#1―①



「オレが一生けっこんできなかったら、なるかねセンパイのせいですからね」

 へいしゃエレベーターは、昼休み開始と同時に、外ランチが日課の社員たちで満員になる。

 ドアの閉まる直前、シュッとねこのごときしゅんびんさで背中に張りついてきた年下のこうはいが、ひどくおもめた顔をして「あの、鳴鐘センパイ。ちょっと顔貸してもらっていっすか」とさそってきたのでホイホイついていったら、かいこういちばん聞かされた台詞せりふがこれだった。

 言われた方は、なんのこっちゃのきわみである。

「……ホー?」

 面食らったままでも仕方がないので、鳴鐘センパイ――改め本名・鳴鐘くれは、なんともいえない返事をしたのち、正面のソファに座る後輩へと身を乗り出した。

「えーっと? 意味がわかるように理由を聞かせてもらえる?」

 ちなみにここがどこかといえば、会社のりのぼう有名コーヒーチェーンだ。

 慣れた調子で「なんちゃらかんちゃらほんわかぱっぱのへのかっぱカッフェ・グラニータ」とたいれぬじゅもんとなえた後輩は、しょうかんされたホイップクリーム特盛のきょだいプラスチックカップを、うつろなまなしでながめている。

 一方の呉葉は、どれも同じに見えるメニュー表に目を回したあげく、「何か、豆乳入ってるのを……」と素人しろうと丸出しの注文をして、レジのお姉さんに「ていぼうソイカフェラテでよろしかったでしょうかぁ!」とほんやくされてしまった身である。なんか知らんがそれでお願いします。迷った時はプロテイン入ってそうなものをたのめばちがいない。呉葉の持論だ。

「……オレ昨日、彼女にフラれました」

 ややあって、こちらの問いに対し、後輩は少女のようにほおをぷくっとさせてくちびるとがらせた。呉葉ももう二十九だから人のことをとやかく言えないが、二十代半ばのろうにこんな仕草をされても反応に困る。

「……はあ、えっと……それは……ごしゅうしょうさまで……?」

「ご愁傷さまってセンパイ! 他人ひ とごとみたいに!」

「この上なく他人事だからね」

「わかってないならはっきり言っときますけど? オレがフラれたの、確実に鳴鐘センパイが原因だと思います。だって彼女、わかぎわ台詞ぜりふが『あんたが万が一にも鳴鐘さんよりかっこよくてたよりがいのあるイケメンになったらふくえんを考えなくもない』ですし」

 白いクリームの山を、親のかたきのごとくザクザクとスプーンでくずし、後輩はうなった。

「あのねなかくん? 私も逆に言わせてもらうけど、それってほんとのところはさ」

 豆乳入りコーヒーをかたむけつつ、返す呉葉の方は、思わず半眼になる。

「彼女さんがここしばらく悪質なストーカーになやまされてるって聞いて『オレが守ってやる』って意気込んだきみが相手をせしたら、プロレスラーみたいな大男が出てきたもんで、ビビってその場に彼女さん置いてしたところにかんいっぱつ私がけつけて、きみの代わりにストーカーげて警察に突き出したから、だったりしない?」

 ついでにもうちょっと突っ込ませてもらえるなら、この後輩ときたら、非常時に一一〇番ではなく何故なぜか真っ先に呉葉のスマホを鳴らしてきた。「センパイ助けてくださいぃ!オレの彼女が殺されますぅ!」とそうな声で泣きつかれ、休日出勤中だった呉葉は、一も二もなく会社を飛び出し、タクシーで現場に乗りつけた。そのまま後部座席からまろび出る勢いでストーカーをブチのめしただいである。

(その間、田中くんは交番に駆け込むでもなく、ただ近くでふるえていただけだよね? しかも彼女さんと私、その時に初対面だったよね? 感謝されこそすれ、責められるいわれはないと思うのだけども)

 続きはやさしさでせたものの、果たしてぼしだったらしく、後輩田中はわっとおおぎょうにテーブルにしてくずれた。

「そうですよ! そのとおりですよ! 悪かったですね! どうせとんださくぼうのチキン野郎ですよオレは!」

「まあつうは警察に通報が先だわね」

「だってあんなゴツい大男、並の警察官だとたおせなかったかもしれないけど、そこんとこ鳴鐘センパイなら心配いらないじゃないですか。逆にうっかりストーカーのこと殺さないように注意がるかもですけど」

「……あんたは私をなんだと……。いや、そもそもね? ちゃんと彼女さんの安全を確保できずに先走るのはばんゆうってもんよ。あと特にせいきゅうする気はなかったけど、そんな恩知らずな態度ならあの時のタクシー代返せ。千二百円」

