(ExtraⅡ:完結編)Up,Up,and Away
ExtraⅡ:第1話
1988年、2月。
某外資系レコード会社、早川副社長室。
「めでたいじゃないか。」
いや、まぁ、そうなんですけれども…。
「あまり大人を舐めないことだな?」
舐めていたつもりはありませんが……。
「戸惑った顔をする君を見るのは愉快なものだな。
はっはっは。いや、失敬失敬。」
いや。
参った、なぁ……。
*
確かに、いい曲ではある。
収録時には、いい大人であるレコーディングスタッフが、
涙腺をボロボロにしていた。
俺は、この曲が、とても好きだった。
大自然の中に起立する一本の大樹のような透明な清涼感を湛えながら、
感情を圧し入れて涙腺をボロっと緩ませてしまう
今世の怜那の技量にも惚れ直し、
フックが強くなるようにちょっとだけ歌詞も変えたし、
大先生に耳入れして、流れが良くなるようなアレンジもした。
ただ、『売れるはずのない曲』なのだ。
地味な、マイナーコードの、失恋を噛みしめ続けるだけのバラード。
なにしろ、前の時代のspotifyで、カウント1000がつかないくらい、
誰も聴いてない、振り返りもしない、地味な、埋もれた曲だったのだ。
ネットの検索で、この曲を好き、どころか、
知っている、と言っていた人を見つけるのが大変だったくらいに。
アルバムの隅にひっそりと咲くだけの、アクセントのバラード。
なのに。
蓋を開けると、投票権者の過半数がこの曲を押していた。
ただし、ほとんどが2、3位の候補として。
唯一の例外は、女子社員代表で入っていた丸眼鏡の事務職員(34歳)。
断固トップに推した彼女は、夜中四時(彼らは二六時と言う)に、
お仕着せの制服姿で、営業担当者、広告代理店と真っ正面から戦っていた。
もう一曲、最後まで俎上に乗っていたのが、
後に飼育係らを手掛けることになる若手アレンジャーのプロデビュー作。
寺崎謙次郎の仕事を支えていただけあって、
いかにもAOR本流という緻密な作りでありながら、
後に大ヒットメーカーとなるだけあって、
フックのしっかりしたポップスとして成り立っている。
売りやすさ、わかりやすさでいったら、間違いなくこっちだったろう。
この時代では先端だが、2010年代のJ-POPと言われても問題ない、
俺にとっては懐かしいオーケストレーション。
「さて、
一通り聞いてたと思うけど、どうだい?」
聖氏の一言に、女子社員、ファン代表の顔が固まったのを覚えている。
一応、非公表のつもりなんだけども。
もう四時なので、早く帰って寝たかった。
それに、確かに、邪な心があった。
ここで下手に売れるべきではない、という意味での、だが。
「面白いのは、『愛は』のほうでしょうね。」
女子社員、ファン代表、作曲者の怜那の顔がキラキラと光り、
営業担当、広告代理店の若手社員からは鬼のように睨まれ、
ブラウンジャケットの大先生が苦笑いをしていたのを、妙に覚えている。
疲れていたのだろう。
社会人の頃も、こんな長い会議、出たこともなかったから。
「この曲と詞は、凄く広がりますよ。
売り方次第ですが。」
「君ならば、自信はある?」
「はい。」
嘘だった。
相当な条件がそろわないと無理だと、分かっていた。
自分が担当するわけではないという安心感と疲れが、
口を大きくしていたのだろう。
穴があったら砂の中に埋められたい。
「だってさ。
挑戦状、叩きつけられちゃったね?」
朦朧としてきた記憶の中に、
聖氏が、営業側の男性陣を煽った台詞を、妙に覚えている。
*
「初動で、7位ですよっ!!」
なんだよ、ねぇ……。
煽られた営業担当者、というよりも、広告代理店の若手社員は、
『気づかないで/gare』で俺がやったことを、そのままなぞった。
明確な業務として。より体系的に、狙いを明確に絞って。
『ヴァンカトル』を手掛けたプロデューサーが、
ドラマの殿堂と言われる某局から発注を受けていたこと。
『ヴァンカトル』のスタッフ、中でもディレクターと女性脚本家を手配したこと。
女性脚本家が、今村由香のファンになっており、
『nineteen/ensemble』を自腹で買い、『愛は』をとても気に入っていたこと。
広告代理店が、今村由香と女性脚本家の双方から知遇を得ていたこと。
そして。
女性脚本家は、木曜10時のドラマの脚本の中に、
『愛は』の歌詞や世界観を、鮮やかに織り込んでしまったのだ。
主人公の最初の彼女役である、アイドル歌手でもある当代きっての若手女優が、
劇中、白血病と判明し、最愛の彼氏を遠ざけようとするシーン。
他の女性と付き合ったと知り、人前では安堵の笑顔を浮かべながら、
病室で一人、曇り空を見上げてぽろぽろと涙を流し、蹲るように慟哭するシーン。
なにしろ大先生が編曲したので、アップ映像にばっちり溶け込むんでしまう。
原曲のシンプルなピアノに、控え目だが鮮やかなストリングスとリズムパターン、
なにより、鮮やかなオーケストレーションに負けない
丸みと温かさを持ちながら、伸びやかで透明、かつ静謐なバカラ・ボイスが、
秘め続けて枯れさせるためだけの、胸を掻きむしられる切ない深愛を歌いあげる。
挿入歌だけれども、ほぼ主題歌といって良い使われ方である。
ドラマの殿堂局製作の演出の確かさもあり、
2F層を中心に大反響となってしまった。
まぁ、ドラマで使われたのは彼女が死ぬまでの4話くらいらしいから、
失速してくれるとは思いたいのですけれども…。
はぁ。
……正直、これは、してやられた。
「30位以内に押し込む」
と言った時に、俺がイメージしていたのは、
20位~30位に1~3週間程度。シングル売上でいえば、2~5万枚程度だ。
アルバムを買ったファンが収集アイテムとして買う、という程度であって、
新規ファンを開拓することなど、想定していなかった。
ついでに言うと、販路開拓や広告宣伝は、
ディレクション下手のオッサンが指揮するとばかり思っていたので、
売れるはずはない、とタカをくくっていた。
選曲会議で聖氏がオッサンを外していた頃から、ほんのり嫌な予感はしていたが。
この時代の日本人は、仕事や成果に対して、めちゃくちゃ執念深い。
早く帰ることが正義、という30年後の価値観が、全然通用しない。
そして、面子を重んじるから、売られた喧嘩は、必ず買う。
……そんな暑苦しい少年漫画みたいな展開、望んでたわけないんだが。
隠れファンとしては、隠れた名曲に日の光が当たったこと、
曲の価値を共有して貰えたことは、泣くほど嬉しい話ではあるんだよな。
怜那への版権収入もばっちり入って来るから、ありがたい限りでは、ある。
とは、いえ。
これは、路線転換に支障が出る。
なにしろ、替えようとしている路線と真逆の曲がバカ売れしてしまったんだから。
「流石ですね、古河さんっ!」
キラッキラした眼で見てくるチーフマネージャーの篠原塔子さん。
もう、うしろめたさしか感じません…。
「営業担当、代理店の方々のお力です。
大したものだと思いますよ。」
ほんと、そう思う。
なんだけど、
「……あの人達は、注目してなかったじゃないですか。」
って、言われちゃうんだよねぇ……。
「だとすれば、なおさらです。
お仕事をきっちりやれる、信頼できる人達ですよ。」
と、フォローをしても、全然手ごたえを感じない。
なんだかいたたまれない…。
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