ExtraⅡ:第5話


 事件は、いつも、唐突に起こる。

 

 1988年、5月。

 

 「……この書かれ方は、不味いな。」

 

 確かに。

 場所が場所だもんなぁ……。

 

 六本木の、有名でないほうのディスコ。

 身体にリズムが入らないといけないので、

 怜那(と、みどりちゃん)に実地体験をさせている場所。


 戦略転換のためであり、である。

 しかし、世間は、そうは見ない。

 

 『清純派シンガーソングライター、

  一皮剥けば深夜のご乱交?』

 

 場所が場所だけにありえそうだとは言え、

 よくもまぁ、ここまで憶測を書けるもんだなぁ……。

 カストリ雑誌とはよく言ったものだ。


 早速ラジオで騒がれてしまっているし、

 テレビでも取り上げる動きがある。

 出る杭は打たれる運命にあるとはいえ。

 

 「君らのことだから、後ろ暗いことは何もないと思うが。

  ……怜那ちゃんは、大丈夫かね?」

 

 「はい。」

 

 それは、何も。

 作詞作曲も順調に溜まってるし、寝る前は毎日ニコニコしてますとも。

 もともと、これくらいは織り込み済だったもので。


 「……ふふ。君らは、強いな。

  活動休止が先に見えると、そうなるのかもしれんね。」

 

 確かに。

 一生ここにしがみついてやる、というのなら、

 慌てふためいてこの世の終わりのように焦燥した挙句、

 悪魔の眷属相手の不利な取引に足を突っ込むことになったろうから。

 

 「まぁ、この話はこちらで引き取る。君らは心配せずとも良い。」

  

 はは。

 久々に眉毛の頼もしい姿を見たよ。


 「ありがとうございます。」


*


 「……ぴたっ、と、止まりましたね。」

 

 ……ですね。

 不気味なくらいに。

 

 確かに眉毛には得体のしれない力はある。

 けれど、それだけで収まったようにも見えない。


 俺は、これと似たような例を知っている。

 一つは、今から10年後、プロデューサーとして絶頂期だった

 元TAMANのキーボーディストが、麻薬騒動で捕まった時。

 

 もう一つは、俺の生きていた時代。

 形骸化しつつあった某老舗音楽賞の授賞を巡って、

 某芸能事務所と、との間で、

 巨額の金銭授受があったことを無鉄砲な雑誌がすっぱ抜いた時。


 いずれも、後追い報道がまったく見られなかった。

 両者とも、後ろ昏い勢力が、背景にあったと噂されている。

 まぁ、噂は噂なんだろうけども。

 

 でも。

 ……これは、少し、当たってみないといけないな。

 

 「ふ、古河君っ。

  ふ、副社長がお呼びだそうだよっ。」

 

 ……タイミングがいいな。

 そういえば眉毛、次の株主総会で正式に地位が一つあがるみたいだけど。


*


 「ああ、呼び出して済まんな、学期中なのに。」

 

 はっはっは。まぁ確かに授業はひっそりと全部出てますけど、

 どっちかって言ったらニューアルバムの制作で忙しいんですが。

 

 「私も君と話していたいんだが、今日は立て込んでいてな。

  用件だけを伝えるよ。」

 

 ん?

 

 「ミュージック・スフィアを知ってるな?」

 

 え? まぁ、知ってますよ。

 大手製薬会社の一社提供の伝統ある音楽番組ですね?

 俺の時代も細々と続いてましたよ。

 この頃は深夜帯の放送で、実力派歌手のみが呼ばれる名門でしたね?


 「出演依頼があった。」


 きわめて、強い……。

 

 「君に隠し事はせんよ。

  スポンサーサイドからだ。」


 えぇ……。

 番組制作側ではなく、ですか?

 

 「制作側からのものは断っておるよ。

  スポンサーの、それも広報ではなく、役員級の圧力だ。」

 

 な、なんですか、その圧力……。

 

 「、と。」

 

 ………ぇ。

 ぇっ。

 

 「分かるかね?

  少々次元が違うのだよ、今回は。」

 

 ……。

 

 「怜那ちゃんが出演しないなら、

  スポンサーを降りるそうだ。」

 

 は、はぁ??

