第35話「千歳はできることが多い」
ニーナのおかげで美味い料理を動かず堪能できた。
「どれも美味しいな」
と感心する。
「おじい様、食材にも料理人にもこだわる人だから。おかげで毎日美味しいもの食べられるんだけどね」
ニーナは苦笑したが、祖父への愛情を感じさせるものだった。
「いいなぁ」
うちのじいさんは俺のこと、基本的に放置プレイだからな。
千歳と二人暮らしできているのも、高校に通えているのもあの人のおかげだから、文句を言ったら罰が当たるだろうけど。
「? 光彦は昭彦先生の孫なんでしょう?」
とニーナが不思議そうにする。
「孫としての評価と、他の人の評価は一致しないだろうさ」
俺はあいまいな答えを選ぶ。
悪口を言うつもりはないんだけど、誤解されずに伝えるのも難しい気がするのだ。
「ああ、おじい様もあたしには優しくて頼りになって素敵な人なんだけど、外じゃ敵は多いものね」
ニーナは納得してくれる。
「昭彦先生がいらっしゃなければ今のわたしたちはないですね」
と千歳が言い切った。
「?? その割に光彦は複雑そうね?」
ニーナはきょとんとする。
恩人のことを悪く思ってるのか? と彼女は疑問に思ったらしい。
「いえ、光彦さんのは家族への愛情、気安さ、感謝の裏返しと照れが混ざっているので、額面通りに受け取らないほうがいいですよ」
千歳が解説してしまった。
俺の祖父に対する感情なんて、彼女が把握していないはずがない。
「誤解されなかったのはいいことだな」
と俺はほとんど自分に言い聞かせる。
「何か複雑みたいね」
ニーナにも何となく伝わったらしい。
「まあな。じゃなきゃ高校生で探偵なんてやらなかっただろう」
「そうなの?」
彼女はじーっと俺を見つめる。
何となくだが、好き好んで探偵をはじめたわけじゃないことは伝わったらしい。
「光彦さん」
千歳に優しく話しかけられてハッとする。
ここで言っていいことじゃなかったな。
「ごめん、忘れてくれ」
「……いいけど」
ニーナは不満そうだったものの、踏み込まないほうがよいと察してくれたらしい。
「変な雰囲気にして悪い。一緒にイベントを楽しもう」
と俺が言うと、
「うん! 探偵と助手に期待してるわよ!」
ニーナに笑顔が戻る。
さっきもらったイベントのパンフレットには、開始時間しか書かれていなかった。
簡単には解放されないかもしれないので、しっかり腹ごしらえをしておこう。
食事がはじまってから一時間ほど経過して、俺と千歳はコーヒーを飲んでいた。
「美味いコーヒーだね」
と感心すると、
「おじい様が豆の鮮度にうるさいからね。コーヒーって豆の鮮度が大事なんだって?」
ニーナが返事をする。
俺もそうらしいとしか知らないんだよなぁ。
「豆の鮮度がいいだけじゃないですね、これは。水にもこだわりがあるのでしょうし、淹れた人の腕も必要かと思います」
千歳が舌も鋭いところを見せる。
彼女がこんなべた褒めするってことはよっぽどだぞ。
「あら、わかるの、千歳?」
ニーナが目を丸くし、静江さんが小さく息を飲む。
「水の違いにまで言及された方は初めてかもしれませんね」
と小声でこぼす。
「千歳は多芸だからな。たぶん食の評論家としても生計を立てられるだろう」
と言った。
事務所にもしものことがあっても、グルメガイドにでも就職できると思う。
「今なら説得力を感じるわね」
ニーナはすっかり感心したらしく、敬意のこもった視線を千歳に向ける。
「わたしは光彦さんの助手なのですけど」
千歳は柔らかい表情と言葉とは裏腹に、こだわりをのぞかさせた。
「そんな簡単にやめるつもりはないさ」
心配するなと俺は言っておく。
彼女と違って他に芸がないからな。
「探偵をやれなくなったら、千歳のヒモにでもなるしかなさそうだし」
「あら、わたしはかまいませんよ?」
千歳がいたずらっぽく笑ったので、ニーナと静江さんは冗談だと解釈したらしい。
「仲いいのね」
「あうんの呼吸ですね」
二人ともくすくすと好意的に笑っている。
「つき合い長いからな」
幼馴染と言って差し支えないだろう。
お互いの親より見た顔だと断言できる。
「いいなぁ」
とニーナはポロっとこぼすが、すぐにハッとした。
「いけない。今はもう二人がいるんだもんね」
俺たちが言ったことを覚えているのか、彼女は健気な笑みを見せる。
「これからこれから」
励ますように言うと、
「急に意識の切り替えは難しいですよね。少しずつ、一歩ずつで大丈夫ですよ」
千歳も優しくニーナに声をかけた。
「うん」
ニーナはゆっくりとうなずく。
これもまたいい出会いと言っていいんだろうな。
そう思ったところ、上のほうから女性の悲鳴が聞こえてくる。
「あら、イベントがはじまったみたいね」
ニーナが頬を赤くしたまま、クールをよそおった声で言った。
「ようやくか」
「悲鳴も本格的ですね。本物そっくりです」
と千歳が評価する。
彼女がそう言うなら、本職に匹敵するくらいの演技力の持ち主ってことか。
コーヒーといい元春老人は、細かいところでもこだわるタイプなんだな。
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