たんたんと正論でえぐってくんのやめてくださいよぉ!」

 ジト目でにらみつけたのち、後輩はおどろおどろしく声を低め、いやな事実を告げてきた。

「まー鳴鐘センパイ本人は知らないかもしんないですけど? うちの会社、『鳴鐘呉葉に彼女をられたがいしゃの会』あるんですからね。あちこちで相当うらみ買ってますよ。オレもこのたびめでたくメンバー入りしました」

「いやめいな連合作んのやめてくれる!?すぐ解散してよ!だれも寝取ってないし! そもそも―― 私、女だし!!」

「そうですね。身長百八十センチオーバーで? な男なんかよりよっぽどガチンコ強くて? むしろ入社前はほっかいどうでヒグマの生肉食い散らかしてらしてたうわさとか、某国で軍の特殊部隊員やってたわくがあって」

「何それ初耳ですが! どっちもやったことないし!」

 あわを食って否定したのち、呉葉は「あ、でも」と視線を泳がせる。

(確かに、うでっぷしに関しては……うち、実戦向きの総合武術道場やってるし。おまけに私、げんえきはんだいだし。普通の同年代女性よりは、多少、そこそこ……えー、だいぶかなり相当に、がんじょうではあるか、な……?)

 少なくとも、しゅが|筋トレと武術のけいな時点で、一度だけお見かけした彼の元カノさんのような、ふんわりれんでか弱い『守ってあげたい系』乙女おとめとはほどとおく。考えるうち良心がとがめたので、一応断っておくことにする。

「……まあ、うちのフロアにいるだんせいじんくらいなら、たばになってかかってこられても、秒でしずめる自信はあるけども」

「ホラァ! やっぱりそうじゃないですかぁ! んでぇ、社内に女子会員限定のファンクラブがあって? バレンタインになったらうちのフロアでいちばん大量に本命チョコもらってる、てきな素敵な弊社自慢のスーパーヒーロー様ですよねー。あーあ、鳴鐘センパイがこの世にいる限り、オレたちに明日はないんだ……」

 ネチネチとうらごとかえしつつ、へのかっぱコーヒー氷をずぞぞぞ……とすする後輩に、「おめの言葉どうも」と呉葉はかたをすくめておいた。

 実はイケメンどころか、客観的にはしょううすい地味顔なので、決してもてはやしていただくほどのものではないのだが。そのあたりは性別フィルターのなせるわざだろう。

「いやけど田中くん。私思うんだけども。きみらが女の子にられるのは、彼女たちが本気で私のことが好きだからじゃなくて。言い訳にていよく私が使われてるだけで、おそらくは単に心の底からきみらに興味がなくなっ」

「だから正論で抉るのやめてくださいってば!?どうせねえ、さりげなく女の子の運んでる重たいダンボールを代わりに持ってあげたり、転びかけた女の子をサラッと受け止めて助けたり、帰りがおそくなる女の子をづかっていっしょにサービス残業して夜道送ってあげたりするモテクニシャンのセンパイには、オレら非モテのあいなんてわかんないんですよ!」

「誰がモテクニシャンよ。全部普通に目の前で困ってたから手を貸しただけだし。それでモテたことどころか、今まで一度もかれがいたことすらありませんがな。二十九歳にして、ねんれいイコールソロ期間だって。それはそれで別に気にしたことないから全然いいけど、田中くんは昨日までこいびとがいただけまだマシって思ってくれたらいいじゃない。何度も言うけど、私は女だからね?」

「この際それはどうでもいいです」

「よくはないよ!?」

 セクハラまがいの結構な言われようなのだが、呉葉はまったくこたえなかった。

 なんなら今もこうかくがにやけ、気をくと鼻歌でも口ずさみかねないじょうげんぶりに、後輩はジト目を向けてくる。

「まったく。オレがこんなにガチべこみしてるってのに……めちゃくちゃご機嫌ですねセンパイ」

「あ、わかる?」

 てきを受けた呉葉は、かくしもせずにへらっとくずれた。

(なんてったって! 今週末の私には、それはそれはスペシャルな予定がひかえているんだもの!)

 ゆるむ頰を押さえる呉葉に、後輩はため息をつく。

「えーっと? 弟さんのけっこんしきですっけ、週末」

「そうなんだよ!」

 よくぞいてくれました! と呉葉は大きくうなずく。

(お母さんもお父さんもくなって、私一人でどうなることかと思ったけど。あの小さかった弟がついに……)

 気を抜くと、ついついほろっとなみだが出そうになる。思いあふるる胸のうちを語るチャンスとうらいと、ここぞとばかりに呉葉はねつべんるった。

「聞いてくれる? ゆう……あ、うちの弟のことなんだけどね? そのおよめさんになる女の子、もーむちゃくちゃ良い子なんだよ。弟が高校生のころから付き合ってきた同学年の子で、ふんわりしたふんと優しげな顔立ちが可愛かわいくて。気立てが良くて料理上手で、とにかくもう、とてつもなくとんでもなくらしいの」

