何でこうなった?



 まばゆい光に目をつぶり、ゆっくりと目を開けると、そこにはフリーマーケットなんてなくて、何だかせきのような場所だった。

 キョロキョロ周りをかくにんすると、さっきまでいたプレハブすらなくなっていた。

 何だこれ。

「あはは、まるで異世界転移みたいだな〜」

 言ったそばからこうかいした。

 いまさら気づいたが、目の前にローブを着た男性が三人との格好をした男が一人、立っていた。

 その中にいた騎士様が私と目が合うと深々と頭を下げた。

「ようこそおいでくださいました聖女様」

 いやいやいや、異世界転移の定番とか無理なんだけど。

 コスプレイヤーとしてアニメやまんを見まくってきた私だが、一度も異世界転移にあこがれを持ったことはない。


 いや、だって、私の能力値は私が一番わかっている。

 ゲームで高成績をたたせても自分の肉体が同じ動きをできるかと聞くまでもなく無理だ。

 乙女おとめゲームの中のような展開であったとしても、騎士がいる世界なんてものが出たり、おうが復活するとかそんな身体能力を持っていないと無理な展開に決まっている。

 そういうのは十代のピチピチの女学生を呼び出せば良いと思う。

「あ、あの〜。ひとちがいじゃありませんか?」

 人違いであってほしいと願いながらつぶやけば、ローブの男の最年長だと思われる老人がとんでもないとさけんだ。

貴女様あなたさまは月の神であられる、ルルーチャフ様よりあたえられし聖女様でございます」

 いや、だから、本人の許可もなく勝手にしょうかんして与えられても困る……いや、困らないか? 自家には帰りたくないし、会社も住むところもなくなって必要な荷物は今、手にしているトランクの中に入っている。

「ちなみに、聖女とは何をするのですか?」

 ローブの老人はやさしげにがおを作った。

「聖女様は歌とおどりで世界をじょうするのです」

 世界を浄化ってスケールでかいなー。

「歌と踊りって、私ができないって言ったらどうするんですか?」

だいじょうです。歌も踊りも日々のたんれんで必ず力を発揮することができるようになります」

 ローブの老人のさわやかな笑顔がかえってこわい。

「えーっと、帰っていいですか?」

 その場はちんもくに包まれた。

 いや、だって、めんどうだし……。

 そこで、口を開いたのは騎士様だった。

「まことに申し訳ない話なのですが、聖女様が元の世界にお帰りになった記録はいっさいございません」

 うわ、帰れないパターンの異世界転移だったのか。

 思わずうつむいたのは、仕方がないと思う。

「導師様、本当にこの者が聖女様なのですか? 聖女様と言えばしっこくかみひとみだと言ってらしたではございませんか? せめて黒に近い色であればなっとくできなくもないですが」

 ローブの男の一人が私をしんそうに見る。

 言われて気づいたが、私は今コスプレ姿で、コスプレしていなければ、漆黒は別としてくろかみだし黒目だ。

「このしん殿でんで召喚された者がにせものだと申すか?」


「ですが、どう見ても聖女様とは言いがたい見た目で」

 ローブの老人はゆっくりとため息をついた。

「……」

 せっかくかんちがいしてくれているのだから、本当のことを言うのはやめておこう。

 もし、だまされてれいのような対応をされたら困る。

「この者はお気になさらず、城にまいりましょう」

 導師と呼ばれた老人にうながされ、私は城に案内された。




◇◆◇



 体感的に一時間ほど歩き城にたどり着いた。

 それから長いろうの先には静かな庭園があり、さらに先に案内された。

「聖女様には、城の奥にある新緑の神殿にてお過ごしいただきます」

「新緑の神殿ですか……」

 緑豊かな場所なんだろうな。

 ばくぜんと思いながらたどり着いた場所には、緑などこけぐらいしか見えない殺風景な場所に建物がポツンと立っていた。


 周りもてているが、直ぐ近くにみだれる似たような神殿が見えた。

「アレは?」

 私の言葉に、導師の老人がいやそうにけんにシワを寄せた。

「あれは花の神殿で、あそこにはヒメカ・チョウノと言う聖女様がいらっしゃいます」

 え? 聖女? 私以外にいるの?

