第27話 権利

 僕は人権弁護士という肩書で飯を食っている。

 人権というものが何なのか、その説明を、不完全ながら、ここでひとつ試みたいと思う。

 結論から言ってしまえば、人権などという静的な実体はこの世の中にはない。

 それは或る人々が勝手に祭り上げている観念による動的な錯綜に過ぎない。

 そこまで言い切ってしまってよいのかというと、当事者として、その答えはイエスだ。

 これは本当は多くが知っていることなのだ。

 だけれど、それを口にする者は少ない。

 なぜそうなのかは、語り得ぬものについては沈黙せざる得ない、という言葉にその一旦が含まれている。

 ゲーデルあたりから始めてみればそれがよくわかると思われる。


 さて、聡明な方々ならこの時点でもう十分かと思われるが、世の中にはどうしようもない人間が多いことも知られている。

 そこでそんな猿の知能しか持たない諸兄らにもそれを、分かり易く、論じてみたいと思う。

 まずここにバナナがあるとする。

 君たち猿が好んで食べることが引き合いにされることも多いはずだから、さすがにこれは理解できることだろう。

 それじゃあ、君がその目の前にあるバナナを食べたいとする。

 君ならこれをどうやって食べるだろうか。

 もちろん、手に取って、皮をむいて、口にする、ことだろうと思う。

 それに違和感をもつのは猿以下か、もしくは別の人外の素質を有しているのかもしれない。

 違和感という言葉が伝わらないかもしれないが、もしそうであったのなら素直に謝りたい。

 では、ここにもう一匹、君とは違う、猿がいるとしよう。

 彼もどうやら、君の、目に、届く、範囲にある、バナナを狙っているらしく、不幸な事に、君のものだったはずのバナナが彼に奪い取られてしまったとしよう。

 それを君はどう思うだろうか。

 それに不快感を示し、気概をみせる猿は少し我々に近い猿だと言える。

 もし指を咥えて、それを眺めているだけならばやはり君は猿でしかない。

 優しいことは認めてやれるけれども、悲しいことに君は猿でしかない。

 ここで、それに異を唱えたとして、その意が相手に伝わらなかったとしよう。

 さらに、言うことを聞かない相手の猿が、そのバナナを足で踏みつぶして、そこに糞尿をたらして、とどめに痰を絡めた唾を吐いたとする。

 そのとき君ならどうするだろうか。

 いきなり、相手を殴りつける、などと言った猿は残念だが我々の領域に入るにはまだ早いようだ。

 そんなことでは相手の猿におそらくこう言われるだろう。

「お前、猿権のこと知らないの?」

 意味はわからなくとも、まあよしとしよう、まずは猿権と呼ばれているものがあるということだけがわかれば、それでよい。

 さて、殴ることを、選べない、場合、次の選択肢に上がってくるのものは何だろうか。

 よく猿知恵を働かせて考えてみてほしい。

 そう、口を尖らせればいいわけだ。

 されど、よくよく気をつけなければならないことは、ここで罵詈雑言、おっと失礼、相手を悟すための言い方には程度があるということだ。

 もし本能をむきだしのままにキィキィ言っていると相手はやはりこう言うだろう。

「お前、猿権のこと知らないの?」

 気をつけてほしい。

 人権のおおまかな内容は以上のとおりだ。

 簡易的ながらここらへんでやめておく、あまり本質に追求しすぎると商売上の支障が出てしまうことを恐れてだ。

 猿は口を利かないとか、そんな高度な猿はいないよ、などと仰られている方々、失礼だが、普遍性の摘出作業ができない人間は猿と言われても仕方がないから、あまりしゃべらない方が身のためだ。

 けれども、そういう方々を含めて人権を擁護し続けているのが僕たちのお仕事なので、ご理解いただけない点があるのならば、お安い相談料で、実践的に提示してみせたい。


 困ったことにこの仕事を続けていると、猿どもが僕に向けて、手元で握った缶やら瓶やらを投げつけてくることがある。

 どうしようもない奴らなのだが、我々はそういう奴らに対してまで気を遣う必要がある。

 お願いだから檻のなかに帰ってくれないか? なんて言うこと、決してできやしない。

 どうしてだろうか。

 それは、そんな救いようのない彼等にもまた権利があるからである。

 え、偉そうなことを言う前に猿呼ばわりすることをまずはやめろって。

 いや、これは正真正銘にそうなのだから勘弁してほしい。

 ああ、今日も、毎日のように受ける傷が、痛む。




 ――大人しくバナナでも食ってろって?

 はい、そうします。

 体育座りでいただきます。


 (全体的によわい、モグモグ

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