ExtraⅡ:第10話
それからは、怒涛の日々だった。
1988年、9月末日。
3rdアルバム『twenty』発売。
ユーロエナジーを裏軸にしつつも、
これまでの各路線の集大成となるアルバムは、チャートで初動2位を記録した。
1位が取れない、というのが「らしいな」と思ったのは内緒だが、
50万枚はともかく、足抜けするには十分な売り上げだった。
1988年、10月から12月。
2ndワールドツアー、「Up,Up and Away」。
台北、香港、マニラ、バンコク、クアラルンプール、ジャカルタ、
リマ、リオデジャネイロ、ニューヨーク、ロンドン、そして東京。
追加国はえらい増やされたのに、
ドイツ、スウェーデン公演構想は潰されて結局英語圏になってしまった。
どさくさ紛れにニューヨークを押し込まれたことも悔やまれる。
でもまぁ、そればっかりはどうしようもない。
レコード会社の本社はアメリカだし、
1980年代の日本の音楽界の海外人脈が、英語圏に偏りすぎているのだから。
欧州圏と人脈ができていくのは、もっとずっと後になってだ。
オッサンが凄まじい勢いでロジを捌きまくる超強行日程のツアー中に、
海外向けの全編英語詩アルバムと、
「Beautiful way/Love affair」をシングルカット。
オッサンのカウンタパートである相手国プロモーターの宣伝の下手さから
チャートアクションは左程振るわなかったが、
音楽関係者(特に欧州筋)からは総じて好評を得た。
元ネタからすれば当たり前なのだが。
眉毛が「確かな手ごたえを感じたよ」とほくそ微笑んでいたから、
休止後の倉出し音源商売に道筋をつけたのだろうと感じている。
100%日本人向けに再販するつもりなんだろう。
実際、かなりいける商売になると思う。
デュッセルドルフや西ベルリン在住の日本人から、
ディスコで「Wonderful Way」の日本語歌詞版が流れてたという投稿が、
一般のラジオで紹介されたりもしているくらいだから。
でもって。
1988年12月から、1989年1月。
「最初で最後の国内ツアー。」
札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡、
そして、ラジオの聴取率が高かった地方の二都市。
ファンになっていた市長が部下や市民に大号令を出したり、
行政無線を独占するなどの騒ぎがあったという。
国内ツアーの最中に、今村由香ベストアルバム『delight kisses』が発売。
プレミアで3万円までついている『greetings』の音源や、
海外ツアーのライブ音源を含む限定版となっており、
話題性と飢餓感から予約注文が殺到、
遂に、最初で最後の週間アルバムチャート1位(1週のみ)へ躍り出た。
この間。
帯同しろ、帯同すべきだ、帯同させてやる、
帯同しないなんてありえないという各方面の声は強かったが、
俺は、黙って怜那の帰りを待ち続けた。
帯同しても、プレイヤーではない俺にできることはごくわずかだし、
俺は俺で、やることがあった。
たとえば。
*
「……本当に一緒に行かなかったのか。」
「はい。」
ここで下手な借りを作るわけにはいかないわけで。
明日菜さんの先例もあるし。
「……てめぇも、相当な変わりモンだなぁ。」
失礼な。
常識人オブ常識人だぞ、俺は。
「……新しい弟さん、いかがですか?」
「……まだそうなった訳じゃねぇよ。
俺はまだ、認めねぇぞ。」
あはは。不満そうだなぁ。
まぁ、あの陽キャな神代君なら、うまくやるだろうねぇ。
野心たっぷりな子のほうが、いろいろ身につけていっちゃうだろうし。
「……絶縁宣言は、効いたな。」
「ええ。」
福岡公演に態々楽屋に来た爺に向かって、
怜那は、スタッフの面前で、強い口調で、はっきりと絶縁を宣言した。
「てめぇ、誤解させたままにしておいたろう。」
怜那は、爺が
