ExtraⅡ:第4話


 「聖ちゃんの時は、もっと凄かったよ?」


 いや、それはちょっと……。

 比較対象が違いすぎますよ大先生。


 「僕からすると、音楽雑誌の連中が、

  よくのことを書かないでいられるなって思うけどね。」

 

 ……。

 

 「ま、時間の問題だと思うよ? 

  怜那ちゃん絡みでの僕への取材も増えたからね。

  なんなら一緒に出るかい?」

 

 断じてお断りします。こっちは何もしてませんから。

 それよりも、ホントに煙草はやめて下さいね?

 

 「ははは。

  いくらOREおれ君の頼みでも、それは難しいなぁ。」

 

 あぁ、なんてこった……。

 目の前にいるのに、働きかけられてるのに、史実、変えられないって……。

 40代で肺ガンで死んじゃうんだよねぇ……。

 

 

  「と、智也君っ!」

 

 

 ん? 怜那?

 やけに早く来たね。事務所に呼ばれてたのに…

 

 「……あぁ。

  そういうこと。」

 

 って、大先生。

 なんですか、それ。どういうことですか?

 

 「いや、こんなこと、前にもあったんだよ。

  怜那ちゃん、口説かれたんだね。」

 

 !

 

 「あぁ、古河君が思ってることと、ちょっと違うと思うよ。

  ま、君らにとっては同じかもしれないけど。」

 

 どういうこと?

 ん、怜那?

 

 「あの……ね?

  その、政美さんの言う通り、なの。

  会社の営業の人とかから、どうしてもこういう曲を作って欲しい、とか、

  次はこの曲をシングルカットして欲しい、っていう感じのお話で。」

 

 ……ん?

 

 「要するに、平場で生意気な君に否定されるよりも、

  予め怜那ちゃんを抱き込んでしまえば、ってことだよ。

  ははは。」

 

 あ。

 あぁ……。

 それは、立場が違ったら、俺でも考えるだろうなぁ……。

 

 「で、怜那ちゃんはどう答えたの?」

 

 「いやですっ! 智也君に聞いて下さいっ!

  んもう、しつっこいっ!!

  って言いました。」

 

 笑ってしまった。いろいろ想像できてしまって。

 めずらしくぷんすかしてる怜那の頬のふくらみがなんとも可愛らしい。

 

 「ははは。

  ほんと君ら、夫婦だよね。

  早く結婚しちゃいなよ。」


 そうしたいのはヤマヤマなんですけれどもね……?


*


 「要するに、ABBAってことか?」

 

 うーん、そうと言えばそうなんだけど、違うと言えば違う。

 まぁでも、やるしかないっていうか。

 なんというか、麻婆豆腐を豆板醤がない時代に味噌で代用したようなものか…。

 

 「まったく間違ってるわけではないんですが、

  まぁ、こういう展開です。」

 

 こればっかりは弾くしかない。

 俺、楽器、ホントに苦手なんだけどなぁ……。


 「……お前って、ほんっとピアノ、ヘッタクソだな。

  怜那の彼氏なのになぁ。」

 

 ……煩いな。

 顔から火が出るほど恥ずかしい。嫌な汗が出まくったじゃないか。

 

 「知ってますよそんなの。

  今更言わないで下さい。」

 

 「でも、あんなの、使えたんだなお前。」

 

 この時代には、まだミュージ君すらない。

 国民機はなにもかもがめちゃくちゃめんどくさい。

 でも、ドラムなんて絶対に叩けないわけだからしょうがない。

 リズムパターンは口では説明できないから。

 あぁ、せめてレコンポーザくらいあれば説明が楽なのに……。

 

 ……っていうか。

 

 「やりませんよ。

  絶っ対にやりませんからね。」


 「お前以外に誰ができるんだ、これ。

  聴いたことないぞ、こんなの。」

 

 いや、あるんだけど。

 この時代にもエッセンスは十分あるんだけど、説明がめんどくさい。

 はっきり下敷きにできるものがないから。

 

 「先輩しかいないでしょう。

  ……こき使えそうなのが。」

 

 「あのなっ!!」

 

 それに、外には漏らせないから。


 この時代のDJはそもそも少ないし、テクノか、ラップ寄りの人が多い。

 こちらのイメージを伝えて反応してくれるかは相当怪しいし、

 下手をしたら、勝手に忖度されて哀愁ユーロに変形されてしまいかねない。

 形ができたら、大先生に最後にお手伝い頂くくらいはできるかもだけど。

 

 「この際だからはっきり言っとくが、

  俺は、怜那を引退させるのは反対なんだからな。」

 

 この期に及んで……。相楽美佐でめっちゃ儲けてるでしょ?

