第6話 なんで

「これで全部……みたいだなっ!」

「らしいな……ハッ。一昨日来やがれってんだ、雑魚共が」

 薄汚れて擦り切れたワイシャツの裾が、路地裏の埃っぽい風になびく。アスファルトに伏せっているのは近隣の高校の制服姿たち。くすぶり続ける種火のような真紅の瞳が彼らを一瞥し、すぐに背けられた。その背に疲れ果てたような、それでも明るさを失わない声が投げかけられる。

「あー……でも、なんとかなってよかったよ。本当なんでこうも狙われんのかなー」

「どーせ俺らが中二のガキだからだろ」

「えー!? でもオレたち小四辺りからこの辺で暴れてんじゃん!」

「年季があろーがなかろーが中二は中二だろ。つか太一、お前よくこんな長ぇこと俺とつるんでるよな……」

「いやいや、置いていけるわけないし! 少なくとも霧矢が納得できる時まではさ、どーんと背中預けてくれって!」

「へいへい……」

 愚直な声には適当に返しつつ、霧矢はワイシャツの裾を翻して歩き出す。


 ◇◇◇


「……戦闘力は申し分ないみたいっスね。もうちっと頑張ればうちの業務にもついてこれそうっス」

 そんな彼らをスコープ越しに眺め、軍用コート姿の少女が呟いた。色褪せた橙色の髪が屋上の風にごわごわとなびく。彼女は目に当てていた度入りゴーグルを押し上げ、すぐ横に座る少女を一瞥した。

「そーいえば、こいつ天賦ギフト出す気配ないんスけど。感づかれてないっスよね? ウチらが監視してるの」

「……どう、でしょう」

 ノートPCから顔を上げ、屋上の縁に座っていた少女は口を開いた。腰まで届く青髪と黒いレインコートが音を立ててはためく。小動物のように不安げな瞳が画面とコート姿の少女を行き来する。いつ落ちてもおかしくない場所に座っておいて何を今さら怯えているんだか、とコートの少女は茶色の眼を細めた。

「あそこまで動ける人なら、見張ってるのに気付いてもおかしくないです、けど……気付いていたとしたら、こっちに来ないのには何か理由がある……と思います。天賦ギフトが戦闘向きじゃない、とか」

「どーっスかね……泳がせてる説もワンチャンあるっスけど。でも見た感じアイツ血の気多そうだしなぁ」

 答えが出ないものは仕方ない、とコート姿の少女はゴーグルをかけ直した。改めてスコープを見つめながら、どうでもよさそうに問いかける。

「で、しずくサン。そっちはどうスか?」

「っ、はい。……えっと……やっぱり結構いるみたい、です。顔に刺青の集団」

 ノートPCの画面を青い瞳が走る。そこに映るのは、コートの少女によりハッキングされた防犯カメラの映像。あちらも夜久霧矢の動向を監視しているのか、物陰に潜む姿や屋上で双眼鏡を構える姿が散見する。レインコートの下に着込んだセーラー服のスカーフを片手で握りしめ、雫と呼ばれた青髪の少女は怯える小動物のように呟いた。

「……私たちで、対処できるでしょうか」

「知らねーっス。そもそも対処する必要あるんスかね? 向こうは仮にも犯罪組織っスし、対処とかそーゆーセイギノミカタみたいなことは公安にやらせときゃいいんスよ。半端に穢れたウチらは黙って監視続けましょ?」


 ◇◇◇


「よぉ。夜久霧矢ってのはテメェか?」

 低く地を震わせるような声に、霧矢は緩慢に振り返った。狭い路地を塞ぐように居並ぶ高校生集団の最前列で、体格のよい男子が好戦的に拳を打ち合わせている。警戒するように片足を引く太一の隣で、霧矢は高校生を眼光鋭く睨みつける。

