第9話 ホラー

 人間こそが恐ろしや。

 奈落の底から煽るように聞こえる声が木霊する。

 深淵が女の表情から不気味な笑みを誘い出す。

 以来女が常闇を恐れることはなくなった。

 

 親は齢十二にして子を孕んだ。

 腹を引き裂くように現世に産み落とされたその子はまず親の頭をかじる。

 返り血のなか脳髄より滴る液に目を奪われるとそこではじめて音を発した。

 おぞましい産声であった。

 

 子はすくすくと育った。

 よっつと年を数えぬうちに立派な乳房をこしらえていた。

 すっかり女の姿に化身していた。

 動物たちは女を慕う。

 月の光も届かぬ場所にて今宵も森の恵みを携え集った。

 女は銘々に礼を言う。

 終わると端からその頭をかじっていった。

 椎の実が鮮血を浴びる。

 その地はかつてないほどの深い森に覆われたという。

 

 女はやがて竜体に変化する術を得て小千世界を駆け巡る。

 宙を舞うほどに艶めかしく揺らいだ。

 恍惚の咆哮とともにその甘美を堪能した。

 そこで女は雫を垂らす。

 天から落ちてきた一滴が枯れ木に触れる。

 たちまち神木は人の姿に形を変えた。

 

 番は夜な夜なまぐわった。

 忘我の境に入った。

 空を駆ける以外の法悦をはじめて知った。

 悠久に置かれるようにしてその官能に己を捧げた。

 

 行き過ぎた色欲は再び女を一人にする。

 神木はすっかり枯れ果てていた。

 孤独は空っぽの入物の中で太った。

 女はすすり泣く。

 すすり泣いては孤独をぶくぶくと太らせていった。

 

 終いに女は郷里に舞い戻った。

 肥えすぎた孤独は常夜を嫌うようになっていた。

 生まれの地を彷徨う。

 疲れ果て地に伏せ――――

 



 「いつまでやってんのよ」

 激高げきこうした母はノートを取り上げ、そのまま窓から放り投げる。

 空を舞うことなく、隣接した河川に、それは落ちた。

 怒りを通り越して、私は悄然しょうぜんとしていた。

 

 頭の中では煽るように繰り返される。

 人間こそが恐ろしや。

 



 ――正しく恐怖すること、これ、生きる、秘訣?

 で、正しいって何や?

 危機感が足りないな、きみは。

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