15年後の僕らは。

ブリキの穴

あの日から、全てが変わっていくような気がした。

彼女はどこに行ったのだろうか。

先生に尋ねても、突然の事で、先生もよく分からない、と。


僕はまた、昔の自分に戻っていた。

彼女のおかげで、人にも心を開けるようになった。自分も好きになった。

だが今僕は、彼女のせいで、苦しめられている。

僕がもっと頼りになれば、僕がもっと彼女の気持ちに気付いてあげられれば、

そもそも、

想い出だけが、僕を苦しめ続ける。

手のタコは、とっくに消えていた。


15年が経った。地元を飛び出し、絵描きになった僕は、今日も外で風景を描いて生きている。

自分の絵は、日本の風景をありのままに描いており、国外問わず、常に一定層に人気だった。1つ100万円以上の値段で落札されるなど、人気な絵描きとなっていた。

しかし、心にはぽっかりと穴が空いていた。

金や名誉では埋められない程の、大きな、穴が。



今でも時々思い出す。あの時、彼女がいてくれたら、僕は今、どうなっていたのだろうか。

思い出す度に嫌になり、また絵を描く。

くだらない、何も詰まっていない絵を。

ひとしきり描き終えて、僕は家に帰る。

壁には、『月光と少年』が飾られている。


今日は破格の仕事の依頼がはいった。

ギャラは400万円。

町おこしの一環として、風景画を描いて欲しいと。

次に送られてきた書類の打合せ場所を見て、ようやく僕は気が付いた。

地元の町、夜凪市よなぎしからの、依頼だった。

始発の便に乗って、仕事の打ち合わせ先へと向かう。15年振りに帰る地元は、見慣れない店が増えていたが、町の形や、匂いは何も変わっていなかった。

相変わらず自然は豊かで、仄かに朝焼けの匂いがした。ピアノを思い出し、嫌になり、俯く。もはやあの音色は、ノイズになっていた。

打ち合わせ先の市役所に着き、ソファに座る。

「そなた先生、この度は、本当にありがとうございます。」

白髪に皺まみれの痩けた顔をした市長が、深々と頭を下げる。

「いえ、僕の方こそ。何故、僕なのでしょうか。」


「単刀直入に申しますと、そなた先生の絵が、死んでおられるからです。」

死んで...いる?

「...死んでいるとは。どういう事でしょうか。こんなにも売れている僕の絵に、文句があるのですか?」

「そのままです。何も、詰まっていないのです。だから、この町で、この、そなた先生の出身地で、是非、取り戻して欲しい。そう思ったので、依頼させて頂きました。」

この老人、何を分かったつもりで喋っているのだろうか。イライラする。

僕は気付いている。このイライラは、見透かされた事に対する反発でしかないことを。

「分かりました...頑張って生気を取り戻します。3週間後にまた、絵をここに持ってきます。また、」


市役所を飛び出し、走る。風が頬を擽る。高架橋、河川敷、学校。視界はどんどん移ろいで行く。

見覚えのあるこの風景、隣には必ず、君がいた。

頑張って頭を振っても、ピアノは流れる。想い出が響いている。足がもつれて、地面に頭を叩き付ける。涙が地面に暖かく染み込んでいく。

「まだ僕のピアノ、聴かせてないのに...」


気が付くと僕は病院のベッドに横たわっていた。

母が手を握っていた。父は、ただ顔を眺めていた。

「そなた...!大丈夫?帰ってきてたのなら、言いなさいよ...!」

母は、すっかり老いており、手が温かかった。


「ごめん...僕...何も言わずに...」


「本当よ!一言ぐらいくれても良かったじゃない...でも良かった...そなたが無事で...」

母は顔をシーツにうずくめ泣いていた。

「そなた。あまり母さんを心配させるな。ずっとお前の事、待っていたんだ。」


「ごめん。」


4日ほど経ち、僕は実家に戻った。自分が今絵描きであること、仕事でここに来ていること、15年間の全てを伝えた。

「知ってるわよ!あなたが立派に絵を描いて生きていること。私はあなたの母親なんだから。本当に良かった。そなた、よく朝早くから絵の具を持って出掛けていたものね。」

父や母と少し話した後、僕は眠り、朝になって、再び外へ向かった。

まだ少し、頭が痛む。


相変わらず花屋は水を花にあげていた。公園もあった。でも、どこか寂しさを孕んでいた。

街路を曲がる。入り組んだ道を進み、ようやく辿り着く。

赤い屋根の家。彼女の、家だ。

朝焼けの匂いがする。

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