竜と『悪役令嬢だった』魔女

六花さくら

第1話 プロローグ

 それは、しんしんと積もる雪の日に行われた。


「アナスタシア・ユーリヤ・シャターリア。お前との婚約をここで破棄させてもらう」


 私――アナスタシアの目の前に立つ男は、貴族の並ぶパーティの中でそう断言した。


 彼の名はこの国の第二王子、エドアルト・オルデハイム。


 私は彼と婚約関係を結んでいた。


 王子は金色の巻き髪を耳にかけて、翡翠色の瞳を別の女性に向けていた。

 彼の横に立つ女性は、夕暮れの太陽のような赤い髪を二つに結んでいる。ルビーのような色の瞳で、うっとりとエドアルト王子を見つめていた。


 まさに恋する乙女。

 彼女の名はソフィア男爵令嬢。

 しかし彼女の口角は、ひくひくと上がっていた。


 喜びを隠せないタイプなのだろうか。

 それとも、こうして私が貶められているのを見るのが嬉しいのだろうか。


 どっちにしろ、もう関係ない。


「……わかりました」


「な、なんだ。嫌がったりしないのか?」


 王子は驚きの表情を浮かべる。

 嫌がってほしかったのだろうか。

 自分から言いだしたくせに。


 女性の恋は上書き保存。

 男性の恋は新規保存とよく言われるが……本当にこの王子は馬鹿なのね。


 小さな頃の彼はこんな人じゃなかった。

 いつも好奇心旺盛で、努力家で、新しい本を一緒に読み回したりしていた。


 だから、自然と恋をして、彼と子を産み、人生を過ごすのだろう――そう思ったのだけれど。

 


「やはり、お前は我が愛しのソフィアに嫌がらせをしていたのだな」


「いえ。事実無根でございます。私はこの魂に誓って、家名にも誓って、そのような真似をしておりません」


「ふん。そんな言葉当てにならぬ。なぁ、ソフィア」


「えっ、は、はいぃ~。わたし……アナスタシア様にはいつも睨まれていて、お茶会にも誘っていただけず、池に落とされたり……本当に……ひ、ひどくって……ひっ……うぅう」


 彼女は言いながら涙を流していた。

 ハンカチで拭っているけれども、やはり口の端は上がっている。


 大した演技力だ。

 そして愚かな王子はそれに気づきもしない。


 お茶会に誘わなかったのは、彼女が親しい友人じゃないから。

 私は侯爵令嬢で、彼女は男爵令嬢。

 身分も違うし、友人も違うから誘う理由がない。


「……池には自分から落ちておりましたけど」

 冬の池によく自分から飛び込むなぁと、遠目で見ていたのだけれど、彼女はそれも私のせいにしようとしている。


「ひ、ひどいっ! 私の不注意というのですか?! アナスタシア様が突き落としたのにっ!」

「ええいっ! 往生際の悪い女だ!」


 それはこちらの台詞である。

 とりあえずわかっていることは、王子はこのソフィアに骨抜きにされてしまった。


 今度こそ、このから逃れられると思っていたのに……。


 


「これは私と殿下だけの問題ではなく、家と家の問題でもあります。ですので、後は家を通してお話くださいませ。私にはこれ以上何も言うことはございません」


「それは婚約破棄を受け入れると?」

「はい」


 私は一刻も早くこの場から逃げ出したかった。


 冷たい目。

 この場にいるのは、私とエドアルトとソフィアだけじゃない。

 たくさんの令嬢や子息が私達を見ている。


 そして、もっと偉い爵位をもった方々も。

 そんな彼らに負の感情で見つめられるのが、心の底から嫌だった。


「ふん。泣いて乞うたら愛妾にでもしてやろうと思ったが、本当に可愛らしさの欠片もない女だ。少しはソフィアを見習え」

「エドアルト様ぁ」

 潤んだ瞳で彼を見つめるソフィアの額に、そっと口づけを落とす王子。


 正直、もう吐きそうだった。

 イチャつくなら勝手にやってほしい。

 しかも馬鹿の愛妾なんて……寒気がする。

 馬小屋で働く方がまだマシだ。


 お父様には怒られるかしら。

 、怒られはしないでしょうね。

 彼はわかってくれている人だから。


「では、私はこれで――」

 私は一礼して、踵を返した。


「ふん。婚約破棄をされても表情を全く変えないとは。本当に氷のような女だな」

 王子の嫌味を背に受けながら、私はパーティー会場から去った。


 その日はやっぱり、雪がしんしんと積もっていた。

 あまりに雪が積もっているから、馬車も動くことが出来ないらしい。


「お嬢様、もうしばらくお待ちいただいたら……あ、そうだ。宿に泊まっていかれたら……」

「いいえ。大丈夫。少し頭を冷やしたいから、歩いて帰るわ」


「えぇっ!? そんなヒールで歩いたらしもやけになってしまいます! コートは……えっと、オレのしかないですからこちらを。ブーツは何かあった用に女性用を馬車に積んでおりますので、持ってまいります」


 馬車の運転手はとても気を使ってくれた。


 パーティー会場で何があったのか、彼は知らないはずだ。

 けれど他の客人よりも早く、しかも一人で出てきた令嬢――それでなにかを察したのだろう。


「……こちら。サイズがあってないと思いますので、あまり長くは歩かないようにしてください」

「ありがとう」


 彼が渡してくれたのは革のロングブーツだった。

 サイズは確かにあってないけれど、それでもヒールで雪の上を歩くより全然マシだ。

 彼の貸してくれた上着は、男性用でブカブカだった。けれど、まだぬくもりが残っていた。


「……貴方の服はどうするの?」

「オレのは予備が馬車にありますので、大丈夫です。どうぞ、使ってください」

「ありがとう。お名前は?」

「名乗るほどのものではございません」


 彼はそう言って、一礼頭を下げてくれた。

 

 ここは優しさに甘えておこう。


 雪はしんしんと積もっている。

 息を吐いたら、白いもやが顔の周りを覆った。

 耳がぴりぴりする。

 ドレスアップ用の手袋は薄地で、すぐに冷気を通す。


「……うん。寒い。でも歩いて、ゆっくり、ゆっくり帰りましょ」


 私の家はここからそう遠くない。

 ちょっと嫌がらせに脱いだ靴を置いていった。

 王子様がその靴を持ってきてくれたらいいのに。


 そんなことを考える私は、やっぱり未練がましい女なのかしら。

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