第2話 竜との出会い

「……大変。迷ったかもしれないわ」


 雪道は思ったよりも方向感覚を狂わせた。

 そもそも道が雪に覆われて存在しなかったのだ。


 近いから歩いて帰れるなんて、そんな甘い夢を見ていた私が馬鹿だった。

 しっかり宿をとって、雪がおさまるまで休むべきだったのに――


 その時、大きな木の下で、何かが動くのを見つけた。


 野うさぎかしら。

 私は興味本位で、木に近づいた。


 そこに居たのは、傷だらけの小さな竜だった。

 まだ子どもだろう。両手で抱えられるほど小さい。

 

 狼にやられたのか、狐にやられたのか、カラスにやられたのか。

 それとも別の竜にやられたのか。


 竜の周りの雪は、赤く染まっていた。


「竜なんて……珍しい」


 この国は竜を信仰しているけれど、めったに見れるものではない。

 御伽話おとぎばなしに出てくるレベルの存在が――私の目の前にいた。


 そして、万が一の時用に持っていた塗り薬を竜の傷に塗ろうとした。


「きゅっ、ぎゅるるるるっ」

 竜は私が触れようとしたことに、酷く怯えた。


「大丈夫。貴方の怖がることはしないわ」

「きゅるっ、……きゅぅ」

 竜は小さな声で鳴いて、おとなしくなった。


 けれど決して私に目を合わせない。

 竜は猫のように気品の高い生き物だと、生体図鑑に載っていた。


 暴れはしないから、人懐っこい子だと思った。


 たまたま持っていた――雪国に必須のウォッカで、彼の傷をまず消毒する。


「ぎゅっ、ぎゅぅうううう」


 痛みを感じているだろう。けれど竜は暴れもせずに、我慢してくれていた。


「いい子ね。うん、とってもいい子。……あとは傷口を綺麗に拭いて……」


 ハンカチで傷口を拭う。

 けれど血は次々と溢れ出してしまい、ハンカチだけでは抑えられなくなっていた。


「相当傷が深いのね。まず出血を止めないと」


 私はドレスの端をちぎった。

 そしてその端でぎゅっと傷口の近くを締める。

 こうすることで止血することができる。荒業だけれど。


「ごめんなさい。苦しいかもしれないけど、我慢してね」

「ぎゅるぅ……」


 竜の瞳は私をじっと見ていた。

 爬虫類と同じように、瞼の中にある膜が水平方向に動いて、瞬きのようなことをする。

 ドラゴンの瞳は美しいと聞いたことがあるけれど――

 この子の瞳はダイヤモンドのように美しい、白く輝く色をしていた。


「あとは、人間用に煎じてあるものだから、効くかはわからないけれど……」


 私は持ち合わせていた塗り薬を、竜の傷口に塗った。

 竜はその間もずっと大人しく、じっと私を見つめていた。


「……どうしようかしら。専門のお医者さんって……いるのかしら。国に連れて行って解剖されても怖いし……家に連れて帰って、獣医さんに診てもらったほうがいいかも……」


 私は彼を抱き上げて考えた。


 きっと彼の傷は深い。

 だから、私はどうにか治療を受けさせてあげたかった。


 普段だったらここまで感情移入しなかったかもしれない。

 自然の摂理と思って、そっとしていたかもしれない。


 でも、婚約破棄された日に、竜と出会うなんて、ちょっとロマンチックじゃない?


