抱っこの代わりに手を」
カンパネラは、満面の笑みを浮かべて、私に手を差し伸べてきた。
私もその手をとった。
さぁ、6年ぶりの世界はどう変わっているかしら。
楽しみ半分、恐ろしさ半分。
まぁ、エドアルト王子は第二王子だし、この国の国王にはならない。
だから世間はあまり変わってないかもしれない。
でも、新しい技術ができてたらいいわね。
6年経てば技術は上がる。私は大好きな薬草学について、また知識をアップデートしたくてたまらなかった。
「アーさん、ものすごく小さいですね」
「お前が大きいだけよ」
私と彼の身長差はかなり開いている。
彼の腕を伸ばしきらないと、手を繋ぐことはできなかった。
空を見上げる。
今日も、雪がしんしんと積もる日だった。
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