第4話 破滅の景色
とうに日が暮れてしまった頃、霧矢と両親はようやく帰宅していた。その日の体育のことで両親が学校に呼ばれ、話をしたらしい。霧矢は一週間の出席停止を言い渡され、あの太眉の女子は少し叱られただけで無罪放免……そこまで思い返し、霧矢は爪が刺さるほど拳を握りしめる。
父に促され、霧矢は渋々食卓の椅子を引いた。ぶすくれたように視線を逸らしたままの彼に、父は静かに問いかけた。
「……どうして、あんなことをしたんだ?」
「だって……嫌だったんだよ」
「気持ちとか関係なく助けろって言われたことが?」
「……」
母の問いかけに、霧矢は不貞腐れたように頷く。テーブルの上で拳が握りしめられ、かすかに震えた。
「……助けないならいる意味ないって言われた。
「霧矢……」
「オレ、今までそれが当たり前だと思ってた。特別だから、皆のために力を使おうと思ってた。でも……あんなこと言われるって思ってなくてさ。助けてもらって当たり前みたいっていうか……オレのこと、使える
そう吐き出す声は不貞腐れていたけれど、妙に淡々としていた。まるで正気に戻った彼が、かつての自分を静かに見つめているように。かすかにたじろぎながらも、母は真紅の目で彼をじっと凝視した。
「そっか、そうだったんだね。すごく嫌だったね。よかれと思ってやったことなのに、そんな風に思われてたら嫌だよね……」
「……」
「……残念だけど、そういうことを言う人はたくさんいるよ。でもね、霧矢」
ふと母の声に真剣みが増して、霧矢は伏せていた瞳をおもむろに上げた。彼と同じ真紅の瞳と、父の黒い目が彼を静かに見据える。
「こういう時こそ思い出してちょうだい。霧矢がどうなりたいのか」
「……どう、なりたいのか」
「そうだ。……霧矢はどんな人になりたいんだ? 他の人たちを助ける人なのか、それとも傷つける人なのか。思い出してくれ。お前は小さい頃、力を皆のために使おうとしてただろ?」
「……ッ!」
ずきん、と心臓が思い出したように痛む。思わず胸を押さえ、荒い呼吸を繰り返した。……心臓がはっきりと抵抗の意思を持って蠢き、全身の血にぐるぐると毒が回っていく。心配げな両親の様子にも気付かないまま、霧矢は必死に息を整える。
(……なんだよ。結局そうなのかよ)
噛みしめられた奥歯が軋む。抗生物質じみた苦味が舌を刺す。
(どいつもこいつも、助けろ助けろ助けろって、そればっかじゃねーか)
拳が耐えきれないとばかりに震えた。爪が手のひらの皮膚を裂き、血が流れる。同級生も教師も親でさえも、彼に正しさを押し付けるのか。
(オレには……俺には、それしか生きる道ねーのかよ。そんな生き方しか許されないって言うのかよ。皆、みんな。俺に力があるからって、特別だからって)
心臓が病的なまでに熱を持つ。毒々しい血流に侵された身体がどす黒く染まっていくようだ。薬物に似た苦味が口に満ちるようで、彼はさらに強く唇を噛みしめる。
(こんな……こんな、欲しくもなかった力のせいでッ!)
