ExtraⅡ:第8話
1988年、8月。
「初動、4位ですよっ!!」
……あは、は。
ほんと、伸びた、なぁ……。
「Wonderful way」。
ミュージック・スフィアで初披露された今村由香の新曲は、
予想を超える手ごたえとなった。
なんといっても、大手自動車メーカーの新車のCMに採用されたのが大きい。
放送回数が多いし、各局に跨るから、浸透すれば地引網のように搔っ攫える。
画面右下にしっかり今村由香の名を出してくれたのも有難かった。
この条件が通らない某コカ飲料の打診を眉毛が断って大正解だったと思う。
まぁ、怜那のスタイルの良さに食いついただけなのかもしれないけど。
CMで車、運転してるの、北欧系の金髪女性だもんな。
営業や代理店側が、この曲から何を受け取ったのかがわかりやすすぎる。
タイミングもぎりぎりだった。某中堅自動車メーカーのCMに、
あの有名な飛行機雲の人が起用される直前でほんとよかった…。
相手が相手、規模が規模なので、
幾らかはスポンサー筋と会食せざるを得なかったけれども、
塔子さんや、意外なことに石澤氏が怜那を守っていたらしい。
喜んで差し出す系と思っていたので、1ミリくらい見直したのは内緒だ。
最初はAll that's she wantsを下敷きにしようと思ったけど、
不謹慎なイメージがつくからやめたんだよね。
ユーロビートを知ってる日本人には分かりやすくはあるはずだけど、
かなりの変化球だったから、結果が出るまで怖くてたまらなかった。
正直、心底ほっとしてる。一ミリも俺の力ではないとはいえ。
まぁ、「いまやりたいことを全力でやるだけ」っていう
『だいじなのは』を引き継いだ歌詞の部分よりも、
CMで使われてる「Oh,Yes! All right!」の多重コーラスのところしか
覚えられてないきらいはあるけど、売れてさえいれば、なんでもいい。
足抜けに向けて駆け出す曲なんだから。
「ほんとにクレジットしなくてよかったんですか?」
するわけないでしょ?
作曲は井伏雅也、作詞は今村由香、編曲は井伏雅也と小村政美。
『だいじなのは』のゴールデントリオです。
「……ゴスペルとテクノサウンドの融合なんて、
井伏さんが他の方に提供してるテイストと全然違いますけれど。」
あはは、よく調べておいでですね。さすがチーフマネージャー。
でも、オケを作ったのも井伏さんですから。
「……。」
不満そうだなぁ塔子さん。
でも、いま表に出るのは極力避けたい。
あと七か月で、全ては終わる。とりあえず、話をそらそう。
「塔子さんも相当忙しいでしょう。
ビカムも売れてきましたから。」
Become a Real Star。出所はあえて言うまい。
ちょっと英語が変なのもなにも言うまいよ…。
ある意味この時代っぽいわ。某TAMAN英語みたいで。
「……ビカムこそ、古河さんのお力じゃないですか。」
これこそまったく。史実路線をお師匠様がほぼ忠実に踏襲しているだけだから。
趣味じゃないのに、R&Bの音作りは後期EW&F以上に稠密を極めている。
前の時よりもずっと洗練されてるのは、大先生の隣に居続けたから。
菫さんが明るく朝帰りを歌った曲が跳ねること跳ねること。
……すんでのところで躱せた、という感じだろうか。
R&B寄りとはいえ、AORは、
元ネタからして史実の神崎菫の守備範囲そのものだから、
こちらの路線転換が無ければ、呑まれないにせよ、衝突は避けられなかった。
我ながらマッチポンプ感が否めないが、逃げ切れればもうなんでもいい。
「あ。」
…ん?
「危うく要件を忘れるところでした。
社長から、古河さん宛に、言伝です。
それと、こちらを。」
眉毛が塔子さん経由って、珍しいな。
この封筒の中身、なんだろ……?