 私がこんわくしたことに気づいた老人は苦笑いをかべた。

「我々には貴女様が必要でございます。ご説明は神殿の中で」

 老人の後を追いながら他のローブの人達を見ると、みな同じようにあきれたようなつかれたような顔でため息をついていた。

 新緑の神殿の中は古い建物だが、れいに手入れをされているように見えた。

 案内された部屋は応接室のようになっていた。

「お座りください聖女様」

 促されるままソファーに座るとぐにお茶とおが用意された。

「さて、さきほどの説明ですが、お察しの通り聖女様は貴女で二人目でございます」

 色々ツッコミたいのをまんして、私はうなずいて先を促した。

「ヒメカ聖女様は第一王子様がきちんとした手順をまずに召喚してしまった聖女様で……言いにくいのですが、いささか聖女の仕事には前向きではなく……第一王子様と遊び暮らしているのです」

 言いづらそうに言葉をにごそうとして失敗し、ハッキリと使えない聖女だと言ってしまった導師様は最後にはすがすがしい顔をしていた。

「私だって聖女らしい見た目もでもないみたいですし、能力がないかもしれませんよ」

 導師様はやわらかく笑った。

「それでも、私を信じてここまでついてきてくださったではありませんか」

「それだけで? あの、お疲れさまです」

 導師様からは言うことを聞かない新入社員とじんな要望をしてくる上司のいたばさみに合う中間管理職のようなお疲れオーラが出ていた。

「慣れてますので。それよりも、こういった理由で聖女様が二人いる状態ですので、お名前をうかがってもよろしいでしょうか? 我々がちがうことのないように」

 私はしばらく考えた。

 本名を名乗るのは大丈夫だろうか?

 もう一人の聖女はフルネームを明かしているのか?

 名前であやつほうとかがあるなら、元々いる聖女に働かせればいいだけだからだ。

 それでも、絶対にないとは言いきれない。

「私のことはセイランとお呼びください」



 私、本名 「あかいしあらた」なので、だれも予測すらできないだろう。

「セイラン様ですね。美しいお名前だ。自分は魔導師をとうかつしているムーレットと申します」

 導師様も優しく自己しょうかいしてくれ、周りにいた他の魔導師達の名前も教えてくれた。

「そして、最後にこちらの騎士様ですが、彼は我がランダラおうこくの第二王子で王太子でもあらせられるダーシャン・ドゥ・ランダラ様でございます」

「え?」

 思わず口から不信感がれた。

 目の前にいる騎士様が第二王子で、更に王太子であるとか……深く考えたら負けだ。

 見た目はたんぱつぎんぱつに吸い込まれそうな綺麗なサファイアブルーの瞳の長身細マッチョな感じの、絵にいたような騎士にしか見えない。

「ダーシャン殿でんは騎士団長です。聖女様の護衛の管理もしてくださいます」

 王太子で騎士団長って、ぼうすぎませんか? もしかして人員不足ですか?

「えっと、聖女って危険なんですか?」

 私の質問に全員が視線をらすのはやめてほしい。

「あの、本当のことを言ってください」

 私が食い下がると、導師様がニッコリと笑った。



「なあに、我が国では月の神の加護があるため、あっとうてきな浄化の力を持つ聖女様を召喚することができるのですが、他国では神官が集まり時間をかけて浄化をするのです。そんな

