ExtraⅡ:最終話

 

 1989年、2月某日。


 朝からはちきれんばかりに上機嫌な怜那。


 柔らかい下着を着けて、白のTシャツを身に着けた後、

 モコモコしたサンタクロースのようなセーターを手に取っている。

 折角のスタイルの良さを消してしまうが、

 この頃は、身体の線を消す服も流行っていたようだ。


 勿論、ステージ衣装では、ない。

 最後にふさわしく、衣装替えが7回もある早着替えショーになるらしい。


 服を着るたびに替わる可憐な仕草を、猫のようにくるくると替わる表情を、

 ぱたぱたと動く姿を、ただ眺めているだけで、まったく飽きない。

 

 「いやー、智也君の前で演るのって、

  高校の文化祭以来じゃないかな。」

 

 レコーディング、ずっと一緒に見てたでしょ?

 5daysの時も見てたし。

 

 「ちっちっち。智也君、分かってないなー。

  ライブはイキモノ、ベツモノだよ?

  5daysの時なんて、カキワリの裏で活動休止の話をしに来ただけでしょ?」

 

 あはは。

 バレテーラ。

 

 「正直、としては、

  気恥ずかしいっていうか申し訳ないっていうか。

  ファンからすると、ライブって、彼氏気分だから。」


 自分から、、と言えないあたり、恥じらいがあるんだろうか。

 もう少しだけ、この雰囲気に、浸っていたいんだろうか。

  

 「えー、あー。

  うーん、そうなのかな?

  そんなことないと思うけどなー。」

 

 最後の日まで自分がアイドル扱いされてる意識が薄い怜那。

 話すたびに、身体を動かすたびに、くるくると表情が変わる。

 ほんともう、可愛いったらありゃしない。

 

 「あー、今日で、ほんとに終わりなんだね。

  長かったような、短かったような。」

 

 国内ツアー、最終日。

 最初で、最後の、日本武道館での公演。


 「……あはは。

  いやー。ほんと、いろいろ、あったね。」


 「……うん。」

 

 「……智也君と一緒に、ツアーを廻りたかったな。

  思い出を分け合えないんだもん。

  あそこいったとか、ここ見たとか、あそこ凄かったね、とか、

  あんなことあってね、って言っても、分からないんだもん。」


 それは、本当に。

 同じ世界を見られなかったことは、

 これから、大きな欠落として圧し掛かってくるだろう。

 でも、


 「そうしたら、抜けられなくなってたよ?」

 

 怜那の版権や芸能活動での収入は

 怜那のものであって、俺が使っていいものではない。

 デビュー前にヨネさんが眉毛と結んだ契約書上の俺の身分は、

 「会社への出入りを禁じない」以上のものではない。

 社員でない俺は、会社から経費を引き出す理由がない。

 新しい契約は、どのようなものであっても、俺や怜那を縛ってしまったろう。


 「あ、うーん。」


 モフモフしたセーターに顔を半分突っ込んだ怜那が、口ごもる。

 瞳を出したところで動きが止まる姿まで可愛らしい。


 ヨネさんに管理を押し付けられてしまった(……)怜那の版権収入は

 長期の国債運用へと廻してしまい、就職後は、給料で暮らすつもりだ。

 深夜のラーメンと朝のパンケーキで満足する怜那が陥るとは思わないが、

 無計画に版権収入に手をつけると、明日菜さんみたいな浪費癖に溺れかねない。


 モフモフしたセーターを着終わった怜那が、

 唇に手をあてて、何かを、じっと考えている。


 「……はじまったのって、

  きっと、あの文化祭の日から……

  じゃなくて、きっと、智也君と隣の席に座った日から。

  ……だよね?」


 「……そうだね。

  僕からすると、ポプ研に入った日の印象が強いけど。」


 (「う、うたってみたいかな? なんて。」)


 あそこから、2度のワールドツアー、武道館単独公演までくるなんて、

 いったい誰が想像できたろうか。


 「……あはは。

  うん、覚えてる。

  わたし、見捨てられそうになったから、智也君に。」


 ?


