第13話 夜のプール


 テスト期間。

毎日のように遅くまで起きて次の日のテストの勉強をしている。

今日もそうだ。

明日の英語のテストの英単語を覚えている。

自分の部屋のテーブルいっぱいに教科書やノートを開いている。


 時間は22:00を過ぎた。

今日は何時に寝れるだろう。


 今頃、蓮も勉強してるんだろうな。

橘は・・・寝てそうだな。


 睡魔が襲って来る。

少しだけ、10分だけ寝よう。

・・・でもこれで起きて朝だったら英語のテスト終わるな。

いや。大丈夫だ。

10分後の自分を信じよう。

頼むぞ10分後の俺、起きてくれよ。

ペンを置き、座って姿勢を保ったまま目をつぶる。





 ピコンッ、誰かからの通知音で目が覚めた。

やばい!寝すぎた!今何時だ!?

急いで時間を確認する。

時刻は23:00すぎ。

1時間ほど眠っていたみたいだ。

・・・まあ、1時間なら大丈夫だ。


 そういえば、通知きてたな。

スマホを開き、通知の主を探す。

橘からメッセージが来ていた。


「起きてる?」


「起きてるよ」


「もし勉強終わってるなら、今から夜の学校行かない?」


「夜の学校?何しに行くんだ?」


「プール!昨日水泳部が掃除して綺麗にしてあるみたいだよ!」


「どうやって行くんだよ、もうこんな時間だぞ?」


「送ってもらうから大丈夫!車で迎えにいくよ!」


「誰の車?」


「ウチの運転手!」



運転手!?橘の家には運転手がいるのか!?さすがお金持ち。



「いこ!絶対楽しいから!」



 英語のテストor橘と夜のプール。

・・・こんなのどっちにするか決まってるだろ。



「わかった行くよ。駅で待ってる」



 そう送って机に開けたノートや教科書を片付けた。

英語のテストは捨てよう。

ごめんな、未来の俺。





 最寄りの駅の前のベンチで橘を待つ。

私服で行こうとも思ったが、なんとなく制服にした。

親はもう寝てたので起こさないように静かに家を出た。


 終電が終わり、もう遅い時間ってことで人が全然いない。静かだ。

たまに通る車の音だけが聞こえる。


 遠くから1台の車がこちらに向かって来る。

あの車かな?



「おーい!」



 橘が窓から顔を出してこちらに手を降っている。

車が目の前に停車する。


 なんだこの車。

通常の車と比べて長い。そしてデカイ。

車のボンネットの前に見たことのあるエンブレムが見える。

車に詳しくないが、高級車ってことはわかる。



 「ごめん遅くなって!さあ、乗って!」



 橘が車の中から言う。橘も制服だった。

戸惑いながら車に乗り込む。


 車の中は広く、とても綺麗で、めっちゃ静かだ。

座り心地はソファーに座っているみたい。

思い込みかもしれないが、高級な匂いがする。


なんか俺の場違い感がすごかった。



「あ、ありがとうございます」



 この人が運転手さんか。

白髪にフレームの薄いメガネ。



「すいません、迎えに来てもらって」


「いえ、お嬢様の頼みですから」



 お嬢様だと!?

金持ちとは知ってたが・・・なんかすごいな。


 運転手さんの話し方から上品さが伝わって来る。

とてもクールで運転手さんが慌てる様子が想像できない。

渋い。激渋だ。

俺もこんな大人になりたい。


車が動き出す。



「勝手にプールに入って大丈夫なの?」



心配で橘に聞く。



「大丈夫!バレないから!それにバレてもなんとかなるよ」



たしかに橘の親が英翔高校と関係あるから大丈夫か。



「ねぇ、急に誘ったけどよかった?」


「あぁ、もちろん大丈夫だよ。勉強も終わったし」



嘘です。全然大丈夫じゃないです。





 英翔高校横の道路に車が止まる。遅い時間で人通りがない。



「ここで待機しております。私のことは気になさらずごゆっくり」



運転手さんが大人の笑顔で見送ってくれる。



「いこ!」



車を降りる。


 それにしてもどっから入るんだ?

いつも出入りしている校門を通り過ぎて裏門に到着した。



「ここから入るの?」


「うん、さすがに校門は目立つからね」



 裏門はそんなに高くない。

2人で門をよじ登る。


 門の上に立って学校側にジャンプする。

ついに夜の学校に入ってしまった。



「ドキドキするね」



橘が楽しそうに聞いてくる。



「うん」



 夜の学校は昼とは雰囲気が違ってワクワクした。

学校から音は無く、自分たちの足音だけが聞こえる。

もっとしゃがんでバレないように歩くんだと思ったが、橘は堂々と歩いている。

駐車場からグラウンドの横を通り、プールへ向かう。


今更だが、自分たちのやっていることの重大さに気づく。



「見つかったらヤバいんじゃ・・・」


「大丈夫だって!」



 プールの前に到着する。

プールは金網で囲まれており、入り口の扉はもちろん鍵がかかっている。

どっから入るんだ?