*
1988年、9月。
政財界を揺るがす巨大な贈収賄事件に、
世間の眼が釘打たれている頃。
東京、赤坂。
その政治家達のご用達となっている、某高級料亭。
……遂に、ここまで来た、か。
「浅茅、志誠じゃ。」
浅茅は中二っぽい雅名のようなもので、本名は菊池だと聞いている。
年の頃は七十を超え、髪に霜を頂いてはいるが、
目は覇気横溢、矍鑠としている。
「……よう、来たのぉ。」
なるほど。こういう人、か。
眼が飛び出るほど高そうな和服の着こなしが、まるっきりその筋の人だ。
……これは、怜那は嫌だろうなぁ。
にしてもこの声、誰かに似てると思ったけど……。
あぁ、中尊寺の名字の人だ。老け役やってる時だけど。
「古河智也です。
お目に掛かれて、大変、光栄です。」
……長かっ、た。
ヨネさん経由で東京在住の秘書に連絡、
破棄と再調整を繰り返し、やっと時間をもぎ取ったのだ。
まぁ、向こうからすれば当然なんだけどもね。
この爺さんの世話、いろいろ忙しいだろうし。
「……儂はのぉ、
きみに、一度、逢いたいと思っておったのじゃよ。」
ほんと、雰囲気あるなぁ。
声がこう、溜めがある感じで。
さて、先手は懐柔策で来たか。猫撫で声が恐ろしいねぇ。
「恐縮です。」
「きみには、感謝しておる。
怜那を、ここまで育ててくれたからのぉ。」
……だから、もう、手を離せということだろうな。
わりと仕掛けが早いな。時間がないのかもしれないなぁ。
じゃあ、こっちも早回し。
このカードから切っちゃう。
さらっと。さらっとね。
「お育てになっておられたのは、浅茅様のご令嬢です。
妹であれば、当然ですが。」
銀座で仕立てたのであろう、
志誠氏の細密な正絹羽織の袂が、ふるりと揺れた。
「……。
知って、おったのか。」
これが、病室で一誠氏から聞いた、怜那の出生の秘密。
(「……怜那が、ヨネさんの子でなくても、か。」)
一誠氏から見ると、怜那は、「いとこ」では、ない。
「叔母」に当たってしまうのだ。
ずっと、不思議だった。
ヨネさんと、今村氏の関係が。
今村氏は、確かに怜那を可愛がった。溺愛といって良い。
それは間違いないが、もしそんな子煩悩な人だというなら、
第二子以降の形跡がまったく見られないのは、いかにも不思議なのだ。
その答えは、凡そ、想像がつく。
ヨネさんは、母としては、美しすぎる。
ヨネさんにも、この話を受け入れるメリットがあったのだろう。
子どもが産めない身体のヨネさんにとって、
怜那を実子として育てるのは、
世間体を維持するにはちょうど良かったのだろう。
ヨネさんから見た怜那は、
「歳の離れた、半分血が繋がっていない妹」だったのだ。
それが悪かったわけではない。
怜那にとって、今村氏は自分を溺愛してくれた大切な父親で、
ヨネさんは、今村氏に慈しまれながら、怜那を見守り育ててくれた母親だ。
それ以上の情報など、何も要りはしない。
だが。
「……今村には、不自由を強いてしまったのぅ。」
だからこそ、この老人は、怜那へと、妄執を向ける。
使えないうちは後ろめたさから棄ておいたものの、
血を分けた娘が、使えるとなれば。
「幸せな家庭を持った幸せな夫だと思いますが。」
「ほぉ。
きみには、そう、見えるか。」
「はい。
少なくとも、娘に遠ざけられる父親よりは。」
この人に好かれる必要がない、
っていうのは、楽な折衝だよな。
「……ほぅ。
聞いていた通り、生意気盛りだのぉ。」
「恐縮です。」
「……怜那は、立派に育った。
いささか、育ちすぎるくらいに、な。」
「はい。」
「並みの家に収まるとは、とても思えぬがのぅ。
……いや、本人同士が良くても、廻りがな。」
はっはっは。
流石、地方財閥を率いてるだけあって、目力に凄みと迫力がある。
リアル〇山富三郎に凄まれてるようなもの。
腹の底が、きゅきゅっと音を立てて縮まるような鋭い気迫。
……そこは、ほんと、大したものだ。
前の俺なら、まず、委縮しちゃったろうな。
「かも、しれませんね。
私も、しかるべきところに、収めるべき、と思います。」
それはもう、五秒も掛からずに。
「うむ。」
案外わかっておるではないか、とでも言いたげだ。
分家筋の者として、よく弁えているな、と。
やれやれ。ほんと、面白いなぁ。
もし、正面からこっちを真面目に懐柔しに来られたら、
もうちょっと難しかったのにな。
んじゃ、やりますか。
「その場合、
怜那は、自ら命を絶ちます。」
断つでしょう、ではなく。
「…っ?!」
「怜那は、あれで結構、激情家ですから。
血は争えませんね?」
「……小僧っ。」
あらら、わりと早く本性が出たな。
まぁ、もともと想定通りだ。軍門に下る気はさらさらない。
じゃ、次に行きましょうか。
「ところで、御社の広告に、
某大手芸能事務所のタレントが使われておられますね。」
「……それがどうした。」
「怜那を襲うよう指示したのは、浅茅様ですか。」
「……何を、言っておる。
気でも触れたか。」
「ふた月半ほど前、怜那が、某テレビ局の敷地内で暴漢に襲われました。
ご存じでしょう。」
「……っ。」
「背景をお調べになりましたね。」
「当然じゃろうがっ。」
ん?