 っていうか、聞こえるでしょ。ボリューム落として落として。

 それに、そんなこと言うなら、


 「奥様に告げ口しますよ。

  タレント未満を食いまくってる男が可愛い娘も誑かしたって。」


 「ぶっ!!」

 

 あ、やっぱりやってるんだ。

 ほんともう、どうしようもないなこの人。


*


 うわぁっ。

 史実より、早く出てきちゃったの、かっ……。

 

 「いま会社で売り出そうとしてる新人でさ。

  エッチピー。Hepburn Projectの略なんだけど。

  どう? なかなか良くない?」

 

 音源的にはショボいの一言に尽きるが、

 デモ音源からも伝わるヴォーカルはまさに天下無双。

 太く、深く、切なく、そして朗らかに大きく広がる倍音。

 この後、30年以上、R&Bで彼女を上回るヴォーカリストは出ない。


 空前にして、絶後。

 神崎菫。ワイン城からやってきた、真正の大ヴォーカリスト。

 失恋のプロセスと空気感を描かせたら、右に出る者はいない霊感溢れる作詞家。


 なんということでしょう。

 この方々を、史実より早くアレンジャーで売れてきた

 お師匠様が手掛けられるってっていう……。


 逃げ切れ、なかった、のか……?

 どうしよう。? それとも、

 打ち震えるような興味と、怜那の進路を阻みかねないことへの葛藤がある。


 「……どうしたの? 古河君。」

 

 ……あぁ。

 片方は、史実通りだったのに。


 こっちも、史実に沿うなら、

 今頃はライブハウスを廻ってる頃で、来年に所属するはずだから、

 かちあわないものだとばっかり思ってたんだけどな…。

 これも、怜那を動かしてしまったがゆえなのか…。


 どうしよう。

 門真俊司氏の気持ちが、分かってしまう。

 隕石の軌道が逸れた恐怖って、きっと、こんな……


 ……いや。

 いっそ、辿もらったほうが良くないか?

 

 「……天下一品です。

  間違いなく、凄まじい売れ方をします。

  日本を代表する女性ボーカリストになるでしょう。

  パワーと倍音で言えば、既に明日菜さんを上回っています。」

 

 「うわ。

  君がそこまで言うって相当だね。」

  

 「ただし、パイド系のままだと、彼女は、潰れます。

  いいところがまったく出ませんから。」


 ピアニッシモに声量を合わせるとかできない人なんだよね。平板になっちゃう。

 っていうか、お師匠様はまだウィスパーボイスが好きなんでしょ?

 これ、お師匠様に対する聖氏の陰謀じゃないかなぁ。

 いい加減路線をメジャー向きに替えさせるための。

 

 「うーん。やっぱそうかぁ…。

  で、君ならどうする? やっぱしAOR寄り?」

 

 ここ、だ。


 「それで悪いことはないですが、

  それよりも、R&Bに寄せたほうがいいと思いますよ。

  ほら。胸声の倍音が尋常じゃなく広く伸びてます。

  下敷きにするならば、Tina Turnerとか、

  EW&Fとか、Cheryl Lynnとかじゃないかと。」


 もろ史実そのもの。

 〇ポトシ〇ン4869を飲んでしまった察しのいい小生意気なガキの気分だ。

 編曲者がお師匠様になれば、原曲より遥かに緻密になるはずだけど。


 「はぁ。Got to be realか…

  僕の趣味じゃないんだけどなぁ……。」

 

 だろうねぇ。

 この頃のお師匠様はその前の時代のほうが好きだもんねぇ。

 あとでDJとかやるんだけどねぇ。

 

 「そこまで言うなら、いっそ君やれば?」

 

 「絶対嫌です。怜那で手いっぱいです。」

 

 こっちは、彼女たちからディフェンスしなきゃならんの。

 あと一年弱だけでも。

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