「だったらなンだよ。……つか、見ねェ顔だなァ。その制服、隣の市か?」

「正解だ。イキり散らかしてるガキどもが何年ものさばってるってのに、誰もヤキ入れねえらしいじゃねーか。どんな奴なのか一目見ようと思ってさ」

「あっそ。わざわざご苦労なこった。……で、用事はそれだけかァ?」

 吐き捨て、霧矢は興味なさげに肩をすくめた。挑発するような獰猛な笑みが口許を彩る。

「おっと、勿論それだけで撤退する訳じゃねぇよ? 折角だから力量も見極めとかないと――なぁ!?」

 勢いよく振りかぶられた拳が鋭い風切り音とももに放たれる。瞬く間に眉間まで迫ったそれを見切り、霧矢はすんでのところで飛び退った。背後から迫る別の高校生の鉄パイプをいなし、身を捻ってその脇腹に蹴りを叩き込むと、着地と同時に踏み込んで別の高校生の鳩尾に拳を撃ち込む。息つく間もなく左側から放たれたストレートを手で受け止めると、その手を掴んで別の高校生めがけて投げ捨てた。打撃を正面から受けた手のひらがひりひりと痛む。

「っ、野郎! 寄ってたかって、卑怯だぞ!」

 後方で高校生の一人を殴り倒しつつ、太一が怒号を路地裏に反響させた。リーダー格と思われる高校生の不敵な笑みに、太一は彼を狙って勢いよく踏み込んで……刹那、派手な金属音が路地裏を震わせた。

「……ッ……!」

「っ、太一!?」

 弾かれたように振り向く霧矢。羽交い締めにしようとする腕を振り切り手を伸ばした先で、太一の身体がぐらりと傾いだ。反射的に身をすくませた霧矢は……その向こうに、黒く変色した腕をもつ高校生を見た。その指先は鈍器のように変形し、太一を再び打ち据えようと振りかぶられる。

「……太一ッ!」

 考える前に地を蹴っていた。背後に迫った高校生を回し蹴りで打ち倒すと、太一と天賦ギフト持ちの高校生の間に立ち塞がる。背後で太一が顔をあげる気配。霧矢は防御体勢を取ろうと両腕を掲げて――


「ぐぁっ!?」

 派手な金属音が鼓膜を砕く。脳を揺らすような衝撃が後頭部を打ち据え、霧矢は体勢を崩しかけて無理やり踏みとどまった。痛みを振り払うように頭を振り、彼は再び踏み込もうとして……否、それも叶わなかった。殴られた頭は痛くも何ともない。ただ、関係ないはずの心臓が握り潰されるように激痛を発していた。思わず胸を押さえ、霧矢は苦悶の声を上げながら膝をついた。

「きりや……霧矢!?」

「ぐっ……なんで、今なんだよ……っ!」

「……は? おい、どういうことだ? 病気持ちだって話は聞いてねーぞ」

「お、俺に言うなよ……!」

 周囲の慌てふためく声すら霧矢の耳には届かない。あまりの痛みに呼吸が浅くなり、思わず地に手をついて必死に酸素を求める。痛覚信号が熱を持ち、脳を冒すように思考がまとまらない。太一が必死に背を擦る感触がどんどん遠くなっていく。壊れそうな心臓を押さえたまま、彼は埃っぽいアスファルトに倒れ伏して――


 ◇◇◇


 ……脳を、鮮やかな閃光が灼いた気がした。瞼の裏で白い火花が散るような錯覚が過ぎると、トンネルを抜けたかのように視界が開ける。いや……あまりにもクリアすぎるのだ。今まで普通に見えていた世界が、本当は霧がかかっていたのだと錯覚するほどに。

 視界に重なるのは、かつて夢で見た処刑場の光景。身体が焼けるように熱いのもあの時と同じだ。苦悶の声を上げながらも、霧矢は自らの現状を冷静に把握していた。……むしろ、直感的に理解していたと言うべきか。

(……アレは……俺なのか?)