こともあり、聖女様はどんな国でものどから手が出るほどしい存在で、ゆうかいしようとしたり他国に力を持たせないために殺害をくわだてたりする者がいるのも事実です」

「帰りたい」

 小さく呟いてしまったのは、悪くないと思う。

「自分がまもりますので、どうかご安心ください」

 耳にここ良い第二王子の低い声に、こんきょは? と思ったが、それを口に出してはいけないふんを感じて私は言葉を失ったのだった。



◇◆◇




 召喚されたその日の夜、ようやく一人になれた私は考えた。

 もし、今のじょうきょうの中聖女の役目を果たさず、使えないと判断され、ポイっと捨てられた時どうなるかを。

 はっきり言って三日生きられたらマシだろう。

 その理由としてあげられるものの一つとしてもっとも重要なのは、私の社交性のなさである。

 仕事であれば、社会人コスプレをしてできるいい女になりきることにより社交性のある人間を演じられるが、中身の私は社交性なんてないに等しい。

 ないに等しい社交性をコスプレすることで補っているというか、装備していたのだ。

 だが、今している『セイラン』というキャラクターは社交性があまりない。

 装備としては不十分だし、やる気で言ったらゼロのキャラクターである。

 作中で言えば、常にだらけている上に無気力、他人の評価には関心がないがやれば天才的なダンスを踊れるキャラである。

 そんな『セイラン』の性格が、この世界で生きていけるのか?

『セイラン』にこだわる必要はないから、トランクの中にある別のキャラクターになることもやぶさかではないのだが、いかんせんこの世界のいっぱん常識すら分からない私が住むところも仕事もない状況で生きられるのか?

 その上、魔法があるのは分かっていたが、魔法を使える人はごくまれであるとか知らなかったし、街中にはいないけど森には魔物もいるし治安がすこぶる良いわけでもないらしい。

 お金の単価も解らないし、このままでは生存すら難しいと思う。

 その点、ムーレット導師は私が聞いたことを一から十まで教えてくれる優しいおじいちゃんなので着実に常識を手に入れることができ始めていた。



 そして、数日新緑の神殿にいたことで見えてきたのはムーレット導師の他に力を持つ導師がいて、そのもう一人の導師がヒメカ聖女を召喚し力をつけていっているということ。

 その導師は、ムーレット導師が今いる筆頭導師の地位が欲しいのだと聞いた。

 おのずとムーレット導師がダーシャン第二王太子のばつで、もう一人の導師が第一王子の派閥なのだと決まり、そのせいで城の権力が二分する事態になっているらしい。

 今までの人生で派閥争いなんてえん……ではなかった。

 会社なんてせまい組織であれば、何々課長派だとか誰それさんに逆らうのは良くないみたいな派閥争いが出てきて、仕事以上に大変な人間関係に多大なえいきょうおよぼすものの代名詞である。

 召喚されてから三日目、そんな派閥争いなんてものが神殿には関係ありませんよ! と言いたいがために選ばれた講師がやって来た。

 ムーレット導師は反対したようだが、前聖女から直接の指導を受け、聖女の歌と踊りに関してくわしいとされる女性が聖女様二人を見ることで、派閥ではない神の力の供給が何ちゃらと長々と説明をされたけど、早口すぎて頭に入ってこなかった。