ってことは、こっちだったのか。
「では、騙されましたね。」
「……なん、じゃと。」
眉毛、なんでこの件を俺に報告させるかなぁ…。
っていうか眉毛の情報網、マジですげぇなぁ……。
修羅場潜ってるだけあるっていうか。
ま、塔子さんが持ってた封筒の写真を並べてしまいましょう。
とん、とん、とん、とん、っと。
「私どもの調査で、浅茅様がお雇いになったと思しき方が、
こちらの事務所に入っていく姿が確認されています。」
うわ。
老眼鏡はめて、すっげぇ怖い顔して凝視してる。
ほんとに知らなかったわけか。
あぁ……、鬼の形相って、ホントにあるんだ。
こいつ、東京湾に沈められるな。合掌。
「詳しくは申し上げませんが、
怜那を襲わせたのは、この事務所に所属しているタレント。
動機はおそらく、逆恨みです。
調査されれば、すぐに分かることかと。」
元々は、明日菜さんとの金銭トラブルの件からだろうな。
ATMから下ろせなくなったし、新曲の売れ行きも鈍ってきていたし、
後輩達からも突き上げられてたようだから。
「……おいっ!」
控えていた秘書さんがすいっと出てくる。
この人にゃ苦労させられましたが、
この姿を見ると同情しちゃうわ。
「……ぬしら、何をしておったんじゃあっっ!!」
天井が、文字通り震えた。
この歳なのに、もの凄い声量だな。
「調べろっ! 徹底的にじゃっ!」
沸騰せんばかりの激情を叩きつけられた秘書さんは、
目線を流しながら無言で書類一式を受け取り、
膝をついたまま下がっていった。なんて器用な。忍者みたい。
でもねぇ、こっちは追い打ちをかけちゃうんだなぁ。
「つまり、怜那にとって、
貴方は、立派な加害者なんですよ。」
被害者の列には一誠氏も含まれるが。
もともと、仲も悪いしな。
「怜那は、素直で、可憐で、
そして、奔放な女性です。」
突拍子もないもんね、いろいろ。
明日菜さんのことなんて特に。
「怜那は、自分が納得しない限り、誰の言うことも聞かないでしょうが、
特に、貴方の言うことは聞かないでしょうね、絶対に。
なにしろ自分を殺そうとしたんですから。」
「……き、き、貴様ぁっ!」
うーん、すっかり逆上してる。
もうちょっと打倒しづらい巨悪であって欲しかったんだけど。
まぁ、奇襲がうまくいってるだけのことだし、
究極、
あー、お茶がめっちゃ旨い。さすが高級料亭。
なんだろう、いろいろありすぎて図太くなりすぎてるな。
前にこの図太さがあれば、死なずに済んだんだろうなぁ。
「……何が、望みじゃ。」
あら。
ここで「でてげっ!」とかならないあたりは流石なんだけど、
台詞が悪役っぽすぎるよ。
「何も。」
「なん、じゃと……?」
「強いて申し上げれば、
怜那に手出し無用、というくらいでしょうか。
アジアツアーに動員頂かなくても大丈夫ですから。」
「……。」
一転、むっつりと不機嫌そうに黙り込んだ。
守勢に廻ると、とてつもなく不器用なんだな、きっと。
あぁ。
そう考えると、繋がるんだ。
要するに、この老人は、
「自分の子どもを護ってきた」つもりだったんだ。
テレビに出させない、ということも、
海外ツアーを支援したことも、
イギリスのテレビ局に事前に話をつけていたことも、
バッシング報道をもみ消そうとしたことも、
親心だと考えれば、ぜんぶ一貫してしまう。
ただ。
「肉親であれば、無償の愛を注ぐべきかと。」
見返りを求めてるんだよね、この人。
それがなんとも見苦しい。
「……。
儂は、っ。」
「年寄りをあまり追い詰めてはダメよ?」
ぇっ……?
「よ、ヨネっ!」
「……その名で呼ばないで下さいまし。」
うわ。
なんつー地雷を踏むんだ、このお方に向かって。
っていうか、なんでココにいらっしゃるんですか。
「怜那よ。」
怜那?
「すっかり取り乱してるわ。
貴方が殺されると思っちゃって。」
は?
え、なんでそんなことに。
「怜那にそんな風に思われてるんですよ。
……お分かりですか? お父様。」
嫣然、一笑。
……恐ろしいことこの上ない。
「わ、儂はぁっ!」
……これって、クリティカルヒットって言わないかなぁ。
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