 磔にされ、焼かれる人影。それが何故か自分と結びついた瞬間、脳裏で白い閃光が散るように錯覚した。知らない誰かの記憶が洪水のように溢れ出す。握った剣の感触、演説する金色の女性、溢れる血の匂い、胡散臭い笑顔、首を断つ濡れた音、耳を冒す怒号、鉄格子の冷たさ……そして炎の香りと、爪先から焼き切られていく耐えがたい痛み。断片的なピースだけが次々と明滅して、その度に心臓が破裂しそうなほど痛んで――ブレーカーが乱暴に落とされるように世界が暗転した。痛みすらも霧散してしまった静寂の中で、スクリーンセーバーに似た無機質な文字列が網膜を突き刺す。


 ――稀代の殺人鬼は、利用され尽くして無様に死んだ。

 ありふれた友情が、誤った選択が、真実から背けた目が、彼を惨劇へと導いた。


 視神経が混線する。脳に手を突っ込まれて乱暴に掻き乱されるようだ。思わず両手で目を覆い、霧矢は何も見たくないとただうずくまる。文字列が麻薬のように全身に浸透し、吐き気すら催すほどの負感情が心臓を軸に渦巻いた。爆発的な疑問ばかりが脳裏を埋め尽くし、心臓から送り出される血液が黒々と染まるように錯覚する。

 何故、与えられたのが回復能力だったのか。そうでなければまだ反抗する術はあったというのに。何故、殺人を生業とした者にその天賦ギフトが。こんな呪いみたいな天賦ギフトが。何故、誰かにいいように利用される生き方を二度も強いられなければならないのか。何故、生まれる前からそんな生き方を定められなければならなかったのか。何故、何故、何故、どうして、なんで――……


 ◇◇◇


「……きり、やっ! しっかりしろよ……っ、!」

 聞き慣れた声に、霧矢は無意識に瞑っていた目を見開いた。すぐ傍で傷ついた身体を引きずりながら、太一が彼を必死に呼んでいる。

「…………」

「霧矢……大丈夫か? 具合悪いのか……? な、ここはオレがどうにかするからさ、無理だけは」

「……黙ってろ」

 絞り出すような、ひどく掠れた声が漏れた。弾かれたように身をすくませる太一から離れ、霧矢はゆらりと立ち上がる。傍に落ちていた鉄パイプを拾い上げると、感触を確かめるように何度か握り――軽く地を蹴った。張りつめた空気を切り裂くようにそれを振りかぶり、リーダー格とみられる男子高校生の頭を殴り飛ばす。

「だ……ッ!?」

「大将!!」

 苦悶の声を上げる男子に、霧矢は執拗に鉄パイプを振り下ろした。どこか泣き叫ぶような金属音が路地裏に反響し、不良たちの怒号と混ざり合って不協和音を奏でる。飛んでくる火の粉を払うように襲いかかる不良たちを殴り飛ばし、天賦ギフト持ちの頭を脳が揺れるほど強く打ちつけ、霧矢は何かうわごとを呟きながらも獲物に向き直った。リーダー格が口の端から血を流し、腕が折れ、苦悶の声すら発しなくなっても、彼は壊れたからくり人形ように鉄パイプを振るい続ける。

「……霧矢! もう、止めろよッ!」

 絹を裂くような叫びを上げ、太一は霧矢の手から鉄パイプを奪い取った。その胸倉を引っ掴み、涙すら浮かんだ目で彼に呼びかける。

「お前……マジでどうしたんだよ! なんか霧矢らしくねーよ。何かあったら頼れって言っただろ! ……なんで黙ってるんだよ。黙ってたらわかんねーよ……なぁ霧矢、頼むから」

「……ッ」

 気付いた時には太一を突き飛ばしていた。伸ばした片手がずきずきと痛む。埃っぽいアスファルトに叩きつけられ、それでも彼は強い視線で霧矢を見据えてくる。……ありふれた友情が、誤った選択が、真実から背けた目が、彼を惨劇に導いたのなら。なら、無二の親友を巻き込む前に……。空いた両手を爪が刺さるほど握りしめ、霧矢は振り絞るような声で呟いた。

「……頼むから、もう関わるな」

「ッ、待てよ霧矢……!」

 彼が立ち上がる前に身を翻し、駆け出した。向かうべき場所もわからないままに必死に地を蹴りつける。太一がしつこく呼びかけてくる声が耳にこびりついて離れない。今にも嗚咽をもらしそうな喉から必死に酸素を吸い込みながら、霧矢は誰もいない方へと走り去ってゆく。

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