遊びじゃない③


 昼の一件を忘れるために街に繰り出した透哉とみりあは、とりあえず近場のゲームセンターに入ることにした。



「あああ――――っ! むっかつくーっ!」



 ゲームセンターの騒音を掻き消す勢いで、みりあの叫び声とパンチングマシーンを殴りつける音が響き渡った。ドゴォン、ドゴォンと破壊的な音が何度も繰り返されている。


 スコア表示はどれも一六〇前後。筐体横のパネルに書いてある成人男性の平均値と同程度だった。ちなみに女性の平均はその半分。


 成人男性と同じパンチ力を持つ女子高生。透哉はその事実に称賛と困惑を混ぜたようななんとも形容しがたい表情を浮かべていた。



(まあ、変に塞ぎ込むよりいいか)



 須郷とのやり取りは思い出すだけで腸が煮えくり返る。誹謗中傷は慣れたつもりだったが、目の前で誇りを傷つけられて黙っていることができなかった。


 下手をすれば手を出していたかもしれない。


 自制できてよかった。もし殴りかかっていたら、今度こそ取り返しがつかない。



「と、う、やぁっ」



 ゲームを終えたみりあが飛びついてきた。笑みを浮かべているあたり、どうやらある程度は溜飲りゅういんが下がったようだ。


 いつもなら振り払うところだが今回はそうしない。できる限り今日はみりあの好きにさせて気を紛らわせてやりたい。


 あるいは気を紛らわせたいのは自分なのかもしれないが。



「透哉もあれやってみてよ」



 パンチングマシーンを指差して、透哉の実力が見たいとせがむ。



「わかった」



 こちらも少なからずストレスが溜まっているから、多少なりとも発散にはなるだろう。


 コインを入れて質の悪いグローブをはめる。起き上がってきた的に拳を叩き込むだけという単純なゲーム。


 的を見ているともやもやと須郷の顔がちらついた。人を見下して馬鹿にする腹の立つ顔。


 腕、足、腰、背中。全身を使って、身体の駆動部を効率的に連動させて、渾身の一撃をその顔にぶち込む。


 ガゴォン――ッ。筐体が破損するのではないかと思うくらいの音が鳴った。


 スコア表示は二九八。



「すっごーい! 透哉リアルでもめっちゃ強いんだね!」



 ぴょんぴょん飛び跳ねながら、まるで我がことのように喜んでくれる。そこまでの反応を見せてもらえるとさすがに悪い気はしない。



「そういえば透哉って格闘技やってたんだっけ?」


「ん? ああ、そうだな。軍隊式近接格闘術がメインだけど、ボクシングと空手とテコンドーも少しかじってる」


「そんなにやってたの!? なんで!?」


「『ソル』のために決まってんだろ。【籠手】を装備すると拳だけじゃなくて、蹴りとか肘、膝でもダメージを与えられるだろ? DPSがダントツなんだよ。あと銃を向けられたときの対処法とか間合いの詰め方とかも学べるからちょうどいいと思った」


「な、なるほどぉ」


「あとトレーニングも兼ねてパルクールもやってる」


「そんなことまでやってんの!? それも『ソル』のため?」


「当たり前だろ?」



 『ソル』は有利な位置を取るために壁や建物など障害物を上り下りすることが多い。敵に先んじるには速度が重要だ。


 走る、跳ぶ、登る、などの移動に重点を置いたパルクールは『ソル』との親和性が高いのだ。


「そもそも『ソル』での身体動作はリアルの影響を受ける。たとえばリアルで一〇〇メートル一〇秒で走れる奴と一一秒で走れる奴とじゃ、同じAGIを設定していても一〇秒で走れる奴の方が『ソル』でも速い。だからリアルでも身体を鍛えておいて損はないんだよ」