 「あ、ひっどい。忘れてるんだ。

  雅也さんに任せて、置き去りにしようとしてたでしょ?」


 そんなことはなかったけど。

 ……いや、どうだ、ろう。


 「……あのときはね、

  智也君を、引き留めたかったの。

  歌の話をすれば、離れずにいてくれるかな、って。

  すっっごく恥ずかしかったんだよ?」


 ……そう、だった、のか。

 

 「えへへ……。

  だからね、文化祭の時、智也君が言ってくれたこと、

  すごく、すっごく嬉しかったんだ。

  あの土手で、優しい眼で言ってくれたことは、嘘じゃ、ないんだって。」

 

 ………。


 「オーディション通ったら、もんのすごーくいそがしくなって。

  智也君は、受験のことと、音楽のことしか、話をしてくれなくなって。」

 

 あぁ……。

 地盤づくりの頃は、それしか考えてなかったからなぁ……。


 「智也君が洋楽の話を真剣にしてくれてる時、

  わたし、智也君の瞳、綺麗だなぁ、とか、

  優しい声だなぁ……とか、そんなことばっかり考えてたんだよ?

  ぜんっぜん、気づいてなかったでしょ。」


 ぇ。


 「智也君、わたしを置き去りにしようとしてたけど、

  なにをどう伝えれば離れずにいてくれるのか、わからなかったし。

  重い女だと思われちゃったら、

  智也君を狙ってる子のところに行かれちゃうかもって。」


 ……そんなこと、露ひとさじも思うはずないんだけど。


 「……だから、詩や曲のストックが増えてばっかりだったの。

  もっと伝えたいこと、もっと話したいこと、

  もっと言ってほしかったこと、もっとしてほしかったことを、

  午前四時くらいに、五線譜とノート相手に、

  じぃーっと、じぃーーーっと書いてたの。」


 ……初耳にもほどがある。

 セカンドアルバムで、歌詞ノート一緒に見てた時に、

 言ってくれればよかったのに。


 「あの頃は、まだ、恥ずかしかったもん……。


  じぶんで書いた歌詞なのに、公開放送で歌うたびに泣けちゃって。

  ラジオでリスナーさんに、この歌詞すごくわかります、とか、

  震えました、部屋の隅で号泣しましたとか言われるたびに、

  この頃のこと、思い出してたなぁ……。」


 ……なんか、いろいろ、恥ずかしい。


 「デビューしたら、もっともっといそがしくなって。

  辛いことも、ひどいことも、哀しいことも、何度も、何度もあったけれど、

  智也君から棄てられそうな怖さに比べれば、

  ぜんぜん、大したこと、なかったよ。」


 ……重たい罪悪感しか感じない。

 針の筵の孤高を生き抜いてこられた耐性を培い、

 と同じ寂寥感に満ちた歌詞が溢れ出てきた理由が、

 中学の「ひとりぼっち」よりも、こっちだったとは……。


 「『気づかないで』が売れはじめた時のこと、覚えてる?」


 ……そりゃぁ、もう。


 「……あの頃くらいから、

  が、いっぱい押し寄せてきて。」

  

 え?

 あ、あぁ……。

 怜那の通ってる大学だと、そういうことがありそうだなぁ……。

 就職先が広告代理店、みたいな人も多いし。

 ワンチャン狙いの傍若無人な陽キャタイプがうようよしてるイメージ。


 「高校の頃のみんなが守ってくれてたけど、ポプ研の子いないし、

  智也君、大学違うし、レコーディングで部屋、帰れないし、

  なのに、スタジオにぜんっぜん来てくれないし。


  心配させたくなかったから、あんまり話さなかったけど、

  ……ほんとは、すごく、ものすごぉーく、さみしかったんだよ?」


 ……そんなこと、考えたこともなかった。

 あの頃は、俺ばかりが苦しくて、辛いと思ってた。


 前線で戦っていたのは、好奇と蔑視の眼に身を晒されていたのは、怜那だ。

 俺の時代と違って、芸能人が大学に行くことへの偏見も多いはずだ。


 ……俺は、徹頭徹尾、

 版権確保しか考えてなかったんじゃないのか。

 それで、神代君が


 「でね? もう、耐えられなくなってきちゃったから、

  万里さんにお願いして、雑誌、一緒に出てもらったの。」


 ぇ。


 「ほんとはね、対談じゃなくて、インタビューのお話だったの。

  でも、それだと、智也君のこと、自然にお話できないでしょ?」


 うわぁ。

 ……怜那、策士だったんだなぁ。

 

