#28or69:運否or天賦

 そして七月七日、日曜日。


「いやぁ、何だか今まで生きてきた中でいちばん緊張してるよ、うわぁ」


 の割には、フラットなメンタルに見えなくもないが。小太りの身体に身に着けしは、いつもの擦り切れたシャツに色の抜けたジーンズ。そこもブレてないな。今日が大きな「勝負」二連発の日だってのに。


 該当レースが午後一時半、「星を見る会」が夕方六時。


 が、まだレースの買い目も定まっていない状態なわけで、取り敢えず現場には行ってよう、第一レースが始まるくらいの十時頃には、とのことで、山手線内で勝馬投票券が購入できる後楽園のWINSにそのくらいに到着する感じで家を出ていた。ちなみに本日、シンゴは二十歳になるとのことで、いやそこも図ったかのようにハマったねぇ……としか言う他は無い。父親の誕生日なんて縁遠いことこの上無かったが、図らずも知ることが出来たと。まあどうでもいい。それより、


 勝算は、正直あまり無いそうだ。それでも自分の最大限を以ってやる、そうだ。


 失うものも、元をたどれば何もないはずだからね、とのたまう丸い横顔には、今や正体不明の「自信」のようなものが漲っているように見えて、例えこの勝負を取れなかったとしても、これからの人生、勝つまでやり切りそうな、そんな気概のようなものすら透けて見えるようで。


 それが何か、俺自身のメンタルの方向性にも影響を及ぼしてきているように思えて。


 未来は決まっているのか、変えられないのか、そこはもう問題では無くなっているような気がして。自分がいるこの場こそが「今」なのだとてめえの中心軸に据えて。


 「今」を生きる。それは意識だけになった俺だって可能なはずだ。そしてまずはこの「場」をぶっちぎる、だけだ。


「……三十歳から上は切っていいと考える。五十歳を超えても……もちろんあり得ることだとは分かるよ? 現に武さんもそうなんでしょ? でもそこは切る。そうしないと絞り切れないし」


 決して綺麗とは言えない建屋の便所からほど近いリノリウムの床に正座し、その前に広げられた競馬新聞に目を走らせながらシンゴがぶつぶつと、もう興奮を隠しきれていない様子で言うが。割とそういう輩は周囲にも大勢いるので目立たない。というよりは夏場だというのに人の流れとか澱みが半端ないな。独特の臭気も、直に感じるわけでは無いが、可視化されそうなほど沸き立っているように見える。


 阪神七レース「やまゆりステークス」。二〇〇〇メートル芝。長距離の方なのだろう、他のレース情報を流し見ていての比較だが。そして十六頭立て。多いな、と思う。確かにばんばん切っていかないと予想すらままならないか。シンゴは躊躇なく、三十歳越えの騎手のところの柱に赤鉛筆でバツをつけていく。結果、選択肢は九まで絞られた。この時点で馬連の組み合わせは三十六通り。ちなみにこの時代の最も高配当の買い方が馬番連勝複式、馬連だそうで、馬単も三連単・三連複も無い。そこは悩まなくて済んだので良かった、と思う。とは言え、


「ここからどう絞っていくか、だよな。とりあえず一番人気から四番人気まで残っているからこいつらの組み合わせは除ける。六通りだけだけど」


 俺も及ばずながら考えを述べていくが、減らない。


「一番から四番までと、七番九番十番人気までの組み合わせも『百倍』には至らないから除ける。からさらに十二通りマイナスで、でも残り十八通りかぁ……ここからはもう理じゃないかなぁ……」


 シンゴが呻くように声を放つが。何か無いものか。


「やっぱり武豊は外せないんじゃあねえか? 現役を続けられてるのは確かなんだ。それ以外で二人以上いる可能性はもう考えなくても……」


 俺ももう理とは言えないことを口走ってしまうが。


「うん、僕もそう考えていたところ。そこはもう賭けよう。そしてそこを定めてしまえば残るは『二択』になるし」


 武豊騎乗のダイワセキトは三番人気。それと対となって万馬券を叩き出せるのはたった二頭。


 十三番人気、河北通のフサイチヒロシか、十四番人気、和田竜二のマークリマニッシュか。ダメだ、俺はどちらも知らねえ。どっちかが現役を続けていると知っていたら、だったが。ん? ていうか。


「両方を買えばいいんじゃねえか? ここまで来たら。百八十四倍と二百十二倍。六十万ずつ賭ければどう転んでも『億』に到達する」


 改めて考えると、とんでもない話だ。持たざる若者が、たかだか二分かそこらの時間で何十年掛けて稼ぐくらいの大金を得る。そしてそうなったら「どう転んでも」人生は変わっていくだろう。こいつの転機はまさにここだったって、そう言うのか? 競馬で儲けた金を資金に興したのか、あのボイヤスを。親父……


「……」


 だいぶ、思い出しづらくなってきた、てめえの父親の顔を思い浮かべてみようとするが、もうよく分からなくなってきていた。目の前のこの丸顔に面影があったのかどうかすらも。と、


 刹那、だった……


「ふたつは追わない。降って沸いたこの幸運、僕はでも、試されてるとみるよ。神様とかに。だったら最後は日和れない。一点に、マキシマムの百万を突っ込むよ。『対局』の方に影響が出ちゃったらあれだから二十万はリンドーくんに残してね。二億あれば、秋葉原にどでかい店舗が建てられるはず。ダメだったらその時で。カラ手でも僕は大切なヒトに思いは告げようと思ってるしね」


 自信に満ち溢れたにやり顔。吹っ切ってんなあ、迷いはもう無えんだな。が、


 ……舐めんなよ?


「俺らは一蓮托生だろ? 『マキシマム』っつうなら『百二十万』だ」


 俺も乗るべき流れって奴を少しは分かってきたつもりだぜ? 渾身のにやり顔を突き合せてやる。相対するシンゴの顔が、この上無いほどに綻んだように見えた。


 一点に賭ける。その時は己の最大まで。それで掴み取るのが「勝ち」ってやつなんだろう、今までの俺の「勝ち」なんて高が知れてた。ここ一番、突き抜けてやる。


 ……そして、レースが始まった。

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