 むしろリアルの身体能力は『ソル』の隠しパラメータだと言える。



「あと単純にゲームばっかりしてると運動不足になるから身体に悪い」


「ほえー、さすが世界一位だね。それくらいしないとなれないのかぁ」


「やり方は人それぞれだよ」



 別に世界ランカー全員が自分と同じことをしているわけでもあるまい。それぞれが自分の思いつく方法で試行錯誤を繰り返して努力した結果のはずだ。



「それよりもそろそろ戻るぞ」


「え? ええぇっ!? もう十七時!?」



 このゲームセンターに来たのは十三時過ぎ。この四時間近くずっとパンチングマシーンを殴り続けていたのだ。


 ちなみに、みりあには言うつもりはないが、このゲームに使ったお金は約三万円。資金源は透哉の財布である。


 ゲーム好きではあるが、ゲームセンターでこれだけお金を使ったのは生まれて初めてだ。


 この分は仕事の活躍で返してもらおう。



「ミュージアムは!?」


「時間的に無理だな。そろそろ戻らないと今日の勤務時間が足りなくなる」


「えーっ!? 残ってる勤務時間ってあと一時間くらいでしょ? 夜にちょっとログインすればいいじゃん!」


「今日はお前の家庭教師の日だってこと忘れてないか? どうせ課題やってないだろ」


「や、やろうと思ってたもん……」


「思うだけじゃなくてやれ」



 こつんとみりあを小突き、 ゲームセンターを出た二人は『ウォーカー』に戻るべく帰路についた。



「うぅ……ミュージアム行きたかったよぉ」



 もともとは最近できたデジタルアートのミュージアムに行こうという話になっていたが、ふらっと立ち寄ったゲームセンターで時間を使い過ぎた。


 正直、自分も行きたかった。



「来週な」


「絶対! 絶対だからね! 約束だよ!」


「はいはい」


「その返事絶対破るやつじゃん! 破っちゃやだからね! ね! ね!」


「わかったよ。ちゃんとスケジュールに入れとくから。ほら、これでいいだろ」



 スケジュール管理のアプリに「みりあとミュージアム」と登録してみりあに見せた。


 なんでこいつは学校の友達と遊ばないのだろう。友達いないのか?


 ことあるごとに好意がありそうな素振りを見せてくるが、彼女が本気で自分に惚れているという感覚はない。どちらかというとノリで始めたことが引っ込みつかなくなってズルズル続いているという認識だ。もちろん所詮は主観と言われればそれまでだが。


 もっと明確に突き放した方がいいのかもしれない。だが、それがきっかけで気まずくなり、仕事に支障が出るのも嫌だ。そのせいでいまいち踏ん切りがつけられない。


 なんとも情けない話だ。



「やったぁっ。来週も透哉とデートだ!」



 そんなこんなで『ウォーカー』本社に戻ってきた。さっさと本日分の業務を終わらせようとゲーム部屋に向かう途中、とある一室から出てきた雅楼と鉢合わせた。



「ん? おお、透哉とみりあか。戻ってきたんだな。お帰り」


「ただいま。雅楼は何してたんだ?」


「今日特定したチーターの情報のまとめと対応の手続きを進めてたんだよ」


「ああ、それでセキュリティ部門の部屋から出てきたのか」



 『ソル』のサーバーにはセキュリティ部門の端末からしかアクセスできない。ゲーム内でチーターを特定してもその記録はサーバーに記録されるため、参照するにはここに来るしかないのだ。


 透哉としては可能な限りこの部屋には近寄りたくない。なぜなら須郷に出くわす可能性が高くなるからだ。



「豊島さん、そのお二人は?」



 すると雅楼の後ろから栗色の髪を揺らす女性が顔を覗かせた。透哉もみりあもその女性が誰かは知らない。



「ああ、そういえば初対面だったな。この二人は来栖透哉と星野みりあだ。透哉、みりあ、こちらセキュリティ部門の小湊紗月こみなとさつきさんだ」


「まあっ、あなたたちが来栖さんと星野さん!? 初めまして、小湊紗月です。二人の活躍は豊島さんからいつも聞いてるわ。チームCCのおかげでチーターの特定率がすごい上がっているの。部門を代表してお礼を言わせてください。本当にありがとう」



