第9話

その女性は朝食を食べ終わると、

トレイを返却口に返しに行く。


その時、

また例の存在感のない二人の横を通り過ぎようとするが、

同じヘマはしない。

静かに二人の横を通り過ぎようとした時、

あろうことか、

今度はうっかりと娘の手から離れたカップのオレンジジュースが、

彼女の白いスカートにかかってしまう。

さすがに父親は現実に引き戻され、

平身低頭しながら彼女のスカートを、

身体に触れないようにハンカチで拭く。


その間、

娘が彼のバッグを開けているのにも気付かない。


娘は、

いつも彼が小さなバッグの中に財布と、

手帳を入れていることを知っている。


素早く手帳を取り出し、

目的のページを見つけると、

型が付くくらいに力一杯広げる。


娘の父は、

謝りながら彼女のスカートを拭くことに懸命で、

娘に謝らせることにも気付かない。


そこで娘は立ち上がり、

彼女の傍まで行き、

しっかりと腰を曲げて謝罪する。


その時、

彼女の足元に父親の小さな黒い手帳を落とすことも忘れない。


彼女は平身低頭で謝罪している彼から少し離れ、

落ちた手帳を拾いあげ娘に渡そうとする。


手帳はページが開かれているので、

見るとも無しに見えてしまった殴り書きの様な覚え書。


彼女は、

その単語だらけの文字を見て、

一瞬目の前が真っ白になり、

膝が砕け卒倒しそうになる。


虚無の旅人、

確かにその文字を見た。


娘は知っていた。

彼女が落としたスマホの画面は、

確かに虚無の旅人のサイトであった。


一か八かの勝負にでた娘のオレンジジュースぶっかけ作戦は、

確実に的を射抜いた。


オレンジジュースをかけられた女性は、

気を取り戻して娘に手帳を渡すと、

今度は父親に語りかけた。


いつもお二人で此処に来られるのですか、

その質問に答えたのは娘であった。


はい、

日曜日は必ず此処で同じ時間に朝ご飯を食べに来てます。


その返事を聞いて驚いたのは父親だが、

1箇所がオレンジ色に染まった白いスカートの女性は、

空を眺めながら、

私も此処で同じ時間に朝ご飯を食べています、

と言った。

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