奏とソナタ

雨が降っている。傘が貫かれるような、酷い雨。

「何してるの、」

「あ、雨、気持ちいいんだ。」

「もしかしてそなた君って意外とヤバい?」

そこに立っているのは、橘花奏。こんな姿を見られるなんて、惨いことを、神はするものだ。


「誤解だよ、本当に。僕はただ、雨が好きなんだ。雨が降っていると、踊り出してしまう。ビートを身体が刻むような、そんな感じ。雨が僕のビートで.........。」

「身体濡れたままだと風邪引いちゃうし、うちでシャワーだけでも浴びなよ。うち、ココだから。」

そう言うと彼女は、赤い屋根の家の鉄柵の門を押し開いた。

僕は大きく目を見開いた。いつも聴いていたあの音色、朝焼け、ピアノの絵、全部が繋がって、脈打つ。

「ここ、橘花さんの家...なんだ。」


「なんで驚いてるの。そう。だから私、びっくりしたの。ウチの壁にもたれ掛かってるの。しかも笑って。雨も降ってるし、早くウチに入って。風邪引いちゃうから。」

そう言うと彼女は、僕の袖を引っ張って赤い屋根の家へと誘う。


いつも陰ながら居た、あの家に、入る。

なんだか変な気分だ。

中は洋風で、本当に映画の中のお城のようだ。

「綺麗な家だね.....」

「そうだね。」

彼女は異様に鋭い声で返事をする。なにかいけないことを言ってしまったのでは、と考え込む。

「ここの階段を昇って、右に浴室があるから、しっかり身体温めて。上がったら、すぐ隣に私の部屋があるから、教えてね。」


「ありがとう。」

服を脱ぎ、シャワーを浴びる。雨の後のシャワー、これも凄く気持ちがいい。

シャワーに当たりながら、よく考えてみる。

女の子の、家のお風呂場に、いる。

そう思うと、急に胸がハラハラしてきて、身体の温度が上がる。何を興奮してるんだ。僕は。

急いで身体をタオルで拭き、深呼吸する。

「僕は、そんなんじゃない。」


彼女に礼を言わなくちゃ。ノックをしようと扉の前に立つ。

「なんでお母さんは分かってくれないの!私、音楽がしたいの!なんで?お母さんはずっと、言ってたじゃない!奏は音楽が上手だねって!」


「あんたねぇ!音楽で生きていくことがどれだけ大変か知ってるの!?音楽が上手だって?そんなの全部上辺に決まってるじゃない!しっかり勉強しなさいよ!」


「なんで、、自分の失敗を!私に押し付けないでよ!私、この家も全部嫌い!浩一さんなんてパパじゃない!媚びへつらってるだけのお母さんも嫌い!」

扉の方へ歩いてくる音が聞こえる。僕は動けないまま。ただ扉の前に立っている。

「あ!上がったんだ。どう、温まった?」

「うん、温まった。ありがとう。本当に」

彼女の声は、さっきまでの揉め事とは違う声だった。

「あのさ」

「全部聞いてた?」

僕が尋ねるよりも早く、彼女は口を開く。

少しの沈黙の後、もう一度彼女が口を開く。

「雨止んだし、少し散歩しようよ。」


外はすっかり日が落ちている。雲はまだ空を覆っている。

「ごめんね、こんな遅くまで付き合わせちゃって。」

「いや、いいんだ。元はと言えば僕が悪いし。」

「本当だよ!ウチの前で何してたの。またいつもみたいにピアノ聴きに来てたの?」


「何でそれを...」

心臓が痛い。まさかあの気持ちの悪い盗聴がバレていたのかと思うと、体が震える。

「そりゃあ、気付くよ。窓から見えるよ。ずっと壁の裏で、気持ちよさそうに座っているの。」


「キモイ...よね」


「うん、キモイ。でも、聴いてくれる人がいるのが、凄く嬉しかった。私ね、ピアノが大好きで。ずっとずっとほんとに小さな頃からずっとピアノを弾いてるの。でも才能はこれっぽっちもない。私のお母さんは、それに気付いてるから、ずっと勉強をさせようとしてるの。」


「橘花さんのピアノは、本当に綺麗だよ。心の奥底に響いてくる。こんな音色を弾けるのは、痛みを知っている人だけだ。」

彼女の方を向き、ありのままを伝えた。


「ありがとう...私、ピアノ続けたいよ!もっともっと、好きなように弾きたい!早くこの家からも出たい!私のお母さん、再婚なの。パパが、私が4歳の頃ぐらいまでいたんだけど、事故で亡くなって、それから10年がたって今、再婚した。そしたらその再婚相手がとてもお金持ちで、気付いたらこんな大きなお家。私こんなに大きなお家要らない。家族3人しかいないのに、寂しいだけよ。」


彼女の声は揺れている。水面に波紋が広がるように、揺れている。


「そろそろ解散しよっか。そなた君の親も心配するだろうし。」


「うん。じゃあ僕、帰るよ。あ、シャワーのお礼はどうすればいいかな、」


「そうだなぁ、お礼は、絵が欲しいな。そなた君の作品。あの月に吠え、泣いているオオカミ。タイトルは何?」

「あれは作品なんてものじゃない。僕の、ただの逃避だ。タイトルなんて、今まで決めたこともない。」


「そなた君、作品褒められると、嫌な顔してた。でも本当は、嬉しいんでしょ。分かるよ。美しい絵を、認めないのも、自分が嫌いだから。わかるよ。だから、逃げないで。ちゃんと向き合って。よく見て。そなた君は、絵が好きなんだよ。」


戸惑った。どうしてこうも彼女は、僕を見透かすのだろうか。そう言う能力なんじゃないか。


「橘花さんは、なんでも分かるんだね。僕は、そうだ。自分が嫌いで、嫌いで仕方がなかった。絵を褒められても、所詮上辺だけなんだって。本当は何も見ていないんだって。思い込んでた。僕は、僕はバカだった。ありがとう。」


「まさか、僕が助けられるなんて...ごめん。無力で。」

「いいの。私も同じようなもんだから。作品、頂戴ね!タイトルも決めて額縁に入れて。それはそれは豪華で絢爛なもので」


「強欲だな。橘花さん。」


うちに帰り、少し怒られた後、自分が描いた絵を眺める。

タイトルか...今まで1度も思わなかった。

そうだな...タイトルは、

         「月光」











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