#31or66:無我or夢中

 諭吉が、こちらに微笑んでいるようなこちらを見下しているような微妙な顔つきで群れている。食器の下げられた四角いテーブルにぶちまけられたのは、品の無い言い方をすれば万札の束。の海。だった。


 やまゆりステークスを制したのは、レース初っ端からリードを保った、和田竜二騎乗のマークリマニッシュ。シンゴと俺が全てを託したその鹿毛の牝馬は、最終コーナーで沈むかに見せて直線でもうひと伸びしてくれた。武豊のダイワセキトの猛追をも振り切って。十六頭中、十四番人気と三番人気のワンツー。馬連の配当は二一,二二〇円。つまり百二十万がとこの魂の勝負金は、


「……っ!!」


 二億五千四百六十四万のカネの塊となって俺たちの前に現出していたわけで。勝利の瞬間、震えるを通り越して逆に微動だにしなくなった身体を水平移動させるように歩いていった丸顔を能面にしたシンゴは、まだ次の行動に意識を移せるだけ大したもんだと思った。意識だけの俺はまだ毛くらいの疑いを飲み込んだままその場面に対峙していたのだが、その虚ろな身体ごと吹き飛ばされそうな衝撃を喰らって身動きすら出来ていなかったわけで。そして、


 係の人から意外と冷静に窓口で渡されそうな勢いだったが、目立ちたくなかったのだろうシンゴは丁重にそれを押し留めると割と冷静に交渉を始め、関係者以外立入禁止と書かれていた事務室のような所に通されてそこでブツを手渡されることとなった。手渡されたといっても抱えるのがやっとといった感じの紙の束であったわけで、聞いたところによると一億は十キロ。ゆえにその二十五キロの紙の塊をどうするか、しかしそこはもう考えていたらしきシンゴは、器用に小さく巻いて腰にウエストポーチのように装着していた件のリュックサックをびろと広げると、シュリンク巻きされて直方体を形成していた札束の塊をバラバラにして無造作にそのズタ袋のような趣の、しかして容量だけは相当ある登山用のそれに突っ込みまくったのであった……


 最適解だったと、言えなくもない。手で持つ二十五キロは両手に割り振ったとしてもキツかっただろうし、その点、背負ってしまえば二十五キロの子供をおぶうようなものだからそう考えるといくらかマシ、さらに両肩と腰で支えることの出来るタイプだったのでうまくかかる荷重は分散されたようだ。雪山登山に臨むわけでも無いので多少の重量オーバーはやむ無しだろう。そもそも重さをかけてくるモノがモノだけに有難みの方が強いはず。


 というわけでチェックのシャツにジーンズという恰好にいい感じにハマったリュックに背後から絡みつかれるようにされながらも、ここ一番の胆力ですすすと滑るように水道橋の駅までたどり着いたシンゴは混み始めてきた車内で周囲のヒトらからその大荷物を邪険にされながらも、まさかそこにリーマンの生涯賃金相当くらいの現ナマが詰まっているとは露ほど思われることも無く、無事家の最寄駅である西日暮里に到着するとコインロッカーに何とか押し込んで家に着替えに戻ったというのが経緯であり。結局まともな服も無く引き返し、カネならあるじゃねえかとの俺の助言にリュックを周囲を気にしながら開けようとしたものの、どう縛ったのか分からなかったがどうやっても解けず、爪が剥がれそうになったところで諦めてそのまま新宿に向かったと。


 そして今、その勝負の結晶を余すことなく開陳している丸顔の表情は何故かひどく凪いでいるように見えた。もちろんそれを囲む七人の女性たちのほとんどが表情筋のほとんどの力を失っている状態でもあって。


「え……いや何だこれ」


 日頃から男らしく振る舞う姉御肌、反面、さらり着こなした橙の七分丈ジャケットから覗く健康的に褐色へ灼けた肌はしっとり艶めきを放っていてどこか艶めかしさを醸している。その在坂アリサカがとりあえずの、といった疑問を大きく黒い瞳に意図的に力を宿しつつ何とか、といった感じで発してくるが。


「君たちを雇いたい。店の開業までこぎつけるには、この資金の他にもまだまだ色々あるから、一年後くらいの話になってしまうけれど。それが全部成ったら。成ったのなら僕のお店で働いてもらいたいんだ。そのための手付金みたいなものさ」


 シンゴはこの期に及んでずっと思いつめたような顔をしている。どうした? 最大のギャンブルはここからだろ?


「はっきり言え。ただすんなりと渡すってことは無いのだろう? それならここまでの多寡をわざわざ見せる必要は無かったはずだ」


 在坂よりもさらに低い声色。さらに高い上背。何とかって格闘技の師範代と聞いた、纏っている空気が真剣でも帯びているかのような静なる迫力を醸しており、野武士然とした高い位置でのポニーテールを結った灰炉ハイロが強すぎる眼力にてシンゴを射貫いてくる。そうだぜ、こいつの考えていることはとんでもない荒唐無稽だ。


 だが、それで見極めたいっていうのなら、見極めさせてやりたい。なにより、それの方が諸々白黒がついて分かりやすかろうぜ。


「うん……もちろん拒否しても全然構わない。これから皆にはゲームをやってもらって、それで自分の『年俸』を決めて欲しいと思ってる……そのお金を持って帰ってそのままサヨナラでも構わないんだけど、とにかくゲームで決着をつけて欲しいんだ。麻雀牌を使ったゲームで『ナイン』ってのがあるんだけれど、それに似たような感じのね。名づけるなら『ナインtoトゥーワン』」


 場に流れるのはまだ計りかねている感ありありの凪いだ空気。無理もねえが。

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