「これより、聖女に歌とまいを教えることになりました。エリザベートと申します」

 きんぱつに緑色の瞳の気位の高そうなすました顔という印象の女性だ。

 このエリザベートさんがなかなかの食わせ者で、周りに人がいれば害はないのだが、ひとたび二人きりになれば馬を叩くむちをチラつかせておどしてくるのだ。

 脅しだけとはいえ、そんな仕打ちをされれば、意地でもできないフリをしようと思ってしまう私は天邪鬼あまのじゃくなのかもしれない。

 朝起きてから三時間みっちり発声練習、その後きゅうけいなしで三時間

体操、ハードな筋トレの後にお昼ご飯を出されてもおなかに入る気がしない。

 午後もたくさん発声練習したり基礎体操させられたり国の歴史を習ったり、一般常識を習ったり多忙すぎる。

 こんな生活にえられるわけがない。

 ああ、げ出したいと私が思うのに、そんなに時間はかからなかった。

「ヒメカ聖女様は直ぐにできたことが貴女にはできないのですのね」

 そして、エリザベートさんはやたらとヒメカ聖女と私を比べた。

 私から言わせてもらえるなら、この人の歌も舞も見たことがない。

 様子見で歌も舞もできない演技をしたら鼻で笑い、鞭を取り出してきたのだ。

 SMの女王様気取りもたいがいにしてほしい。

 まあ、幸い本気で鞭をるってきたりはしない。

 私をおびえさせて従わせたいのだと丸分かりである。

 いつかこの新緑の神殿を出て行く時には、あの鞭へし折ってやりたい。


 まあ、基本しんちょうな性格の私が鞭をへし折るためだけにリスクをおかしてまでエリザベートさんの元へしのび込んだりは絶対にしないとは思うが……。

 そんなことより、実は気づいたことがある。

 聖女の歌は音楽の教科書で習うレベルの歌だ。

 一番初めに習ったのが小学生の時に誰もが習う春の歌だった。

 よって、聖女は日本人女性であると決まっているように思えた。

「こんな基礎中の基礎もまともにできないなんて、ムーレット様の顔にどろって楽しいのですか?」

 彼女の嫌味は社会人をしてきた|私にはいささかパンチの少ないものに感じた。

「そんなふうに言ったら可哀想かわいそうですよエリザベート!」

 この日、私は初めてもう一人の聖女に会った。

 発声練習中、勢いよくとびらを開けて入ってきた少女は、高校生ぐらいのねん

れいでピンク色のフリフリミニスカワンピースを着ている。

 |わい》愛い系の見た目に反して胸が大きい。

 ザ・ライトノベルのヒロインといった見た目だ。

 ダークブラウンの髪に茶色い瞳の純日本人顔から、この子がうわさのヒメカ聖女だとしゅんに判断した。



「ヒメカ様! ヒメカ様がこんな何もないところにおしにならなくても! こちらからあいさつうかがわせますから」

 エリザベートさんはこびを売るようにヒメカ聖女にぺこぺこと頭を下げた。

「貴女がセイランさんね! へー赤髪にオッドアイとか日本人じゃないのね。ってか地球人でもないか。フフフ私がこの歌のお手本を見せてあげるね」

 そう言ってヒメカ聖女は、やはり小学生の時に誰もが習う春の歌を歌い出した。

 なつかしい歌をろうしてもらったのだからはくしゅぐらいした方がいいだろうか?

 その歌のおかげか、今まで植物の生えていなかった新緑の神殿の周りに小さな雑草の芽が生えたのだと窓の外を見て分かった。


 だんの一角、三十インチのテレビぐらいの大きさに花の芽が生えている。

らしい! 素晴らしいですわヒメカ様」

 エリザベートさんにめられて私にドヤ顔をしてくるヒメカ聖女に拍手を送っておいた。

「フフフ、セイランさんも私を見習ってがんってくださいね!」

 それだけ言うとヒメカ聖女は帰って行った。

 私は課題だらけで大変だけど、あの人ひまなのかな?

「ああ、ヒメカ様はなんて美しくそうめいぶかいのでしょう。こんなダメ聖女にまで目をかけて」

 私に聞こえるように独り言を言うエリザベートさん。

 独り言に返事をしては失礼だろうから聞こえないフリをしてあげた。

 私は空気の読める大人だと実感するしゅんかんだ。

「聞いてますか? これだからダメ聖女は」

 どうやら独り言ではなかったようで、聞こえないフリは正解ではなかったみたいだ。

「もう一度言ってもらっていいですか?」

「もういいです」

 ぷりぷりおこるエリザベートさんに私は苦笑いを向けておいた。



◇◆◇



 その日の夜、過度の理不尽な課題にストレスでつけなくて庭を散歩することにした。

 ウィッグとコンタクトを付け直すのは、はっきり言ってめんどうくさいが誰に見られるか分からない。それに、コスプレをしている間は本来の〝新〞ではできなかったことができるような、アニメのキャラになりきれてどんな困難にも立ち向かえるような気がして勇気までもらえる気がするのだ。

 そんなわけで、コスプレしょうえた後に何もない庭を歩く。


「君の召喚した聖女はどうやら残念な女性だったみたいだね」

「自分は残念だと思っていません」

「フフフ。ヒメカに力を貸してほしければいつでも言ってくれていい。王太子の座をわたすのであればな」

「……そんな時が来れば」

 となりの花が咲き乱れる庭から聞こえてきたのはダーシャン王太子と誰かの声で、私は気になって近づいた。

 自分が巻き込まれるのは嫌だが、話だけなら気になる乙女心。

 いや、野次馬こんじょうか?