俺に危害を加えようとしたと思ってるわけであり。
……怜那が誤解するだけの言動が過去の爺にあったということなのだろうな。
絵葉書の文面からして、実際に逢った時の印象からして容易に想像がつくが。
「奥様の指示です。
怜那には、伏せろと。」
……ほんとは、異母姉、なんだけどね。
まぁ、怜那にはいろいろ伏せたほうがいいから。
俺たちの婚姻届の両親欄や、戸籍謄本は、
ヨネさんがしれっと揃えさせてしまった。
(「事後承諾で押し切るわ。
さんざん迷惑を掛けられたんだもの。」)
…なんて恐ろしい。
まぁ、爺は、ロンドン公演後に、ヨネさんに内緒で、
怜那と見合い相手を無理やり引き合わせるとかやってたみたいだから、
ヨネさんからすると、引導を渡すにはいい機会だったんだろうな。
爺に名乗る機会を与えるつもりは微塵もないらしい。
(「怜那に知らせて、役に立つこと、あるの?」)
……それに頷いてしまう俺も、狡い奴だけど。
真実を知らせることが正義、というのは、
ティーンエージャー向けの物語だけだ。
怜那が成人していて良かった、というべきなのだろう。
「あれでもう魂抜けたからな、すっかり。
爺の廻り連中がほっとしちまってる。」
歳食った創業者一族は、会社にとってガンになりやすい。
ただ、ガンがいなくなったらなったで、権力の空白はできやすい。
「ご実家には、お戻りにはなられないので?」
「馬鹿野郎。
いくら俺だって、弁えくらいある。
っていうか、茂の邪魔になるだろ。」
……なんだ。
しっかり認めてるじゃん。
鴉男のツンデレなんて、需要マイナスなんだけど。
「……勿体ねぇとは、思わんのか。」
ん? 何を?
あぁ。
「まったく。
心の栄養のほうが、ずっと大切ですから。」
俺は、今村由香の自殺を止めるために来たんだから。
版権は、その一手段に過ぎない。
まぁ、貰えるものはしっかり貰うけど。
就職先も、知財管理に役立てるために、特許庁にするつもりだし。
「……チッ。
惚気に来たのかよ。」
「はい。」
「………。
てめぇ……。
涼しい顔しやがって、ほんとに変わりモンだな、クソ畜生めがっ。」
……ふふ。
*
「……お礼を言うべきなのかどうか、分かりません。」
まだ、早いんじゃないの?
安定的な継承までは、10年くらいかかるでしょ。
「……いや。
そこはもう、問題はないんです。
皆さん、良くしてくれますし。」
あはは。
ほんと、流石だねぇ神代君は。
「……ずっと、恐れてました。
貴方が、僕の居場所を根こそぎ奪ってしまうんじゃないかって。」
そんなこと、ひとっつも考えてなかったのに。
「信じられませんよ。
大学だって、OREさんのほうが、ずっと。」
そんなこと、関係ないって。
それで、一つだけ聞いておきたいんだけど。
「……なんでしょうか。」
高校生の頃、バンド、やってた?
「っ!」
あはは。
やっぱり、そうなんだ。
「……どう、して……。」
いやぁ、尾雅越さんが、話してくれただけなんだけど。
「……。」
ミュジコンの九州予選で、いいところまで行ってたんだよね。
家の意向で、やめさせられたみたいだけど。
「……。」
怜那に言えば良かったのに。
音楽やってる、楽器弾ける、って言えば、
一瞬でもんの凄く近づけたと思うよ?
「……はは。
それは、考えてなかった……。」
躊躇いがあったんだね。
「……はい。
それに、もう、貴方がいましたから。
僕が入る隙間は、最初の最初から、まったくなかった。」
……なんか、ほんとに、ごめんね?
「いえ。
楽しかったですよ、一瞬でもOREさんとご一緒できて。
ずっと、由香さんの活躍をテレビで見てましたから。」
テレビで、ねぇ……。
「一回だけ某ベストテンに出したのって、なんでですか?」
あれ?
あれはね、まぁ、裏の話をすると壮絶な貸し借りの結果なんだけど、
はっきりいうと、怜那が出たがったんだよ。
子どもの頃から、ずっと出てみたかったらしいよ?