 小湊は透哉とみりあの二人に丁寧にお辞儀をした。


 セキュリティ部門と聞いて身構えた二人だったが、不意に謝意を向けられて若干戸惑う。



「来栖透哉です。お役に立ててるならよかったです」


「ほ、星野みりあです……えっと、光栄です……?」



 いつもは人見知りしないみりあが借りてきた猫みたいになってしまった。



「それと、ごめんなさい!」



 お礼のあとは謝られてしまう。理由がわからず目を白黒させた。



「須郷リーダーがあなたたちに酷いことを言ったって聞いたの。だからごめんなさい」



 意識の外に追いやっていた昼の出来事が蘇り、ふつふつと怒りが再燃してしまう。



「小湊さんが謝ることじゃないですよ。俺が須郷さんを許すのは、須郷さん本人がみりあに頭を下げたときだけです。悪いが、あなたに謝られても許すつもりはありません」


「そうよね、そうだと思うわ。ごめんなさい、余計なことを言ってしまって」


「いえ、気にしないでください」



 思い出したくないことを思い出す羽目になったが、悪気がないことはわかっているため責めるつもりもない。



「須郷リーダーは口が悪いけど悪い人ではないの。ただ『ソル』を守ることに必死で、当たりがきつくなってしまっているだけだと思うから」


「まあ須郷さんも本来の自分の役割をチームCCに取られて内心面白くないんだろ。あの人もチーターを嫌ってるし、俺たちのことをそう思っているならなおのことな」



 小湊のフォローを雅楼がさらにフォローした。


 自分たちをチーターと揶揄した男の肩を持つような雅楼の発言こそ内心面白くなかった。


 あるいは透哉たちに対する小湊の心証を悪くしないためにあえて言っているのだろうか。



「じゃあ俺はもう上がるよ。また週明けにな」


「あ、豊島さん。私ももう上がりなんです。いいお店を見つけたんですけど、良ければお食事でもいかがですか?」


「申し訳ない。今日は家で食べるって言ってあるんだ。また今度誘ってくれ」


「そうですか。残念ですけど、仕方ありませんね」


「悪いな、じゃあみんなお疲れ」


「はい、お疲れ様です」



 雅楼は軽く手を上げるとそそくさと行ってしまった。その歩調の速さが、早く妻子に会いたいというお父さんの願望をよく表している。



「小湊さんって、雅楼のこと好きなんですか?」


「えええぇぇぇぇっ!? ななな、なんでわかるんですか!?」


「え、本当にそうなの!?」



 みりあは軽くからかったつもりだったのだろう。しかし慌てふためいた小湊は勝手に自白した。みるみる顔が赤くなっていく。


 そんな小湊の肩にみりあは手を置いて、諭すように。



「不倫は、ダメですよ」


「わかってますうううぅっ。そんな社会の常識くらいJKに言われなくてもわかってますよぉっ! 単に二人でご飯行きたかっただけですぅっ」



 いや、恋愛感情あること自覚しているなら妻子持ちと二人で食事は駄目だろう。


 その先は地獄しか見えない。


 馬鹿正直なんだな、この人。



「えっと、ダメですよ?」



 心配になったのか、みりあが念を押した。



「わあああんっ。あなたたちはいいですよね! 若いカップルで今が楽しい時期なんでしょうっ。ことあるごとに両親に結婚はしないの? いい人はいないの? と聞かれる独身女の辛さなんてわからないですよねっ。わかってたまるか!」



 面白い人だなぁ、と漠然と感想を抱く。


 まあでもなんだかんだ彼女も大人だから分別ある行動はするだろう。単に冗談で言っているだけだろうから過剰に気にする必要もあるまい。



「透哉透哉ぁ。私たちカップルだって」


「いや、付き合ってないし」


「ちょっと! 少しくらい照れるとかしてよ!」


「じゃあ俺の目見て好きって言ってみ?」


「え、無理」


「即答じゃねぇか」



 結局これがみりあの本心というわけだ。



「付き合ってないんですか? でもさっき来栖さん、星野さんのこと庇いましたよね? 来栖さんが須郷リーダーを許すのは、リーダー本人が星野さんに頭を下げたときだけだって」



 確かに言ったがそれがどう関係するのか。



「え、だって自分よりも星野さん対して謝ってほしいんですよね。自分よりも星野さんを優先するのって、てっきり星野さんが来栖さんの彼女さんだからだと思ったんですけど……」



 みりあがニマニマとこっちを見てくる。


 そうか。そういう捉えられ方もするのか。



「自分の仲間を馬鹿にされたら誰だって怒るだろ。ギャン泣きされたらなおさらな」


「そこまで泣いてないけど!?」


「じゃあ来栖さんも星野さんのことは特に好きではないと」


「恋愛感情はないな」


「なんかナチュラルにフラれた!?」



 それを言うなら先にフったのはお前だ。



「ほら、馬鹿話はここまでにするぞ。まだ仕事残ってるって言っただろ。さっさと終わらせて勉強だ」


「女の子フッといて馬鹿話ってひどくないっ!?」


「それじゃあ小湊さん。俺たちもこれで失礼します」


「小湊さんお疲れ様でしたっ。ちょっと透哉待ってよ!」



 挨拶を述べ、二人は騒がしくしながら並んで歩き出した。



「いいなぁ」



 その男女の後姿を、小湊はまぶしそうに目を細めて見送った。


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