 そんなことを思った瞬間。

「クソ、誰が王太子になんかなりたいと言った」

 悪態をつきながらガサゴソと音を立てて出てきたのは間違いなくダーシャン王太子だった。

 いけがきから頭と手足をき出した状態の彼と目が合い、気まずい空気が流れた。

「あーお散歩ですか? セイラン聖女」

「はい。あの、たまたま聞いてしまいまして……ダーシャン様も何かと大変なんですね。もし、話して気持ちが楽になるならお話聞きますよ。もちろん無理にとは言いませんけど」


 前の会社のを誰かに聞いてもらってたら、あんなに精神をすり減らすこともなかっ

たんじゃないか? とたまに思ってしまうことがあったから出た言葉だった。

 ダーシャン王太子は数回まばたきをかえすと、生垣から出て来て私のりょうかたをガシッとつかんだ。

「聖女様、愚痴らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「勿論です……あっ、ちなみに聞かなかったことにしてなかったことにもできますが?」

 話したくなかったかもしれないから聞いたのだが、ダーシャン王太子の瞳にはうつうつとした色が見てとれた。

「いや、むしろ聞いてください」

 ブラックぎょうに勤めていたから、この目をしている人がいっぱいいっぱいであることは容易に想像できる。

「場所を移しましょう」

 ダーシャン様はそう言って私のうでを摑むと歩き出した。

 逃がさないと言いたげな意志を感じてしまい、ていこうもできない。

 連れて来られたのは新緑の神殿の何もない庭にポツンとあるあずまだった。

「ここなら誰が近づいてきても解ります」

 誰にも聞かれたくないから全方位を確認できる場所を選ぶとは。


「どこから話しましょうか? ああ、さっき話していた男がおう様の実の子で長男のナルーラ王子です」

 かんぺきに笑顔をけているが、目が笑っていないダーシャン王太子に私は口出しすることもできずに話を聞くはめになった。

「勿論、アレが最初は王太子でした。学園を卒業後、こうしゃくれいじょうけっこんして国王になるはずでしたが、だんしゃくむすめうわしているのが発覚しあっという間に貴族社会からつまはじきにされました。めが甘いせいか、馬鹿だからなのか知りませんが父にも簡単にバレ王太子の座から転がり落ち、王太子でなくなったからなのか男爵れいじょうに振られ、王太子の座に返り咲くために勝手に聖女を呼び出しかかえ込んでいるのです」

 この人、無口キャラかと思ってたけどむっちゃしゃべる~。

 いきぎしているのか、心配になるレベルで喋る~。

 彼はゼーハーしながら喋り終わると、深呼吸をした。

「自分は王位けいしょうけんを辞退して騎士になるつもりでした……だって、面倒臭いじゃないですか? 自分の母親は元メイドなのに王太子なんかになれないでしょう?」

 うなれてしまうダーシャン王太子……王太子が嫌なのに王太子を名乗り続けるのは可哀想か?

「ダーシャン様は、頑張ってますよ」


 項垂れたままの彼の頭を優しくでてしまったが、良かったのだろうか?