 「万里さんも、達仁さんとのお付き合いを表に出す時、

  まわりにいろいろ言われちゃったらしいから。」


 ……それで、協力してくれちゃったわけか。

 え。ってことは、塔子さんはこの時点でもう確信犯だったってことじゃん。


 「それで、やっと智也君が、一緒にいてくれるようになって。

  あったけど、『だいじなのは』もできて、アルバムも作れたし。

  塔子さんがいて、政美さんが、みんなが一緒にいてくれるところで、

  智也君と毎日、お話ができて。ほんとに、夢みたいで。

  ……智也君が、気、失っちゃった時は、一緒に逝こうと思ったけど、

  お母さんに言われて思いとどまってほんとによかった。えへへ。」


 ぇ。

 じゃぁ。


 (「怜那は、貴方がいないと、死ぬからよ。」)


 あれって、比喩でもなんでもなかったんだ……。

 いや、ほんと、ほんと早まらなくてよかった……。


 「ワールドツアーの時も、その後も、

  嫌な思いをしたことも、苦しいことも、辛くて、泣きたくなる日も、

  何度もあったけれど、智也君が、いつもわたしをまもってくれて。」


 ……半分くらいしか、一緒にいなかったけれどなぁ……。

 東京にいる時だけだから。


 「『Wonderful way』をリリースしてからは、

  いままで以上にいろんなところに呼ばれて。

  やっとから離れられて。」

 

 ……。


 「それで、ほんの、ほんのちょっとだけ、

  ステージでみんなの前で歌うのを、楽しめるようになってきたな、

  って思えてきたんだけど……。」

 

 ほとんど一息で喋っていた怜那は、ふっと、下を向いた。

 そして、口角だけを上げた、アルカイックな笑みを浮かべた。

 


  「……お祭り。

   終わっちゃう、ね?」



 おもわず、口から、出てしまった。



  「……続け、たい?」


 

 続けてしまえば、諸方面からの、

 狂った憎悪のような嫉妬と軋轢が抑えられなくなる。

 悲劇的な結末を避けるためには、活動休止は最善手だ。

 そのために、追手達の群れを振り切って走り続けてきたのだから。

 勿体ないと思ったことは、今のいままで、微塵もなかった。


 でも。

 怜那の舞台は、

 そう、考えられてしまうなら。


 ……「辞める」ことを切り札に、

 支えに使ってきたなのに。

 芸能界や世間の嫉妬と敵意を真正面から浴びる

 命を掛け続ける修羅の道にしかならないと、分かっているのに。


 それでも。

 怜那が、望むなら。

 


 「……あは、は。

  智也君、ほんと、優しい、ね。


  でも、ね。

  わたし、ちゃんと、分かってるから。」

  

 怜那は、瞳に浮かべたわずかな寂しさを消したかと思うと、

 凜とした一息をついて、背を、すっと伸ばした。



  「お祭りは、いつかは、終わる。


   文化祭のステージに立った時から、

   ずっと、そう思ってたから。」



 ……あぁ。

 澄み切った瞳に、みとれてしまう。

 気高く清冽な怜那は、この世のものとは思えないくらい神々しい。


 「……でしょ?」


 「……そう、だね。」


 ……ははは。

 欲を捨てられてないのは、のほうじゃないか。

 ほんと、なに考えてるんだか。

 怜那のほうが、ずっと、しっかりしてる。

 

 怜那が、ふっと、肩の力を緩めた。

 身にまとっていた凜とした空気が薄れていく。


 「……ね。

  智也、君。」


 瞳が少し潤んできた怜那の前に立つと、

 ぎゅっと、抱き着いてくる。


 首筋から薫る、温かく、陽だまりのような匂いが全身を巡る。

 怜那が腕の中で動くたびに、化粧水の奥にある、

 馥郁たる怜那の甘い芳香が、仮住まいの狭い部屋中に広がる。


 「……ありがとう。ほんとに、ほんとに、ありがとう。

  歌を、返してくれて。たくさんの歌を、贈ってくれて。

  わたしなんかの隣に、いてくれて。

  離れずに、あたためてくれて。」


 至近距離で、瞳に涙を溜め始めた怜那の額を、

 右手の平で、できるだけ、優しく触れる。


 「……そろそろ、塔子さん、来るよ。

  お化粧、崩れるよ?」


 「……いい、もん。

  むこうで、一から、やる、から。」


 「泣き腫らしてると、

  お化粧、乗りずらいんじゃないの。

  メイクさんに言われたんじゃなかったっけ。」


 「…………。

  んもう、智也君の意地悪っ!」


 ふふ。あはは。

 ……どうせ公演中に何度も泣いちゃうんだろうけど、な。


 「……わたし、歌を歌わなくなっても、

  歌えなくなっても、いいんだよ、ね?」


 「もちろん。

  でも、今日が終わってからかな?」

 

