第31話「ニーナは着替えさせたい」

「お嬢様、そろそろ時間です」


 俺たちの談笑を黙って見守っていた静江さんが、会話が途切れたタイミングを狙って遠慮がちに口をはさんできた。


「あっ、本当だわ」


 ニーナは可愛らしい腕時計を確認して目を丸くする。


「おじい様の言いつけで、参加する時はドレスに着替えなきゃいけないの。ごめんなさいね」


 彼女は理由を話して詫びた。


「そうなんだ」


 ドレスを着るのが義務なんて面倒そうだなと思ったものの、本人は別にいやそうにしていない。


「じゃあ俺たちはそろそろ退散するか」


 と千歳に声をかける。


「あの! あなたたちなら衣装を貸し出してもいいと思うの! どうかしら?」


 俺たちが立ちあがったところでニーナが、思い切ったように提案してきた。


「どうって言われてもな……千歳ならきれいに着飾っても平気だろうけど」


 千歳は素材もよい上に着こなす能力もあるので、さぞ映えるだろう。


 俺については「馬子にも衣裳」みたいなことになりそうだから、できれば遠慮したい。


「光彦さんが見たいならわたしはかまわないですけど、わたしだけだと不自然になると思いますよ?」


 と千歳が指摘してくる。

 そうなんだよな……。


「二人とも着替えましょうよ! 光彦だって素材は悪くないと思うし!」


 とニーナが満面の笑顔で言ってきた。


「そうかな……?」


 俺は正直同意できない。


「わたしは賛成ですよ。二人で着てみませんか?」


 と千歳が誘ってくる。

 彼女がこうやって言ってくるのはけっこうレアなので、尊重してやりたくなった。


「わかった。男だし、二人の引き立て役でもいいもんな」


 と言って引き受ける。

 ニーナはオーナーの孫娘で見た目もいい。


 千歳も彼女に全然負けていないから大変だ。


 でも男は女をエスコートするものであり、でしゃばるもんじゃないって昔じいさんが言っていた気がする。


「あら、エスコートしてもらうんだから、単なる引き立て役じゃダメよ?」


 とニーナが笑う。

 年齢にそぐわない大人びた魅力がある。


「お、おう。できるかぎりのことはするよ」


 と言うしかなかった。

 女の子に恥をかかせたくないからな。


「だそうよ。しずの出番ね?」


 ニーナは楽しそうな笑みを、静江さんへ向ける。


「腕が鳴りますね」


 静江さんはおだやかに微笑む。

 自信を感じさせる態度が今は心強い。

 

「千歳をよろしくお願いします」


 と俺は頼んだ。

 彼女はどこに出しても恥ずかしくないからな。


「光彦さんの悪い癖ですよ」


 当の千歳自身からやんわり注意されてしまう。


「おっと」


 気をつけないとなと反省すると、


「ふふふっ」


 ニーナが愉快そうに笑い声を立てる。


「あなたたち、とても仲がいいのね。あうんの呼吸? 以心でんしんみたい」


 彼女は感想を言った。

 一部発音がぎこちなかったけど、俺だって詳しいわけじゃないしスルーしよう。


 俺と千歳の関係性については、今さら他人に言われるまでもない。


「ところで俺たちの分の衣装ってどこにあるんだ?」


 まさかニーナが持ってるわけじゃないだろうと思い訊く。

 俺に関してはもちろんだけど、千歳の分もだ。

 

 彼女と千歳じゃ身長もスタイルも違いすぎる。


「当ホテルではもともと衣装レンタルもおこなっております」


 と静江さんが事務的な口調で教えてくれた。

 なるほど、それを使えばいいわけか。


「……俺たちの予算で借りられるやつですか?」


 俺は次の疑問を投げた。

 念のため現金は持ってきているものの、上限は当然ある。


「無料でいいわよ! お友達だもの! おじい様にはあたしから言っておくから、だいじょーぶ!」


 ニーナは笑顔で言って自分の胸を軽く叩く。

 本当にいいのかと視線で静江さんに問いかける。


「おそらく問題はないでしょう。元春さまはお嬢様に甘いですし、お二人のことをお気に召しているなら」


 静江さんは微笑を浮かべて即答した。

 絶対ではないけど、90パーセントくらいは大丈夫だと考えるべきか。

 

「とりあえず元春さんに話を通してもらうのが先でしょうか」


 先走りを警戒したいと言うと、


「もう許可出たわよ」


 ニーナがうれしそうに自分のスマホ画面を見せてくる。

 静江さんとやりとりしてる間に、しっかり許可をもらったらしい。


「わかった」


 俺は思わず肩をすくめ、千歳がクスッと笑う。


「静江さんが俺たちの担当をするなら、ニーナの分はどうするんだ?」


 気になったことを訊いてみる。


「他のメイドを呼ぶから平気よ。あなたたちはしずのほうがいいでしょう、たぶん」


 とニーナが言う。


 彼女こそ静江さんがいいんじゃ? と懸念したんだけど、どうやら俺の思い過ごしだったらしい。


 俺は別に誰でもいいんだけど、会話の流れ的に静江さんにやってもらうほうが自然なのだろう。


 ニーナがわざわざ彼女に任せる理由も気になる。


「了解した」


「よろしくお願いいたします」


 千歳が静江さんにていねいにあいさつをしたので、俺も見習っておいた。

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