乾いた音が耳を打った。自分の手がテーブルを叩いたのだと、数秒遅れて気づく。呆然と見つめてくる両親から目を逸らし、霧矢は椅子から立ち上がった。
「……わかったよ。もう、寝る」
「霧矢!」
父の声も聞かず、霧矢は逃げるようにして自室に飛び込んだ。叩きつけるようにドアを閉め、乱暴に音を立ててで鍵をかけて……ふっ、と全身から力が抜けた。耐えきれないとばかりに膝から崩れ落ち、彼は涙を零すまいと両目をぎゅっと瞑る。
「……何で……なんで」
胸のうちで台風のような感情が荒れ狂い、病毒に冒されたかのように心臓がずきずきと痛む。そんな激情に必死に耐えながらも彼はうわごとのように繰り返し問いかけた。脳の片隅で正気が語りかける。いくら問うても、きっと誰も応えてはくれないと。霧矢が望む答えは、きっと誰も――。
◇◇◇
……木が燃える音が耳を打って、ゆっくりと意識が浮上した。まるで炙られているかのように身体が熱い。目の前の冷たい石壁に縋るように身を預けると、窓の向こうの光景が視界を覆った。
十字架を模した木材の上で誰かが磔にされている。木の繊維が爆ぜる音に混じり、潮騒のように人々の声が押し寄せてきた。異国の言葉のはずなのに何故か手に取るように理解できて、ずきりと心臓が痛むように錯覚する。裏切り者、人殺し、死んでしまえ――まるでオーケストラのように鳴り響く罵声。
「――ひゅっ」
突然息がしにくくなって、霧矢は思わず両手で喉を押さえた。喉が必死に酸素を求め、ひゅうひゅうと悲惨な音を立てながら息を吸い込む。……どれだけ呼吸を繰り返せど、喉は焼けるように痛むばかりで。まるで内側から炙られているような、暴力的な痛み。それを必死に逃がそうと、彼は浅くなるばかりの呼吸を愚直に繰り返す。
『……アレが、醜いニンゲンの姿だよ。くっだらないね』
――すぐ傍で、声がした。女にしては低い中性的な声。涙目で呼吸を繰り返しながらも見上げると、視界の端で長い金髪が揺らめいた。その身体を包み込めそうなほど巨大な天使の翼が、炎の輝きを浴びて静謐に輝く。
(誰だ? 天使? ……でもこの声、どこかで)
『アイツはね、利用されていたんだ。騙されて脅されて、醜いニンゲンのしょうもない目的のために利用され続けて、挙句の果てに責任をぜぇんぶ転嫁されて、ああして燃えるゴミに出された。……くだらないね。馬鹿らしいね。救いようがないね』
金髪の天使は淡々と、出来損ないの詩を読み上げるように語った。ふとその瞳が少年を捉え、その片手が霧矢の乱れた黒髪に伸びる。
『少年……キミはどうなんだろうね?』
「……?」
『利用された挙句に破滅するかい? キミという人間に利用価値しか見出していないような粗大ゴミ共に向かってみっともなく媚びへつらって、そいつらに道具として扱われ続けて一生を惨めに終えるかい? ……それとも、反抗して抵抗して抗戦して、利用目的でキミに近づく粗大ゴミを全部切り捨てて、人間不信の深淵に堕ちきった挙句に破滅するかい?』
乱れた黒髪をわしゃわしゃと撫でまわされると、霧矢の全身に籠もっていた熱が嘘のように霧散した。天使は形のいい双眸を笑みの形に歪め、蜂蜜のような甘ったるい声で囁いた。
『ちょっとでもマシな方を選びな。……今度こそ、まともに生きられたらいいね?』
◇◇◇
「――ッ!」
暗い部屋の入口で目が覚めた。どうやらあのまま眠ってしまっていたらしい。カーペットの上に倒れていたせいか痛む関節をおして起き上がる。脳裏に焼きついているのは、十字架にかけられ炙られる人間と……嘲笑うように問いを突き付ける天使の姿。
(――利用された挙句に破滅するか、精一杯抗ったうえで破滅するか)
突きつけられた問いを反芻する。握りしめた拳をそっとほどき、よろけながらも立ち上がる。どちらにしろ破滅は避けられないとしても――もう、どうでもいい。
(そんなのもうとっくに決まってるよ。……こんな力、もう頼らねえ。誰のためにも使ってなんかやんねぇ。こんなものがなくても生きていけるって、証明するんだ……!)
未だ病的に痛む心臓を押さえ、歪む口角を無理やり押し上げた。
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