 ダーシャン様はゆっくりと顔を上げ、困ったようにまゆを下げた。

「子どもあつかいしてますか?」

なぐさめてるんです」

 私が胸を張って言えばダーシャン様もハハハと笑ってくれた。

「それに、そんなに嫌だったら逃げちゃいます? 私もなんてしたくないですし、いっしょに逃げてくれたら心強いんですけど」

 ダーシャン様はキョトンとした顔の後き出した。

 相当おもしろかったのか、お腹を抱えて笑っている。

 じょうだんめかして言った『逃げる』の言葉だったが、私は本気だった。

 元より『逃げる』と言う言葉をいてしまったのは、この王宮がブラック企業だからだ。

 誰もが仕事と理不尽を抱えていて、私にいたっては心的外傷を負っている。

 心的なら元々ブラック企業で働いていたからめんえきがないわけじゃないがつらいことには変わりない。

「素晴らしい案ですね。逃げてしまえば無責任だと王太子から外してもらえるかもしれない……一緒に逃げちゃいましょうか」

 ダーシャン様はその辺にいそうなつうのお兄さんのように柔らかく微笑ほほえんだ。

「ダーシャン様って王族ですけど、しょみんの暮らしに詳しかったりします?」

まんじゃないが、視察としょうして街を見て回っていたから詳しいですし、たよれる知人もたくさんいます」

「わ、便利~」

 おさえきれない心の声が出てしまったが、ダーシャン様は気にした様子がなかった。

「せっかくだから酒でも持って来ればよかった……いや、セイラン聖女は未成年ですよね?」

「いや、成人してます。えっ? いくつに見えてます?」

 ダーシャン様はアゴに手を当てマジマジと私を見た。

「十二、三ぐらいかと」

「若! そんな幼く見えるんですか?」

「最初は十五、六ぐらいの少年かと……」

 ダーシャン様の視線がむなもとを見ている。

「セクハラって知ってます?」

「セクハラ?」

 言っておくが胸にはサラシを巻いているから、少年に見えてもおかしくない。

「女性をジロジロ見るのはマナーはんですよ」


「……失礼、セイラン聖女は実際いくつでしょうか?」

 私は苦笑いを浮かべた。

「二十一歳です」

「えっ? 自分より二歳上……」

「年下だったんですね。この国の成人っていくつですか?」

「十五ですね」

 十五歳で成人か、その年の私は夢も希望もある若者ではなく、ただ漠然と学校に通っていた気がする。

「ヒメカ聖女はいくつですか?」

「さあ、興味がないので……」

 ダーシャン様は私から視線を逸らし遠くを見つめる。

「やっぱり酒を持ってきましょうか」

 ダーシャン様がバッと立ち上がった。

「いいですね」

 ダーシャン様はちょっと待っていてほしいと言って走って行った。

 しばらく星を見ながら待っているとお酒とグラス、簡単なおつまみを乗せたおぼんを持ってダーシャン様は帰ってきた。



うま味い酒を持ってきました」

 楽しそうにお酒をグラスに注ぎ私に差し出す。

 もう一つのグラスにお酒を注ぎ、かんぱいしようと言うダーシャン様はじゃだ。

 お酒の入ったグラスを優しく合わせて乾杯をすると、私達は一気にグラスの中身を飲み干した。

 ゆっくりちびちび飲むのが正解だと解るほどの高そうな美味おいしいお酒だったのに、二人して一気に飲んでしまうのが、ストレス社会をいてきた戦友のような親近感を覚えてしまう。

「いい飲みっぷりですね」

「セイラン聖女もえんりょなく飲んでください」

 ダーシャン様の『聖女』呼びが何だか鼻につく。

「聖女をするつもりはないので、セイランとお呼びください。あと、かたくるしい喋り方もやめません?」

「そうだな。ではセイラン、もう一ぱいどうだ?」

 美味しいお酒に、おたがいのめ込んでいた愚痴を言い合っていると、段々楽しくなってきた。

「そう言えば今日、ヒメカ聖女の歌と踊りを見せてもらいました」


「そうなのか?」

何故なぜか見せに来てくれたんですよ」

 ダーシャン様は少し私を揶揄からかうようなこわいろで言った。

「聖女は歌も踊りも生まれ持って上手うまいのだと思っていたが、セイランはちがうみたいだな」

 私は声を上げて笑った。

「そりゃそうですよ。わざと下手なフリをしてるもん」

「へ?」

 この人はしんらいのおける人、だから誤解されたくないとどこかで思ってしまい、私は大きく口を開いた。

 私は楽しい気分のまま、キラキラとかがやく星に向かって小学生の時に誰もが習う春の歌を歌った。

 歌い終わりダーシャン様の顔を見ようとしたが、彼は私ではなく東屋の周りを見て固ま

っていた。

「ダーシャン様?」

「セイラン……いが吹き飛んだぞ」

 首をかしげながら東屋の周りを見て、私の酔いも吹き飛んだ。


 東屋の周りは森になっていたのだ。

 数分前まで土しか見えてなかった場所に木々がしげっている。

「……逃げよう。こんなすごい聖女呼び出したとか知れたら直ぐさま国王にされてしまう。うん。逃げよ」

 ダーシャン様はしみじみと呟きながらグラスに残ったお酒を飲み干したのだった。



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