第3話 新しい朝

「あ。ようやく起きたんですね」


 6年後――10歳になった私が目覚めた時、視界に入ってきたのは見知らぬ青年だった。

 空のように青い髪。

 瞳の色はダイヤモンドのようにキラキラと輝いている。


「……だれ? 新しい使用人かしら」

「え! 俺、使用人にしてもらえるんですか? お姉さん専用の?」


「違うの? じゃあ、誰? どうやって入ったの?」

 どうやら違うようだ。


 眠りっぱなしだったとはいえ、ここは仮にも侯爵家。

 知人でもない人がふらりと入れるほど不用心なわけがない。


 青年は窓の桟に腰掛けて、

「ここからです」

 と、答えた。


「貴方、名前は?」

「俺に名前はありません。だから、好きに呼んでください」


「……ますます怪しい男ね」

 私は枕元にあったベルを鳴らして、使用人を呼ぼうとした。

 不審な男がいるわ、と伝えるために。


「使用人の……えっと、執事さんですかね。彼は俺のことを知ってますよ」

「何者なの?」

 私は青年を睨みつけた。


 彼は宝石のような瞳をもっと輝かせて、にやりと笑った。


――その瞬間、彼の背から羽が生えた。

 天使の羽のように美しいものではなく、コウモリのように膜の張った羽だった。


 私は、その羽を見たことがあった。


「あ……」

 よく見れば空色の髪も、あの竜によく似ている。


「思い出してくれましたか。お姉さん。俺はあの時、貴方に助けられた竜です」



 竜族は、この国で一番信仰されている神様のような存在だ。

 何百年も老化と幼化を繰り返して生きてきた私でも、初めてお目にかかる存在。

 

「人型になれるってことは、幾つか齢を重ねた竜ね」

 私は竜の図鑑で読んだ知識を思い返した。

 彼らは長寿で、何百年も生きることができる。


 しかし子を産む母竜は、卵を産んだあと、必ず命を落とす。

 だから育てる者も、守る者もいない竜の卵は孵化することも困難であり、まだ弱い幼体が成体になることは滅多に無い。


 そして成体になった竜は、様々な姿に身を変えることができる。

 人間に化けたり、熊に化けたり、服に化けたり、アクセサリーに変化したり。有機物にも、無機物にもなることができる。


「まだ100年ちょいしか生きてませんけどね」

「あら、私よりも年下なのね」


 私がそう言うと、彼は驚いたように綺麗な瞳を丸くした。


「お姉さん……不思議な身体をしてるんですね」

「えぇ。おかげで中身はお姉さんじゃなくて、おばあさんだけどね」


「はは、見た目はどう見ても、人間の幼体ですけどね」

 私の身体は10歳に戻っていた。

 鏡なんて見なくても、両手を見ればすぐに幼くなったことがわかる。


 竜族の青年は身長は180cmはあるだろう。かなりの高身長だ。

 背筋もぴんっと伸びていて、美貌もいい。

 人間の世界だとかなりモテるだろうなと思った。


「それで、竜族の子が何の用?」

「用が無いと傍にいちゃいけませんか?」

 竜族の青年は、身体を屈めて、10歳の私に目線を合わせてくれた。


「貴方の傍においてください。使用人でも用心棒でも、コートにでも宝石にでも、何でもなります。貴方に仕えさせてください」


 彼はそう言って、私の手のひらに口づけを落とした。


「……なんで?」

 私は彼に尋ねた。こんな奇妙な体質で、性格も悪い私に何故仕えたいと思うのか。


「貴方に恋をしたからです」

 彼は砂糖を吐きそうなほど甘い台詞を言った。


「そんな怪訝な顔で見ないでくださいよ。下心はないですよ。この感情が恋なのか、俺は正直わかってません。ここのメイドさんに相談したら『それは恋です』って言われましたけど」

 なるほど。ここで雇っているメイドは若い子が多い。

 だからきっと美青年がお嬢様のところに通っている――それは恋と言ったのだろう。


「その冷たい目も好きです。きっと、これは好きって感情なんだと思います。アナスタシア姉さん。……いや、アーニャ姉さん」

 彼のキラキラとした瞳が眩しい。

 そんな瞳で見られたら邪険に扱うこともできない。


「……わかったわ。私の傍にいてもいい。けれど、一つ教えて」

「なんですか?」

「貴方の名前は?」


「さっき言ったとおり、俺に名前はありません。さすがおばあさま。もうボケていらっしゃる」

 私は無言で、小生意気な竜小僧の頭を踏みつけた。


「じゃあ、なんて呼べばいいの?」

「貴方がつけてください。俺はそれをこの6年間待ち続けていました」


「……困ったわ。竜の名付け親になるなんて、初めてよ」

「眉一つ動かさず言うんですね。アーニャ姉さんは本当にクールで格好いい」

「うるさいわね。いま考えてるんだから」


「……カンパネラなんて、どうかしら」

「姉さんに呼んでもらえるなら、なんでも歓迎です」

 こうして竜のカンパネラは、私の傍にまとわりつく……付き人のような者になった。


 こんな目覚めは、この数百年で初めてのことだ。


 この出会いがどうか、良い作用になりますように。

 そして、今度こそ私は呪いが解けるように。祝福の鐘カンパネラが鳴りますように。祈りを込めて。

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