#42or55:七転or八起
「いや、は? ええ? どうしちゃったのここに来てずっとだけど。駆け引きはもう終わりですけどぉ? それとも足し算間違えちゃったぁ?」
困惑含みの沈黙静寂をすらと斬り開いたのは、やはりのクール杜条であったが。その緑フレームの眼鏡の下からは、ねめ上げてるんだか見下しているのか分からないものの、とにかく相対する春日嬢を小馬鹿にする光を宿すふたつの目があった。それを視認している俺の視界はだいぶ霞みつつあるものの。
それでも消滅はしていない。揺蕩っている……? しかし杜条の言う通り、どう計算しても千四百と千三百。もしやここにどこからか調達したカネを積んで上回ろうとかそんなことを考えている? それが罷り通るのか?
「賞金は賞金内でやりくりでしょ当然? ねぇシンゴ」
同じことを杜条も当然に発している。賞金を回す分にはいいが、よそから持ってくるのは無しと。俺もその認識でいた。というかそもそもこんな勝負があるなんてそこまで予測もつかなかっただろうから、おめかしした上で現ナマを抱えてくるってのもあり得ない気がした。それでもやはり持参してきていたと、そういうわけだろうか……
「もちろんもちろん、でももちろん皆さんの言い分も聞くよ。じゃあ最後の授与になるけど、被らなかった人はええと、自分の前に相当分を指で示していてね。それを意思表示として受け取って手渡ししますから」
霞む思考は、この場においてものんびり然とした丸顔の言葉に不本意ながらピントを合わせられてしまう。何だその持って回り方は? 札は各々の眼前に晒してるんだ、明白だろうが。そして何で今になってそんなことを言い出した?
「……!!」
また、背中に触れられた気がした。ままならない首を何とか捻り回して背後の春日嬢の顔を見上げる。微笑。それは常に変わらないデフォ感があったものの、今のそれはそこにちょっと悪そうなニュアンスも滲ませていたわけで。視線を返すと、それと相対する丸顔にも同じような表情が宿っていた。
ワケが分からないまま、そんな俺と同じような思考状態だろう、最後の賞金を得た春日嬢の他の四名は怪訝そうな表情を浮かばせながらも指を立てたり掌を開いたりするのだが。
テーブルを回りながら札束をとんとんと置いていくシンゴ。杜条の手元にはやはり五つの束。合わせて千四百万に相違は無さそうだったが。春日嬢の言った「私の勝ち」とは、いったい。やはりの勘違いなのか負け惜しみなのか自分ルールに則った上での世迷言に過ぎなかったのか……
全然違った。
「……!!」
微笑のその眼前で展開された両手指は、掌と一本指のペアであろうと俺だけでなくそう思っていただろうが、掌はいいとして、もう一方は開いた掌から親指だけが内側に折り込まれたかたち……すなわち「四」を示していたわけで。
「【9】を、……要求します。この札に、書かれている通りに」
確かに、逆さにすれば【6】は【9】。ではあるが。だが通るのかそれは? 途端に喉奥で鳴ったかのような、抗議気味の言葉が周りの面々から紡ぎ出されてくる。しかしてそのコンマ数秒前に、
「そして、得た千七百万円と、優勝賞金の二千万円を全てシンゴさんにお渡ししますので、その手元にある皆さんの『札』を全部買い取らせてください」
春日嬢は有無を言わさぬ妙な迫力でそうのたまった。またも困惑が場を包むが、場の面々としてはそれは体のいい提案に聞こえたのだろう、一斉に黙った。何だこの掌握力。当の春日嬢と丸顔だけが同じような微笑をただ浮かべていやがるが。
「えっと、え『二倍買い取り』の取り決めだったけど……それだとしめて九千四百万円になるけど……」
「まとめて買い取りサービス価格でお願いします。それに、取り決め云々はもう諸々あって無し、みたいな状態ですし。構いませんよね?」
おっと。柔らかさの中に確かな
徐々に戻ってきた意識。やはり猫耳の言ってた通り、なるようにしかならねえのか、がそれは取りあえず今はどうでも良かった。そして、まだ渋る丸顔の元から「札」を回収しつつ、春日嬢はこれ以上ないくらいの曇りない笑顔を見せると、こう言ったのであった……
「これからは、私だけを見て欲しいからです、よ?」
やはりあざとさも何から何まで誰よりもいちばん上手だった気がしてならねへぇ……そんな言の葉を面と向かって照射されたシンゴの丸顔が自家熱で溶け崩れそうになっているよ見てらんねぇえ……
周囲からサラウンドを伴って一斉に鳴らされる腐った舌打ちと共に急速に温度を下げていく場の中、極めて事務的に自分の得たカネをそれぞれに仕舞いこんでパンパンになって口開いたままのハンドバッグを手に手に、他の嬢たちはこの決戦の間から、おつかれぇまた今度ぉとのバイト終わりが如くの気の抜けた挨拶を漏らしつつ辞していくのだが。
妙な清々しさは、俺だけが感じているのだろうか。
もう「史実」と違かろうが、俺の今後の去就なんかは全部吹っ飛んで行ってた。シンゴがこの未来で事業を成功させようがさせまいが、この二人が共に歩んでいってくれさえすれば、それでいいまで思ってしまっている。
が、しかし、
「ほら、全部渡すって言いましたよね?」
不穏な気配。何やらシンゴが紫の札を一枚、渡すのを拒否しているようだが。それは春日嬢の唯一供出していた【1】の札のはず。まさかまだその荒唐無稽ルールにしがみつこうとかしてんのか、そういうところは潔い男と思っていたが、やれやれ。とか、もう何か始まりかけている痴話喧嘩みたいないたたまれない空気に辟易とし始めた、その、
刹那、だった……
こ、これだけは今、行使させてよそうしたらもう渡すから……との先ほどまでの余裕はどこに行ったか、あわあわ言いながら周りを見渡し、ぺらぺらになったリュックを見つけるとごそごそと何かやり始めるシンゴ。どうした? と、
「この【1】の札を呈示します……左手を、差し出して欲しい」
思わぬ真摯な言葉に、その微笑を少し崩したものの、押されるようにして細く長い指を揃えて前に出す春日嬢。
「……!!」
その左手指を恭しく左手で捧げ持ったシンゴは、小太りの身体を縮こませるように片膝をついてかがみ込むと、リュックにぶら下げていたキーホルダーから捩じり取ったと思しき、留め具のリングをその左薬指に嵌めていくのであった……
「い、いつかこれを百カラットのダイヤ付きのに変えてみせるから、から、だ、だからぼ、僕と結婚、して、ください……」
今日びここまでハリウッド臭の強いプロポーズは本家でもお目にかかれないだろうほどの、さらには身内にはキツい絵面を見せつけられて。
笑顔と涙の混じった春日嬢の引き込まれる表情でもそのいたたまれさは相殺出来うることも無く。
「……」
ただただ俺もこの場を離れたいと願いそう実行してみるのだが、見えないゲル状の何かが障壁として存在しているかのように、丸顔の半径二メートルから何故か離れることが出来ない。
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