 なんて、そんな虚勢を張りながら、私は自分の家に向かった。

 一人じゃ途方も無い雪道も、竜と一緒なら、いつまでも歩いていけるように思えた。

 ……なんとなくだけど。


・・・


「ここが私の家よ」

 やっと屋敷に着いた。

 屋敷の門にまで雪は積もっていた。


 中に連れて入ろうと思っていたら、

「ぎゅるっ、ぎゅっ、ぎゅるるる」

 竜は大きく声を上げて、空を飛んだ。


「……飛べたんだ」

 竜だから回復力が早いのかしら。

 傷はきちんと治ったのかしら。

 本当はちゃんと治るまで見届けたかったけれど、竜が自分の意思で飛んでいくなら仕方がない。


「もう怪我しちゃだめよ」


 私は雪空を舞う竜を見届けながら、屋敷に戻った。



 屋敷では執事が出迎えてくれた。


「ただいま」

「その様子だと、またうまく行かなかったのですね」

 執事服に身を包んだ男は、私の姿を見てため息交じりに言った。

 彼とこうして話すのは何度目だろう。


「そうね。今度は馬鹿を治す薬でも作ろうかしら」

「……それなら、惚れ薬を作った方が早いのでは?」

「嫌よ。そんな愛のない結婚なんて」

 このやりとりも何度目だろう。


 私は、何度も何度もこのやりとりを繰り返している。


 よく物語である時間逆行の『ループ』とは違うけれど、私は変わった体質を持っている。


 そしてそれを知るのは我が一族の者たちのみ。


「……疲れた。温かい浴槽を用意して頂戴。そのあと、私は眠るわ」

「畏まりました。お嬢様、どれくらい眠りますか?」


「そうね。6年くらいかしら」

「今回は短いのですね」

「目が冷めたら、10歳ね。エドアルド殿下とソフィアの産んだ子と結ばれるか、他の王子が産んだ子と結ばれるか……まぁ、そこは6年後次第ね」


 私は雪でびしょぬれになったブーツを脱いで、コートを執事に渡した。


「お嬢様、湯浴みの侍女は――」

「いらないわ。一人で入ってのんびりしたいの」


 ポトン、ポトン……。


 水の落ちる音が響き渡る浴槽。私専用の猫足バスタブ。

 一人になりたい時、傷ついた時、私はいつもこの浴槽に浸かっていた。

 もっと大きな浴室もあるけれど、こっちの方が好きだ。


 温かい湯に浸かった時――とうとう涙が溢れ出た。

 うまくいくと思ったのにな。

 あのソフィアって子、うまく取り入ったことで。


「はぁあああ……やられた」


 私は大きくため息をついた。

 あのにやつく口元……イライラする。


 せめてパーティー中は悟られないように扇子か何かで隠しなさいよ。

 王子もあんなところで公開処刑のように婚約破棄言い渡さなくてもいいじゃない。


「……はぁ。うまくいかない」


 私は浴槽に沈み込む。

 息を吐いて、ぶくぶくと泡を立てる。

 はしたないけど、私以外は誰も見ていないから、このくらいいいだろう。


 風呂を上がり、タオルで身体を拭う。

 そして髪を乾かして、ベッドに横になる。


 次に目覚めるのは6年後――

 10


 これが私の一族の秘密。

 古い古い昔、魔女にかけられた呪い。

 年を重ねると齢をとる。けれど私は眠りについて若返ることもできる。


 

 簡単に言うと不老不死のまがい物。


 海にいる生物――『ベニクラゲ』も同じ様な存在だ。

 老化したあと、幼化して、時間をかけて齢をとり、時間をかけて幼化する。


 この呪いを解く方法はたった一つ。

 王子様と結ばれ、ハッピーエンドを迎えて、キスをすること。


 私は何年も何十年も何百年も、これを繰り返してきた。

 いつも、何かに邪魔をされて、王子と結ばれることは出来ない。


 私は永遠の、終わりの見えない時間をさまよい続けている。


「……あの竜、ちゃんと傷治るといいわね……それから、次こそは、どうか終わりを――」

 私はベッドに横になり、目をつむる。

 手を胸の上に重ねて、眠りについた。


――次に起きるのは6年後。

 私の身体は6年かけて10歳に戻る。


 その頃、世界はどう変わっているだろうか。

 それともまったく変わってないだろうか。


 ふと、意識を手放す前に――あの竜のシルエットを思い出した。

 とても美しい竜に育つといいなぁ。


 いつか、また会えたらいいわね――

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