第5話 友達
「おい、そこのチビ」
「……あ?」
薄暗い路地裏に、さらに濃い影が落ちた。顔を上げると、近隣の私立高校の制服を纏った少年たちが道を塞いでいる。
「お前、見ねー顔だけど……随分ちっこいんだな。小学生か?」
「……だったらなんだよ」
「言っとくけど、ここ俺らの縄張りだから。お前みたいなちびっ子が来ていい場所じゃねーんだよ。ほら帰った帰った」
「……」
蔑むような視線を真っ直ぐに睨み返し、霧矢は軽く息を吐いた――矢先、左端の少年の鳩尾に拳を叩きこむ。明らかにサイズが合っていないワイシャツがなびき、真っ直ぐに伸ばされた腕が風を切る音がした。確かに鳩尾を穿った手応え。醜い声を上げて吹き飛ぶ少年を一瞥し、霧矢は真紅の瞳で他の少年たちを見上げた。
「ハッ。口ほどにもねェな」
「……この野郎、舐めやがって!」
無防備に叩き込まれる拳を、霧矢は軽く身を捻って回避した。一瞬の隙を狙い、脇腹を狙って蹴りを放つ。苦悶の声と共にバランスを崩した少年に追撃の拳をぶつけると、次の少年に狙いを定めた。彼の頬骨を狙った一撃を身を沈ませて避けると、その膝裏を狙って蹴りつける。一瞬よろけた隙に背中を殴り倒すと、アスファルトに伏せたその背中を踏みつけた。
「……で? まだ何かあンのか?」
「……ッ、この野郎……!」
リーダー格と思しき少年が、彼の脚の下から憎々しげに見上げてくる。屈辱的な表情を涼しい顔で見下ろし、霧矢は軽く笑ってみせた。
「ハハッ。雑魚が何かほざいてやがらぁ」
「――ッ!」
「まだ何か言いてェことがあるんなら、ちったぁ強くなって出直すこったな」
嘲笑を含んだ声で言い放つと、踏みつけていた少年を軽く蹴りつける。痛覚と屈辱感で動けないらしい少年たちを一瞥し、踵を返した。
「……はぁ……はぁ」
狭いビルの隙間。大人は決して入れないであろうそこに身を隠すと、彼は糸が切れたようにへたり込んだ。疲れ果てたような溜め息を吐き、重苦しい灰色の空を見上げる。
人を殴った拳は不思議と痛まなかった。遠い昔に慣れてしまったかのように。それより、と彼は自らの胸を押さえた。数日前に拾ったばかりなのに、ひどく薄汚れたワイシャツがビルの隙間の風になびく。
(……何でこんなに動けるんだ? まだ、何度も人殴ったわけでもねーのに)
東京の、というかアナザーアース全体の治安は決して良くはない。悪意や憎悪をこじらせた一部の
(頭は知らないのに、身体だけが覚えてるみてーな……ワケわかんねぇ。まぁ、疫病神みたいな
薄く笑みを吐き出し、霧矢は肩からずり落ちかけたワイシャツを羽織り直す。勿論彼はまだけっして強い訳ではない。打撃の重さもリーチも中高生には勝てない。それはこれからどうにかするとしても、とにかく舐められるのだけは避けたかった。拾ったワイシャツを羽織って強がって、路地裏で覚えた口調を必死に真似ても、結局は虚勢だ。とにかく場数を踏んで強くならなければ。
一旦ここから出ようと周囲に視線を走らせ――目を見開いた。反射的に両手を口に当て、ビルの外壁に同化するように息をひそめる。見回りと思しき警察官が通り過ぎるまでやり過ごすと、面倒そうに息を吐いた。
(はぁ……警察も教師もよくやるよな)
彼に目をつけているのかいないのか知らないが、そんな大人たちの姿をしょっちゅう見かける。なんなら小学校でも教師の目が厳しくなっているようにさえ感じる。どうでもよさそうに息を吐き、今度こそ通りに出ようとすると――ふと、一人の子供と目が合った。
「霧矢ー!」
「……太一?」
見開かれた真紅の瞳に、太一の屈託ない笑顔が移った。彼は横歩きでビルの隙間に侵入すると、怪訝そうな顔をする霧矢に笑いかけた。
「こんなとこにいたのかー! 無事でよかったよ!」
「無事っていうか……それより、太一はこんなとこで何やってんだよ」
「何って、お前探しに来たに決まってんだろ」
「……は?」
真紅の瞳をぱちぱちと瞬かせ、霧矢は目の前で無邪気に笑う太一を凝視した。そんな彼の肩をバシバシと叩き、太一は雲を割る太陽のように破顔した。
「だって友達が急に学校来なくなったら心配するだろ? ひとりきり放っとくなんて、オレにはできねーよ」
「……お前なあ。それで怪我したらどうすんだよ。それに教師にも目ェ付けられるはずだし、クラスメイトにも遠巻きにされるだろうし」
「オレはいいの!」
言い放ち、太一は勢いよく腕を組んだ。大きな目で霧矢を真っ直ぐに見据え、曇天を知らない太陽のような声で言い放つ。
「友達があんなこと言われて、むちゃくちゃ辛い思いしてるのにさ、放っとけるわけないだろ!」
「……なんだよそれ。たかが友達ってだけでそこまでするか、普通?」
「オレはするよ! 周りがしなくてもオレはするよ! ……フツーの人が言うようなセイカイ言っても霧矢、多分納得しないだろ? だから霧矢なりに納得できるまではさ、せめて一緒に考えさせてくれよ。霧矢は
「……」
馬鹿みたいに真っ直ぐな視線を浴び、霧矢は虚を突かれたように瞬きを繰り返す。あまりにも真剣な太一の表情を凝視し、やがて彼は堪えきれないといわんばかりに吹きだした。
「……ちょ! 笑うなってば!」
「ははっ……ごめんて。でもお前そういうとこあるよな。騙されて身ぐるみ剥されても助けてやんねーぞ?」
「いいやそんなことはないな! 霧矢なら絶対助けに来る! 断言する!」
「すんな! やりづれーだろ……!」
言い放ち、太一から視線を背ける。あまりにも愚直な友人は、どうやらどこまでも自分についてくるようだ。来るなと言っても聞かなさそうだし、と彼は諦めたように薄く微笑んだ。
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