「へいへい、今のオレにはちょっぴりやっかみたいくらいに弟さんがうらやましいっすよ。ついでにその話、オレもふくめてうちの課のやつはみんなもう一万回くらい聞かされて、そろそろ耳タコに足が八本生えてきそうですし」

「あっじゃあタクシー代に一万一回め聞いてってよ。本当に素敵な子なんだから!」

 文句の付け所どころか、「うちの弟を選んでくれてありがとうございます!」と姉の自分がゆびついてむかれたいお相手である。付き合いも長いだけに、もうじつまい同然で、なんなら「僕より姉ちゃんの方が、彼女と仲良くない?」と弟にしっされるくらいだ。

(命より大事な弟のひとち。――まさに、夢にまで見た未来がすぐ目の前にある)

 我ながらめぐまれているなあ、と呉葉はかんがいにふける。

 おかげさまで会社の仕事も順調。このところ呉葉のしゅどうで任されていた大きなプロジェクトが、昨日やっと無事に完結したところだ。成果も上々で、なんと社長じきじきにチームへおめの言葉をいただいた。

 ありがたくもしょくかんきょうにも仕事内容にも上司にも満足しているし、年齢に見合う程度にはきちんと実績も出せている。業務量は多くいそがしいが、そのぶんきゅうあんたいだ。

 今後もにちにちこれこうじつにして、乗り切れる程度の波風はささやかに立てど、基本は何もかもがおだやかに進んでいくのだろう。

(色々、……そりゃもう色々、ここに来るまで苦労もあったけど。なんてじゅうじつかん、なんってたっせいかんなの。すべてむくわれた気分……!)

 ジーン、と胸を押さえて感動に打ち震えている呉葉を、しばらく後輩はしかめっつらで「はあ」と見つめていたが。

「けどセンパイは?」

 そこでふと後輩にたずねられたので、呉葉は顔を上げた。

「鳴鐘センパイ自身は、別に何も得てないですよね?」

「え?」

「プロジェクトが完結してうるおうのは会社だし、嫁さんもらって幸せになるのは弟さんですよね。別にセンパイが得たものって何もなくないですか? 少なくとも結婚についてなら、現にセンパイ自身は、恋人いない歴イコール年齢なんですよね?」

 じゃあ、―― 鳴鐘センパイ自身はからっぽじゃないですか。

 かなりざっくり失礼な物言いながら、予想外のところから降ってきた言葉に。

 思わず呉葉は目をしばたたいた。

(私自身は、……からっぽ?)


 考えたこともなかった。

 あまりに不意打ちすぎてポカンとする呉葉からやっと一本取ったと思ったのか、後輩は「ふふん、それみたことか」と言わんばかりに胸をそらせた。

「なんかぁ。鳴鐘センパイは、ぶっちゃけ他人にくしすぎ。見返り求めないけんしん? せい? みたいなの、かっこいいと思ってるのかもですけど。それで自分が損してちゃダセェだけです。てかぁ、ただでさえ損な休出中なのに『今すぐ助けてくれ』なんて非常識な電話かけてくるやつのためにりちに飛び出してるようじゃダメですってぇ。前から思ってましたけどぉ、センパイにはまずオトナの落ち着きってもんが足りません」

「それきみにだけは言われたくないんだけど? あと、別にかっこいいとかどうでもいいし、自己犠牲でもないから。私のしたいようにしてるだけだから」

 ビシッと切り返す呉葉に、「センパイ、甘い。生クリームのチョコシロップがけよりくそあめぇです」と、後輩はおぎょう悪くプラスチックスプーンの先を向けてきた。

「人生なんていつ終わるともわからないんだから、自分が損してまで尽くすのは単なる鹿ってやつですね。今にわかりますよ。だってもう、センパイ二十九らしいじゃないですか。二十九って二十九ですよ二十九。あせらないとやべぇですって。がけっぷちなのにびんぼうクジ引きまくり」

「貧乏クジではないんじゃない? 少なくともきみの元カノは寝取れたらしいし?」

「うぐっ」

 ニヤリと笑って言ってやったいやはそこそこいたらしく、後輩はのけぞった。

「あーマジのろいますよセンパイ! いつかオレたち被害者の会の恨みを、身をもって思い知る日が来るんですからね!」

「はいはい、やっぱタクシー代ここで返せ? こっちこそ昼休み消えたじゃないの」

 くだらない言い合いをしているうちに、気づけば昼休みは残り十分を切っており。

 おかげで呉葉は、やけに高価なコーヒー豆乳で昼食を終わらされるになった。

 今日はちょっと歩いたところにある格安定食屋で、からげランチの限定マウンテンりをねらうつもりだったのに。被害者の会の恨みうんぬんを言うなら、食べ物の恨みもまた深いのだぞ……と後輩田中には言ってやりたいものだ。



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