 「……あはは。

  うん。

  ほんと、そうだねっ。」



 ぴんぽーん。


 

 「来た、ね。」

 

 「……うんっ。」

 

 お互いの身体を離して、眼を合わせながら、軽く、笑いあう。

 ついに、最後の日が、はじまる。


 「いよっしっ。」


 少し丈の広い、もふりとしたファーがついた、

 鮮やかな真紅のコートを羽織った怜那が、

 深呼吸を一つしたあと、ドアノブに手を掛け、勢いよく廻した。


 がちゃっ

 

 「おはようございます。

  由香さん。古河さん。」

  

 かっちりしたパンツスーツを護るように、

 ミリタリー由来のロングトレンチコートに身を包んだ

 チーフマネージャー、篠原塔子さんが、緊張した面持ちで現れる。

 

 「塔子さん、おっはよーっ。

  今日も、よろしくねっ!」


 の最後の日は、

 ごく、日常的にはじまった。

 

 「はい。

  今日は、古河さんもご一緒ですね。」

 

 「ぇ。」

 「うんっ!

  ちゃんと楽屋も一緒だよっ!」

 

 えぇ……。

 

 「……さすがにもう、よろしいのではないですか。

  は。」

 

 ……。

 うん。

 そうですね。まぁ、今日くらいは。

 

 「よぉーっし!

  いっくよーっ!!」

 

 ……坂を駆け下りていっちゃったよ。

 慌てて新人マネージャーが追いかけていってる。

 どうやら、騒がしい一日になりそうだ。


 ふぅ。

 やっぱり、外は寒い。

 締まった冬の鈍色の空の先から、太陽がちらちらと覗いている。

 

 「……僕たちも、行きましょうか。」

 

 「はいっ。」

 

 キラキラした顔の塔子さんと並んで、ゆっくりと階段を降りる。

 ……ほんとにお世話になったな、塔子さんには。

 

 「……古河さん。

  ……本当に、本当に、ありがとうございました。」

 

 お礼を言われることなんて、なにも。

 

 「……いまお伝えすることではないのかもしれませんが、

  私が由香さんに付いたのは、左遷だったんです。」

 

 ぇ。

 

 「だから

 

 

  「ともやくーんっ!!」

 

 

 ……はは。あはは。

 一応、ここ、隠れ家なんだけど。

 ほんっと、怜那は飽きないなぁ……。

 

 この先も、人生は、続く。

 怜那の版権をいつまで有効に管理できるのか、

 活動休止後も有名税を払い続ける新しい生活がどんなものになるのか、

 まったく、分からない。

 

 それでも。

 

 

  「はーやーくーっ!!」

 

 

 「……由香さん、童心に帰ってますね。」

 

 あはは、

 言い得て妙だなぁ。

 

 「テンションがあがってるんでしょうね、きっと。」

 

 テンションをんだろうな。

 終わる日だから。終わらせたくないのを、振り切る日だから。

 

 「……ふふ。」


 坂を下りた先で待つ、警備の車が二台並んだ先の、

 レコード会社の車のドアを、パタンと開けた。


 瞬間、


 「…うわっ。」


 ダンスで鍛えられた怜那の腕に、ぐいんと引きずり込まれた。

 

 「あはは、おどろいたっ?」

 

 一人の女性の満面の笑みを載せた車が、

 一万人のファンの待つ会場へと走り始める。

 雲の切れ間から注ぐ太陽の光の破片が硝子越しに注ぎ込み、

 怜那を、淡く縁取っている。


  

 「今日も、これからも、

  ずっと、ずっと、一緒だよ。」



 古河怜那。


 某一流私立大学法学部、三年生。

 光の先へと駆け抜けようとする21歳。


 少し長めの睫毛、キラキラと輝く悪戯猫のような瞳、異様に整ったスタイル。

 ガールポップの旗手として世界に名を成した唯一無二の女性は、

 俺の腕に絡まりながら、はちきれんばかりの満面の笑みを浮かべている。

 

 俺は。

 この笑顔を、これからも、守り続ける。

 暴風雨の日も、足元が崩れるような日も、涙で空が見えなくなる日も。

 怜那と、心の栄養を、分かち合い続ける。


 俺の、古河智也の、命のすべてを賭けて。

 細胞膜の一片が枯れ果てるその日まで。

 



  「ね、智也君っ!」


 


  逆行してしまった俺は、

  「推し」の笑顔を、護る

 

 

  完

 

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