「こっちだよ」



橘についていく。



「ここだよ!ここ!」



ここだけ金網に人が通れるほどの穴が空いている。



「よく知ってるな」


「まあね」



 金網を通ってプールに入りプールサイドを歩く。

薄暗くてよく見えないが、水は張ってないように見える。

更衣室の前に着く。



「どこだろう?」



 橘が明かりをつけるスイッチを探している。

たまに水泳部が夜も練習するので明かりがあるらしい。



「あった!」



 橘がプールの明かりをつける。

あたりが少し明るくなった。


綺麗だった。

あたりは青白く、幻想的だった。


 プールの底にある水中照明が水が数cmだけ張ってるプールを照らす。

掃除したばかりでとても綺麗だ。

プールサイドの時計は24:00を指していた。


橘が目をキラキラさせている。



「降りようよ!」



 二人で靴を脱いで裸足になる。

俺は制服のズボンを捲る。

はしごを使ってプールに降りる。


 はしごから降り、足がプールの底に着く。

プールの床は水が少し張っていて冷たい。

そしてツルツル滑る。



「わー!滑る!」



橘は無邪気にプールの底を滑っている。



「ねぇ、すごいね!」



 楽しそうな声を出し、こちらを振り向く。

青白く照らされた黒髪ロングがとても綺麗だ。



「あんまりはしゃぐと転ぶぞ」


「大丈夫だって!」



橘が滑ってこちらに来る。



「わー!止まれない!」



 そう言ってわざと俺にぶつかってくる。

足元の水をすくって橘にかける。



「きゃっ!ちょっとー!」



 橘が足元の水を俺にかける。

2人とも子供に戻ったみたいにはしゃいだ。



「びちょびちょだよー」



橘はスカートを掴んで水を絞っている。



「きゃっ!」



 橘がプールの底に足を取られる。

咄嗟に手を握って支える。



「・・・ありがと」



橘は手を離そうとしない。



「・・・楽しいね」


「うん」



 テストのことなんて完全に忘れていた。

非日常で幻想的な雰囲気が二人の距離を近くしていた。



「誰かいるのか?」



 プールの入り口の金網から声が聞こえた。

誰か来た!



「橘!こっち!」



 橘の手を握ったままプールの壁に走る。

2人でしゃがんでプールの中の壁に背をつけてじっとする。


 プールの金網の鍵を開ける音が聞こえた。

明かりを見て来たようだ。

足音が真上で止まる。



「誰もいないのか?」



真上の人が呼びかけている。



「水泳部が消し忘れたのか」



プールの明かりが消される。あたりが暗くなる。





気づけば橘の手を握ったままだった。





でもその手を離したくなかった。




 薄暗い中、橘の手の体温が伝わって来る。

橘の手ってこんなに小さいんだな。

もう一度、橘の手を強く握る。

それに反応して橘も握り返して来る。

小さな手で俺の手を力強く握っている。

薄暗くて橘の表情は見えない。





ずっとこうしていたかった。





 足音が離れていくのが聞こえる。

どうやら見つからなかったようだ。

足音が完全に聞こえなくなった。




小さな声で橘に呼びかける。



「行ったみたいだね」



返答がない。



「橘?」


「・・・あっ、うん」


「あっ、ごめん」



暗闇の中、橘の声を聞き、急に恥ずかしくなって手を離す。





「・・・帰ろっか」





 薄暗い中、橘の声が聞こえる。

まだ手の感触は残っていた。





「そうだね」





 もと来た道を戻って車のところまで戻る。

運転手さんが外に出て出迎えてくれる。



「お帰りなさい。こちらを」



バスタオルを用意してくれていた。



「楽しかったですか?」



「はい」「うん」



 橘と声が重なる。

思わず向かい合う。


2人で照れ笑いをする。


運転手さんが暖かい笑顔をしている。






 迎えに来てくれた俺の家の近くの駅に到着する。

車を降りる。

橘が窓から顔を出して話す。



「ごめんね、こんな遅い時間になっちゃって」


「いや、大丈夫、・・・楽しかったし」


「じゃあまた明日」



さっきまで乗っていた車を見送る。


 車は完全に見えなくなった。

自分の手を見つめる。

暗闇の中、橘と手を握ったことを思い出す。

橘は手を握り返してくれた。



 楽しかった。

こんな出来事もう二度と経験できないかもな。

一生忘れられない思い出になった。そんな気がした。

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