 

 「と、泣きつかれたよ。

  制作現場ではなく、局の編成からな?」


 う、うわぁ……。


 「伝統ある番組だし、そう酷いことにはならんと思う。

  一応、回答を待ってもらっているが、

  これまでのようにのらりくらり、では済まんよ?」


 ………。


 「三日間だけ、待ってもらえますか。」

 

 「明日だ。」

 

 「二日間。

  確認をしないといけないところがあります。」

 

 「……分かった。

  明後日、いい返事を期待しているよ。」

  

 これ以上、庇えないってことだよなぁ……。

 眉毛からすれば、時間を作ること自体が、ぎりぎりの妥協なんだろう。


 やるっきゃないか。ダメージコントロールだ。

 今年はこればっかやってるな……。


*


 1988年、5月某日。


 モノトーンに統一した壁紙。

 調度品の一つまで隙なく組み上げられた、洗練を尽くした空間。


 「久しいわね、古河君。」

 

 「ご無沙汰しています、奥様。」

 

 稠密な色彩が施されたボーンチャイナのティーカップを華奢な手に取り、

 ゆっくりと口に付ける姿が、一服の絵画のように整っている。

 俺の時代なら、美魔女と呼ばれてもおかしくなかっただろう。


 「怜那を餌付けしてるそうね?」


 え? あぁ。

 怜那が家で食べられる時間がある時は、

 色々作ってはいるけど、簡単なものだけだぞ?


 「貴方って、野球なんてやってたわりに、変なところ器用よね。

  男子厨房に入らずとか言ってるかと思ったけど。」


 この時代のコンビニ弁当が全然美味しくないので、自衛しているだけ。

 無農薬の野菜なんて売ってないし、調味料は着色料の山だし。

 まぁ、レコーディングも忙しくなってきたから、

 ある程度割り切ってしまうしかないんだけど。


 ……そう考えると、2020年は、

 この時代のグルメ漫画の世界が普通になってたわけだから、

 考えようによっては、贅沢に慣れてたってことだよな。


 「ふふふ。そんな家庭的な貴方なのに、

  怜那をとんでもない悪所に連れ込んでるそうじゃないの。」

 

 ……おっとりと人聞きの悪いことを。


 「ほんとにもう、大変だったのよ、お父様が。」

 

 でしょうねぇ。

 で。

 

 「そのお爺様ですが、怜那のテレビ出演を了承したとか。」

 

 「あら。

  そうなの。」

 

 ん?

 ……やっぱり、ですか?

 

 「ふふ。貴方も気づいてると思うけど、

  佐和田の家は、元は菊池の家だから、軍人の家系なのよ。」

 

 は、はぁ……?

 なんですか、急に。

 

 「だから、怜那がアジアツアーに行く、っていう話を

  人づてに聞いた時から、

  国威発揚じゃ、とか言い出してたのよ。」

 

 う、うわぁ、なんだそりゃ……。

 知らないうちにそういう琴線に触れちゃった、ってことか。

 

 「それでもう、怜那が話題になるたびに自慢話をしてるわ。

  年寄りの男共って、ほんと、勝手なものよね。」

 

 は、はぁ……。

 それで、製薬会社のほうからのアプローチが有効になってしまったと。

 うわ、これ、内堀から先に埋まった奴じゃん。

 ……詰んでんなぁ。


 「どのみち、もう限界だと思うわ。

  貴方には知らせなかったけれど、テレビ局があまりに煩いから、

  警察に相談して、呼んでもらったのよ。」


 ……あぁ。

 あのポリスボックス、そういうこと……。

 てっきり政府要人でも住み始めたのかと思ったけど。


 「ふふ。

  あと十か月で、ほんとに終われるのかしら。」

 

 ヨネさんは、活動休止プロジェクトを知っている数少ない人だ。

 まぁ、カウンターパートが眉毛だから当たり前だし、

 そもそも怜那から伝えられてるわけだけど。

 

 「お父様まで乗り気になっちゃってるのよ?」

 

 「終わらせます。」


 そう、言い切る。

 ……終われないと、ほんとに困るから。


 「……そう。」


 ヨネさんは、磨かれた窓の外に目をやった。

 彫刻のような横顔の美しさは、凜としている時の怜那を、彷彿とさせる。


 「古河君。」


 普段のおっとりと上品な口調と異なる、真剣な響き。

 美しい二重瞼の瞳で、正面から、俺を見据えてくる。

 思わず、身構えてしまった。

 

 「はい。」

  


  「怜那を、幸せにするのよ。」

 


 強く、反論を許さない口調。

 それなら。

 

 「はいっ。」

 

 こう、答えるだけだ。

 

 「ふふ、いいお返事だこと。

  まぁ、きっと、これもなのよね。」

  

 どういう意味、なんだろう…。


 まぁ、やるっきゃない。

 引きずり上げられた舞台を、せいぜい踏み台に使ってやる。


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