#1―③


◇◆◇



「……」

 ちゅんちゅん、と。

 のどかにスズメの鳴く声がする。割と近い。

(うー……)

 やけに重い気のする瞼を押し上げ、呉葉はノロノロとうすを開けてみた。

 まず目に入ったのは、真っ白いてんじょうだ。実家の自室にある、見慣れた木目ではない。

 とすると、ここは病院のベッドだろうか? では、増水した川に流されたあと、自分はどうにかきゅうきゅうはんそうされてきゅういっしょうたということか。

(けどここ、本当に病院なのかな……? にしては、天井紙にはながらようとか入ってやけにごうせいというか。むしろ、なんかこれ、ベッドだけカーテンで四方がかこわれてない? え、どうなってるの、どういうことなのこれ)

 おまけにこのカーテン、せんではなさそうな。うちの会社でいちばん女子力の高い同期が穿いているスカートみたいなうっすいヒラヒラ素材――たしかシフォンとかいったっけ――と、細かいしゅう入りで分厚い「やあやあ我こそはこうきゅうおりものにてそうろう」という感じのクリーム色のと、ちゃんと二重にもなっている。りょくとぼしさに悲しくなってくるが、何せ病院のカーテンではまず見ない凝った仕様だ。

 それにしても、やけに少女趣味なベッドである。

 呉葉はまゆを寄せ、ググッと首を動かしてあたりを見回してみる。金色の糸でふちられたいかにも値の張りそうなえんとうけいクッションやら、総レースのカバーがかけられたふわふわのまくらが目に入ったところで、ふと気づいた。

(そういえば私、……脊椎折れてなかったっけ?)

 なぜ問題なく首を回せるのだろう。子どもを救うまでは根性と気力マジックでたせたけれど、緊張の糸が切れた今でも、普通に身体が動くのは……おかしいのではないか。

 それどころか、なんなら気分はスッキリとそうかいなほどで、どこにも痛みなんてない。腕やらあしやらもそこそこ負傷していたはずなのに。

「……?」

 眉根を寄せたまま、呉葉は身を起こしてみた。やはり身体が軽い。

 いや、感覚どころか、どうにも物理的に軽い気がする。そして極め付きに、上半身を起こしただけだが、その座高がみょうに低い。

(土管にぶつけたひょうに、背骨がうまいことだるま落としみたいに抜けて身長縮んだとか? んなアホな)

 そして何より、視界に入る自分の手。

 とんカバーらしき洒落た布――これまた美しい小花模様の織りが入った、いろの乙女チックなしろものである――を摑むそれは、にぎったり開いたりしたら動いたのでまぎれもなく自分のものなのだろうが。

 小さいし、細い。そして噓のように白い。もはや血管がけているレベルだ。

 身長百八十オーバーの呉葉は、それに比例して手もでかい。たぶん、てんの持っているヤツデのうちわくらいはあるはず。

 よくしらうおのごときゆびという表現を見かけるが、こんなもの普段の自分からすれば、まるでチリメンジャコのような繊細さである。つまり指がチリメンジャコになっている。

「……!?」

 顔の前に何度も手を持っていって、握ったり閉じたりしてみる。ちゃんと動く。やはりこの生白いジャコフィンガーは、自分のもので間違いないのだ――そうにんしきした瞬間、呉葉はさけんだ。

「どうなってんの!?」

 叫んでから叫び直した。

「声まで変わってる!?」

 まるで、鈴を振ったような可憐な声だ。自分の声帯から出るそれは、「パイセンの無駄イケボ」と後輩田中にされたことがあるくらい、低くてぶといはず。思わず両手でのどを押さえる。細い。ちゃんと肉がついているのか不安になるほど細い。

 たまらなくなって、呉葉はごうしゃな掛け布団をけると、フカフカのベッドのはしまで這っていき――面積が広すぎて、そうしないと端までたどりけなかった――くだんのヒラヒラ高級カーテンを勢いよくわきに寄せ、床に飛び下りた。

 ベッドの外は、明るい陽光に満ちた広い部屋だ。

 そして、どう考えても病院の一室ではなかった。

 こんなセレブな病院あってたまるか。白やうすみどりを基調にしたそこは、天井は見上げるほど高く、ガラスのティーテーブルやねこあしソファなどのクラシックなインテリアがずらりと並び、大きな窓からは広い庭園が望める。

 こういう場所、うんと昔、友達に借りた国民的まんだか世界史の教科書だかで見たような。例えて言うなら、ここは。

「ベルサイユきゅう殿でん……に、いらっしゃい……」

 いらっしゃいは余計だったが、とにかくそういうノリの室内なのだ。

 いや、いくらなんでもそこまでの広さはなさそうだから、どちらかというとイギリス貴族のおやしきかお城か。いやフランスとイギリスとの文化建築様式にどういうちがいがあるのか知らないけども。

(ああもう! 頭がだっせんしてく! 混乱してる!)

 何か、とんでもなくおそろしいことが起きている。

 ぐしゃぐしゃと頭を掻くと、ふと己の髪までも、驚くほど伸びていることに気づく。

 こしを過ぎるほどの豊かさを持つ、渦巻くあでやかな髪だ。何よりも髪色は日本人の黒ではなく。太陽の光にキラキラと透ける、淡い色合いの黄金。

 │――その色を、つい先ほども見たような。

「……」

 頭からゆっくり手を離すと、呉葉は、毛足の長いじゅうたんかれた床をあしのまま恐る恐る歩き、鏡を探した。

 これまたゴージャスでおひめさまチックな鏡台があったので、嫌な予感に突き動かされるままに、前に立つ。

「え」

 鏡の中には、きらしき清潔な白いリネンのワンピースに身を包んだ、見知らぬ少女が映っていた。

 いや、まったく知らない訳ではない。つい先ほど、会ったばかりだ。

 不思議な青い空間で、「あとはお願いいたします」と言い残して呉葉を突き放した、あの女の子。服装までそっくりそのまま。

 すべすべとなめらかな白く薄いに覆われた、がらで華奢な身体。金の髪にスミレ色の瞳。ほっそりと整った容姿は、やはり命を吹き込まれた西洋人形のようにあやうく儚げだ。

 よくみがげられているので、どう考えても鏡がくもっているわけではないらしい。

 鏡像に向かって凝らした目を、こうでこすり。さらにはベタベタと自分の頰やら腕やらをさわってみて。その動きにつられて鏡の中の少女も確かに動くことを再認識して、しばし固まり。

 そこでやっと、それがまぎれもなく自分自身の姿なのだと、はっきりキッパリ痛感でき、――またも呉葉は叫んだ。

「ウッソでしょ!?」

 待って。

 つまり、――どういうことなのだ。

 叫んだところで、疑問に答えてくれる人はいない。

 事情を知っていそうな少女は、何せ今、〝自分〞なのだから。

 確かに、「週末に弟の結婚式を見届けたら、いよいよ新たなライフステージの幕開けだ」とは思ったところだった。でも。

(身体ごと入れ替えてセカンドライフなんて、ひとつも希望してないんだけど――!?)

 人生何があるかわからないにもほどがある。さしもの後輩田中も、さすがにこれは想定していなかっただろう。突っ込んだところでどうにもならない。

 呉葉はもう叫ぶ気力もなく、ただただ鏡の前に立ち尽くすしかなかった。


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