「あはは。
そうだったんですか。」
ディレクターさんから何遍も直接頭を下げられちゃったし、
アイドルのチャートインが少ない週で、
出演者自体も少なそうだったし、明日菜さんが先に出る週だから、
まぁ、酷いことにはならないだろうって。
「明日菜さん、由香さんがミラーゲートから出た時から
司会者の隣に立ってましたもんね。」
うん。助かった。
紙吹雪を髪から取ってくれたり、半分答弁してくれてたりしたから。
自然に隣に座ってくれて、廻りからもしっかり守ってもらって。
「あの週はビカムもいましたね。」
いたねぇ。端っこに座ってたね。
菫さんは嫌がってたらしいけど、石澤氏が出演予定を押し込んじゃって。
「そうなんですか?
明るくて、舞台慣れしてる感じじゃないですか、神崎菫。」
うん。あの人達こそテレビ向きではあるんだよね。
でも、人見知りが激しいみたいで。無理してやってるトコもあるみたい。
「………。
ほんと、凄いです。
僕には、想像もつかなかった。」
偶然だよ。
本当に、運が味方してくれただけのこと。
君と逢えたのも、幸運中の幸運だしね。
「……僕、は。
……情けない、不誠実な話ですが、
まだ、気持ちを整理できていません。」
……あはは。
これしか言えないけど、お幸せにね。
「……ありがとうございます。
智也さんも、どうか。」
……うん。
ありがとう、茂君。
*
「本当に帯同、されなかったんですね。
せめて国内ツアーは、一緒に行かれると思ったんですが。」
あくまでも今村由香のツアーですからね。
僕は、怜那と結婚しただけの、ただの一般人です。
「はは。」
尾雅越さん。
長い間、どうもありがとうございました。
「……?」
僕のこと、記事にしなかったでしょ?
「……なんの、ことでしょうか。」
あはは。
お爺様の差し金だったのでしょうけれど、
結果的に、大変助かりました。
「……。」
雑誌の出資元絡み、ですね。
「……そこまでご存知でしたか。」
まぁ。
一応、違和感のある動きは、調べて置くタチですから。
「……では、最初から?」
いや? 一回目のワールドツアーの頃からです。
お爺様の指示が、変わったんですね?
「……はは。
すべて、お見通しだったのですね。」
大丈夫。
もう、時効みたいなものですから。
「……情けない話ですが、正直に申し上げれば、葛藤がありました。
目の前に、日本の音楽界に革命を起こしている人物がいるのに、
それを記事にせず、他の方々の成果のみとして後世に伝えるのは、
雑誌記者として、歴史を紡ぐ者として、冒涜ではないかと。」
僕は本当に何もしてませんから。
できれば、怜那のことを、おてやわらかに書いて頂けるとありがたいです。
お友達たちに、お高くとまっているとか、ロックの敵とか、
少女趣味とか、ペダンティックとか、金持ちの道楽とか、無責任だとか、
いろいろ言われちゃってるみたいですからね。
「……ははは。お恥ずかしい限りです。
バイアスなしで書いて、なんの問題もありませんよ。
今村由香が挙げた業績を、批判できる音楽誌の記者など、一人も。」
そうであれば良いのですけれども。
あとは、まぁ、後輩達のご指導をよろしくお願いします。
一旗、あげたいみたいですからね?
「最後に、一つだけ、お伺いしても?」
どうぞ。
「古河智也さん。
リトルリーグの世界大会に出場した野球少年であった貴方が、
どうしてこれほどの音楽的素養を持たれておられるのですか?
……貴方は、『誰』ですか?」
あはは。気づかれた、かぁ。
いい記者さんだなぁ。しっかり取材してるし、勘もいいし。
お答えは、これしか、ない。
「僕は、怜那の、彼女の紡ぐ音楽のファンです。
それ以上でも、それ以下でもありません。」
「……
分かり、ました。
復帰の日まで、どうぞご壮健で。」
ありがとうございます。
お互いに。
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